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生きるのをがんばりたい

発達障害の診断は免罪符たり得るか

これはなに

真面目な文章を生成してしまいバランスを取りたい衝動に駆られたので、雑なお気持ち表明文章を生成したいと思います。絶対引用しないし本も読み返さないからな、これはチラシの裏です。

本編はこちら haneuma0628.hatenablog.jp

検査に至るまで

現職に新卒入社して1年と数ヶ月ほど経った頃に精神衛生に異常をきたし始めたので、薬で手っ取り早くなんとかしてもらうことを目的に精神科を受診しました。

精神科での診断はごく軽度の適応障害でした。診断後すぐに棚ぼた的に環境が変わったこともあり、表面的には回復したので大事には至りませんでした。薬はめちゃくちゃ効きました。現代医学、一生信じていきたいですね。

その間、Twitter や職場の Slack 分報チャンネルは荒れに荒れており、荒廃した思考と生活の様子が実況されていました。 毎日強めの酒を飲まないと眠れず、「今すぐ会社を辞めるか人生を辞めるかの二択じゃないですか?」と言って人々をドン引きさせ、吐き気、動悸、強い不安がありました。これを見かねた人間性のある友人たちから、酒はやめたほうが良いとか、業務上のコミュニケーションを円滑に進めるための知見とか、認知の歪みというものがあるとか、世の中には色々な人間がいるとか、あの部署ならうまくやれそうだとか、眠剤は便利だとか、知能指数に差があると対話が難しいとか、とにかく気にかけられて色々な情報を授けられました。

友人やインターネットの影響で、発達障害という疾患の存在は知っていました。「アスペなんじゃないの?」と陰口を言われたことも少なくありません。人生のどのステージでも、他人からの評価は「変わってる子だね」でした。 そのため「自分は発達障害の傾向があるのでは?」という疑いは持っていましたが、一方で、そんなに都合よく疾患を持っていることはないだろう、脳機能は正常でも要領が悪く能力が低いだけだろう、とも思っていました。

しかし、ごく軽度とはいえ適応障害と診断されて日常生活にも支障があり、何より感情としてめちゃくちゃ辛く、どうしてこんなに社会が辛く苦しいのか、原因を解明することでしか救われないと強く信じたため、発達障害の検査を受けることにしました。その結果、冒頭の本編にあるように発達障害ASD かつ ADHD)と診断されました。

コミュニケーションの困難について

職場環境、端的に言えば上司とチームメンバーが変わるまで、業務上のコミュニケーションには非常に苦労していました。

当時、自分に渡されていたタスクがあまりにも進まないため、上司と解決策を練っていました。 挙げられた解決策は、もっと進捗報告をしてほしいとか、他のメンバーから進捗を聞くようにしようとか、主に進捗報告とコミュニケーションに関わるものだったと思います。

自分は進捗報告というものが非常に苦手です。 報告される人間が何を知りたいのか、想像することができません。また、報告という作業の実施自体を忘れます。

「もっと進捗報告をしてほしい、状況が変わったら報告をしてほしい」と言われて、「もっと、とは具体的に1日に何回報告すればいいですか?」「状況が変わったら、と言いますが、タスクに着手している限り手を動かすごとに状況は変わってしまいます。その都度報告が必要ですか?」といった質問をしました。質問への回答を自分が理解することはできませんでした。そして、その大幅に遅れていたタスクについて、3分おきくらいに進捗報告をしました。 自分でもやりすぎなことは分かっていましたが、具体的な報告頻度が分からなかったので、人の言う「誠意」のためになるべくたくさん報告しよう、と考えた結果でした。

当然、鬼のような頻度の進捗報告は、上司に咎められました。 上司には「進捗報告の頻度や内容を定義化することはできないので、いい感じの頻度でお願いします。」と言われました。メンバーにも最適な進捗報告頻度を尋ねましたが「いい感じにするしかないですね。」と言われました。進捗報告以外にも、上司やメンバーからの指示が理解できずに、指示側の意図しない成果物をあげたことでタスクのやり直しを指示されたりしました。日常的なやり取りで言われていることの意味が分からなかったことは数えられないほどありました。

彼らの言うことが理解できない自分の無能さに絶望しました。元気になってからは、いい感じで分かるわけないだろ〜〜〜〜???という怒りを覚えました。

発達障害と言いたがる人たち」

前述のようにコミュニケーションの困難を感じたことで、知能指数の異常や発達障害を疑うようになりました。 自分には脳の機能に異常があり、精神疾患によって問題が生じているのだということに、ある種の救いを求めました。

以下の記事は少し前の投稿ですが、現世にはこのような言説が嫌というほど転がっています。

anond.hatelabo.jp

検査を受けることを決意してから発達障害と診断されるまで、自分は発達障害と言いたがっているだけなのではないか?という考えが頭から離れませんでした。診断された今でも、別の機関で検査すれば無能で怠惰なだけの健常者なのかもしれない、治療を受けることは甘えなのかもしれない、という考えを捨てきれずにいます。人と意思疎通ができないこと、ゴミが捨てられないこと、部屋が散らかっていること、あらゆるタスクに取りかかれないこと、毎日眠くて仕方がないこと、何もかもがんばれないことを、疾患のせいにしているだけの健常者なのではないか、と考えることがあります。また、「ごく軽度の」適応障害と診断されたときも、診断がつくか曖昧なくらいに軽症であるなら、こんなに騒ぎ立てるのは大げさではないか、とも思いました。

しかし、現に自分は社会生活に困っています。どんな診断がつこうがつかまいが、困っていることは事実です。 発達障害と言いたがっていようがごく軽度の適応障害だろうが何だろうが、困りごとが改善される方法を享受するためにできる限りのことはしたいと考えます。 何をもって発達障害とするかは専門家が研究しているもので、ちょっと勉強しただけの素人である自分が口を出すことではありません。受診した医療機関が現在の診断基準に基づいて発達障害と診断するなら、それに従って治療を受ければ良いだけです。

人が何を困難に感じて何に救いを求めようが、それを人に咎められる言われはないので、うるせえお前に何が分かるんだよ、って言っていきたいですね。

発達障害の診断は免罪符たり得るか

自分が無能だと思っている行動様式が改善するなら何でもいいんだよ、処方箋が貰えて治療も受けられるなら、免罪符にでも何でもしてやる。文句を言うやつにはエビフライ投げつけてやる。他人は自分の精神衛生を何も保証しない、免罪符で自分が守られるならいくらでも言い訳しよう。治すんだよ、コミュニケーションの困難を、何もがんばれない自分を、他人に何が分かるんだよ。

余談

棚ぼた的に環境が変わったことで、コミュニケーションの困難はぴったり止みました。 あんなに思い詰めたものがさっぱり解決されてしまって拍子抜けしましたが、解決したことに変わりはないので、素直に喜ぶことにしました。 担当の精神科医曰く、仕事の進め方が合っているんでしょうね、とのことでした。 データエンジニアリングをしていたところから Web フロントエンドをしているところに異動して困り果てましたが、ソフトウェアなら何でも楽しいので、楽しくやっています。給与も上がったしボーナスもそこそこ貰えました。良かったですね。

また、これは強めの酒のレシピです。ご査収ください。 このチャイニーズマフィアかストレートのスコッチを、1杯だからワンショット〜〜〜〜〜と言ってロックグラスに8分目まで注いで毎日飲んでいました。皆さんは真似しないでください。

あんずのチャイニーズマフィア

グラスに杏露酒とスコッチウイスキーを1:1で入れます。

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