活動記録 /(2011年)(写真にカーソルを当てると解説が出ます。)

■中間報告 2011年12月30日(金)


 消費税増税の民主党案がようやく決まったようです。私は、円高デフレの不景気の中で消費税増税は「時期尚早」という立場ですが、与党の責任で決めるのならば、実施時期を微調整などせずにもう少ししゃきっとしてほしいと考えます。仮に5パーセント消費税を上げても12兆5千億円にしか過ぎません。50兆円に近い国債を発行している中で、どのようにして財政再建への道筋を付けていくのか、政府与党は明確に説明しなければなりません。まず、景気回復、経済成長、そういう言葉が野田総理の口から出て来ることを期待します。

 12月26日(月)は、午後から、金融庁に自見金融担当大臣を訪ね、特定寄附信託について陳情しました。今年、信託銀行を通じて公益的団体に寄附すると所得控除が受けられる仕組みが新設されたのですが、寄附先の公益的団体は信託銀行が選択することになっているので、リストに載らないと寄附を受けることができません。そこで、日本にもすばらしい活動をしているNGO、NPOがたくさんあるので、広い視野でリストアップしてほしいとお願いしたのです。役人の時に、NPO法案の議員立法に協力して以来、こういう仕事もしています。
 その後、議員会館で、内閣府の沖縄担当政策統括官らから沖縄振興予算の内示状況の説明などを受けて過ごしました。

 12月27日(火)は、午前中、党本部で、大都市問題に関する検討PTに出席し、中間報告案について、私から説明しました。自民党案は、都道府県に特別区を置こうとするときは、関係団体が協議会を設けて協定書を作成し、それをそれぞれの議会に付して同意を得た後、廃止市町村の住民投票に掛けるというものです。特別区設置そのものには、国は直接関与せず、地方自治に委ねるという趣旨の案です。幾つか質疑応答がありましたが、原案どおり承認されました。中間報告は、トップページに掲げています。

 12月28日(水)は、終日、大分市内で、県庁、市役所、各種団体などで、年末の挨拶をして回りました。
 12月29日(木)は、午前中、大分市内で、年末の挨拶回りをした後、午後から、大分市トキハ前及び別府駅前で街頭演説を行い、仕事納めとしました。多くの皆さんにお声掛けいただき、ありがとうございました。

 12月30日(金)及び12月31日(土)は、大分市の自宅で、家族と共に過ごし、大晦日の夕刻には、元日宮中での新年祝賀の儀に備え、上京します。

 皆さん、良いお年をお迎えください。

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■天皇誕生日 2011年12月25日(日)


 平成24年度政府予算案が閣議決定されました。国債発行額を44兆円に抑えるため、年金特会への繰入金を交付国債で賄うという禁じ手を使った粉飾予算案となりました。その交付国債の財源となる予定の消費税増税については、民主党内の議論が止まったままです。八ッ場ダムの本体工事費の計上については、マニフェストにこだわって民主党の前原政調会長が反対しましたが、政府に押し切られました。年金についても、削減が決まりました。一方で、国家公務員給与の引下げについては、その後民主党から全く連絡がありません。

 交付国債の発行は、政府が自ら財政破綻を認めたのと同然です。政府は、そこまでして、消費税の増税を実現させたいのでしょう。しかし、何としても、先に景気の回復を図らなければなりません。景気回復に意を用いた予算には、全く見えません。そこに大きな問題があります。

○沖縄出張
 12月19日(月)は、早朝、大分駅を出発して博多駅に向かい、福岡空港から那覇空港に向かいました。那覇市で、自民党沖縄県連到着後、県連幹部や沖縄県職員と、自民党本部が決定した新沖縄振興特別措置法案の骨子について、打ち合わせを行いました。午後から、昼食後、川口順子党沖縄振興特別委員長らと共に、同骨子について記者会見を行いました。その後上京の予定でしたが、那覇空港で、F15が滑走路を逸れたことから滑走路が閉鎖され、予約便の出発が3時間近く遅れました。おかげで、旧友を空港に呼び出し、地元の島尻安伊子参議院議員らと共に、早い時刻から泡盛をたくさん頂きました。

 12月20日(火)は、午前中、党本部で、大都市問題に関するPTに出席し、元総務大臣の増田寬也さんのお話を伺いました。午後から、憲法改正推進本部役員会に出席しました。今後の取組について、谷垣総裁から挨拶がありました。その後、議員会館で、公務員制度改革について、長勢党公務員制度改革特命委員長と打ち合わせをしました。夕刻、党本部で、日本保育協会の皆さんとの懇親会に出席しました。大分からも、佐藤会長以下御出席でした。

○起草委員会
 12月21日(水)は、特に行事はなく、議員会館で、事務打ち合わせなどをして過ごしました。
 12月22日(木)は、午前中、党本部で、大都市問題に関するPTに出席し、堺屋太一先生の講演を伺いました。午後から、私が事務局長を務める憲法改正推進本部起草委員会が開かれ、自民党憲法改正草案のリニューアル作業が始まりました。来年4月28日のサンフランシスコ条約発効記念日、すなわち主権回復60周年に当たって、新案を公表したいと考えます。前文は後にし、第1章天皇と第2章安全保障の議論を行いました。様々な意見が出てまとめきれない所もできましたが、建設的な自民党らしい意見がたくさんありました。

○宮中宴会
 12月23日(金)、天皇誕生日は、午後から、皇居で、お誕生日の宮中宴会にお招きを賜りました。控の間で出席者との御挨拶を交わした後、豊明殿で祝宴に臨みました。天皇皇后両陛下及び御皇族方の後入室の後、お言葉を賜りました。遠くからでしたが、陛下のお健やかなお姿を拝見し、本当にありがたく存じ上げました。雅楽の演奏の中、たくさんのお肴とお酒を頂きました。最後に衛藤征士郎衆議院副議長の音頭で万歳三唱し、宴が閉じられました。

 12月24日(土)及び12月25日(日)は、東京で休暇を頂きました。

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■冷温停止? 2011年12月18日(日)


 12月10日(月)は、山形第2区の新人、農水省OB30歳の鈴木憲和さんを応援するため、尾花沢市及び東根市において、同氏の個人演説会に出席し、講演しました。
12月16日(金)に行った野田総理の東電福島第一原発の冷温停止状況の宣言は、国の内外から批判されています。特に「発電所の事故そのものが収束に至ったと判断される」という発言には、被災者の感情を逆なでし、現場の実態を踏まえないものとして、佐藤福島県知事らが不快感を表明しています。本日のNHKスペシャルでも、これだけの原子力災害が震災後の人災のよって引き起こされた可能性を様々に示唆していました。国会に独立した調査委員会が設置されたところであり、徹底的な事実の解明を期待します。

○「大阪都」構想
 12月12日(月)は、上京し、午後から、議員会館で、役所のレクなどを受けて過ごしました。夕刻から、都内で、参議院同期の一七会の忘年会に出席しました。
 12月13日(火)は、午前中、議員会館で、法案の打ち合わせをしました。午後から、予算委員会理事懇に出席し、TPP問題等に関する集中審議の開催について協議しましたが、結論が出ず、休憩しました。その後、党本部で、年度末で期限切れとなる沖縄振興特別措置法の新自民党法案について、谷垣総裁、大島副総裁、塩谷総務会長らに説明しました。夕刻、議員会館で、予算委員会理事懇を再会しましたが、再び結論が出ず、散会しました。

 12月14日(水)は、午前中、議員会館で、仲井真沖縄県知事と新沖縄振興特別措置法案について意見交換をしました。その後、党本部で、憲法改正推進本部会議に出席し、自民党憲法改正草案に緊急事態の章を追加することを了承しました。午後から、党本部で、大都市問題に関するPTに出席し、「大阪都」構想への対応について議論を始めました。その後、沖縄振興特別委員会に出席し、新沖縄振興特別措置法案について、私から説明し、了承を得ました。夕刻から、都内で、記者懇の大久良会の忘年会に出席しました。

○沖縄法案
 12月15日(木)は、午前中、議員会館で、オイスカ議員連盟の会議に出席し、ブータン王国について勉強しました。その後、党本部で、全国戦没者遺族大会に出席しました。今年は、九段会館が震災が原因で閉館し、自民党本部で開催されたものです。午後から、清和政策研究会昼食会に出席した後、インテリジェンス・秘密保全等検討チームに出席しました。その後、税制調査会に出席し、税制の抜本改正について議論しました。その後、政務調査会政策会議に出席しました。

 12月16日(金)は、早朝、議員会館で、消費者教育基本法案に関する三党協議に出席しました。午前中、党本部で、大都市問題に関するPTに出席し、大阪維新の会の上山信一慶応大学教授から「大阪都」構想について説明を聴きました。その後、シャドウ・キャビネット及び総務会に出席し、新沖縄振興特別措置法案について、私から説明し、了承を得ました。午後から、議員会館で、沖縄県町村会の城間会長らと、新沖縄振興特別措置法案について意見交換をしました。その後、日本銀行から、日銀短観について説明を受けました。

○ふるさと対話集会
 12月17日(土)は、午前中、宇佐市院内町で、両川保育園を訪ね、香下淑子園長にお話を伺いました。丁度昼食の時間で、園児たちがチャンポンをおいしそうに食べていました。午後から、同町で挨拶回りをしました。夕刻から、竹田市荻町で、ふれあい対話集会を開き、地元の皆さんと様々な政治・経済の課題について議論しました。
 12月18日(日)は、午後から、大分市で、自民党大分県政治塾の講師として来県した安倍晋三元総理らと共に、街頭演説をしました。その後、同市大在、中央町及び稙田の3か所で、衆議院第一選挙区支部長の穴見陽一さんが主催するふるさと対話集会に来賓として出席しました。様々な職業の様々な年齢の皆さんから、たくさんの意見が出されました。

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■問責決議 2011年12月11日(日)

    

 秋の臨時国会は、一川防衛大臣と山岡国務大臣に対する問責決議案を可決して、終了しました。二重ローン防止法案、復興特区法案や復興庁設置法案などの震災関連法案や復旧復興予算が中心の第3次補正予算案は無事可決しましたが、政府提案の郵政改革法案、国家公務員給与特例法案、労働者派遣法改正法案などは、審議未了となりました。特に、所得税や住民税の増税を含む復興増税を決めておきながら、国家公務員給与の深掘りができなかったのは問題です。深掘りどころか、人事院勧告の実施もできず、12月の国家公務員ボーナスは、全く減額がないまま支給されました。

 9月に成立した野田内閣は、景気対策や金融緩和には全く無関心であり、復興増税に続いて、消費税増税の準備に着手しています。さらに、年金の引下げも行うことを決めています。自民党がこんな言葉を発するのも変ですが、「正に国民いじめの政権ではないですか」。大学生や高校生の就職率が60パーセント台の現在、超円高デフレの経済情勢の下、増税ばかりで地域経済は破綻してしまします。

 史上最悪総理の菅直人総理の後で、野田佳彦総理に期待が集まりましたが、今や空き缶と言われた菅総理よりも中身がないと言われています。国会で何を聞いても、のれんに腕押しの逃げ答弁ばかりであり、質問のしがいがありません。日本国のリーダーとしての主張が見えません。来年は、当初予算成立後、解散総選挙に追い込みます。

○憲法審査会
 11月28日(月)は、午前中、上京し、午後から、憲法審査会に出席しました。ようやく、曲がりなりにも、憲法改正手続が動き出しました。その後、議員会館で、消費者教育基本法法案について、NHKの取材を受けました。
 11月29日(火)は、早朝、自民党本部で、小規模企業税制確立議員連盟に出席しました。午前中、大分県青色申告会の皆さんの陳情を受けました。その後、総務委員会で質問に立ち、人事院勧告未実施に係る労働団体との密約について川端総務大臣を追及しました。午後から、党本部で、事務局長を務める公務員改革特命委員会に出席した後、再開された総務委員会に出席しました。その後、議員会館で、全国町村長大会に出席するため上京した大分県の町村長の陳情を受けました。

 11月30日(水)は、早朝、党本部で、全議員協議会に出席した後、午前中、本会議に出席しました。午後から、党本部で、参議院政策審議会に出席し、その後、自治・法務関係団体政策懇談会に出席しました。続いて、沖縄振興特別委員会に出席し、沖縄県から税制改正要望を聞きました。その後、議員会館で、大分県私学協会の幼稚園関係の皆さんの陳情を受けました。夕刻から、都内で、「いそざき陽輔君を励ます会」に妻と共に出席しました。多くの支援者の皆さんの御来場を賜り、本当にありがとうございました。

○復興特
 12月1日(木)は、午前中、議員会館で、役所の説明などを受けて過ごし、午後から、東日本大震災復興特別委員会に出席し、質問に立ちました。委員ではないのですが、復興特区法案が私の提出した災害臨時交付金法案の趣旨を取り入れて衆議院で修正されたので、確認の質問をするため、差し替えで出席しました。その途中、党本部で、税制調査会に出席しました。その後、議員会館で、憲法改正推進本部幹部打合会に出席しました。緊急事態に係る憲法規定の検討です。夕刻から、都内で、オイスカ議員連盟の忘年会に出席しました。

 12月2日(金)は、午前中、本会議に出席した後、予算委員会理事懇に出席しました。その後、党本部で、選挙制度調査会役員会に出席しました。午後から、再び予算委員会理事懇に出席しました。その後、国家公務員給与問題の三党協議に臨みました。前日、民主党の前原政調会長が国家公務員給与に係る自公案を了承したことから行われた会議であるにもかかわらず、民主党の交渉担当者は人事院勧告の完全実施は困難であるなどと主張し、会議の体をなしませんでした。会議後、総務省人事・恩給局長を呼び、国家公務員給与問題の法律問題についてきちんと与党側に説明しておくよう、指示しました。その後、議員会館で、大分県私学協会の高等学校関係の皆さんの陳情を受けました。

○白鵬土俵入り
 12月3日(土)は、午後から、宇佐市の双葉の里で、「超六十連勝力士碑」の除幕式に出席しました。横綱白鵬関も参加するため大変な人出であり、私も、なかなか式典会場には入れないほどでした。碑は、八角柱であり、碑銘のほか双葉山、白鵬、谷風(江戸時代)の連勝記録、自筆のしこ名、手形が刻まれており、まだ4面が残されています。その後、同市長洲で小松酒造場、長浦製網所、上野水産などを訪ねました。夕刻から、同市で、双葉山生誕百周年記念式典が行われ、白鵬関出席の下、多くの関係者でお祝いしました。
 12月4日(日)は、午前中、別府市で、天然記念物秋田犬第125回本部展に来賓として出席しました。全国からたくさんの秋田犬愛好者が集まり、審査を受けました。その後、国宝宇佐神宮で、白鵬関の奉納土俵入りが行われました。双葉山が26歳で奉納土俵入りを行って後同年の白鵬の土俵入りまで実に73年ぶりだそうです。横綱白鵬、露払松鳳山、太刀持嘉風、立行司木村庄之助、立呼出秀男と豪華メンバーの土俵入りです。白鵬関は不知火型の横綱なのですが、双葉山に敬意を表し、雲竜型を披露してくれました。これも、極めて珍しいことです。

○予算委員会で追及
 12月5日(月)は、午後、国家公務員給与問題の三党協議が予定されていたのですが、民主党側からドタキャンです。理由は党内調整がとれていないということ。それならば、最初から三党協議を開かなければいいのです。やむなく、予定されていた時刻に自公協議を行い、自公案を両党で衆議院に提出することを決めました。自公案は、公務員給与の深掘りは政府案と同様なのですが、まず人事院勧告を行った上で給与の深掘りを行うこととしています。夕刻から、都内のホテルで、大分県農業共済組合の役員の皆さんとの懇親会に臨みました。

 12月6日(火)は、午前中、総務委員会に出席しました。途中、党本部で、税制調査会に出席しました。午後から、党本部で、遺家族議員協議会に出席しました。その後、予算委員会に出席しました。その日は、「政治と金」の集中審議です。自民党は、西田昌司委員と私が質問に立ちました。山岡国務大臣と一川防衛大臣の問責決議案提出を控えた詰めの集中です。夕刻から、都内で、総務省旧自治系の忘年会と参議院派閥の清風会の忘年会に臨みました。自治系の忘年会では、奥野誠亮先生が乾杯の御挨拶に立ちましたが、まだまだ本当にお元気です。

 12月7日(水)は、午前中、本会議に出席しました。午後から、議員会館で、参議院議員全員協議会に出席した後、憲法審査会に出席しました。「多数を得られる共有点を見いだし、憲法改正を向けて一歩進めるべきだ」と意見を述べました。その後、党本部で、地方分権・地域活性化特命委員会に出席した後、議員会館で、消費者教育基本法案に関する三党協議に臨みました。夕刻から、都内で、清和政策研究会の忘年会に出席しました。

○問責決議案可決
 12月8日(木)は、午前中、党本部で、インテリジェント・秘密保全検討PTに出席し、その後、院内で、民主党横峯・平山問題検討PTに出席しました。その後、党本部で、清和政策研究会研究会に出席し、午後から、同研究会総会に出席しました。その後、党本部で、総務部会役員会に出席した後、議員会館で、創生日本の会に出席し、日大の百地教授に女性宮家創設問題について話を聞きました。その後、党本部で、消防議員連盟に出席した後、議員会館で、憲法改正推進本部幹部打合会に出席しました。

 12月9日(金)は、午前中、会期末処理のための憲法審査会、総務委員会、予算委員会及び本会議に順次出席しました。その間、予算委員会理事懇を開き、翌週の同委員会集中審議の開催について協議しましたが、意見がまとまりませんでした。午後、本会議が再開され、一川防衛大臣と山岡国務大臣の問責決議案が順次上程され、野党の賛成多数によりいずれも可決されました。その後、議員会館で、沖縄振興特別委員会役員会を開き、沖縄振興特別措置法に係る補助金等の一括交付金化について、沖縄県の意見を聴きました。

○ウォーキング大会
 12月10日(土)は、午前中、大分事務所で事務所会議を開きました。午後から、TPP問題について、大分建設新聞社の取材を受けました。その後、別府市で、友愛保育園を訪ね、園長の石田安貴子さんにお話を伺いました。その後、別府駅前で街頭演説を行いましたが、大変な寒さでした。夕刻から、大分市鶴崎で、同校区支部定期総会に出席しました。
 12月11日(日)は、午前中、宇佐市で、双葉山生誕百周年記念事業としておおいた遺産ウォーキング大会が実施され、私は、10キロメートルのコースに参加しました。700人もの参加があり、大変な盛況でした。10キロでは、やや歩き足らないという感じでしょうか。完歩後、青年会議所の皆さんが「ちゃんこ汁」を振る舞ってくれました。軍配型のバッジも頂きました。午後から、大分市トキハ前で、街頭演説をしました。

   

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■復興特区法案 2011年11月27日(日)

    

 威張って言うのでは決してありませんが、最近多忙を極めており、この活動記録の掲載も遅れがちになっています。東日本大震災復旧復興対策に真剣にがんばっています。私が提案者になって参議院で可決し、衆議院で継続審査中の被災市町村に対する災害臨時交付金法案は、三党協議の結果、政府提案の復興特区法案の中に全面的に組み入れることとなりました。予算額も、野党が要求していた5,000億円が満額措置されました。議員立法でなくなるのは残念なことですが、被災地における復旧復興を支援するため一刻も早く成立させたいと考えています。

 一方で、野田総理は、消費税増税を打ち出してきました。景気対策はしない、金融緩和もしない、その一方で、復興増税はする、消費税増税もする。あんまりではないでしょうか。自民党も、民主党よりも早く、消費税引上げの必要性を訴えています。しかし、それは「経済情勢の好転を前提」としてのことであり、この円高デフレの不景気の中で今消費税増税をすべきではありません。

 野田総理は、「財政規律も重要だ」として、財務省の片棒を担いでいます。財政規律が重要だからこそ、景気回復を図って、700兆円にもなる国債を縮少していかなければなりません。それには、経済成長が必要です。インフレで国債を事実上縮少させると言うと、不見識だという人もいますが、経済成長も、インフレも、効果的には同じことです。そうでない限り、国の一般会計の7倍にも達した国債を減らすことはできません。

 難しいことではありません、まず景気回復です。それから消費税の引上げを衆議院を解散して国民に問うべきです。

○復興特区法案三党協議
 11月21日(月)は、午前中、予算委員会締めくくり総括質疑が行われ、私が自民党の代表質問に立ちました。消費税引き上げ問題、人事院勧告不実施問題などについて、野田総理を追及しました。その後、討論、採決に移り、共産党を除く賛成で第3次補正予算案を可決しました。午後から、同案は、本会議に緊急上程され、可決成立しました。その後、議員会館で、災害臨時交付金法案提案者会議を行い、復興特区法案への対応を協議しました。その後、復興特区法案の三党協議に臨み、私から対案を提示しました。

 11月22日(火)は、早朝、都内のホテルで、全国史跡整備市町村協議会に出席しました。午後から、党本部で、公務員改革特命委員会に出席しました。夕刻から、復興特区法案の三党協議に臨み、詰めの議論をしました。与党側から大幅な譲歩を引き出し、復興特区法案の修正案に合意しました。

 11月23日(水)は、勤労感謝の日ですが、前日の三党協議が夜間に及び、帰省できなくなりました。そのため、地元のイベント関係の皆様には御迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした。

○故西岡議長参議院葬
 11月24日(木)は、午前中、議員会館で、みんなの党の政策調整会議に出席し、復興特区法案の三党協議の経緯について説明しました。その後、院内で、私が座長である政令市の選挙区割りに関するPTに出席し、自公協議の詰めを行いました。午後から、党本部で、国家公務員給与の取扱いについて、党幹部との意見調整をしました。その後、税制関係の総務部会等に出席しました。夕刻から、都内のホテルで、大分県商工会連合会幹部の皆さんとの懇談会に臨みました。

 11月25日(金)は、早朝、党本部で、インテリジェンス・秘密保全検討チームに出席し、その後本会議に出席しました。午後から、青山葬儀所で挙行された参議院議長故西岡武夫参議院葬に出席しました。本当に惜しい人を亡くしました。

○自衛隊駐屯地創立記念
 11月26日(土)は、午前中、陸上自衛隊玖珠駐屯地で、54周年記念式典に出席しました。午後から、玖珠郡自衛隊協力会が主催する祝賀会に出席しました。その後、佐伯市で、清田てつや同市議会議員が主催する佐伯市座談会に出席し、同市の若手経営者の皆さんとの勉強会に臨みました。夕刻から、大分市で、板倉永紀同市議会議員が主催する南永会に出席し、自民党員の皆さんと酒を酌み交わしながら懇談しました。

 11月27日(日)は、午前中、陸上自衛隊別府駐屯地で、54周年記念式典に出席しました。3機のヘリコプターを使った演習展示は、これまでになく充実したものでした。午後から、別府市自衛隊協力会が主催する祝賀会に出席しました。その後、大分市トキハ前で、街頭演説をしました。

   

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■3次補正審議始まる 2011年11月20日(日)

    

 ブータン国王歓迎の宮中晩餐会に4人もの閣僚が欠席したことは、全く驚く限りです。国王陛下にも礼を失することでもあるし、御招待された天皇陛下にも不遜なことです。まして、一川防衛大臣は、民主党国会議員の政治資金パーティーへ行って「こちら方が大事」と挨拶したといいますから、ひどいものです。

 続けて書くのも失礼ですが、ブータン国王陛下の国会演説を聴き、本当に心優しく、謙虚なお人柄がよく分かりました。御成婚したばかりの王妃陛下も、愛らしい笑顔をたたえていました。ブータンは、小さくてもきらりと光る国だと、感じました。私が自治大学校で教授をしているときに、海外から研修生を受け入れており、その中にブータンの男の人もいました。礼儀正しい人で、正式行事のときは必ず正装のスカート(ゴ)を身に付けていました。

○総括質疑
 11月15日(火)は、全日、第3次補正予算案の総括質疑が行われました。夕刻から、議員会館で、復興特区法案に関する三党協議に出席しました。私が提案者になって参議院で可決した災害臨時交付金法案とのすり合わせをどうするかということが、議題となります。その後、都内で、総務省北海道人会に出席しました。

 11月16日(水)は、早朝、党本部で、税制調査会に出席しました。この日も、全日、予算委員会総括質疑が行われましたが、自民党の質疑はありませんでした。その間、午後から、党本部で、指定都市の行財政問題に関する懇談会や総務部会連絡会議に出席しました。夕刻から、復興特区法案に関する三党協議に出席しました。

○ブータン国王
 11月17日(木)は、早朝、都内のホテルで、九州地方国道整備促進総決起大会に出席した後、党本部で、税制調査会に出席しました。午前中、予算委員会では、一般質疑が行われました。午後から、衆議院本会議場で、ブータン国王陛下及び同妃陛下をお招きし、国王の演説を聞きました。その後、党本部で、国家公務員給与問題の打ち合わせをした後、総務委員会に出席し、途中、予算委員会理事懇談会に出席しました。その後、議員会館で、海島保護法案の打ち合わせを行いました。

 11月18日(金)は、早朝、党本部で、TPP参加の即時撤回を求める会に出席した後、インテリジェンス・秘密保持等検討チームの会合に出席しました。午前中は、党本部で、税制調査会幹部会に出席し、地方六団体から税制改正要望を聞きました。午後から、議員会館で、各種の打ち合わせを行い、夕刻、復興特区法案に関する三党協議に出席しました。

○励ます会
 11月19日(土)は、午前中、大分市で、「礒崎陽輔参議院議員を励ます会」が開催され、多くの支援者の皆さんがお集まりいただきました。式では、今回いそざき陽輔新風会代表代行に就任した大分福祉会の有松一郎さんが若さあふれる挨拶をしました。午後から、同市で、府内保育園を保育士の妻と共に訪ね、園長の結城みどりさんにお話を伺いました。

 11月20日(日)は、お休みをいただき、夕刻、翌日の予算委員会締めくくり総括質疑に備えて、上京しました。
 
   

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■沖縄出張 2011年11月14日(月)

    

 TPP交渉参加問題については、結局、野田総理は、「TPP交渉参加に向けて関係国との協議を進める」ということになりました。驚いたことには、山田前農相を始め参加慎重派までも、「総理は、踏みとどまった。」として評価していることです。私は、TPP交渉参加に反対ですが、国政の最高責任者である野田総理が、賛成反対両派にとって玉虫色の発言をしたことに対し、極めて強い憤りを感じます。

 小泉元総理は、郵政民営化の局面において、与党自民党内がほとんど反対しているにもかかわらず、最初から自分の考え方をしっかりと述べ、最後まで押し通したではありませんか。リーダーたる者、自分の信念をしっかりと国民に語るべきです。まず、自分の考え方をきちんと明らかにする。そして、それに対する皆さんの意見をよく聴く。最後に、自分が責任を持って判断する。このどの過程においても、野田総理は失格です。

 予算委員会において、鹿野農相は、「米を関税ゼロの例外項目とすることは、極めて困難。」と、平然と答弁しました。それでどうして、日本の農業を、日本の安全保障を守ると言えるのでしょうか。交渉参加までに農業政策を明らかにすると言ってきたのに、いまだ何の具体策も提示されていません。本当にうそばっかりです。

○会議は続く
 11月7日(月)は、午前中、上京し、午後から、党本部で、TPP交渉参加に慎重な対応を求める議員集会に参加し、その後、沖縄振興特別措置法勉強会に出席し、関係者の意見を聴きました。
 11月8日(火)は、早朝、党本部で、選挙制度調査会に出席し、当面今臨時国会での公職選挙法の改正作業は、定数是正、都道府県議会議員選挙区制度の改正及び供託金の改正等の3つの部分に分けて行うこととし、都道府県議会議員選挙区制度の改正については私が自民党公明党PTの座長を務めることになりました。
 午後から、憲法改正推進本部会議に出席した後、議員立法の米軍跡地利用促進法案(中間報告)について、政策会議、シャドウキャビネット及び総務会で順次説明し、承認を得ました。

 11月9日(水)は、早朝、都内のホテルで、「大久良会」という記者懇に出席しました。午前中は、党本部で、総務部会連絡会議に出席し、その後、参議院政策審議会正副会長会議で、人事院勧告の取扱いについて説明しました。
 午後から、党本部で、参議院政策審議会に出席した後、公務員制度改革特命委員会役員会に出席し、事務局長を務める私から今後の進め方について説明しました。
 その後、院内で、秘書給与問題検討会に出席した後、党本部で、憲法改正推進本部会議に出席し、私が「日本国憲法と有事法制」と題する講演をしました。私が安全保障担当内閣参事官を務めたときの上司である福田康夫元総理(当時官房長官)や安倍晋三元総理(当時副長官)も出席し、議論が盛り上がりました。

○TPP
 11月10日(木)は、午前中、議員会館で、法務省民事局を呼び、円滑な供託金の収納について、議論しました。その後、党本部で、行政改革推進本部と総務部会の調整会議に出席し、人事院勧告の取扱いについて協議しました。
 午後から、清和研総会に出席し、司会を務めました。その後、議員会館で、予算委員会理事懇に出席し、翌日の委員会の開催などを決めました。夕刻、党本部で、TPP交渉参加に慎重な対応を求める議員集会に参加したところ、党執行部が出席していないことについて、多くの議員から不満が表明されました。

 11月11日(金)は、午前中、党本部で、軍恩議員協議会に出席し、全国軍恩連盟は、高齢化のため年内をもって解散することになったという報告を聞きました。連盟の多くの役員の皆さんが出席していましたが、本当に長い間お疲れ様でした。軍人恩給制度は、きちんと守っていきます。午後から、予算委員会でTPP問題の集中審議が行われました。野田総理が、TPPの基本的な仕組みについて理解が不足していることなどが浮き彫りになりました。

○秋祭り
 11月12日(土)は、午前中、杵築市山香町で、山香ふるさとまつりに出席し御挨拶しました。地元の皆さんの出店がたくさんあり、一軒一軒お話を聞いて回りました。その後、同町で、山香保育園を訪ね、園長の竹森ゆかりさんにお話を伺いました。途中、日出町で、二階堂美術館を訪れ、日本画の名画を鑑賞しました。
 午後から、別府駅前と大分トキハ前で、街頭演説をしました。最近よく差し入れを頂きます。ありがとうございます。夕刻、大分市で、大野川合戦まつりに出席し、来賓を代表して御挨拶しました。昨年までは開会式が午前中にあり、お客さんもまばらでしたが、今年から開会式がかがり火灯る夜になり、たくさんのお客さんと共に幻想的な雰囲気の中での式典となりました。

○沖縄出張
 11月13日(日)は、博多を経由して沖縄に向かい、午前中、那覇市の自民党沖縄県連で、自民党沖縄振興特別委員会の川口順子委員長と島尻安伊子事務局長と共に、自民党の「米軍跡地利用促進法案(中間報告)」公表の記者会見に臨みました。
 午後から、宜野湾市で開催された軍用地主総決起大会に出席し、御挨拶しました。1400人を超える会員の皆さんが御参集でした。その後、中部の北谷町を訪れ、米軍返還跡地の開発状況について野国昌春町長らから説明を伺いました。夕刻、那覇市で、地元の皆さんとの懇親会に出席しました。

 11月14日(月)は、午前中、沖縄から上京し、午後から、本会議に出席し、民主党の平田健二さんを参議院議長に全会一致で選出しました。その後、議員会館で、永松豊後大野市長と藤本姫島村長から過疎対策について陳情を受けました。その後、予算委員会理事懇に出席し、山岡消費者担当大臣のマルチ商法支援ビデオを視聴しました。
   
   

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■読むだけ総理 2011年11月6日(日)

    

 先週は、本会議で、野田総理に対する所信質疑が行われました。野田総理は、ごく一部を除いて、徹頭徹尾用意された答弁書をそのまま読み続けました。そのため、「読むだけ総理」と大変な野次でした。総理が自分の言葉で国会答弁をしないというのは、国民の代表である国会に対する冒とくです。本会議では多くの質問が一度にされるので、答弁書を読むのも致し方ないことです。しかし、全く一言もそれからはずれた発言がないというのは、日本国の最高責任者である内閣総理大臣の態度としてあるべきものではありません。全くリーダーシップがないということです。「安全運転」だけでは、誰も付いてきません。

○3次補正予算案審議始まる
 10月31日(月)は、午前中、大分市内で、企業関係の挨拶回りをし、午後から上京し、院内で、秘書給与疑惑等追及PTに出席した後、党本部で、総務部会連絡会議に出席し、国家公務員給与の取扱いについて議論しました。
 11月1日(火)は、早朝、党本部で、TPP検討小委員会に出席した後、午前中、本会議に出席し、総理所信に対する自民党溝手幹事長らの質疑を聞きました。午後から、議員会館で、役所のレクや陳情などを聞いて過ごした後、予算委員会理事懇に出席し、次回委員会の開催について協議しました。夕刻から、都内のホテルで、石井一予算委員長肝いりの予算委員会懇親会が開催されました。新体制の委員会がまだ余り動いていないうちに懇親会を行うのは、異例です。

 11月2日(水)は、早朝、都内のホテルで、海事振興議員連盟総会に出席した後、党本部で、沖縄振興特別委員会に出席し、私から米軍跡地利用促進法案について説明し、幹部一任を取り付けました。その後、総務部会に出席し、総務省及び人事院から24年度予算要求内容の説明を受けました。その後、午前午後と、本会議に出席し、前日に引き続き所信質疑を聞きました。本会議終了後、予算委員会に出席し、第3次補正予算案について安住財務大臣の趣旨説明を聴きました。その後、議員会館で、元参議院議員候補小田原潔さんが訪れ、同君が東北での災害ボランティア経験を著した「ヒトのチカラ」について対談しました。

○TPP交渉参加阻止総決起集会
 11月3日(木)文化の日は、久しぶりに休暇を頂き、東京でのんびりし、夕刻、帰省しました。
 11月4日(金)は、午前中、大分市で、JAグループ大分のTPP交渉参加阻止総決起集会に参加しました。自民党と社民党の国会議員が出席し、それぞれTPP反対の挨拶をしました。午後から、宇佐市で、宇佐神宮を参拝し、穴井伸久宮司らと懇談しました。その後、同市内で、企業関係の挨拶回りをしました。

 11月5日(土)は、午前中、大分市内で、企業関係の挨拶回りをした後、大分事務所でスタッフと会議をしました。午後から、同市トキハ前で、街頭演説をしました。大変調子が良く1時間あっという間に演説しました。その後、同市で、富士見が丘あすなろ保育園を訪ね、園長の田北知香さんにお話を聞きました。
 夕刻から、同市のホテルで、いそざき陽輔新風会役員会に出席し、前回の選挙以来会長を務めていただいた後藤佐代子会長の辞任を受け、43歳の有松一郎さんを総会までの間会長代行に選任しました。途中、大分県司法書士会野田純二会長の法務大臣表彰祝賀会が同ホテルで行われていたので、飛び入りで御挨拶しました。おめでとうございます。

 11月6日(日)は、午前中、大分市で、大分県技能祭開会式に出席し、御挨拶しました。今年もたくさんの技術を持つ皆さんが表彰されました。その後、同市野津原町で、ななせの里まつり開会式に出席し、御挨拶しました。大雨でしたが、たくさんの家族連れが参加していました。同じ会場で行われた畜産共進会乳用牛の部に出席し、御挨拶しました。雨の中品評会が行われ、優秀な乳牛が表彰されました。背筋がまっすぐしていて、乳房と後ろ姿がくさび形になっている牛がいいのだそうですが、素人が見てもなかなか区別が付きませんでした。
 午後から、同市のホテルで、大分県保険医協会定時総会懇親会に出席しました。私と社民党の国会議員が出席し、御挨拶しました。88歳の中央大学名誉教授富岡幸雄さんが税制について講演し、大変な怪気炎でした。
   
   

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■TPP 2011年10月30日(日)

    

 野田内閣は、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉参加を決めたようです。残念なことです。円高デフレに加え、市場開放で、日本の経済は大変な事態に陥ることになります。今やらなければならないことは、円高デフレを解消し、我が国の国際競争力をしっかり取り戻すことです。どうも手順が間違っています。

 TPPについては、市場開放の議論が中心であり、政治的側面の議論がされていないません。私は、貿易自由化の議論は、世界中の国が参加するWTO(世界貿易機構)の場で行うべきであると考えます。私も、与党時代、この交渉に参加し、農業分野の交渉も真剣に議論していました。それで間に合わなければ、FTA(二国間協定)で2国間の対等な議論をすればいいのです。韓国は、TPPには入らず、アメリカとFTAを締結しました。FTAの内容については、韓国内では、相当評判が悪いようですが。TPPは、明らかにEU(ヨーロッパ共同体)、中国に対抗する経済ブロックです。こうした経済ブロックに加入するには、本当に慎重にしなければなりません。

 TPPは、シンガポール、ブルネイ、チリ及びニュージーランドが原加盟国であり、その後アメリカ、オーストラリア、ベトナム及びペルーが参加を表明しました。こういう国々と経済同盟関係を結ぶことが、日本にとって利益になるのか、全く議論が行われていません。EUとの関係はどうするのか、中国、韓国との経済関係をどうするのか。タイやインドネシアは、放っておいていいのか。カナダも、入っていないではないか。南米のチリやペルーとどんな関係を作るのか。こうした議論を抜きにして、普天間基地問題の埋め合わせをTPP加入で行おうとするのは、愚かな決断です。アメリカに追従するだけでは、日本の独立は保てません。

○TPP反対全国決起大会
 10月24日(月)は、午前中、大分事務所会議に出席した後、大分市で、住友化学大分工場を訪ね、工場長の髙橋祐幸さんらにお話を伺いました。工場の外観を見せていただき、最近は薬品部門に力を入れていると聞きました。午後から、同市で、大分県ウォーキング協会を訪ね、代表の荻野邦彦さんに活動状況を聞きました。多くの活動をしていますが、12月は、特に双葉山生誕100年記念大会として、宇佐市で5キロ、15キロ、20キロの大会を実施するそうです。参加者には、日本初の軍配型のバッジが渡されます。その後、上京しました。

 10月25日(火)は、早朝、都内のホテルで、九州治水期成同盟連合会に出席し、九州各県の市町村長の意見を聴きました。奈良、和歌山両県の大水害を見ても、治水事業は、極めて重要です。午前中は、議員会館で、レクを受けて過ごしました。午後から、総務委員会に出席し、川端達夫総務大臣と自見庄三郎郵政改革担当大臣の所信を聴きました。午後から、党本部で、TPP参加の即時撤回を求める会などに出席し、その後、総務部会連絡会議に出席しました。夕刻から、都内のホテルで、大分県退職公務員連盟幹部の皆さんとの懇親会に臨みました。会長の松本雅義さんは、上野ヶ丘中学校の恩師です。

 10月26日(水)は、午前中、議員会館で、川口順子元外務大臣や沖縄選出の島尻安伊子参議院議員と、新沖縄振興特別措置法の在り方について、議論しました。その後、沖縄県軍用地等地主会の皆さんの陳情を受けました。その後、党本部で、参議院政策審議会に出席し、同僚のスリーマイル島原子力発電所視察報告を聞きました。
 午後から、日比谷公園で、TPP参加に反対し、日本の「食」を守る全国決起大会に出席しました。壇上には、みんなの党以外の全ての政党の議員が居並びました。大分県からもたくさんの皆さんが参加しました。その後は、議員会館で、役所のレクを受けて過ごしました。

○総務委員会所信質疑
 10月27日(木)は、午前中は、議員会館で過ごし、午後から、清和研総会に出席しました。その後、総務委員会に出席し、所信質疑をしました。私は、3番手に立ちましたが、他の委員が皆20分程度のところ、私だけ70分も質問させていただきました。その内容は、トップページやビデオを御覧いただきたいと思いますが、川端総務大臣の自信のない答弁姿には、本当にこの人が地方を守れるのか心配になります。夕刻から、都内の中華料理店で、参議院自民党の同期会である一七回に出席しました。

 10月28日(金)は、早朝、党本部で、税制調査会、引き続いて、政調全体会議に出席し、第3次補正予算の取扱いについて協議しました。午前中、党の沖縄振興特別委員会に出席し、新沖縄振興特別措置法の在り方について、沖縄県町村会会長城間俊安南風原町長の話を聞きました。その後、憲法改正推進本部非常事態条項検討小委員会の初会合に出席し、憲法上緊急事態法制がどうあるべきか議論を始めました。
 午後から、本会議に出席し、野田総理の所信演説を聴きました。何か作文のような内容で、緊張感は感じられませんでした。その後、党本部等で、川口議員らと、米軍跡地利用促進法案について、谷垣総裁、茂木政調会長、岸田国対委員長らに説明しました。

○年金病院公的存続報告集会
 10月29日(土)は、午前中、豊後高田市で、挨拶回りをしました。午後から、由布市湯布院町で、厚生年金病院・社会保険病院等の公的存続実現報告湯布院集会に出席しました。湯布院厚生年金病院は、リハビリ病院として全国的に有名な病院です。今年の6月与野党共同(みんなの党を除く。)で「独立行政法人地域医療機能推進機構法案」を提出し、年金病院等は新たな「機構」に移管し、公的に存続させることを内容とする法律が成立しました。市民や市民団体、全国ネット、関係地方公共団体の皆さんの努力の大きな成果です。
 その後、同町で、ゆふいんフローラハウスを訪ね、会長の安藤茂信さんに湯布院の観光や農林業についてお話を聞きました。奥様から「普通の人の普通の生活が守られる日本にしてほしい。」という御意見を頂きました。正にそのとおりだと思います。

 10月30日(日)は、県内で各地で街頭演説を予定していましたが、雨が強く、断念しました。
   
   

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■臨時国会始まる 2011年10月23日(日)

    

 自民党の人事異動で、参議院では、予算委員会理事と総務委員は、留任することとなりました。新たに、憲法審査会委員を務めることになりました。党では、総務部会長代理に返り咲き、税制調査会幹事などは、現行どおりです。新たに、公務員制度改革特命委員会事務局長に就任する予定です。

○どぶろく祭り
 10月17日(月)は、午前中、大分市で、私の事務所の隣に位置する日本銀行大分支店を訪れ、大政浩一支店長に支店業務の概要を伺いました。発券課では、古い曲がった貨幣を磨いて価値の確認作業をしていました。日銀に集まった紙幣を封のまま並べると、一気に紙幣の状況を調べて、再利用できるものには封をし、古くなった紙幣は直ちにカットするすばらしい機械も、拝見しました。
 午後から、杵築市大田村で、白髭田原神社のどぶろく祭り神事に参列しました。例年のことですが、献餞で、20台もの供物が捧げられます。撤餞にも同じ時間を掛けて三方を一台ずつお下げするものですから、大変な時間が掛かります。この神社ほど神事を徹底する神社を見たことがありません。その分、正座ですので、足がしびれます。神事が終わると、いよいよどぶろくのお披露目です。宮司の合図で、初献、二献、三献と進むにつれて、杯が大きくなり、終わる頃には、相当酔っぱらっています。今年の出来はいいそうで、確かに例年より多生甘みを感じます。今年は、平日のお祭りですが、それでも相当のお客さんを見込んでいます。

 10月18日(火)は、午前中、大分市で、挨拶回りをし、すぎのこ幼稚園を訪れ、園長の牧祐二さんのお話を伺いました。広い芝生の園庭でテーブルを出して、園児がお昼御飯を食べていました。午後から、上京し、議員会館で、自民党スタッフと総務部会の打ち合わせをしました。
 10月19日(水)は、午前中、党本部で、総務部会に出席し、第3次補正予算に関する政府の説明を聴きました。午後から、党本部で開かれたたばこ増税反対全国集会に出席しました。

○憲法審査会
 10月20日(木)は、午前中、本会議が開かれ、議席の指定等臨時国会開会手続が行われました。午後から、党本部で、清和研総会に出席した後、政務調査会の予算検討委員会に出席しました。その後、党両院議員総会に出席した後、本会議に出席し、会期を51日間とすることを全会一致で決めました。その後、党本部で、TPP参加撤回を求める会に出席しました。
 10月21日(金)は、午前中、党本部で、税制調査会に出席し、第3次補正がらみの税制改正に関する方針を確認しました。その後、公務員制度改革特命委員会幹部候補者打合会に出席しました。その後、4年前の憲法改正手続法成立後初めての憲法審査会が開かれ、会長選挙を行いました。開票の結果、自民党の小坂憲次委員が23票、民主党の江田五月委員が22票で、1票差をもって小坂前参議院幹事長が会長に就任しました。その後、院内で、党の国対関係者打合会に出席しました。
 午後から、天皇陛下の御臨席を仰ぎ、開会式が開催されました。議員会館で、役所の説明などを聞いて過ごした後、TPPについて「超人大陸」の録画をしました。

○かかしワールド
 10月22日(土)は、帰省し、午後から、大分事務所で陳情を受けた後、別府市で、御挨拶回りをしました。夕刻から、日出町のホテルで、佐伯市上浦町の区長の皆さんの懇親会に合流し、楽しくお話をしました。
 10月23日(日)は、午前から、中津市山国町で、「かかしワールド」開会式に出席し、御挨拶しました。今年は、800体ものかかしが展示されているそうです。毎年、作品のレベルも、上がっている感じがします。「人口は減ったけど、かかしは増えた。」という主催者の御挨拶も、しみじみとしたものがありました。見学後、売店を回ってたくさん買物をしました。
 午後から、大分市トキハ前で、街頭演説をしました。

 今週は、総務委員会で、新任の川端総務大臣に対し、所信質疑をする予定としています。

   

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■秋の祭 2011年10月16日(日)

    

 11月のASEANの開催を前にして、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の関する議論がかまびすしくなってきました。私は、反対です。TPPは、アメリカを中心とする経済ブロックに組み込もうとするものであり、アメリカのための経済連携であることは明らかです。だから、中国も韓国も入っていないのです。その間に、アメリカとのFTA(二国間自由貿易協定)を締結した韓国には、目を見張るものがあります。日本も、FTAで存分に主張をすればいいのです。

 最初からTPPの交渉の枠組みに入っていないと、後から日本の国益を主張できないという意見があります。手続的には、そのとおりかもしれません。しかし、何の国益のために参加するのか分からないような枠組みに最初から首を突っ込む必要はありません。農業だけの問題ではありません。TPP参加によって、公共事業や金融の分野でも、相当な開放は、覚悟しておかなければなりません。輸出産業にとっては、対米関税の撤廃は大きなことかもしれません。しかし、今現実に大きな関税率になっているわけではなく、円高による為替変動リスクの方がもっと大きな輸出障害になっています。

 いずれにせよ、こうした国益について、政府がどう考えているのか全く明確にならないまま交渉入りをするということについて、国民の理解が得られるはずがありません。「交渉に入りたい。」という前に、TPPについて政府としてどのような覚悟をしているのか、明確に国民に対して示すべきです。

○看護学校
 10月11日(火)は、看護学校を中心に、お話を聞いて回りました。午前中は、大分市で、同市医師会看護学校で、副学校長の安部糸代さんにお話を聞き、施設を見学しました。この学校は、既に医療機関に勤めている准看護師が3年間学習し、看護師の国家試験を目指します。私も、救急救命士の養成所で副所長を務め、医療教育に携わっていたことなどをお話ししました。その後、隣接する同市医師会立大分准看護専門学院を訪ね、教務主任の後藤鈴子さんらのお話を聞きました。こちらは、高卒者や社会人が2年間学習し、県の試験を受験します。合格率は高いのですが、途中で2割程度の人がリタイヤするそうです。
 午後から、豊後大野市三重町で、藤華医療技術専門学校を訪ね、学校長の加藤征治さんらの説明を聞きました。同校は看護学科、理学療法学科、作業療法学科及び助産学科の4学科を設けており、理学療法と作業療法の両学科は最近近くの三重高校跡地に移設しました。1年課程の助産学科を設置したことから、学校の幅が広がってきたそうです。その後、同市緒方町で、企業関係の挨拶回りをしました。
 その後、同町で、「鷹来屋」の屋号で最近有名な浜嶋酒造を訪ね、代表社員の浜嶋弘文さんのお話を聞きました。5代目の浜嶋さんは、まだ若い社長であり、家庭の事情で一度廃業した酒蔵を脱サラして再建した情熱あふれる人です。蔵には、昔ながらの大きな米のせいろ蒸し器や酒の舟絞り器などがあり、実際に使用しています。最近、文藝春秋の口絵でも紹介されました。私は、一番高い斗瓶絞りの清酒を買って帰りました。
 その後、同町で、同市竹田市医師会共立豊西准看護学院を訪ね、教務主任の後藤好江さんらのお話を聞きました。こじんまりとした学校ですが、授業参観をしたところ、生徒の皆さんは一所懸命に講師の言うことに耳を傾けていました。財政的には厳しいですが、地域医療を支えるためしっかりと学校を運営していきたいということでした。

○園遊会
 10月12日(水)は、上京し、午後から、議員会館で、衆議院法制局の説明などを受けて過ごしました。夕刻から、都内のホテルで、全国都道府県議会議長会との意見交換会に出席しました。私のほか、新任の茂木敏充政務調査会長と平井卓也総務部会長が出席し、議長会の山本教和会長(三重県議会議長)ら幹部の皆さんと地方行政の様々な課題について議論しました。
 10月13日(木)は、午前中、党本部で、税制調査会に出席し、第3次補正予算の素案や税制改正の素案について、財務省及び総務省の説明を聞きました。その日は質問だけということでしたが、補正予算案の様々な問題点について、指摘させていただきました。
 午後から、赤坂御苑で、秋の園遊会に妻と共に参加しました。天皇皇后両陛下は、いつも時間を掛けて一人一人にお声掛けなされます。心から敬意を表したいと思います。主賓は、浅香山親方(元大関魁皇)となでしこジャパンの澤穂希さんでした。
 10月14日(金)は、終日、議員会館で、衆参両院の法制局のレクなどを受けて過ごしました。途中、東京電力から、損害賠償の仕組みの改善について、報告を受けました。

○秋の祭
 10月15日(土)は、午前中、大分市で、大分県障がい者・児「秋の交歓会」開会式に出席しました。式典終了後、障がい者団体の出店を一つ一つ回って歩きました。午後から、同市で、YOSAKOIわさだの祭開会式に出席し、御挨拶の後、餅まきをしました。その後、別府市で、別府宵酔女まつり開会式に出席し、御挨拶しました。今年から北浜公園に場所を変え、より盛大に開催されました。いずれのお祭りも、雨模様で開催が心配されていましたが、ほとんどその影響もなく無事挙行され、本当に良かったです。
 夕刻から、大分市で、大分大学医学部附属病院開設30周年記念祝賀会に出席し、御挨拶しました。多くの現役・OBの同院関係の医療関係者とお話しすることができました。「独立大学法人大分大学の経営は、同院の経営に負うところが大きい。」と、お話ししました。

○どぶろく祭の会
 10月16日(日)は、午前中、由布市湯布院町で、陸上自衛隊湯布院駐屯地創立55周年式典に出席し、御挨拶しました。昨日に打って変わって晴天の下、高射砲特科大隊などによる勇壮な演習展示がありました。式典後、午後から、同市防衛協会が主催する祝賀会に、出席しました。その後、津久見市で、四浦(よううら)振興祭に出席し、到着後いきなりカラオケを歌いました。その日のお祭りは、四浦地区の皆さんがこぞっての大カラオケ大会であり、多くの皆さんが順番に美声を披露していました。私は、「昴」を歌いました。
 夕刻から、別府市で、サンヨーフーズの長谷公治会長を囲む「どぶろく祭りの会」に出席しました。長谷会長は、杵築市大田村の出身であり、県内に多くの関連企業を誘致するなど、地域振興に尽くされています。会には、村山富市元総理、八坂恭一杵築市長、福岡政行白鴎大教授など多くの関係者が出席していました。翌日、皆さんで同村のどぶろく祭りに参加するそうです。    

   

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■休会中 2011年10月10日(月) 体育の日

上月敬一郎御夫妻東稙田保育園でTOTO石飛工場長の説明を聞くTOTO大分工場のグリーンカーテンアイリスの永澤施設長(中)と河野施設長とりい保育園住吉園長らと宇目町のふれあい対話集会で護国神社秋季例大祭に参列する拝殿で奉納されたしずめの舞コスモスガールズとロータリークラブで愛眼バンク登録をする3分咲きのコスモスコスモス祭出演のウィヴィの皆さんと     

 先日の予算委員会で、白川日銀総裁に対し、追加的な金融緩和について、質問しました。その後行われた金融の追加緩和見送りの記者会見で、白川総裁は、「アメリカのバーナンキ議長が『金融政策は景気回復の万能薬ではない』と強調したことについて、私の思いと非常に共通している。」と述べました。本当にいらんことを言う総裁です。そんなことは、百も承知しています。

 「必要十分条件」という言葉があります。確かに、日銀は、必要なことはしているのでしょう。しかし、十分でないから、円高デフレの不景気がいつまでも続いているのです。日銀が追加的な金融緩和をしないことを威張って記者会見するような総裁は、無用の存在です。白川総裁が支店長を務めた大分県で、中小企業の窮状を是非直接聞いてほしいものです。

 国に財政出動をする金はない。金融緩和をしても、経済効果がないかもしれない。それどころか、ハイパーインフレの懸念もある。でもデフレ経済の下、景気が良くなることはない。何もやらなければ、日本経済が破綻することだけは、確実です。経済財政の分からない総理大臣と財務大臣と、金融政策を嫌う日銀総裁を抱えて、日本経済は一体どうなるのでしょうか

○藍綬褒章
 10月3日(月)は、午前から、別府市で、別府市旅館ホテル組合長、鬼山地獄代表社員上月敬一郎さんの藍綬褒章受章記念祝賀会に出席しました。上月社長には、いつも大変お世話になっています。御自身経営のホテルでの祝賀会で、お昼から大変なごちそうでした。
 夕刻から、大分市で、東稙田保育園を訪ね、園長の福田純子さんにお話を伺いました。

 10月4日(火)は、終日、別府市内で、企業関係の挨拶回りをしました。
 10月5日(水)は、午前中、大分市で、TOTO大分工場を見学しました。この工場では、シャワーなどの水道金具を製造しています。石飛吉規工場長の話では、エコのため様々なプロジェクトを実施しており、沖縄産の朝顔による工場壁のグリーンカーテンは、極めて効果的であったそうです。
 午後から、大分市内で、企業関係の挨拶回りをしました。途中、特別養護老人ホームアイリス大分と養護老人ホームアイリス清心園を訪ね、永澤一郎、河野俊治両施設長から、老人福祉の現状についてお話を伺いました。
 夕刻、上京しました。

○オイスカ創立60周年
 10月6日(木)は、午前中、院内で、参議院自民党特別総会が開かれ、ようやく党三役問題が全会一致で決着しました。午後から、議員会館で、役所関係のレクを受けて過ごしました。
 10月7日(金)は、午前中、議員会館で、公務員制度改革について衆議院法制局のレクを受けました。午後から、沖縄米軍跡地利用法案について参議院法制局のレクを受けました。
 その後、都内のホテルで、オイスカ創立60周年記念レセプションに出席しました。聞いてはいましたが、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、本当にびっくりしました。オイスカ(The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement International)は、国際的な農業支援やその人材育成をしている公益法人です。昨年、私も、ミャンマーの農業研修施設を見学しました。

○三光コスモス祭
 10月8日(土)は、帰省し、午後、大分市で、とりい保育園を訪ね、園長の住吉和子さんにお話を伺いました。
 夕刻、佐伯市宇目町で、ふれあい対話集会を開きました。ここでも、鳥獣害被害対策が、大きく議論されました。
 10月9日(日)は、午前中、大分市で、大分県護国神社秋季例大祭に参列しました。社殿の拡張工事が概成し、めでたさも2倍でした。午後から、中津市三光村で、三光コスモス祭を見物しました。まだ3分咲きでしたが、大変な人出でにぎわっていました。
 その後、宇佐市安心院町で、ワイナリーの新酒を試飲しました。今年は、「すぽーん」と称する甘口のスパークリングが売り出されていました。すっぽんも安心院の名物です。夕刻から、杵築市溝井地区の農村で、ふれあい対話集会を開きました。農業政策や消費税増税について、質問がありました。
 10月10日(月)は、午後から、大分市トキハ前と別府駅前で、街頭演説をしました。その日も、経済問題中心にやや難しい話をしましたが、用意したビラは早々になくなってしまいました。夕刻から、大分市の映画館で、「猿の惑星創世記」を見ました。

 今週は、第3次補正予算の三党協議に参加しなければなりません。
     

   

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■予算委員会 2011年10月2日(日)

    

 臨時国会が9月30日(金)に閉会しました。常任委員会での新任大臣の所信質疑が行われなかったことは問題でしたが、野田総理の所信に対する予算委員会総括質疑が予定どおり行われました。また、原子力災害調査委員会が国会に設置されることになりました。
 
 野田総理就任後の初めての予算委員会であり、マスコミが批判を控えるハネムーン(蜜月)期間(約100日と言われています。)でもあることから、最初から対決姿勢を示すということではなく、新内閣の性格や能力を浮き彫りにすることに努めました。参議院自民党では、初日6人の質問者を立て、結果として所期の目的はおおむね達したものと考えています。新内閣の頼りなさは、国民の皆さんに十分お伝えできました。

 私は、「復興増税」は復興債の償還期間を野田総理が10年にすると言ったから必要になったものであり、建設国債の通常の償還期間である60年にすれば、来年からの増税は必要ないと訴えました。政府の計算の基礎となる復興事業費の19兆円が将来上積みされる可能性があること、その場合に更なる増税の可能性があることについて、野田総理の答弁を得たことは、収穫でした。

 質問後、「復興増税」のからくりが分かったという声をたくさん頂きました。一方で、質問が厳しいという声も、頂きました。本人余り自覚がないのですが、後で「大分弁でいいね。」という話も伺いました。大分弁になっているところが、大分県や九州の人には何ともなく、かえって親しみがあるのだけれど、関東の人にはややきつく聞こえるのかもしれません。
 例えば大分県では「あんた」という言葉は、日常会話でよく使います。しかし、東京都で「あんた」というとけんかになります。国会質問で「あんた」は使いませんが、「あなた」という言葉はよく使います。国会質問が全国放送されると、日本語にも大きな地域性があることが分かります。

○予算委員会開会
 9月26日(月)は、午後から予算委員会理事懇談会に出席し、28日29日両日の予算委員会の開会を決めました。
 9月27日(火)は、終日、議員会館で、予算委員会の質問の準備をしました。午後、党本部で、選挙制度調査会幹部会に出席し、国会議員定数改正以外の部分の公職選挙法改正の自民党案を決定しました。供託金の引下げ、町村への選挙公営の拡大、都道府県議会議員の選挙区の条例化などを決めました。

 9月28日(水)は、終日、予算委員会に出席しました。自民党からのスタートで、私は、午後から、自民党のしんがりを努めました。
 9月29日(木)も、終日、予算委員会に出席しました。この日は、自民党の質問は、ありませんでした。夕刻、議員会館で、川口順子元外務大臣、沖縄選出の島尻安伊子議員と、米軍跡地整備法案について、議論しました。

○臨時国会閉会
 9月30日(金)は、午前中、閉会処理のための総務委員会に出席した後、閉会の本会議に出席しました。西岡武夫参議院議長が体調を壊しており、心配です。午後から、院内で、参議院自民党特別総会に出席し、中曽根議員会長が提案した2回目の党三役案は、大議論の上投票に付され、反対多数で不承認となりました。今後が心配されます。その後、上野ヶ丘中学校時代の柔道部後輩、相馬敏郎君が議員会館を訪ねてくれました。その後、文化庁国語課から改定された常用漢字表についてレクを受けました。

 10月1日(土)は、午後、京都府で、義父の満中陰(四十九日)の仏事を済ませ、親族で会食しました。家族で、京都に宿泊しました。
 10月2日(日)は、妻と長女と、久方ぶりに金閣寺と二条城などを見学しました。夕刻、大阪空港から帰省しました。
   
   

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■台風15号 2011年9月25日(日)

    

 臨時国会は延長されましたが、今度は、与党民主党が新任大臣の所信挨拶とその質疑を拒否しています。大臣が替わって初めての国会では、所信挨拶をするのがこれまでの国会の常識です。理由は、「予算委員会の方が先だ。」と言っています。それならば、臨時国会を再延長して予算委員会に続いて所信質疑を行うべきです。
 
 なぜこんなに政府与党が逃げ回るのでしょうか。自分たちの閣僚の答弁にそんなに自信がないのでしょうか。民主党政権になってから、「与党の審議拒否」ということがしばしばあります。平身低頭の総理の下で、不完全内閣は、国会論戦が始まる前から迷走を始めています。

○台風
 9月20日(火)は、台風15号の風を感じながら上京し、午後から、都内のホテルで、能美防災元社長能美正さんのお別れの会に参列しました。96歳でした。その後は、議員会館で、役所の説明などを受けて過ごしました。夕刻から、都内のホテルで、「清和政策研究会との懇親の集い」に出席しました。知人を捜してもなかなか見つけ出せないほどのたくさんのお客さんでした。
 9月21日(水)は、帰省を予定していましたが、大分便が台風15号の影響で欠航となり、終日、議員会館で、書類の整理などで過ごしました。大雨、大風の中、消費者庁の職員が説明に来てくれました。夕刻、台風の最中、自分で車を運転して帰宅しました。街路の小枝は折れ、通行の人は傘をさせずにずぶ濡れになっていました。妻も、駅で足止めになっているという連絡がありました。

○受賞記念
 9月22日(木)は、午前中、議員会館で、翌週の予算委員会の準備に努め、午後から、清和研総会に出席した後、帰省しました。大分は、台風一過後、大変な冷え込みになっていました。
 9月23日(金)は、午後から、別府市同駅前及び大分市トキハ前で、街頭演説をしました。復興増税には反対である旨、熱く語りました。
 夕刻、同市のホテルで、元同市消防団分団長、同市農業委員会会長多嶋田茂夫さんの瑞宝単光章受章記念祝賀会に出席しました。昭和53年に行われた大分県ポンプ操法大会に指揮者で出場し、同市を優勝に導いたことが忘れられない思い出というお話でした。第4方面隊賀来分団長、48歳の時のことです。

○ねんりんぴっく
 9月24日(土)は、午前中、大分市判田地区で企業関係の挨拶回りをした後、戸次のさくら保育園を訪ねました。園長の寺井元一さんにお話を聞きました。午後から、杵築市山香町で、山香の商店街を挨拶回りしました。どのお店に行っても、「本当に不景気で何とかしてほしい。」というお話でした。その後、同町で、立石保育園を訪ね、園長の池田芙美子さんにお話を伺いました。
 夕刻、大分市内の父の菩提寺でお参りしてから、同市竹中地区で、ふれあい対話集会に出席しました。連休の中日にもかかわらず、多くの皆さんが集まり、講演後の質疑も様々な話に弾みました。
 9月25日(日)は、午前中、大分市で、豊の国ねんりんぴっく総合開会式に参加した後、隣接のゲートボール競技会場で行われた開会式で御挨拶しました。最高齢者は日田市の後藤さん(男性)と別府市の有田さん(女性)で、共に89歳でした。
 その後、同市稙田地区で、塚野鉱泉健康まつりに出席し、御挨拶の後、地元の皆さんと懇談しました。第5回になり、ファンファーレバンドやそうめん流しなど楽しいイベント満載でした。塚野鉱泉は、飲用で胃腸に効能のある薬泉です。

 9月28日(水)の予算委員会総括質疑で、質問に立ちます。
   
   

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■臨時国会 2011年9月19日(月) 敬老の日

    

 結局、臨時国会の会期は14日延長され、9月30日までとなりました。もとより、総理が代わってわずか4日間の本会議のみの国会開催で逃げ切れるはずもなく、幼稚な国会対策が民主党内でも批判されています。衆参両院での所信質疑は、野田総理による官僚が作った答弁書の棒読みが続き、期待はずれでした。本会議場で最敬礼をし謙虚なのはいいが、自分の考え方を語らない空疎な答弁には、正直残念でした。国難の時にこそ、国民が望んでいるのは、リーダーシップです。国の行く末を国民に明確に語らずに、どこに漂流する考えでしょうか。政治の迷走が続きます。

 ニュースを見ると、復興増税なる議論が行われています。あきれて物が言えません。この円高デフレの不景気の中で、増税して日本経済を崩壊させるつもりでしょうか。国民の半数が震災復興のためであれば増税もやむなしとするアンケート結果があります。ありがたいことです。でも、そのその必要は、ありません。震災復興基本法の中で、震災復旧復興事業には「復興債」を充てることができると規定されています。当面全額復興債を財源とし、景気回復してから、具体的な償還を始めればいいのです。千年に一度の災害であるならば、現世代だけが負担するという野田総理の主張は、間違っています。

 かつ、私たちは、復興債を直接、間接を問わず日銀が引き受けることを主張しています。円高デフレを修正するには、大幅な金融緩和が不可欠です。そうすれば、当分の間、復興財源が財政を圧迫することはありません。まず景気回復、次が福祉税としての消費税増税、そして福祉施策の充実、この順番をいつも間違えるから、政治が、経済が混乱するのです。私は、復興増税の必要はないと考えます。これで全く問題ないのですが、金利の上昇に伴って利払い費の増加を恐れる財務省と急激なインフレーションを恐れる日銀によって、妨害されています。

○臨時国会開会
 9月12日(月)は、終日、議員会館で、役所の説明などを聞いて過ごしました。
 9月13日(火)は、国会が召集され、10時から形式的な本会議。11時30分に、院内で、自民党の両院議員総会。12時45分、開会式に御臨席される陛下のお迎えに正面玄関前へ。炎天下でした。いつもながら与党民主党議員の出席は、少ない。13時から、参議院本会議場で、開会式。天皇陛下のお言葉を賜りました。再び陛下のお見送りに正面玄関前へ。15時から、本会議に出席し、野田総理の所信表明演説を聴きました。余り方向性の見えない感じを受けました。
 その後、議員会館で、全国都道府県議会議長会会長の山本教和三重県議会議長を始め、幹部の議長さん方が訪れ、地方議会の在り方について意見交換をしました。
 続いて、党本部で、文部科学部会に出席し、沖縄県八重山地区の教科書採択問題について議論をしました。簡単に言うと、石垣市、竹富町及び与那国町の1市2町が設置している教科書採択地区協議会の決定に竹富町教育委員会が従わず、八重山地区の正式な教科書採択ができないままになっています。自民党として、文部科学省と沖縄県教育委員会に対し、きちんと竹富町を指導するよう要請しました。

○会期延長
 9月14日(水)は、終日、議員会館で、役所の説明などを聞いて過ごしました。
 9月15日(木)は、早朝、党本部で、国防部会に出席し、石破政調会長の「集団的自衛権」についての講演を受け、議論しました。午前中、本会議に出席し、野田総理の所信表明に対する自民党中曽根弘文議員会長及び民主党輿石東幹事長の代表質問を聞きました。午後から、党本部で、清和政策研究会昼食会に出席した後、日本青年館で、全国酪農民総決起大会に出席しました。その後、党本部で、長勢行革本部長と今後の議論の進め方について意見交換しました。
 夕刻から、都内のホテルで、元日本体育会・日本体育大学理事長で、宇佐市安心院町出身の塔尾武夫先生の慰労会に出席しました。塔尾先生は、特に相撲の分野で学生相撲の振興に努め、日本相撲協会に対しても御意見番の立場にあります。
 9月16日(金)は、終日、本会議で、代表質問を聞きました。午後から、党本部で、過疎対策特別委員会に出席した後、本会議で、自民党松山政司議員及び島尻安伊子議員の代表質問を聞きました。二人とも格調の高いいい質問でした。それに控え、野田総理は、役人の作文を読み続けました。会期延長の与野党協議が進まず、深夜国会も覚悟していたのですが、昼までに14日の延長で合意し、午後の衆議院本会議で正式決定されました。おかげで、夕刻帰省できました。

○ふれあい対話集会
 9月17日(土)は、午前中、大分市寒田地区で、ふれあい対話集会に出席しました。午後から、同市府内町・五番街で、商店街のあいさつ回りをしました。町では、JR大分駅の駅ビル建設に伴い、駅前通りを6車線から4車線に変更し、歩道を拡幅しようという構想が持ち上がっており、物議を醸していました。夕刻から、同市吉野地区で、ふれあい対話集会に出席しました。心配されていた雨も小降りになり、多くの皆さんが参加してくれました。
 9月18日(日)は、午後から、大分市トキハ前と稙田ニュータウンで街頭演説をしました。復興増税には反対するという趣旨のお話をしました。
 9月19日(月)敬老の日は、午後から、臼杵市で、フンドーキン醤油会長小手川力一郎さんの御葬儀に参列しました。商売と剣道と選挙の充実した89年の御生涯とお聞きしました。その後、大分市竹町商店街及び中央町商店街で、御挨拶回りをしました。新たな店舗が進出し、活気を取り戻しているのは、うれしいことです。
 夕刻から、日田市前津江で、ふれあい対話集会に出席しました。遅い時間にもかかわらずたくさんの皆さんに参加していただき、鳥獣害対策や道路整備など深夜まで議論が続きました。

 今週は、国会会期中ですが平日が3日しかなく、参議院の公式の会議はありません。
   
   

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■経産相辞任 2011年9月11日(日)

    

 野田内閣は、成立9日間で鉢呂経産大臣の辞任という事態に追い込まれました。鉢呂大臣の発言は、その政治家としての資質を問われるものであり、決して言葉尻をとらえた単なる失言とは異なります。このほかにも、平野民主党国会対策委員長が「この内閣は不完全だから、予算委員会に応じられない。」と、一川防衛大臣が「素人大臣だからシビリアンコントロールだ。」と、小宮山厚労大臣が「たばこの値上げは、個人的考えだ。」と発言し、党幹部や閣僚の不適切な発言が噴出しています。

 率直に言って、総理大臣は別にしても、民主党政権最初の鳩山内閣が平均的には最良だったのでしょう。次第にレベルが下がってきているのは、明らかです。野田総理の話が上手で、謙虚な所は、認めます。しかし、財務大臣として、予算委員会でも答弁が少なく、これだけ目立たなかった大臣はなく、その内容も財務官僚寄りでした。私は、理事席から「そんな答弁じゃ、総理になれないよ。」とよく野次っていました。政策的な実績は何もなく、経済財政政策に通じているとも思えません。

 当分は、東日本大震災の復旧復興のため、第3次補正予算の成立に向けて野田内閣に協力する考えですが、所信表明演説というキックオフ前からオウンゴールする野田内閣で大丈夫でしょうか。試合前から「ノーサイド」を唱え、不適材不適所の組閣をしたから、こうなったとも言えます。早速、メンバー表を差し替え、「土壌改良」しなければならなくなりました。

○自治基本条例
 9月5日(月)は、午前中、大分市で、同市議会自民党控室を訪ね、最近自民党本部で作成した「自治基本条例」の制定に注意を呼び掛けるパンフレットについて、説明しました。後日トップページの「私の主張」でも解説しますが、最近多くの都市部で「自治基本条例」と称する条例が策定されています。条例制定そのものに問題があるわけではありませんが、幾つかのものが「複数信託理論」という左翼市民活動理論に基づいて起草されており、具体的な条例の内容に問題点が指摘されています。大分市のホームページにも「二重信託理論」をあたかも通説のように解説したページが掲載されており、市民の皆さんから心配の声が寄せられています。
 その後、午後まで、同市下郡地区で、工業団地を訪ね、景気伺いの挨拶に回りました。

 9月6日(火)は、午前中、前日に引き続いて大分市下郡工業団地で、挨拶回りをしました。午後から、大分商工会議所で、JC大分事務局を訪ね、JC幹部の若手経営者の皆さんとの意見交換会に臨みました。私から、「政治が混乱している時期にこそ、若者に政治に関心を持ってほしい。若者の意識改革に一層努めてほしい。」とお願いしました。その後、同市内で、JCOBの店舗を訪ね、意見交換をしました。

○九州防衛協会大分大会
 9月7日(水)は、午前中、大分市で、企業関係の挨拶回りをし、午後から、臼杵市野津町で、お茶の有機栽培で有名な高橋製茶を訪ねました。その後、同町で、大分県たばこ耕作組合、同町商工会などを訪ねました。帰りに、大分市戸次地区で、大南農協を訪ねました。たばこ組合幹部は、小宮山厚労大臣の「たばこを700円に値上げする。」という発言に対し、怒りを隠せない様子でした。

 9月8日(木)は、午前中、大分市で、大分県農業共済組合連合会を訪ね、御挨拶しました。その後、同市内で、ひまわり幼稚園を訪ねた後、企業関係の挨拶回りをし、午後から、別府市でも、企業関係の挨拶回りをしました。
 夕刻から、大分市のホテルで、九州・沖縄地区防衛協会連絡協議会・女性部会合同大分大会に出席しました。九州沖縄各県から多くのお客様を迎え、たくさんの幹部自衛官出席の下、盛大に挙行されました。私が「初めてお目に掛かりますが、海江田経産相を泣かした男です。」と自己紹介すると、ワッと歓声が沸きました。

 9月9日(金)は、上京し、議員会館で、役所の説明などを受けて過ごしました。
 9月10日(土)は、東京で休暇を頂き、夕刻、大分舞鶴高校23回生関東同窓会に出席しました。例年2回も開催されていますが、前回は3月12日の予定で、中止になりました。今回は、32人も参加し、大盛会でした。

 臨時国会が9月13日(火)に召集されます。野田総理の所信表明をしっかり伺います。予算委員会の開催は、逃げないで応じてほしいと考えます。
   
   

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■通常国会閉幕 2011年9月4日(日)

    

 民主党政権の3番手野田内閣が発足しました。今すぐに批判を始めても、野党のひがみだと言われそうです。当分は野田新総理の出方を見るしかありません。こういう時こそ、経済財政問題や雇用問題を正攻法で突いていく方が効果的だと考えます。野党自民党の実力が試されるときです。

 御多分に漏れず高い内閣支持率が報告されていますが、心配することはありません。菅前総理の最初の内閣支持率も、そのくらいだったのです。心配なのは、伸び悩んでいる自民党への支持率です。政権奪還の鍵は、民主党への攻撃とともに、自民党の改革にあります。何度党幹部に大きな声で求めても、後者がすっかり進みません。これまで菅総理を退陣させるのに忙しかったのですが、今後は政治改革や党改革にも注力していきたいと考えます。

○首班指名
 8月30日(火)は、早朝、党本部で、全議員・支部長懇談会に出席し、党改革が全く進んでいないことを率直に批判しました。党幹部からの回答は、ありませんでした。午前中は、通信・放送政策小委員会に出席し、風評被害をもたらした東海放送の不適切放送について議論しました。
 午後から、本会議に出席し、首班指名に臨みました。2回目の決選投票では、野田佳彦110票、谷垣禎一107票と3票差で惜しい結果でした。公明党とたちあがれ日本が谷垣総裁に投票してくれました。みんなの党、共産党、社民党、新党改革は、白票でした。その後、党本部で、保育推進連盟の全国研修会に出席しました。

 8月31日(水)は、午前中、会期末処理のための総務委員会、予算委員会、本会議に出席しました。本会議で、西岡参議院議長が政府の国会に対する態度を明確に批判したのが印象的でした。同時刻、衆議院総務委員会では、私が提出して参議院で可決された被災市町村向けの災害臨時交付金法案が閉会中審査(継続審査)となりました。法案化への本格的な勝負は、次期国会以降となります。
 午後から、議員会館で、自公民担当者により、消費者教育基本法案の自公案について、民主党担当者の修正意見を聴きました。大きな意見の隔たりはなく、今後の法案の成立に明るさが出てきました。その後、党本部で、文科・外交合同部会に出席し、菅総理が辞任表明後に指示した朝鮮学校に対する高校無償化調査の再開問題について議論しました。

○戦没者追悼式
 9月1日(木)は、午後から、党本部で、清和政策研究会の昼食会に出席した後、帰省しました。
 9月2日(金)は、午前中、別府市で、大分県戦没者追悼式に出席しました。式典は厳かに行われましたが、組閣日とはいえ、与党民主党の国会議員が一人も参加していないのには、驚きました。
 午後から、同市で、山の手、野口、鉄輪、餅ヶ浜の各保育園及び特別養護老人ホーム静雲荘を訪問しました。保育園では、元気な子供たちと一緒に遊び、結構疲れました。

 9月3日(土)は、午前、午後と、大分市鶴崎地区で商店街を中心にお話を聞いて回りました。どこでも、「景気が悪く、人通りも少ない。後継者がなく、シャッターを閉じた店が多い。」という話を聞きました。地域経済の冷え込みが心配です。第3次補正では、震災対策だけでなく、全国的な経済対策を講ずるべきです。夕刻から、同市判田地区で、ふれあい対話集会に出席し、国政報告をしました。
 9月4日(日)は、午後から、大分市トキハ前と明野アクロス前で、街頭演説をしました。円高デフレ対策などについてお話ししました。話が経済問題だったので、いつも聞いてくれているガードマンさんから「今日は、ちょっと難しかった。」と、言われました。夕刻から、同市戸次地区で、ふれあい対話集会に出席し、国政報告をしました。
   
   

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■民主党代表選 2011年8月29日(月)

    

 本日の民主党両院議員総会で、野田佳彦財務大臣が同党新代表に選出されました。消去法で考えれば、野田さんしかなかったと考えます。海江田経産相は、小沢元代表に接近し過ぎ、党内の警戒心を呼びました。「3党合意の見直し」発言も、蛇足でした。前原前外相は、政策は自民党に近いのですが、外国人献金の問題を始め、バックに仙谷前官房長官や稲盛日航会長がいることなど、マイナスイメージが付きまといました。鹿野農水大臣は、立派な政治家ですが、過去の人でしょう。逆に、馬淵前国交大臣は、これからの人でしょう。

 野田財務大臣、その人については、今後総理としての所信表明演説を聴き、予算委員会での審議を通じ、評価をしていきたいと思います。もちろん、国家国民のためにがんばってほしいと考えますが、震災の復旧復興の見通しが立った段階で早期に衆議院の解散を決定してもらいたいものです。ただし、これまでの予算委員会の答弁を聞いていると、財務官僚寄りのものが多く、本人の肉声が聞こえて来なかったことは、心配です。

○トラック交付金
 8月23日(火)は、午前中、総務委員会で、トラック協会交付金法案の審議をし、全会一致で可決しました。 軽油引取税については、営業用車両の軽課がなされていないため、その代わりとして従来自治省の通達によりトラック協会等へ交付金を交付するものとされていました。これに伴って所要額は地方交付税措置されているのですが、近年通達行政が見直される中で、交付税措置額どおりの交付金が交付されない府県が出て来ました。そこで、今回与野党共同して、議員立法に取り組んだものです。午後は、議員会館で、役所の事務説明などを受けて過ごしました。
 8月24日(水)は、午前中、本会議に出席し、再生可能エネルギー法案等の討論を行いました。午後から、党本部で、参議院改革本部に出席し、読売新聞特別編集委員の橋本五郎さんの話を聞きました。引き続き、郵政事業に関するプロジェクトチーム、沖縄振興特別委員会、米軍跡地法案勉強会に出席しました。夕刻から、都内のホテルで、清和政策研究会の懇親会に出席しました。

○災害臨時交付金法案可決
 8月25日(木)は、待ちに待った私提案の災害臨時交付金法案の総務委員会審議が行われました。早朝、院内で、提案者が集まり、答弁勉強会を行いました。その後、いつもは分館の第41委員会室で行われるのですが、他委員会の連合審査があり、委員会室を貸したため、総務委員会は、本館の第8委員会室で開催されました。予算委員会室を一回り小さくしたような部屋です。答弁席は、私が前列の委員長席に一番近い席に座り、次いで公明党の魚住理事、その隣がたちあがれ日本の片山虎之助元総務大臣、その隣が片山善博総務大臣と、いつもと違って異様な雰囲気でした。質疑は、たんたんと進み、終結後討論、採決が行われ、与党民主党が反対しましたが、全野党の賛成多数で可決されました。
 午後から、ダブルヘッダーで総務委員会が開催され、政府提案の第2次地方分権一括法案を審議し、多数をもって可決しました。その後、党本部で、行政改革推進本部に出席しました。

 8月26日(金)は、午前中、本会議が行われ、公債特例法案等を採決する予定でしたが、参議院から送付されて衆議院で民主党が反対している二重ローン防止法案や私立学校復旧特別助成法案等の取扱いを巡って、開会時刻が1時間20分ずれ込みました。開会の最初に、私の災害臨時交付金法案が採決され、前日同様民主党が反対したものの、野党の賛成多数で可決され、衆議院に送付されました。今後は、衆議院での法案の取扱いが焦点となります。公債特例法案も、多数により可決成立し、いわゆる菅総理の退陣3条件が満たされました。午後から、川口順子元外務大臣の自室で、沖縄県軍用地主連合会会長の浜比嘉さんの陳情を聞きました。

○ふれあい対話集会
 8月27日(土)は、午前中、別府市トキハ前で街頭演説をしました。午後から、日出町で、「ふれあい対話集会 in 日出町」に出席し、国政報告をしました。夕刻から、大分市で、地元南春日町の「ふれあい対話集会 in 南春日」に出席し、国政報告をしました。
 8月28日(日)は、午前中、佐伯市で、自民党佐伯市連合支部会総会に出席し、来賓を代表して、最近の国政の状況等について、お話ししました。その後、同市内で挨拶回りをしました。午後から、同市トキハインダストリー前で、街頭演説をしました。その後、由布市挾間町で、大分大学附属病院に入院している高校時代の恩師を見舞いました。その後、大分市トキハ前で、街頭演説をしました。
 8月29日(月)は、午前中、大分市内で、企業関係の挨拶回りをし、午後から、上京しました。
   
   

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■東京嘉風会 2011年8月22日(月)

    

○休暇

 8月16日(火)及び8月17日(水)は、東京の自宅で休暇を頂き、ホームページの整理などをして過ごしました。
 8月18日(木)は、予定していた総務委員会が、流会となりました。私が提案者である被災市町村向けの災害臨時交付金法案について民主党によるつるし(趣旨説明要求)が降りないからです。つるしが降りないと、所管委員会への付託が行われません。午後、議員会館で、三河明史国東市長が訪れ、陳情を聞きました。

○共通番号
 8月19日(金)は、早朝、党本部で、「国民共通番号」関係部会合同会議に出席しました。納税番号制の導入にについては、党税調の幹部として私が事務局長を務めていますが、政府の「共通番号」の導入に関する技術的側面を検証するため、平井卓也衆議院議員を座長とする合同部会が設置されました。技術的な話が中心ですので詳述はしませんが、政府は言ってることとやっていることがちぐはぐです。自民党は、住民基本台帳カードを全国民に配布し、将来的には健康保険証なども一元化することを考えていますが、政府は、住民基本台帳カードの全員配布はしないなどと言っています。それならば、「共通番号」制度など、やる意味がありません。午前中、議員会館で、全国町村議会議長会の陳情を聞きました。

○嘉風
 8月20日(土)は、午後から、都内のホテルで、佐伯市出身前頭筆頭の嘉風(よしかぜ)関の大分県関係者の後援会「東京嘉風会」の設立総会が行われました。師匠の尾車親方(元大関琴風)御夫妻も、出席されました。先場所は、筆頭の地位で、初日大関魁皇には勝ったものの、7勝8敗と負け越しました。あと1勝で三役だったのですが、来場所以降の活躍が期待されます。私も、しっかりと応援していきたいと思います。
 その後、長崎県の谷川弥一衆議院議員のお世話で、対馬、五島を視察する予定だったのですが、親族の葬儀があり、参加できませんでした。長崎の島々には、離島振興、国境警備、海岸漂着物など様々な課題があり、是非とも現地を視察して勉強したかったのですが、誠に残念でした。

○公債特例法案
 8月22日(月)は、午後から、参議院本会議が行われ、公債特例法案の審議が始まりました。質疑には、菅総理が出席しました。参議院本会議への出席は、おそらくこれが最後でしょう。橋本聖子参議院議員らが提出した東日本大震災私立学校復旧特別助成法案の採決が行われ、与党民主党が反対しましたが、賛成多数で可決されました。民主党の反対理由は、理解できません。

 私が提案した被災市町村向けの災害臨時交付金法案の総務委員会審議は、結局8月25日(木)となりました。
   
   

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■菅総理退陣へ 2011年8月15日(月)

    

 ようやく菅総理の退陣が確実なものとなりつつあります。野党としても、長い道のりでした。就任直後から、失政だらけで、閣僚の食言や辞任が続き、3月7日に外国人献金の責任をとって前原外務大臣が辞任した時には、菅総理退陣まであと一歩まで追い込んだと考えていました。その矢先にあの東日本大震災が発生しました。

 それ以来、自民党は、震災の復旧復興のため一所懸命に政府に協力してきました。しかしながら、政府の復旧復興策は遅々として進まず、まだ多くの被災者が避難生活を続けています。そして、最近になって、菅総理自身の信じられないような政治献金疑惑が明らかになりました。今や菅総理の一刻も早い退陣こそが国民のためです。

 話は変わりますが、菅内閣の失政の一つである尖閣諸島中国船衝突事件のビデオについて、私たち自民党は、ずっと全面公開を求めていましたが、この度、やっと概要版という形で公開されました。詳細は、「新着情報」を参照してください。もっと時間的にも長く、鮮明な画像で国民の皆さんに提供したかったのですが、警備上の理由もあり、12分間の概要版にまとめました。海上保安庁も、それなりに協力してくれました。

○再生可能エネルギー法案
 8月8日(月)は、東日本大震災災害臨時交付金法案について、参議院民主党幹部議員への説明に回りました。
 8月9日(火)は、午前中、党本部で、行政改革推進本部幹部会に出席し、午後から、財政金融部会に出席し、円高対策について政府・日銀の説明を聴きました。その後、総合エネルギー政策特命委員会に出席し、再生可能エネルギー法案の取扱いについて議論しました。夕刻、議員会館で、サンセット法案の勉強会に出席しました。

 8月10日(水)は、早朝、党本部で、総合エネルギー政策特命委員会に出席しました。午前中、本会議に出席した後、再び党本部で、TPP参加の即時撤回を求める会に出席しました。その後、予算委員会理事懇が開かれ、翌11日に6時間の集中審議を開催することを決めました。昼から、党本部で、参議院改革本部に遅れて参加しました。その後は、議員会館で、来客や役所の説明の対応をして過ごしました。
 夕刻、カネミ油症被害者の救済法案を実現する議員連盟の設立総会に出席しました。その後、清和政策研究会事務所で、同会の臨時総会に出席しました。私は発言しませんでしたが、いわゆる大連立には反対すべきであるという意見が大勢でした。

○予算委員会
 8月11日(木)は、早朝、党本部で、総務部会幹部会に出席し、その後、予算委員会に臨みました。自民党は、小坂参議院幹事長らが質問に立ちましたが、菅総理の退陣が濃厚となってきていただけに、やりにくい面があったようです。止め男の私の出番も、ありませんでした。前回、前々回の予算委員会に比べ、たんたんと進んだことは否めません。

 8月12日(金)は、早朝、党本部で、総合エネルギー政策特命委員会に出席し、再生可能エネルギー法案の与野党修正協議について説明を受けました。ほぼ自民党の修正案のどおりに決着しました。その後、選挙制度調査会に出席し、私から都道府県議会議員選挙の区割り方法の改正案について説明しました。従来「郡市の区域」とされていますが、「郡」の線引きを解除するものです。午前中、本会議に出席し、衆議院送付のがれき処理法案が可決成立しました。これも、ほぼ自民党案に沿った内容の法案になりました。その後、党本部で、行革推進本部に出席した後、内閣部会に出席し、サンセット法案を了承しました。
 夕刻から、大分市で、大分舞鶴高等学校「同窓のつどい」に出席しました。福岡市長の高島宗一郎さん(40回生)が、来賓として出席しました。久しぶりに、同級生(23回生)の吉良州司衆議院議員、足立信也参議院議員とそろい踏みで、御挨拶しました。二次会で遅くまで同級生らと酒を酌み交わしました。

○みたままつり
 8月13日(土)は佐伯市、津久見市、臼杵市、豊後大野市、竹田市、大分市及び由布市で、8月14日(日)は大分市、別府市、杵築市、豊後高田市及び宇佐市で、終日、初盆参りをして回りました。毎年、いろんなお話を伺います。
 8月15日(月)は、大分県護国神社で、みたままつりに参列し、正午、天皇皇后両陛下に従い、戦没者の皆様に黙とうを捧げました。拝殿が工事中であり、今年は、儀式殿で式典が執り行われました。夕刻、都内のホテルで、全国戦没者追悼式参列の大分県遺族の代表の皆さんにお会いし、御挨拶しました。
   
   

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■災害臨時交付金法案提出 2011年8月7日(日)

    

 公債特例法案を巡って、再び国会が緊迫してきました。4Kのうち最も問題の大きい子ども手当については、これを廃止し、960万円の年収以下という所得制限を付けた上で従来の児童手当の拡充により、小学生以下は15,000円、中学生は1万円を交付することで決着しました。自民党としては、不十分な見直しですが、政治決着として仕方ないでしょう。まだ、高校無償化の所得制限の導入などの問題が残されています。

 民主党執行部は、ただ菅総理の退陣条件を整えるため、マニフェストの見直しも辞さず、焦っています。先の総選挙で、「自民党政権は無駄遣いばかりで、節約すれば20兆円は出てくる。」とうそぶいて政権を奪取したことを、きちんと謝罪してほしいと思います。結局そんな財源はどこにもなく、民主党のマニフェストは、破綻しました。

 私たちは、「子どもは、社会全体で育てる。」という民主党の社会主義的発想には、くみできません。「子供は、親が育てる。」のが基本です。そうできない所に限り、政治が手を差し伸べるべきです。金持ちだろうと何だろうと、お金をばらまいて解決しようとする態度は、選挙目当て以外の何ものでもありません。今、そうしたことをしっかりと議論する必要があります。

○子ども手当見直し
 8月1日(月)は、午後から、党本部で、総務部会幹部会に出席した後、新聞や雑誌の取材などを受けて過ごしました。夕刻、八坂杵築市長らが訪れ、農業土木関係の陳情を受けました。
 8月2日(火)は、早朝、党本部で、厚生労働部会に出席し、子ども手当の見直しに関し、「年収1,115万円の所得制限は、認められない。」と発言しました。午前中、院内で、党衆議院国会対策委員会法案説明会に出席し、災害臨時交付金法案について説明しました。その後、党本部で、総合エネルギー政策特命委員会及びたばこ特別委員会に出席した後、総務会に出席し、第2次地方分権一括法案に賛成したい旨の説明をし、了承されました。
 午後から、総務委員会に出席した後、党本部で、災害対策特別委員会及び沖縄振興特別委員会に出席しました。沖縄特には仲井真沖縄県知事も出席し、知事から直接新沖振法についての要望を受けました。夕刻、首藤竹田市長が訪れ、中九州自動車道の工事促進について陳情を受けました。

○災害臨時交付金法案を提出
 8月3日(水)は、早朝、総合エネルギー政策特命委員会に出席した後、午前中、本会議に出席しました。本会議では、原子力災害賠償支援機構法案が上程され、衆議院で修正可決されていることから、民主、自民、公明らの多数の賛成により可決成立しました。
 午後から、院内で、公明党石井政策審議会長と、災害臨時交付金法案について意見調整しました。その後、議員会館で、沖縄県の米軍跡地利用法案の勉強会に出席しました。その後は、マスコミの取材などを受けて過ごしました。
 8月4日(木)は、午前中、総務委員会に出席し、災害関連2法について審議し、全会一致で可決しました。午後から、党本部で、清和政策研究会に出席した後、内閣部会でサンセット法案について、総合エネルギー政策特命委員会で再生可能エネルギー法案について、行政改革推進本部幹部会で公務員制度改革について議論しました。
 その後、院内参議院事務総長室で、東日本大震災災害臨時交付金法案を、他の野党提案者と共に橋本事務総長に手渡しました。詳しくは、新着情報を御覧ください。夕刻から、都内で、沖縄関係者の集いである「美ら海会」に出席しました。
 8月5日(金)は、早朝、党本部で、「自治基本条例」検証PT及び総合エネルギー政策特命委員会に出席した後、午前中、本会議に出席しました。その後、災害臨時交付金法案の説明のため、被災県の東京事務所を訪れました。災害財政支援法に規定されている被災市町村は214あり、9県に及びます。午後は、役所の説明などを聴いて過ごしました。

○森の木
 8月6日(土)は、午前中、大分市で、歯科の定期検診を受けたのち、大分事務所でスタッフとの会議に臨みました。午後から、同市で、児童養護施設「森の木」を訪ね、川野義人施設長に児童養護施策の課題をお聞きした後、施設内を見学しました。幼児保育をしている部屋では、子供たちと一緒に遊び、汗びっしょりになりました。その後、同市内で、挨拶回りをしました。
 8月7日(日)は、午前中、大分市で、前日田高等学校長故冨永為一郎さんの初盆会に参列しました。突然の訃報にびっくりしました。その後、同市明野アクロス前で、街頭演説をしました。午後から、同市トキハ前でも、街頭演説をしました。

 今週は、何としても、災害臨時交付金法案の審議入りを果たしたいと思います。
   
   

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■仮払い法案成立 2011年7月31日(日)

    

 先週は、自民党など野党提出の議員立法である原子力災害賠償金政府仮払い法案が衆議院で修正可決の後、参議院に回付され、可決成立しました。また、被災者二重ローン防止法案が参議院で可決され、衆議院へ送付されました。いずれの法案も、最初の採決では、与党民主党は、反対しました。来週には、私が中心となって野党共同で、東日本大震災被災市町村災害臨時交付金法案を参議院に提出する予定です。また、与党民主党は、反対するのでしょうか。
 この状況を見ても、国会における災害復旧復興の中心は、野党が担っています。その足を引っ張っているのは、明らかに与党民主党です。リーダーシップも何もない菅総理の下で、民主党は、ダッチロール状態に陥っています。毎週同じ事を言って恐縮ですが、一刻も早い退陣こそが国民のためです。
 先週のTVタックルで、私が7月7日の予算委員会で菅総理の二つの政治献金疑惑について追及した内容が、やっとテレビで大きく取り上げられました。是非ネットで御覧いただきたいと思います。

○衆議院で修正可決
 7月25日(月)は、午前から、前週延期された予算委員会締めくくり質疑が昼休みの時間も続行して行われました。質疑終結後、各野党がまたもや反対討論のような賛成討論を行い、第2次補正予算案は、多数をもって可決されました。午後から、院内で、夕刻行われる衆議院復興特別委員会の勉強会に出席した後、党本部で、総務部会幹部会に出席しました。その後、本会議が開かれ、第2次補正予算が、3日遅れで可決成立しました。夕刻から、衆議院復興特別委員会に仮払い法案の発議者として出席し、答弁に立ちました。昼食も夕食も、まともに食べる時間がないほど、忙しい一日でした。

 7月26日(火)は、早朝、党本部で、総合エネルギー政策特命委員会に出席しました。午前中、党本部で、議員立法の災害臨時交付金法案の党内手続を進めるため、政策会議及び総務会に出席し、総務部会副部会長の立場で説明しました。午後から、議員会館で、来客との面談やマスコミの取材などで過ごし、夕刻、衆議院復興特別委員会の討論、採決に出席しました。結果、仮払い法案は、政府提案の原子力災害賠償支援機構法案とともに、多数をもって修正可決されました。仮払い法案に反対したのは、共産党だけでした。

○参議院で可決成立
 7月27日(水)は、午前中、本会議に出席しました。午後から、議員会館で、来客の対応などで過ごし、夕刻、インターネットTV「超人大陸」の収録をしました。
 7月28日(木)は、午前中、党本部で、総合エネルギー政策特命委員会に出席したのち、内閣部会・行政改革推進本部合同会議に出席し、サンセット法案について議論しました。午後から、清和政策研究会に出席しました。その後、党本部で、シャドー・キャビネットに「総務大臣」代理として出席し、災害臨時交付金法案を説明しました。夕刻、社民党の政策審議会に出席し、同法案を説明しました。

 7月29日(金)は、午前中、党本部で、JAおきなわ中央会の要望を聞きました。その後、本会議に出席しました。衆議院から修正回付された仮払い法案が、今回は民主党も賛成し、多数をもって可決成立しました。ねじれ国会の中で、野党提出の議員立法が成立したのは、初めてのことです。散会後、各会派に挨拶回りをし、発議者とスタッフで簡単な打ち上げをしました。法律が的確に執行されることを祈ります。午後から、公明党総務部会に出席し、災害臨時交付金法案を説明しました。

○野津原支部総会
 7月30日(土)は、午前中、大分市内で、企業関係の挨拶回りをし、トキハ前で街頭演説をしました。炎天下の演説でふらつくほどでしたが、滑舌はなめらかでした。午後から、同市稙田ニュータウンで街頭演説をした後、わさだ保育園を訪ねました。土曜日でしたが、多くの子供たちが保育されていました。保育士の待遇改善など、御要望を頂きました。

 7月31日(日)は、午前中、大分市野津原町で、自民党同町支部総会に出席し、御挨拶しました。総会出席後、党員の皆さんと懇親会に臨みました。午後から、豊後大野市三重町で、衛藤征士郎衆議院副議長の豊肥事務所開きの神事に出席し、御挨拶しました。その後、日田市で、桜木博県議会議員の快気祝いを兼ねての県政報告会に遅れて出席し、御挨拶し、出席者の皆さんと懇親しました。

 今週も、災害臨時交付金法案の参議院提出で忙しくなります。
   
   

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■予算委員会混乱 2011年7月24日(日)

    

 忙しい日々が続いています。参議院で補正予算審議のための予算委員会が続くとともに、衆議院復興特別委員会で議員立法の発議者としての役目も果たさなければなりません。続いて、被災市町村を対象とした災害臨時交付金法案の提出準備を進めています。
 その中で、菅総理がまだ居座っています。予算委員会で、委員の質問に的確に答えず、のらりくらりとした長い答弁を聞いていて、本当に気持ちが悪くなる思いです。そういう趣旨の投稿も、たくさん頂きました。菅総理こそが復旧復興の障害であり、一刻も早い退陣こそが復旧復興の進捗につながります。

◯衆議院に出席
7月19日(火)は、早朝、党本部で、選挙制度調査会に出席し、被災地の選挙を年末まで延期できることとする公職選挙法の一部改正議員立法を了承しました。この日から、被災地の市町村が自由に使える災害臨時交付金に関する法案の根回しを始め、午後、総務部会で了承を得ました。その後、議員会館で、沖縄米軍基地跡地利用法案の勉強会を行い、党本部で、道州制推進本部総会に出席し、九州広域連合の話を大分県の担当者から聞きました。

 7月20日(水)は、早朝、党本部で、総合エネルギー政策特命委員会に出席しました。午前中、総務部会に出席し、交通事業振興交付金に関する議員立法案について了承しました。交付金の交付を努力義務としか規定していない民主党案の修正を求めることを決めました。夕刻、衆議院復興特別委員会に原子力災害賠償金政府仮払い法案の発議者として出席し、初めて衆議院第一委員室の閣僚席に座りました。座ってみて分かりましたが、参議院第一委員会室の閣僚席の方がゆとりがあり、衆議院のものは結構窮屈でした。その後、議員会館で、みんなの党の政策メンバーに災害臨時交付金法案を説明しました。

◯予算委員会打ち切り
 7月21日(木)は、午前9時から第2次補正予算審議のための予算委員会総括質疑が始まりました。今回の補正予算は、前年度の決算剰余金だけで編成するという全くやる気のない予算案です。しかも、2兆円の予算額のうち8,000億円が予備費という訳の分からない予算案です。
 自民党から質疑を始めましたが、当初から菅総理の答弁態度が悪く、外国人Kさんからの違法献金を返金した際の領収書の提出も拒みました。そのため、場外で与野党協議した結果、その日の質疑は民主党で打ち切り、公明党以下の質疑は翌日に延期することとしました。あわせて、議院運営委員会では、翌日の補正予算案採決のための本会議を開催しないことを決めました。参議院は、与野党一致して、菅総理の思うようにはさせません。

 7月22日(金)は、早朝の予算委員会理事会で、補正予算案の締めくくり総括質疑は翌週月曜日に延期することを決定しました。その結果、午前中2時間ほど総括質疑の残余のみを行うことになりました。午後から、党参議院政策審議会正副会長会議に出席し、災害臨時交付金法案を参議院先議することの了承を得ました。その後、締めくくり質疑の延期に伴って時間的余裕ができたので、午後は、同法案の根回しなどで過ごしました。夕刻から、都内のホテルで、旧自治省の市町村出向者の親睦会である都市行政連絡協議会に出席し、旧交を温めました。私は、和歌山市と堺市で合わせて7年間市役所勤務をしています。

◯県連役員会
 7月23日(土)は、午前中、大分事務所で、スタッフと会議を行いました。午後から、大分市で、自民党県連総務・支部長・幹事長会議に出席し、岩屋毅県連会長の辞任を受け、当分の間、衛藤晟一参議院議員が会長代行を務めることを承認しました。私は、副会長から常任顧問になりました。その後、同市で、パークプレース公園通り団地で団地の共有財産である公園管理の問題点についての研修会に出席しました。研修会終了後、同公園でザ・夏祭りが開催され、開会式で「東日本のために元気にがんばってほしい。」と御挨拶しました。夕刻から、板倉永紀大分市議会議員の永友会に出席し、会員の皆さんと懇親しました。

 7月24日(日)は、午前、大分市トキハ前で、午後、同市明野アクロス横で、街頭演説をしました。明野アクロスでは夏祭りが開かれていたので、正面での演説を遠慮し、明野温泉側から演説しました。昨日、本日と大分市では各地で夏祭りが開かれています。

 明日からまた、予算審議、議員立法、政治と金の問題追及と、大忙しです。
   
   

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■復興特で答弁に立つ 2011年7月18日(月) 海の日

    

 先々週は、予算委員会の集中審議で、菅総理に対して厳しい質問をしたところですが、先週は、同じ委員会室の震災復興特別委員会で、原子力災害賠償金政府仮払い法案の発議者として、ふだんの閣僚席に座って答弁をしました。議員立法の発議者として答弁するのは初めてではありませんが、いつも予算委員会理事として座っている第一委員会室での答弁は初めてのことです。
 ちょうど、地元出身で社民党の吉田忠智参議院議員の質問を担当しました。大分合同新聞には「礒崎、吉田議員が委員会で"対決"」などと見出しが踊っていましたが、二人で原発問題に関してしっかりかみ合った議論をしたつもりです。結果的に、法案には社民党も賛成し、委員会及び本会議で可決され、衆議院に送付されました。吉田議員には、本当に感謝しています。
 この法案を含め、震災復旧復興対策には、真剣に努力し、自民党を始めとする野党がしっかりと日本を支えています。御安心ください。

○復興特
 7月11日(月)は、午前中、院内で、復興特の発議者の打ち合わせ会に出席し、午後は、ずっと復興特で答弁に立ちました。
 7月12日(火)は、早朝、党本部で、総合エネルギー政策特命委員会に出席しました。午前中、議員会館で、軽油引取税交付金問題についてトラック協会及びバス協会の陳情を受けました。午後から、院内で、菅総理の政治献金疑惑追及PTの初会合に出席しました。その後、党本部で、離島振興法の延長問題を協議する離島振興委員会に出席し、船舶に対する助成を強化すべきこと、及び安全保障の観点から国境離島の施策を検討すべきことを主張しました。
 7月13日(水)は、午前中、党本部で、被災者の二重債務問題を検討する合同部会に出席しました。午後から、議員会館で、普天間基地返還跡地の利用に関する勉強会に出席しました。その後は、マスコミの取材などで過ごし、夕刻から、新聞記者との懇親会と自治省の同期会に出席しました。
 7月14日(木)は、午前中、議員会館で、超党派のドクターヘリ推進議員連盟総会に出席しました。午後から、院内で、復興特発議者の打合会に出席した後、復興特に出席し、答弁しました。

○仮払い法案可決
 7月15日(金)は、早朝、党本部で、公務員の争議権に関する勉強会に出席しました。午前中の本会議で、原子力災害賠償金政府仮払い法案が、記名投票の結果自民、公明、みんな、たち改及び社民の賛成多数により可決され、衆議院に送付されました。民主、国民及び共産は、反対しました。民主党がこの法案になぜ反対なのかは、よく分かりません。本会議での反対討論は、ありませんでした。衆議院で委員会審議が行われることになれば、衆議院まで出張して、答弁席に立たなければなりません。
 本会議後、議員会館で、予算委員会理事懇が開かれ、7月21日(木)及び22日(金)の委員会の開催を決定しました。
 午後から、党本部で、総務部会幹部会に出席した後、本会議が再開され、第2次補正予算案について質疑が行われました。2兆円余りの小規模な予算案であり、昨年度の決算剰余金を財源とするものであって、政府の震災復旧復興への熱意は感じられません。自民党は、衆議院で、17兆円規模の組み替え動議を提出した上で、採決では政府案に賛成する考えです。

○対話集会
 7月16日(土)は、午前中、中津市山国町で、大将陣を訪れ、月1回開かれている地元の皆さんのふれあいサロンに同席しました。御挨拶の後、会食を共にし、余興で「昴」を歌いました。その後、同町の菅原神社を訪ね、お祭りの準備をしている皆さんとお話ししました。
 午後から、大分事務所で、九州電力の山崎大分支社長から佐賀県玄海原発に関するやらせメール事件について説明を受けました。夕刻から、大分市で、稙田地区対話集会に出席しました。約40分間ほど最近の国政について報告しました。その後、自民党稙田校区支部の皆さんとの懇親会に臨みました。
 7月17日(日)は、午前中は、自宅で、スタッフと庭のベンチづくり。中国製のベンチは、うまくはまらず、汗だくでした。午後から、大分市で、日岡地区の対話集会に出席。公民館のエアコンの故障で大変でしたが、多くの皆さんといい議論をすることができました。その後、同市で、地元の田室まつりを見物しました。
 夕刻から、中津市三光村で、三光の自民党支部総会に出席しました。ここは、人口五千二百人で党員が百人を超える大変党活動が優秀な町です。最近の政治情勢についてお話しした後、懇親会に臨みました。

 なでしこジャパン、うれしいうれしい大優勝。「がんばれ、日本」私ごときが言うこともありません。良かった。台風6号が接近してきたので、予定を早めて上京しました。被害がないことを祈ります。
   
   

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■集中審議 2011年7月10日(日)

    

 7月7日(木)七夕の日、参議院予算委員会で、集中審議において、野党側のトップバッターで質問に立ちました。菅総理を退陣に追い込む勢いで質疑をしたところ、本当に多くの反響を頂いています。それにしても、冒頭の「ストレステスト」の質問で、海江田経済産業大臣が涙声で辞任を示唆したのは、私の方がびっくりしました。これは、予定していた質問ではなく、私が、アドリブで、「佐賀県民に対し腹を切るべきではないか。」と、迫ったのです。
 テレビでは余り報道されていませんが、菅総理を巡る二つの政治資金疑惑についても、質問しました。一つは、外国人献金の返金に関する疑惑です。菅総理は、大震災当日に始めてその事実を知って、3月14日にKさんに返金したと答弁していましたが、自民党の調査により、震災前日の3月10日に神奈川県の保土ヶ谷パーキングエリアでこっそりと返金していたという情報が入って来ました。
 もう一つは、菅総理が、ハイジャック犯と拉致加害者を両親に持つMさんを市議会議員選挙に擁立した政治団体と密接な関係を持つ「政権交代をめざす市民の会」に対し、6,250万円もの献金をしていることを明らかにしました。菅総理以外にも、多くの民主党の国会議員や同党関係の都県議会議員や市議会議員が数千万円、数百万円単位の寄附をしています。何のための寄附かと聞いても、菅総理は、説明できませんでした。この件については、自民党内にチームを作って追及する考えです。
 午後からの質疑では、菅総理の3月12日の東電福島第一原発1号機に対する「海水注入は、何も知らなかった。」という答弁はうそであることを、政府の生資料を提示して立証しました。このことも大問題なのですが、代表質問のため内容がてんこ盛りであり、余りニュースになっていません。いずれにせよ、菅総理は自分のパフォーマンスが第一で、発言が虚飾に満ちていることは、十分御理解いただけたのではないでしょうか。

○未公開ビデオ
 7月4日(月)は、午後から、議員会館で、原子力災害賠償金政府仮払い法案の提案者打ち合わせ会を行いました。夕刻から、予算委員会理事会に出席し、7月7日の集中審議の実施を決めました。
 7月5日(火)は、午前中、党本部で、総合エネルギー対策特命委員会に出席したのち、震災後の経済対策特命委員会役員会に出席しました。その後、小規模企業税制確立議連に出席しました。午後から、院内で、参議院幹部と予算委員会質問者打ち合わせ会に出席しました。
 その後、国土交通省で、大畠同大臣と、中国船衝突事件未公開ビデオの公開問題について、懇談しました。結論は、可能な範囲で前向きに対応することになりました。夕刻から、党本部で、日本保育協会女性部会の皆さんとの懇親会に臨みました。大分県からは、6人の皆さんが参加していました。その後、都内の中華料理店で、党政治改革本部の打ち上げに出席しました。

○予算委員会
 7月6日(水)は、早朝、党本部で、震災後の経済対策特命委員会総会に出席しました。午前中は、総務・国土交通・税調の合同部会に出席し、トラック協会等への交付金問題を議論しました。午後から、政府仮払い法案について、自民、公明、たちあがれ日本、改革クラブの提案者が出席し、勉強会を開きました。
 その後、新たに全国県議会議長会会長に選任された三重県議会議長の山本教和さんと懇談しました。夕刻、都内のホテルで、谷垣総裁の御令室佳子様のお別れの会に参列しました。2,000人を超える皆さんが参列したそうです。その後、都内で、参議院の同期会一七会と参議院幹部の懇談会が開かれました。
 7月7日(木)は、早朝、党本部で、東九州高速道路促進議連に出席しました。その後は、午前10時から午後5時まで、ずっと予算委員会でした。その状況は御説明したとおりですが、私は自民党の質疑時間中ずっと質問者席に座っていたので、今回ばかりは「止め男」の仕事ができませんでした。夕刻から、党本部で、総務部会幹部会に出席しました。
 7日8日(金)は、午前中、党本部で、総合エネルギー対策特命委員会に出席した後、議員会館で、安全保障と土地制度を考える会幹部会に出席しました。午後からは、議員会館で、「伝統と創造を考える会」に出席しました。

○看護連盟総会
 7月9日(土)は、午前中、大分市で、大分県看護連盟通常総会に出席しました。この春竣工した新看護研修会館での式典でした。私は、被災者の皆さんの看護の携わる看護職の皆さんのPTSDの問題などについてお話ししました。
 午後から、東大分地区で、地元の皆さんとの対話集会を開きました。予算委員会の質疑直後ということもあり、活発な質問が出されました。その後、同市で、和光保育園を訪ね、園長の稲田静真さんらと懇談した後、園内を見学しました。
 7月10日(日)は、大分市トキハ前及び稙田ニュータウンで、街頭演説をしました。ここでも、私の質問がニュース等で報じられているので、いつもよりも耳を傾けてくれる人が多かったようです。それにしても、今日も、暑い一日でした。

 菅退陣に向け、民主党とも協力して案を練らなければなりません。
   
   

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■議員立法 2011年7月3日(日)

    

 先週は、国会会期を延長したにもかかわらず、国会の動きがなかったことは、残念でした。参議院側では、いつでも委員会を再開する準備があったのですが、むしろ衆議院側で浜田政務官問題にこだわりがあったようです。終末には、安住民主党国対委員長から正式に陳謝があり、今週は予算委員会が衆参で開催される見込みとなりました。浜田問題については、自民党の参議院議員総会で、「普通の離党とは話が違う。執行部はもっと怒りを明らかにすべきだ。」という意見が多くありました。
 この間自民党では、震災復旧復興対策の多くの議員立法を用意してきました。次から次へと、他の野党とも協力して、国会へ提出していきます。また、第2次補正予算は、政府の2兆円という小さなものではなく、一桁違う20兆円程度のものを要求していく考えです。

○二重ローン問題
 6月28日(火)は、上京し、午後から、新聞記者の取材などを受けて過ごしました。
 6月29日(水)は、早朝、党本部で、公務員制度の勉強会に出席した後、LPG対策議連に出席しました。午前中は、引き続き、二重ローン対策問題の合同部会に出席し、被災者ローンの買い取りを行う機構を新設することを内容とする議員立法を承認しました。午後から、議員会館で、沖縄米軍跡地整備法案について、党の沖縄振興特別委員会幹部会で議論しました。その後、党本部で、国家戦略本部第一分科会幹事会で「成長戦略」の最終取りまとめ案を議論しました。

○成長戦略
 6月30日(木)は、早朝、党本部で、増税によらない復興財源を考える会勉強会に出席しました。午前中、全国消防長会の新井消防総監から消防吏員への団結権付与は反対である旨の陳情を受けました。公安職として当然のことと考えます。その後、参議院自民党の議員総会に出席し、延長国会の対応について議論しました。浜田問題について、厳しい意見が出されました。午後から、震災後の経済対策特命委員会幹事会で、第2次補正予算の自民党案について、議論しました。私は、総務省が担当です。その後は、役所のレクなどを受けて過ごしました。
 7月1日(金)は、早朝、都内のホテルで、自動車議員連盟総会に出席し、自動車関係業界の陳情を聞きました。午前中は、国家戦略本部第一分科会に出席し、「強くてしなやかな国 成長再生戦略2011」を決定しました。我が国の長期的な経済戦略を取りまとめたものであり、谷垣総裁に答申するものです。午後は、役所の説明などを受けて過ごしました。

○対話集会
 7月2日(土)は、午前中、大分市八幡地区で、住民の皆さんと対話集会を行いました。麻生栄作県議会議員にも、同席していただきました。午後から、同市鴛野地区で、午前中同様の対話集会を行いました。安部剛祐大分市議会議員にも、同席していただきました。私からは、東日本大震災の対応状況、東電福島第一原発の被災状況、政局の行方などについて、お話ししました。
 7月3日(日)は、午前中、大分市トキハ前で、午後から、同市明野アクロス前で、街頭演説を行いました。その後、上京しました。

   

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■国会会期延長 2011年6月27日(月)

    

 直前までごたごたしましたが、国会の会期は、70日間延長されて、8月31日までとなりました。大震災復旧復興国会、夏休み返上での延長は、当然でしょう。延長問題で、民主党のみならず、自民党までががたがたしたのは、残念です。政党政治は、団体戦です。一人一人の国会議員が意見が異なるのは、当然のことです。だから、大いに議論し、決まったことには従いましょう。それが、団体戦のルールです。
 焦点は、菅総理の退陣時期です。一人だけだだをこねている感じですが、内閣総理大臣の首を取るのは、本人が拒否するとなかなか難しいものです。与党民主党の責任です。
 問題は、民主党内のごたごたまで野党自民党の責任のように報じているテレビ報道があることです。多くの自民党議員は、震災復旧復興のための議員立法や予算案の作成に毎日飛び回っています。それなのに、復旧復興の足を引っ張っているように言われるのは、本当に不本意です。今後、マスコミの偏見に満ちた報道には、逐一抗議する考えです。

○仮払い促進法案
 6月20日(月)は、午前中、上京し、午後から、東京電力と予算委員会提出資料について打ち合わせをした後、党本部で、総務部会幹部会に出席しました。トラック協会への交付金について議論しましたが、これもなかなか難しい問題です。
 6月21日(火)は、早朝、党本部で、漁場漁村整備促進議連に出席し、漁港等の震災復旧復興策について議論しました。その後、総務委員会に出席し、税制改正法案を審議し、採決で賛成しました。この法案は、形の上では内閣提出ですが、ほとんど自民党案そのままです。午後から、党本部で、がれき処理促進法案の検討合同部会に出席しました。
 夕刻、私は、原子力災害賠償金仮払い促進法案の提案者になり、院内で、参議院事務総長に法案を手渡ししました。その後、都内で、有志自民党議員による一国一人の会に出席し、谷垣総裁を激励しました。総裁は、奥様が御逝去された直後でしたが、元気に精励しています。でも、「かみさんのありがたみが、今本当に分かった。」と、言っていました。

○会期延長
 6月22日(水)は、早朝、党本部で、消費者問題調査会に出席した後、大島副総裁に沖縄問題について説明しました。午前中、本会議に出席し、議案の審議後、一旦休憩となりましたが、最終的に自民党は70日間の会期延長に反対することとしたので、本会議は再開されませんでした。その後、議員会館で、仲井真沖縄県知事と沖縄振興特別措置法案について議論しました。午後から、役所のレクなどを受けて過ごし、夕刻から、都内で、公明党議員との懇親会と自治省の同期会に出席しました。
 6月23日(木)は、早朝、党本部で、歴史教育を考える議員の会に出席し、教科書採択問題について議論しました。午前中、自治基本条例検証PTに出席しました。前東大教授の小早川光郎先生が講演されましたが、先生にお話しするのは、実に30年前の大学のゼミ以来でした。昼は、清和政策研究会昼食会に出席しました。午後から、震災後の経済戦略特命委員会に幹事会に出席し、震災復旧復興のための第2次補正予算自民党案について議論しました。夕刻から、都内のホテルで、日本行政書士会総会懇親会に出席しました。
 6月24日(金)は、終日、事務打ち合わせなどで過ごしました。

○少年柔道大会
 6月25日(土)は、午前中、別府市の陸上自衛隊別府駐屯地で、自衛官候補者前期教育課程修了式に出席し、祝辞を述べました。全員無事修了し、全国の部隊に配置されて実践的な教育を受けることになります。式典後、修了生や家族の皆さんと食事を共にしました。午後から、大分市で、たかお保育園を見学しました。安部憲人園長とは懇意であり、園児は丁度午睡中でしたが、保育士の皆さんと短時間意見交換をしました。その後、大分市トキハ前で、原子力災害やエネルギー対策を中心に街頭演説をしました。
 昨日は、午前中、別府市で、整骨旗杯争奪少年柔道大会に出席し、御挨拶しました。県柔道整復師会の主催で今年で7回目になります。最近は、本当に女子小学生が増えてきました。その後、別府駅前で街頭演説しました。
 午後から、大分市で、広瀬正雄記念日本拳法選手権大会に出席しました。こちらも、元気な子供たちがそろっていました。残念ながら見学の時間がなかったのですが、きっとすばらしい試合が繰り広げられたことでしょう。その後、豊後大野市緒方町で、自民党緒方町支部の定時総会に出席し、御挨拶しました。ここでも、「震災復旧復興に係る自民党の姿勢が見えてこない。」という質問があり、マスコミの報道の問題点などについて説明しました。
 本日は、午前午後と、大分市内で、挨拶回りをし、夕刻から、別府市で、同市観光協会定時総会で特別講演をしました。同市の観光も、風評被害を相当に受けていますが、少し持ち直してきています。大分県観光の窓口都市として、御尽力いただきたいと考えます。
   
   

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■宰相不幸社会 2011年6月19日(日)

    

 国会では、与野党共に陰鬱な雰囲気が広がっています。内閣不信任案の採決で党を二分して騒いでいたあの民主党が急に静かになってしまいました。退陣表明をした総理が居座ることが、いかに国政を停滞させるか、ひどいものです。そうした中で、心ある国会議員が、震災復旧復興のため、議員立法の与野党調整に走り回っています。本会議の議案を見ても、議員立法ばかりです。政府の施策は遅々として進んでいない証左です。
 これだけ内閣総理大臣の権威が落ちたこともいまだかつてなかったでしょう。国会審議はもとよりですが、全国知事会との協議の場でも総理はぼろくそです。決していいことではありません。平気でうそを言い、前言を簡単にひるがえす。そんな総理に信頼が置けるはずもありません。菅総理の公約である「最小不幸社会」も、「宰相不幸社会」という形で実現しました。一刻も早い退陣を求めます。

○税制改正
 6月13日(月)は、午後から、党本部で、税制調査会に出席し、平成23年度の税制改革法案に賛成しました。平成23年度の税制改正法案は、衆議院において政府与党が審議拒否をするという異常な事態が続いていました。参議院には、予算審議までに歳入法案が送付されないというこれまた異常な事態が生じました。やむなく、野党側が3月末にこの6月末までのつなぎ法案を提出しました。
 その期限も近くなったことから、また野党が中心となって、最小限度の本年度の税制改革法案を決めたのです。私は、「平成23年度は、税制改正はなかった。野田財務大臣の責任は、極めて重い。」と、発言したところです。
 その後、本会議に出席し、震災復興基本法案の討論を聞きました。本会議散会後、党本部で、看護問題小委員会に出席しました。震災当日家族を守るために一時職場を離れた看護師に自責の念に伴うトラウマが残っているなどのお話を聞きました。

○松本楼
 6月14日(火)は、早朝、外国人材交流推進議連に出席しました。午前中、議員会館に、大分県腎臓病協議会会長の伊達伸久さんが訪れ、会長から請願を頂きました。午後から、党本部で、震災後の経済戦略特命委員会に出席しました。その後、議員会館で、予算委員会理事懇に出席し、17日の委員会開会について議論しましたが、話はまとまりませんでした。その後、民主党・自民党の政調担当者が集まり、消費者教育基本法の制定について議論しました。私は、党消費者教育PTの事務局長を務めています。やっと民主党が動き始めました。
 夕刻から、都内のホテルで、大分県下14市議会議長との懇親会に臨みました。当然のことですが、地方議会は自民党です。知らない人は、一人もいません。
 6月15日(水)は、午前中、本会議に出席しました。昼に、沖縄県の上原良幸副知事と沖縄振興特別措置法の在り方について、意見交換しました。午後から、党本部で、道州制推進本部役員会に出席しました。私は、「早急に道州制基本法案をまとめ、党内議論を進めるべきだ。」と、発言しました。その後、農林部会に出席し、米の先物取引の試行について、JAなどの意見を聴きました。
 夕刻から、都内のホテルで、日本バス協会の懇親会に出席した後、日比谷公園の松本楼で、清和政策研究会の懇親会に出席しました。同店には、孫文の奥さんのピアノが展示してあり、少し弾かせてもらいましたが、明治時代のピアノでもう調律はできないそうです。

○平成24年度要望
 6月16日(木)は、早朝、霞ヶ関ビルで、大分県の平成24年度要望を聴きました。広瀬大分県知事を始め、志村県議会議長、井上副議長、教育長ら全部長が出席し、国会側も大分県関係9人の全国会議員が出席しました。私からは、広瀬知事に対し、県東海岸の津波対策を強く要望しました。午前中、党本部で、清和政策研究会政策委員会に出席し、衆議院議員定数の是正について議論しました。
 6月17日(金)は、早朝、党本部で、地方議会の強化に関するPTに出席し、政務調査費制度の改正に関する私案を説明しました。午前中、本会議に出席した後、議員会館で、参議院改革本部に出席し、参議院議員定数の是正問題について議論しました。午後から、がれき処理問題に関する部会に出席し、法案に対して意見を述べました。

○関西県人会
 6月18日(土)は、午前から、大阪市を訪れ、関西大分県人会に出席しました。私は、和歌山市と堺市に勤務していたことがあり、その頃は県人会の正会員でした。「自民党も、しっかりと震災復旧復興に協力している。国を分裂させようとするマスコミの報道には、注意してほしい。」と、御挨拶しました。舞太鼓あすか組の演技も披露され、最後は荒城の月とふるさとを合唱して幕を閉じました。
 6月19日(日)は、別府市で、公立高等学校教職員組合の定期大会に出席しました。「子供たちと教員の関わりの在り方を真剣に考える必要がある。」と、御挨拶しました。

   

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■混乱続く 2011年6月12日(日)

    

 民主党内の混乱が続いています。私は、菅総理を辞めさせるのであれば、震災対応が急がれる中で、一刀両断にしなければならないと言ってきました。「辞める。」と言いながら、いつ辞めるか分からないというのは、最悪の事態です。菅総理が自覚するか、民主党内で何とかするか、一刻も早く国政が動くようにしてもらいたいと考えます。
 そうした中、東電福島第一原発では、1号機から3号機まで、メルトダウンどころかメルトスルー状態にあることが明らかになってきています。メルトダウンでは、圧力容器内で、燃料棒が全て溶け落ちてはいるが、固まりになってとどまっています。メルトスルーでは、溶けた燃料が圧力容器からも溶け落ち、格納容器の底にたまっています。原子炉の底は、14メートルものコンクリートで固められており、簡単には通過しないと考えられますが、その可能性もあります。正にチャイナシンドロームが始まっているのです。
 一方で、汚染水の処理が大きな課題となってきました。日量500トンもの冷却水を使い続けると、大変な量の汚染水が生産されます。この問題が、今後の最大の課題です。

○総務委員会
 6月6日(月)は、終日、議員会館で、役所のレク受けなどで過ごしました。夕刻から、民主党の中堅議員との懇親会に出席し、意見交換をしました。
 6月7日(火)は、早朝、党本部で、行政改革推進本部幹部会に出席し、公務員の争議権の問題点について勉強しました。午前中、総務委員会に出席し、震災に伴う地デジ化延期法案を審議し、採決で賛成しました。昼は、党本部で、畜産振興議連に出席し、震災に伴う畜産対策について、議論しました。午後から、議員会館で、沖縄県の自民党県議団の皆さんと新たな沖縄振興特別法案の在り方について議論しました。夕刻から、都内のホテルで、神道政治連盟の懇親会に出席しました。大分県からも4人の神主さんが出席していました。

○予算委員会
 6月8日(水)は、早朝、党本部で、行政改革本部総会に出席し、公務員改革法案について、役所の説明を受けました。私は、公務員の労働組合に協約締結権を付与することも含め、全面的に反対である旨を表明しました。午前中、本会議に出席した後、党本部で、参議院自民党政審原発被害PTに出席し、風評被害について議論しました。午後から、議員会館で、原発対策国民会議に出席し、原子炉の石棺化について議論しました。その後は、議員会館で、取材などに応じました。最近、原子力災害に関する取材が増えてきました。
 6月9日(木)は、午前中、議員会館で、全国都道府県議長会の幹部と諸課題について議論しました。昼は、清和政策研究会に出席し、原子力災害に関し、いかにひどい政府答弁書が提出されたか報告しました。午後から、議員会館で、沖縄県のレクを受けた後、党本部で、震災後の経済戦略特命委員会に出席しました。夕刻から、麹町宿舎で、呉越同舟の議員総会に出席し、他党議員と懇親しました。
 6月10日(金)は、終日、予算委員会が行われました。予算委員会も、昨年の臨時国会に続き、通常国会としては最長不倒を更新しています。与党は、この辺で打ち切りたい意向を示していますが、震災対策、原子力対策など議論をしなければならない事項が山積しており、野党は一致して引き続いての予算委員会開会を要求していく考えです。

○関東佐伯会
 昨日は、午後から、都内のホテルで、関東佐伯会に出席しました。佐伯市関係の県人会は、いつも多くの皆さんが出席し、楽しく行われます。佐伯市も、西嶋泰義市長を初め全面的なバックアップをしていることもあるのでしょう。地元からの出席で、愛の里工房雪ん子のごまだしうどん、糀屋さんの甘酒一夜恋なども振る舞われました。地元出身の今度幕内筆頭になった嘉風関や日本ミニマム級のボクサー金田淳一郞さんらも、挨拶しました。
 この週末は、東京で、仕事をしています。
   

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■内閣不信任案 2011年6月5日(日)

    

 今週も、大変な1週間でした。野党は、ついに菅内閣への内閣不信任案を提出しました。結果は、皆さん御承知のとおり、民主党の内部抗争で一時可決する可能性が高まりましたが、本会議直前の同党代議士会で鳩山前総理が菅総理が辞任を認めたような話をし、急転回で大多数の民主党議員が不信任案に反対を決め、同案はあえなく否決されました。ところが、その後、菅総理やその周辺が辞任を認めていないとする発言をし、方便の鳩山前総理から菅総理が「ペテン師」と呼ばれる始末。あきれて物が言えません。
 マスコミ、特にテレビは、被災者のコメントを引いて「こんな時期に不信任案とはけしからん。」という論陣を張りました。私は、ツイッターで、「議院内閣制の下、衆議院の多数党が政権を握るのだから、不信任案は、通常可決されることはない。与党が粛々と否決すればいいのであって、野党が不信任案を提出するのがけしからんなどという論理は成り立たない。不信任案を提出するのは、野党の権利である。」と、説明しました。
 いずれにしても、一国の総理が退陣を表明したのであれば、もうおしまいです。菅総理の駄目振りはもう申し上げませんが、長く権力の座にしがみつくことは、誰もが許さないでしょう。本来、与党側が、善処すべき話です。

○中国船衝突事件未公開ビデオ
 5月30日(月)は、午後から、党本部で、地方議会の機能強化に関するPTに出席し、その後、予算委員会理事会で、中国船衝突未公開ビデオを視聴しました。詳細は「新着情報」に記載したとおりであり、風聞言われていたような拘束時の中国人船員による抵抗はありませんでした。その後、党本部で、原発事故対策特命委員会に出席し、東京電力の賠償金を国が仮払いする自民党法案を検討しました。
 5月31日(火)は、早朝、党本部で、総務部会に出席した後、午前中、震災後の経済戦略特命委員会に出席し、震災復興のための経済戦略の中間報告を審議しました。その後、議員会館で、都道府県議会議長会と、地方議会制度の改革について、意見交換しました。午後から、党本部で、全国保育関係議連に出席し、東北地方の震災対策や政府の新子どもシステム案の問題点などについて、議論しました。その後、総務委員会で、震災に伴う地デジ化の延期等に関する法案の趣旨説明を聴き、議員会館に戻り、超党派の地下原発議連に出席し、技術的な説明を受けました。夕刻、道州制懇話会役員会に出席しました。

○不信任案の提出
 6月1日(水)は、早朝、党本部で、自民党参議院政策審議会の原発被害に関するPTに出席しました。その日も東京電力の松本代理を呼び、質疑をしました。技術的な観点についてはある程度正確な説明をしてくれたので、初動対応に関してかなり頭の中の整理ができました。午前中、本会議に出席し、菅総理のサミット出張の報告を受け、各党が質疑をしました。各野党からは、相当厳しい指摘が続きました。
 昼から、予算委員会理事懇に出席し、6月3日の委員会セットを決めた後、議員会館で、自民党の参議院改革本部に出席し、定数の是正及び削減について、議論しました。午後から、ラグビーワールドカップ2019成功議連に出席しました。その後、安全保障と土地法制を研究する議員の会に出席し、続いて、自民党の沖縄振興特別委員会幹部会に出席しました。ちょうど、久しぶりの党首討論が行われており、その日内閣不信任案を提出することが想定されていたので、テレビを見ながらの会議でした。
 6月2日(木)は、前日内閣不信任案が提出されたため、午前中予定されていた総務委員会は、中止になりました。不信任案が提出されると、国会の全ての会議が中止される慣例です。そのため、清和政策研究会の政策委員会に出席することが可能となり、アフラック最高顧問の大竹美喜さんの話を聞きました。
 その後、同研究会総会に出席しました。その時の情勢分析では、民主党の反主流派90人以上が不信任案の賛成に回り、同案は可決される可能性が高いというものでした。しかし、12時過ぎ民主党代議士会のテレビ中継を見ていると、様子が一変していました。12時30分から、自民党は院内で両院議員総会を開きましたが、その時には、谷垣総裁から「茶番である。」という発言がありました。
 その後の衆議院における不信任案の討論採決の状況は、皆さん御承知のとおりです。不信任案が否決されると、内閣は信任されたことになり、国会は正常化します。参議院では、直ちに翌6月3日の予算委員会を予定どおり行うことを決めました。

○予算委員会
 6月3日(金)は、早朝、党本部で、自治基本条例検証PTに出席した後、酪政会に出席し、被災地における酪農の課題について現地事業者の代表から聞きました。午前中、議員会館で、参議院自民党の原発被害に関するPTに出席し、IAEAの報告書について政府の説明を聞きました。
 午後から、予算委員会が開かれ、野党から菅総理の去就について厳しい質疑が行われました。一国の総理としては、極めて曖昧な無責任な答弁が続きました。
 6月4日(土)は、午前から、大分市で、震災の発生で延期していたいそざき陽輔新風会及び自由民主党大分県参議院選挙区第一支部の定時総会が開かれました。引き続いて、国政報告会を開き、内閣不信任案の経緯などについて、私から詳しく御説明しました。その後の懇親会では、さくらチェアーズの子供たちがかわいらしい演技をしてくれました。
 夕刻から、同市七瀬公園で、地元の七瀬川ホタル祭りに出席しました。好天の下、地元の皆さんとのんびり会話をしました。
 6月5日(日)は、午前中、大分市トキハ前で街頭演説をした後、上京しました。

 今週も政局は大きく動いていきます。震災復興を強力に推進できる体制を構築していかなければならないことは、言うまでもないことです。そして、それが大きな政治改革のチャンスであると考えています。

   

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■参考人質疑 2011年5月29日(日)

    

 先週、3月12日における海水注入の中断は誰の指示で行われていたのかを議論している最中に、東電から「実は海水注入の中断はなかった。」という記者会見がありました。一体何を信じたらいいのか、全く分かりません。
 テレビの政治番組を見ていると、メルトダウンの発表が遅かったことや東電に未公開放射線データがあったことは批判しているのですが、一方で「海水注入の中断なんか、誰が指示したっていいじゃない。」と言っている評論家もどきがいます。こういう物の言い方はできるだけ避けていますが、テレビでの左翼文化人の横行には辟易します。
 だから、菅総理では駄目だと言っているのです。与野党一致協力して震災対策に取り組む態勢を作るためにこそ、菅総理の退陣は、不可欠です。ベテラン議員の間で内閣不信任案を早く出せという意見が強まっています。しかし、中堅・若手議員は、若干冷めています。可決可能性がないまま、あわてて不信任案を提出する必要はなく、予算委員会などの審議で追い込む方が正攻法と考えています。

○消防議連
 5月23日(月)は、上京し、午後から、議員会館で、役所のレクを聞いて過ごしました。
 5月24日(火)は、早朝、党本部で、国家戦略本部第一分科会に出席した後、議員会館で役所のレクを聞きました。昼から、党本部で、福島県の自民党県連代表者の震災対策に関する意見を聴きました。
 午後から、議員会館で、党の沖縄振興特別委員会役員会を開き、仲井眞弘多沖縄県知事らの意見を聴きました。その後、党本部で、震災後の経済戦略特命委員会に出席しました。夕刻から、久々の消防議員連盟に出席し、被災地における消防団員の殉職の状況などについて、消防庁及び日本消防協会の説明を聞きました。

○海洋ごみ
 5月25日(水)は、午前中、議員会館で、役所のレクを聞いた後、党本部で、原発被害に関するPTに出席しました。午後から、党本部で、幹事長を務める漂流・漂着物対策特別委員会に出席し、震災に伴って発生した海洋ごみの処理について議論しました。その後、震災後の経済戦略特命委員会役員会及び全体会議に出席しました。夕刻から、都内で、大分舞鶴高校東京同窓会に出席しました。
 5月26日(木)は、早朝、党本部で、幼児教育議員連盟に出席し、被災地の幼稚園の状況について、陳情を聞きました。その後、党改革本部の会議に出席し、「政治に金を掛けない改革を検討すべきだ。」と訴えました。その後、総務部会幹部会に出席し、地方分権推進法案第2弾について、議論しました。続いて、震災後の経済戦略特命委員会に出席しました。
 午後から、清和政策研究会に出席し、司会を務めました。その後、総務委員会に出席し、NHK決算の審議をしました。その後、党本部で、原子力災害対策緊急措置法案について、議論しました。夕刻から、全国大会に上京している大分県農業会議の幹部の皆さんとの懇親会に望みました。

○専門家
 5月27日(金)は、早朝、自治基本条例に関する検証PTに出席した後、本会議に出席しました。その後、議員会館で、「増税によらない復興財源を求める会」の設立総会に出席しました。今回は、自民党の議連の旗揚げでしたが、たちあがれ日本と共産党以外の全ての政党が参加する見通しです。
 午後からは、予算委員会が開かれました。菅総理がサミットで外遊中であったので、参考人質疑を行いました。自民党は原子炉の専門家を推薦したのですが、あとの3人は被曝の専門家ばかりであり、放射線の安全度合いについて意見が全く異なり、質疑者も困惑していました。それだけ、難しい話なのでしょう。
 5月28日(土)は、午前から、臼杵市で、臼杵保育園と海部保育園を視察しました。臼杵保育園では、園長の加藤めぐみさんにお話を伺いました。お寺の附属保育園であり、園長は、御住職の奥様で、今年で3年目だそうです。海辺保育園では、園長の芥川政巳さんらお話を伺いました。今後の少子化の動向が、最大の課題であるということでした。
 夕刻から、大分市で、大分県行政書士政治連盟定期総会に出席し、御挨拶しました。引き続き、懇親会にも出席し、行政書士の皆さんの御意見をお聞きしました。
 5月29日(日)は、台風2号が接近していることから、早い時間に上京しました。
   
   

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■震災対策続く 2011年5月22日(日)

    

○震災後の経済戦略

 5月16日(月)は、上京し、議員会館で、陳情や役所のレク受けをして過ごしました。夕刻、党本部で、たばこ特別委員会に出席し、原子力災害により本年の作付けを見送った福島県のたばこ耕作について、対策を議論しました。
 5月17日(火)は、午前中、党本部で、震災後の経済戦略特別委員会に出席し、有識者の意見を聴取をしました。午後から、総務委員会に出席し、一般質疑をしました。夕刻、議員会館で、来年期限切れとなる沖縄振興特別措置法の扱いについて、自民党沖縄振興特別委員会の川口順子委員長及び島尻安伊子事務局長と協議しました。
 5月18日(水)は、早朝、議員会館で、超党派の危機管理都市推進議連に出席した後、午前中、本会議に出席しました。その後、院内で、清風会緊急総会に出席し、正午から、党本部で、参議院政策審議会原発被害に関するPTに出席しました。午後から、議員会館で、原発対策国民会議に、党本部で、震災後の経済戦略特別委員会に出席しました。その後、議員会館で、取材や役所のレクなどを受けました。

○道州制懇話会
 5月19日(木)は、午前中、党本部で、震災後の経済戦略特別委員会に出席し、その後、総務委員会に出席し、地方公務員等共済組合法一部改正案を審議し、全会一致で可決しました。地方議員年金をこの6月末で廃止することを決めたものですが、附帯決議で、おおむね1年を掛けて、地方議員の新たな年金の在り方について、検討することとなりました。
 午後から、党本部で、清和政策研究会総会に出席した後、砂防会館で、道路整備促進期成会全国大会に出席しました。その後、議員会館で、同大会に出席した大分県の町村長の皆さんらの陳情を受けました。また、党本部で、東日本大震災法整備等緊急対策PTに出席し、東北の被災市町長の陳情を受けました。その後、議員会館で、超党派の道州制懇話会設立総会に出席しました。何と、150人もの国会議員が会員になったそうです。私は、準備会の初期メンバーの一人として、懇話会を応援しています。道州制の導入には解決すべき課題が多く、そう簡単に天下が動くというわけではありません。また、報道されているような政局の問題とは、全く関係ありません。
 夕刻から、都内で、東京の後援会である東京新風会の月例会を震災後復活し、出席しました。30分ほど東日本大震災について、講話をしました。たまたま、隣の部屋で道州制懇話会の打ち上げが行われており、合流しました。

○質問主意書
 5月20日(金)は、早朝、党本部で、税制調査会に出席し、つなぎ法案切れ後の税制の在り方について、議論しました。引き続き、震災後の経済戦略特別委員会に出席した後、本会議に出席しました。再び、党本部で、震災後の経済戦略特別委員会役員会に出席しました。その後、議員会館で、陳情や役所のレクを受けました。原子力安全・保安院が、私の許可を得ずに、私の質問主意書対する答弁書の提出を遅らせるという事件が起きました。菅内閣の質問主意書への対応は本当にずさんであり、議院運営委員会理事の義家弘介さんに処理を委ねました。
 午後から、予算委員会で、原力災害に関する集中審議を行いました。

○川開き
 5月21日(土)は、午前中、大分市で、母校の上野ヶ丘中学校体育祭に来賓として出席し、応援合戦の審査をしました。後輩の皆さんは、元気にがんばっていました。その後、県社会保険労務士政治連盟定期大会に出席し、祝辞を述べました。午後から、大分事務所でスタッフとの打ち合わせをしました。夕刻から、日田市で、日田川開き観光祭に出席し、屋形船に乗って、御挨拶しました。例年どおりのすばらしい花火大会を堪能しました。今年は、福岡市長の高島宗一郎さん(大分舞鶴高校の後輩です。)や台湾の台北駐福岡経済文化弁事処長の曽念祖さんが参加していました。
 5月22日(日)は、午前中、豊後高田市香々地町で、自民党同町支部年次大会に出席しました。私は、東北の被災地などの状況について、報告しました。その後、来年統合されることになっている同町三重小学校の最後の運動会を見学しました。児童17人の学校です。最近なくなった地域の皆さんや保護者など総出の運動会です。子供たちはいつでも元気です。地域コミュニティは、大切にしていかなければなりません。
 午後から、別府駅前及び大分市トキハ前で、街頭演説をしました。震災後、統一地方選挙と続き、単独での街頭演説は、久しぶりです。震災対策について、様々な角度から訴えました。

 東電福島第一原発の初動態勢の問題点がかなり明らかになってきました。政府、東電の責任のなすり付けも始まっています。この問題について、もっと深めていく考えです。

   

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■女川町視察 2011年5月15日(日)

    

 東電福島第一原発の1号機で、大震災が発生した3月11日から放射能が検出されていたことが、次第に明らかになってきました。そうであれば、震災当日に、地震により圧力容器が損傷したか、燃料棒のメルトダウンが始まっていたことになります。どちらも極めて重大な事態です。政府は、このことを隠し続け、今日まで来ました。予算委員会で、東電の清水社長がベントの遅れについて「高い放射線」を挙げており、ベントの前に放射性物質が放出されているはずがないのにおかしいなと思っていましたが、やはり隠された事実があったようです。

○震災対策
 5月9日(月)は、終日、議員会館で、事務打ち合わせなどで過ごしました。
 5月10日(火)は、午前中、院内の医務室で健康診断を受けた後、総務委員会に出席しました。午後から、予算委員会理事懇に出席し、次回の委員会での集中審議を決定しました。その後、党本部で、選挙制度調査会に出席し、被災地における統一地方選挙以後の地方選挙の延期について、了承しました。さらに、行政改革本部で、公務員制度改革について、議論しました。
 5月11日(水)は、早朝、都内のホテルで、「大久良会」と称する記者懇に出席した後、午前中、党本部で、総務部会に出席し、被災地におけるアナログ停波の延期について、了承しました。昼休みに、参議院自民党政策審議会に出席し、放射性廃棄物の処理について、議論しました。午後からは、議員会館で、事務打ち合わせなどで過ごしました。

○被災地視察
 5月12日(木)は、総務委員会で、宮城県女川町へ視察に出掛けました。早朝の東北新幹線に乗り、福島駅に着く当たりから、屋根にブルーシートに土のうを乗せた家屋が増えてきました。仙台で新幹線を降り、バスに乗り換え、高速道路に乗ると、左側は全く普通の状況であるのに、右側は海浜まで何もなく、所々に車両が放置されているそんな状況を目の当たりにしました。石巻市に入ると、本当にすさまじい状況です。鉄骨造りの建物以外は、ほとんどが流されていました。
 女川町に到着し、安住宣孝町長の説明を受け、町長の案内で旧庁舎を視察しました。町長は、3階庁舎の屋上のアンテナ部分につかまって九死に一生を得たそうです。屋上に民家が乗っている電話局、局長が高台の病院に避難したがそこまで津波が襲い負傷した郵便局、漁港に近く署長が殉職した消防署、1メートル以上も地盤沈下した漁港などを視察しました。同町には、石巻線の終点の女川駅がありました。全て流され、電車は高台の墓地で横転しています。バリアフリーのためできたばかりのエレベーターの骨組みだけが駅に残っていました。
 避難所の被災者の生活や移動郵便局の活動なども、短時間視察しました。早急に仮設住宅を供給しなければなりません。同町にも、女川原発があります。町長は、一定の見直しは必要だが、国のエネルギー政策には協力すると、言っていました。町長は、熱く復興の在り方を説いてくれました。その前向きな姿勢には、本当に感服します。

○予算委員会
 5月13日(金)は、早朝、党本部で、政治改革推進本部に出席し、衆議院議員定数を35人削減することを議論しました。その後、清風会緊急幹事会に出席し、いわゆる派閥パーティの延期を求めることを再確認しました。その後、党改革本部「自民党政治総括」部会に出席し、派閥問題などを議論しました。その後、本会議に出席しました。民主党の那谷屋正義総務委員長の辞任が承認されました。その後、議員会館で、民主党議員と、消費者教育基本法案の進め方について、議論しました。
 昼休みは、党本部で、国家戦略本部「成長」部会に出席し、大震災を踏まえた成長戦略の練り直しについて、議論しました。午後からは、予算委員会の集中審議でした。この日も、原子力災害に関連して海江田経産大臣の不適切な答弁が続き、自民党の質問以外の場面で、2回ほど委員会を止めざるを得なくなりました。

○司法書士会
 5月14日(土)は、東京で、事務処理をしました。
 5月15日(日)は、午前中、大分市で、大分県司法書士会定時総会に出席し、御挨拶しました。「法律家の皆さんには、是非法治国家ということを考えてほしい。閣議にかけずに、総理が、記者会見で勝手なことを言うようなことは、許されてはいけない。」と、申し上げました。
 午後から、自民党県連役員会及び常任総務会に出席しました。選挙後自民党の県議会会派が二つに割れるという事態になりましたが、常任総務会には両会派の議員が出席しました。時間を掛けてじっくり話し合おうということになりました。

 世論調査を見ると、今すぐ菅総理を変えることには、反対が多いようです。しかし、本当にそれで日本の将来が大丈夫だとは、思えません。難しい、判断が求められています。
   
   

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■第1次補正予算成立 2011年5月8日(日)

    

 連休中の予算委員会の審議が終わり、3日、4日及び5日の3連休は、地元でイベントの出席中心のスケジュールでした。

○補正予算審議
 5月2日(月)は、早朝、院内で、8時から参議院国会対策委員会に出席し、その後、予算委員会理事会、8時30分から補正予算の審議に係る2日目の予算委員会が開催されました。昨日の総括質疑に続いて、一般質疑抜きで、いきなり締めくくり質疑です。全大臣出席の下、比較的たんたんと進んでいましたが、最後の質問者のところで、東京電力の清水正孝社長が原子炉へ海水注入を指示した時刻を問う質問に対して答弁を拒否したことから紛糾し、止め男の私が出馬せざるを得なくなりました。再度清水社長が答弁を拒否したことから、委員会は休憩し、理事会を再開し、30分以上にわたって委員会は中断しました。
 質問者の社民党党首福島みずほさんは、5分間の割当質問時間で1時間以上も引き延ばしたことになります。社民党は委員会に理事がいないので、野党理事の私がお世話をしています。昔では、考えられない話です。その後、討論が行われ、冒頭自民党を代表して私が賛成討論をしました。ほとんど反対討論のような賛成討論でした。採決の結果、全会一致で補正予算案は可決されました。
 昼休み中、参議院政策審議会の原子力災害に関する勉強会、清風会の総会などに出席しました。午後から、総務委員会に出席し、特別地方交付税特例法案を、質疑、採決し、全会一致で可決しました。マスコミは与野党が対決している場面ばかり報道しますが、多くの法案は全会一致又は賛成多数で可決されています。その後、本会議が開かれ、補正予算案のほかその日委員会で可決した法案を緊急上程し、すべて可決しました。夕刻、帰省しました。

○大型連休
 5月3日(火)憲法記念日は、午前から、大分市佐賀関町の早吸日女神社の藤祭りに出席しました。天候が心配されていましたが、式典中は雨も降らず、藤も本当に見頃でした。神事では、祝詞に加え、復興祈願文も奏上されました。私は、「西日本の元気で、東日本を支えよう。」と御挨拶しました。その後、藤棚の下でお抹茶を頂戴し、更にその後は恒例の直会いです。こんこんとお酒をつがれ、地元の皆さんと意見交換をしました。

 5月4日(水)みどりの日は、午後から、日田市で、小鹿田焼唐臼祭を視察しました。春秋の小鹿田の里の視察は、恒例になりました。年々お客さんの数が増えており、ここだけは震災不況が感じられません。到着すると、すぐに昼食会が始まり、窯元の皆さんとお酒を交えての懇親です。どの窯も、大方跡取りが決まっており、窯元の皆さんは、私とお酒を飲んでいても大丈夫のようです。すっかり酩酊してから、一軒一軒全ての窯を回って歩きました。

 5月5日(木)こどもの日は、午前から、玖珠町で、第62回日本童話祭に出席しました。日本のアンデルセンこと久留島武彦先生を記念して毎年行われている子供のためのお祭りです。今年は、東日本大震災に配慮してパレードが行われませんでした。選挙が終わったばかりの町議会議員の皆さんの仮装行列を是非見たかったのですが、本当に残念でした。祭式では、久留島先生の「ともがき」という作品を町が絵本として発売したことが報告されました。三島会場を視察した後、城趾に登り、栖鳳楼という見晴台で、お手前を頂くとともに、昼食を頂きました。深緑の絶景の眺めでした。午後から、河川敷会場で、出店などを見学しました。帰りに、近くの旧豊後森機関庫の扇形車庫及び転車台を見学しました。町での保存の方向が決まっているようですが、早期の復元を期待します。

 5月6日(金)は、終日、大分市内で、挨拶回りをし、夕刻、大分事務所でスタッフと打ち合わせをしました。昨日、所用のため、上京しました。

 連休明けの来週から、国会も仕切り直しです。様々な動きが出てくると思います。総務委員会で女川原発を視察する予定ですが、民主党の那谷屋正義委員長のフィリピンでのゴルフ問題が浮上し、どうなるのでしょうか。予算委員会は、菅総理を呼んで、集中審議を再開します。
   
   

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■補正予算 2011年5月1日(日)

    

 私が後援会長を務めた大分市長選挙は、大敗でした。安部せいゆう候補を御支援いただいた皆さんに心からお詫びを申し上げます。敗因は、しっかりと分析しなければなりません。NHKの出口調査では、自民党支持者は37パーセントであり、民主党の30パーセントを相当上回る回復を示していましたが、その半分しか安部候補は固めていませんでした。そこに大きな課題があります。これで、大分市では、非自民系の市政が40年間続くことになります。大分1区での選挙の難しさを、改めて感じたところです。

 4月24日(日)は、午前中、父の月命日の法事を済ませ、午後から、母と共に投票所に出掛けました。帰りに、花の苗を購入しました。夕刻、豊後大野市三重町で、大分県傷痍軍人会会長首藤忠夫さんの御令室のお通夜に参列しました。昨年、首藤さんの叙勲記念祝賀会で親しくお話しをさせていただいたばかりであり、心から御冥福をお祈りいたします。午後8時前に、開票本部に到着したところ、まだ支援者も集まらない8時3分頃に相手候補の当選確実が報じられ、がく然としました。勝敗はともかく、ある程度接戦になるとは信じていたのでした。

 4月25日(月)は、午前中上京し、午後、議員会館で、韓国大使館の朴参事官と面談した後、予算委員会の東日本大震災等の集中審議に出席しました。議論は、比較的たんたんと進み、止め男の出番はありませんでした。
 4月26日(火)は、早朝、党本部で、全議員協議会に出席しました。発言するつもりでいたのですが、執行部側の説明が終わり掛けた頃、火災報知器が鳴り出し、消防庁OBの私は「皆さん避難してください。」と発言することになり、他の議員らと共に党本部前の駐車場に避難しました。避難は、混乱もなく、適切でした。原因は不明で、異常は発見されませんでした。その後、総務委員会に出席し、地方税法一部改正案を審議しました。午後から、議員会館で、役所のレク受けをするとともに、党本部で、総務部会に出席しました。

 4月27日(水)は、早朝、議員定数等を議論する選挙制度調査会小委員会に出席した後、午前中、本会議に出席するとともに、予算委員会打ち合わせのため参議院自民党の幹部打合会に出席しました。その後、町村派参議院の清風会総会に出席しました。午後は、議員会館で、役所のレク受けなどで過ごしました。夜方、「一国一人の会」に出席し、谷垣自民党総裁らの話を聞きました。
 4月28日(木)は、午前中、総務委員会に出席し、いわゆる地域主権三法の審議を行いました。昨年にも一度審議した法案ですが、自民党が民主党のスローガンである「地域主権」という用語に抵抗し、1年掛かりで調整していたものです。結局、法案の題名も含め、「地域主権」という用語を全て法案から削除することになり、共産党を除く全ての会派が賛成し、可決されました。趣旨は、私の主張「『地域主権』何か変だ!」を参照してください。
 午後から、予算委員会理事懇に出席しましたが、前々回の委員会での海江田経済産業大臣の答弁を巡り、紛糾しました。結局、委員長裁定により、次回委員会の冒頭で大臣の陳謝を求めることになりました。その後、議員会館で、役所のレク受けをするとともに、党本部で、昨日に続き、選挙制度調査会小委員会に出席しました。夕刻、午後7時10分を回った頃、本会議が開かれ、第1次補正予算案の趣旨説明及び討論が行われました。菅総理の元気のない答弁は、本当に心配になります。
 4月29日(金)昭和の日は、連休中の予算委員会の審議に備え、東京の宿舎で待機休暇でした。衆議院で、予算委員会が開かれました。
 
 4月30日(土)は、午前中、院内で、翌日の予算委員会打ち合わせのための参議院自民党の幹部打合会に出席しました。午後から、予算委員会質問者の提出資料の調整などのため、一人議員会館に詰めていました。
 5月1日は(日)は、休日でしたが、東日本大震災対策のための第1次補正予算案の審議のため、予算委員会が開かれ、実質午前9時から午後5時まで、審査が行われました。自民党は、バラマキ施策の見直しなどを内容に含む自公民3党政調会長の覚書が締結されたため、補正予算案には賛成しますが、歳入面で国民年金からの2兆5千億円の取崩しなど賛成しがたい内容も含まれています。

 明日、補正予算案は、予算委員会で締めくくり質疑を行った後討論、採決、本会議に緊急上程され、全会一致で可決される予定です。(東京日程が中心でしたので、今週は、写真はありません。)    

   

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■大分市長選挙2 2011年4月23日(土)

    

 いよいよ統一地方選挙後半戦が始まりました。大分市と別府市では、現職新人激突の市長選挙が行われます。

 4月18日(月)は、終日、予算委員会で、東日本大震災の集中審議が行われました。自民党からは、異例ですが脇雅史国会対策委員長を立てるとともに、被災地選出の岩城光英、愛知治郎両氏を立てました。震災後初めて東京電力の清水社長を参考人として招致したので注目されていましたが、意外と質問は少なかったです。また、海江田経済産業大臣が、誰が現地対策本部長か分かっていないひどい答弁をし、ひんしゅくを買っていました。ということで、「止め男」の私も、二度ほど委員長席へ飛び出しました。

 4月19日(火)は、午前中、国会対策委員会に欠席届を出して、統一地方選挙対策のため、帰省しました。午後から、大分市内で、挨拶回りをしました。

 4月20日(水)は、午前から、麻生太郎元首相が、大分市長候補安部せいゆうさんの応援に訪れ、同市佐賀関町と森町で街頭演説をしました。大変な盛況でした。午後から、同市内で挨拶回りをしました。

 4月21日(木)は、午前中、大分市内の九州電力大分支社で、特にお願いして原子力安全対策の勉強会をしました。九電の緊急津波対策等について説明を受けるとともに、私から有事まで含めた安全対策についてお願いしました。
 午後から、自民党の小池百合子総務会長が、大分市長候補安部せいゆうさんの応援に訪れ、同市トキハ前、稙田ニュータウン及び野津原町で街頭演説をしました。一般市長選挙において、党三役の来訪は、極めて異例です。

 4月22日(金)は、終日、大分市内で、挨拶回りをしました。

 4月23日(土)は、午前中、大分市内各所で、自民党の確認団体車で街頭演説をしました。途中、夕刻安部せいゆうさんの応援パフォーマンスをを予定しているさくらチアーズの皆さんの練習風景を見学しました。小さい子供から大人まで本当に見事な演技でした。
 午後から、安部せいゆうさんの選挙カーに同乗し、市内一円で街頭演説を続けました。夕刻から、大分市中心部において、安部せいゆうさんと共に商店街を練り歩きました。そして、ガレリヤ竹町ドームにおいて、大分市長選のフィナーレを迎えました。

 明日の結果を楽しみに待ちたいと思います。県内各地の自民党推薦候補者によろしくお願いします。


   
   

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■大分市長選挙 2011年4月17日(日)

    

○統一地方選挙前半終了

 4月10日(月)は、午前中、由布市湯布院町で、陸上自衛隊湯布院駐屯地自衛官候補生課程入隊式に出席しました。前日の別府駐屯地での挨拶と同様、「自衛隊が国民の支えとなっているこの時期の入隊は、本当に意義深い。」と、御挨拶をしました。その後、新入隊者の皆さんと、昼食を共にしました。
 知事選、県議会選が終わり、私の顔も随分黒くなりました。午後から、久々の休暇を頂き、自宅近所の書店に出掛け、本を猟りました。夕刻から、大分市で、広瀬勝貞知事陣営の開票本部に出掛け、広瀬知事御夫妻をねぎらいました。開票速報が始まると、瞬時に当確が出され、万歳はせずに、かぼすジュースで乾杯しました。御当選おめでとうございます。ますますの御活躍をお祈りいたします。
 心配なのは県議選でしたが、開票が進むと、力を入れて応援した3人の新人候補のうち、豊後大野市と速見郡日出町の候補の落選が判明し、残念でたまりません。これで、自民党系はちょうど県議会定数の半数の22人となりました。厳しい結果です。大分県の選挙は、いつも全国の動向と反目になります。今後、県議会での会派の構成が課題となります。

○大分市長選挙前哨戦
 4月11日(月)は、早朝、大分市内で、挨拶回りをし、その後、大分市長選挙候補予定者安部省祐君の発起人会に出席しました。自民党県連が友好団体に呼び掛けて開催したものであり、多くの団体の代表者が集まりました。岩屋毅県連会長の挨拶の後、後援会長の私が挨拶しました。国会議員を代表し、衛藤征士郎衆議院副議長と衛藤晟一参議院議員が応援演説をしました。選対本部長に就任した穴見陽一さんが挨拶した後、前大分県議会議長の安部省祐さんが決意表明をしました。しっかりとした内容の挨拶でした。最後に、選対事務総長の秦野恭義大分市連会長が選対からのお願いをしました。締めの「勝つぞ」三唱は、県生活衛生同業組合理事長の野田皆子さんが音頭をとりました。大成功の世話人会でした。
 午後から上京し、議員会館で、先週地元にいたせいで、たくさんの連絡事項をいっぺんに聞きました。

○総務委員会
 4月12日(火)は、早朝、党本部で、総務部会に出席し、電波法等の一部改正案について政府の説明を聴き、賛成することにしました。午後から、総務委員会が開かれ、同委員会では久しぶりに質問に立ちました。総務省の震災対策が議題であり、私は、消防関係の質問をしました。その後、議員会館で、新聞記者の取材や政府のレク受けなどですごしました。
 4月13日(水)は、早朝、都内のホテルで、「大久良会(おおくらかい)」と称する記者懇談会に出席した後、午前中、議員会館で、雑誌記者の取材を受けました。正午から、院内で、予算委員会に関する党幹部との打ち合わせ会に出席し、その後、予算委員会理事懇に出席し、4月18日(月)に地震災害対策の集中審議を行うことを決めました。その後は、議員会館で、陳情や役所のレクを聞いて過ごしました。
 4月14日(木)は、早朝、党本部で、国家戦略本部第一分科会に出席し、電気エネルギー政策の課題について講演を聞きました。その後、党災害対策本部に出席し、救援募金が1億7,000万円余り集まったと報告がありました。午後から、院内で、鈴木議院運営委員長と面会し、その後、議院会館で、創生日本の総会に出席し、緊急声明「敢えて問う、管政権で国難を克服できるのか!(pdf)」及び「竹島の不法占拠強化に抗議する声明(pdf)」を決議するとともに、今回の原子力災害に関する講演を聞きました。その後、沖縄県の陳情を聞いた後、参議院改革本部に出席し、選挙制度改革について議論しました。

○安部せいゆう決起大会
 4月15日(金)は、午前中、本会議に出席し、東日本大震災に対する国際的支援に感謝する決議案等を可決しました。正午から、党参議院の全議員懇談会に出席し、地震災害対策等について議論した後、看護問題対策議連に出席しました。その後、帰省し、夕刻、大分市で、同市長選挙候補予定者の「安部せいゆうを励ます会」に出席し、大分文化会館を埋め尽くす満場の出席者の中、後援会長として挨拶しました。羽田空港から同行した同僚の三原じゅん子参議院議員が素晴らしい応援演説をしてくれました。安部さんの決意表明も、良かったです。あと9日、がんばります。
 4月16日(土)は、午前午後と、日田市で、同市議会議員候補予定者の皆さんの事務所を訪ね、激励しました。夕刻、大分市で、足立義弘同市議会議長の就任祝賀会に出席しました。挨拶の中で、同氏の功績を讃えるとともに、奥様をねぎらいました。
 4月17日(日)は、早朝、大分市で、同市長候補安部せいゆう君の春日神社で行われた出陣の神事に参列した後、同君の選対事務所前で行われた出陣式に参加し、後援会長として冒頭の挨拶をしました。「時代は変わった。市民は、停滞から変化を求めている。」と、安部君への支持を訴えました。その後、同市で、同市議会議員補欠選挙候補者の工藤てつひろ君の出陣式に出席し、来賓挨拶をしました。その後、翌日の予算委員会に備え、上京しました。

 月曜日の予算委員会では、東京電力社長の清水さんを参考人として招致することになっています。    

   

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■県議会議員選挙 2011年4月9日(土)

    

 間もなく大震災発生1か月を迎えます。被災者の皆さんは、大きな余震が続く中で、不便な生活を強いられています。仮設住宅の建設を急ぎ、安心して生活できる環境を整える必要があります。原子力災害は、多量の汚染水の発生に伴い、対策が進行していません。本当に国家の総力を挙げ、被災地の復旧・復興と原子力災害の鎮圧に努めなければなりません。

○激戦続く
 4月4日(月)は、午前中、臼杵市で、志村学県議会議員の選挙事務所で激励の御挨拶をした後、同市野津町で志村さんの選挙カーに同乗しました。その後、大分市で、大分市長選挙の打ち合わせや挨拶回りを行い、午後から、同町に戻り、夕刻まで志村さんの選挙カーに同乗しました。
 4月5日(火)は、午後から、玖珠町で、濱田洋県議会議員の選挙カーに同乗しました。夕刻から、同町で、濱田さんの個人演説会に出席し、応援演説をしました。
 4月6日(水)は、午前中、大分市で、挨拶回りをし、午後から、日出町で、県議会議員候補上野公則さんの選挙カーに同乗しました。夕刻から、同町で、上野さんの個人演説会に出席し、応援演説をしました。その後、大分市で、自民党同市連幹部と大分市長選挙に関する打ち合わせをしました。
 4月7日(木)は、午前中、大分市で、挨拶回りや県議会議員候補の選挙事務所の訪問を行い、午後から、別府市で、県議会議員候補の選挙事務所の訪問を行いました。その後、大分市で、自民党同市連幹部と大分市長選挙に関する打ち合わせをしました。夕刻から、同市で、親戚のお通夜に参列しました。その後、大分事務所で、陳情を聞きました。
 4月8日(金)は、午前中、津久見市で、県議会議員候補古手川正治さんと保戸島に連絡船で渡り、町を歩きながら街頭演説をしました。その後、市内に戻り、同市議会議員候補の事務所を激励に歩きました。午後から、大分市で、親戚の葬儀に参列した後、津久見市に戻り、同市議会議員候補の事務所を激励に歩きました。
 4月9日(土)は、午前中、別府市で、陸上自衛隊別府駐屯地自衛官候補者入隊式に出席し、「被災地で、自衛官の皆さんは、風呂にも入れず、冷たい缶詰を食べてがんばっている。心から敬意を表したい。」と、御挨拶しました。午後から、豊後大野市で、県議会議員候補浅野益美さんの選挙カーに同乗し、夕刻、ファイナルで御挨拶しました。

○大分市長選挙
 大分市長選挙は、現職の釘宮磐さんに、前大分県議会議長の安部省祐(せいゆう)さんが挑戦することとなり、久々の激戦が予想されます。私は、自民党大分県連及び大分市連を代表して、安部省祐さんの連合後援会長に就任しました。現職への挑戦であり、民間の皆さんに御迷惑を掛けてはということで、政治家の私が後援会長に決まりました。釘宮市長(63歳)は大分舞鶴高校の10期先輩、安部省祐さん(51歳)は同校の2期後輩。初めての舞鶴対決です。
 大分舞鶴高校出身の政治家が相当増えてきており、二大政党制の下では、こういう事態もいずれ来ることを覚悟していました。釘宮市長の後援会ばん友会の代表世話人は、これまた同校16期先輩の阿部孝士さん。私の高校時代3年間のクラス担任です。同校出身者の間では相当因果めいた話になってきましたが、仕事は仕事と割り切って精一杯務めなければなりません。
   
   

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■統一地方選挙 2011年4月3日(日)

    

 東日本大震災の被災地では、救援物資が被災者の皆さんにまだまだ十分に行き渡っている状況ではありません。福島第一原発の原子力災害は、収束というよりも、むしろ拡大している状況にあります。政治がしっかりとその責任を果たし、一刻も早く安心した生活を住民の皆さんがおくれるよう十分な施策を講ずる必要があります。そんな中で、「大連立」などという声もありますが、災害の応急復旧が完了するまではそれに全力を尽くすのが政治家の仕事です。

○締めくくり総括
 3月28日(月)は、午前午後と、予算委員会で、一般質疑を行いました。与党民主党が質問を放棄したため、野党だけで一巡の質疑となりました。やはり、震災対策、原発事故対策が質疑の中心になりました。
 3月29日(火)は、午前中、予算委員会で締めくくり総括質疑が行われ、歳入関連法案が参議院に送付されていない中で、極めて遺憾ではありますが、討論、採決が行われました。自民党の代表質問に私が立ちました。その日は震災後初めて菅総理が答弁席に座ることから、どのようなトーンで質問するか、前日までに慎重に検討しました。結局、「国民が本当に聞きたがっていることは、遠慮なくただそう。」ということにしました。そのため、やや厳しめの質問になりました。質問が終わって意外だったのは、与党民主党の議員から、「私たちの言いたいことを言ってくれた。」という多くの声が掛かったことです。
 質問がニュースになるときは、いつも激励のメールとともに抗議のメールがたくさん届きます。その日もそうでした。どうもお昼のNHKニュースで私の質問が流されたらしく、自分では見ていませんが、おそらく一番厳しめの部分が流れたのでしょう。「この非常時に政府に協力をしないとは何事か。」という趣旨の御意見をたくさん頂きました。
 私たちは、谷垣総裁から、「政府の復興施策には全面的に協力するように。」「菅総理の明鏡止水の心持ちを乱してはならない。」と、指示されています。だから、民主党の「政治と金」の問題のような話は、一切遠慮しています。しかし、災害対策については、国会でしっかりと議論しなければなりません。こういう国難の時に、国民が一致団結、協力しなければならないという気持ちになるのは、正に日本人の美風です。でも、それが高じて「文句の言うのは、一切けしからん。」というのでは、また時代を遡る感じがします。
 採決の結果、全野党が反対し、予算案は否決されました。午後の本会議に予算案は緊急上程され、同様に否決されました。しかし、両院協議会を開催しても成案は得られなかったことから、憲法の規定により衆議院の議決が優越し、当該予算案は成立しました。予算委員会理事として初めての当初予算であり、大震災という事態の中で1週間ほど審議を中断しましたが、一応の役割は果たせたものと、ほっとしています。今後、震災復興のための補正予算がすぐに送られてきます。国民の負託にしっかりと応えられるよう、がんばらなければなりません。

○つなぎ法案
 3月30日(水)は、午前午後と、総務委員会が開かれ、地方交付税法一部改正法案と自公が提出したいわゆる税制改革つなぎ法案が審査されました。地方交付税法は、「大災害時に特別交付税の交付割合を引き下げるのはおかしい。」という自民党の主張を与党が受け入れ、特別交付税割合の引下げは3年間延期されることとなったので、全会一致で可決されました。税制改正法案が、予算案の可決後になってもまだ衆議院から送付されないというのは、極めて異例ですが、つなぎ法案は、多数の賛成で可決されました。
 3月31日(木)は、午前中、昨日に引き続いて総務委員会が開かれ、NHK予算案等が審査され、新会長選任に当たってのごたごたなどが質問されました。午後から、本会議が行われ、日切れ法案等の採決が行われました。そこで、事件が起きました。民主党は、子ども手当の額を引き上げるための法案を撤回し、昨年度同様の支給を9月まで延長するいわゆる子ども手当つなぎ法案を提出しました。自民党は、「バラマキ財源は、震災復興に充てるべきだ。」と批判していました。採決の結果、反対のみんなの党から造反議員が出て賛成120票、反対120票の可否同数となり、西岡議長の裁決により可決とされました。国会の本会議で可否同数となったのは、現憲法下で2回目だそうです。あわせて、震災復興のため、国会議員の歳費を半年間毎月50万円削減する法案も、可決されました。

○県議選始まる
 4月1日(金)は、前半の統一地方選挙の県議会議員選挙が公示されました。早朝、豊後大野市で、新人である浅野益美前市議会議員の出陣式に出席しました。「東日本を支えていくため、県政もこれから大変になる。この地域をしっかり支えることができる候補を選ぼう。」と御挨拶しました。その後、夕刻まで、浅野候補の選挙カーに同乗し、同市一円を回りました。
 4月2日(土)は、午前午後と、日出町で、前町議会議員の上野公則候補の選挙カーに乗って、同市の中北部を回り、何度か街頭演説をしました。途中、午後、大分市の自民党県連事務局に所属国会議員らが集まり、大分市長選対策について議論しました。
 4月3日(日)は、午前午後と、杵築市で、統一地方選挙同市議会議員候補予定者の皆さんの応援のため、同市一円を回りました。現在のところ、定数20人に対し、21人が立候補を表明しているそうです。

 今週は、被災地の皆さんには本当に恐縮ですが、地元で統一地方選挙の応援や準備に努めます。
   
   

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■救援募金 2011年3月27日(日)

    

 東日本巨大地震の発生から3週目を迎えました。被災地への救援物資の輸送がある程度円滑化してきましたが、まだ十分な捜索活動や救援が行われているという状態ではありません。また、福島第一原発では、なお予断を許さない事態が続いています。東北や関東において、放射性物質による飲み水等への影響が確認されています。国民を上げて被災地の支援に努力しなければならない時に、買いだめ等の現象が見られるのは、残念でなりません。

○予算委員会再開
 先週は、いつまでも予算案の審議を棚上げしておくわけにもいかないので、予算委員会を再開しました。
 3月22日(火)は、午前午後と、予算委員会一般質疑を行いました。自民党は、震災前に予定していた質問を組み替え、被災地出身の議員を中心に6人の質問者を立てて被災地の実情を訴えることとしました。福島県出身の森まさこ委員は、ずっと涙ながらに被災地の窮状を語っていました。いつもにない、静かな予算委員会でした。
 3月23日(水)は、早朝、超党派の危機管理都市推進議員連盟に出席し、東京大学の諸葛宗男教授に福島第一原発の状況について、話を伺いました。その後、午前午後と、予算委員会公聴会に臨みました。公聴会は、予算審議で必ず行わなければならないものとされています。その日は、経済・財政・社会保障で3人、外交・防衛で3人の公述人が立ちました。学者の方が多いのですが、皆さんなかなか迫力のある方ばかりであり、今までの公聴会にない大変熱のこもったものとなりました。本当に勉強になるので、お時間のある方は、是非参議院ホームページからビデオを御覧ください。

○総務委員会
 3月24日(木)は、午前中、特別委員会で予算案の委嘱審査が行われました。私は、特別委員会に属していないので、他の用務を行っていました。午後から、総務委員会で、片山総務大臣の所信に対する質疑が行われました。この日は、地方交付税法一部改正案の趣旨説明が行われる予定でしたが、「税制改正法案が参議院に送付されていないのに、どうして地方交付税法の審議ができるのだ。」と自民党が反発し、お流れになり、公害財特法一部改正案だけの趣旨説明となりました。
 3月25日(金)は、午前中、予算案の委嘱審査のための総務委員会が開かれ、野党各党が質疑に立ちました。質疑終了後、公害財特法一部改正案の採決を行い、全会一致で可決すべきものと決しました。午後は、消防庁から福島第一原発における消防の活動状況等についてレクを受けました。東京消防庁隊員の放射線カウンターを胸に付けての放水活動、本当に頭の下がる思いです。

○救援募金集まる
 昨日は、一日中、中津市で、統一地方選挙同市議会議員選挙候補予定者の皆さんの所を応援に回りました。話は、やはり東日本巨大地震と福島第一原発事故のことになります。保守系会派では、選挙運動の一部自粛を申し合わせようとしています。静かな選挙になりますが、どうか御健闘ください。
 本日は、午前から午後にかけて、大分市トキハ前で、私の後援会及びスタッフに自民党サポーターの協力を得て、自民党東日本巨大地震・津波被災者救援募金を行いました。本当に多くの皆さんの御協力により、12万円を超える募金がありました。ありがとうございました。心から御礼申し上げます。大分県知事選挙が公示されており、規定により演説はできないのですが、それでも2時間にわたって呼び掛け続け、終わってみたら足がガクガクになっていました。

 今週は、明日月曜日、予算委員会で一般質疑を行います。与党民主党は質問せず、野党だけの質問になります。当初予算案の審査に係る一般質疑は、これが最後になる見込みです。
   
   

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■東日本巨大地震 2011年3月20日(日)

    

 福島第一原発における自衛隊、警察、消防、海上保安庁などによる給水作業が一定の効果を収めており、幾分ほっとしているところです。しかし、まだ予断をもって論じられる段階ではありません。被災者の救援のためガソリンなどの救援物資の輸送に最大限の努力するとともに、原発事故の早期沈静化を図らなければなりません。
 先週は、巨大地震関連の調整事務に追われました。その一部はトップページの「私の主張」の中で書いたので、この「活動記録」は休載させていただきます。
 今週は、22日火曜日から予算委員会を再開し、被災地の救援を中心とした課題について議論を行います。そうした活動を通じ、国会議員としての役割をしっかり果たしてまいります。
   
   

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■東北関東大震災 2011年3月13日(日)

    

 大変な大地震が発生しました。亡くなられた方に心から哀悼の意を表するとともに、災害に遭われた方に心からお見舞いを申し上げます。今は、一刻も早く、生存者の皆様の救出と救援に努めるとともに、被災状況の正確な把握が重要です。国の総力を挙げて、災害復旧に努めなければなりません。(以下の文章は、災害発生前に記述した部分も含まれているので、御了承ください。)

○前原辞任
 今週は、前日の前原外務大臣の辞任のニュースで明けました。参議院予算委員会の初日に前原さんの政治と金の問題を追及したばかりだったので、極めてスピード辞任だったと言えるでしょう。外務大臣の外国人違法献金問題も重大ですが、おそらくそれだけでこんなスピード辞任につながったとは、思えません。我が党が指摘した暴力団関係者からの献金の問題なども、引き続き、追及する考えです。
 3月7日(月)は、予算委員会で、前週金曜日の基本的質疑に続いて、2日目を行いました。この日は、公明党などの少数会派の質疑だったので、比較的順調に運びました。
 3月8日(火)は、予算委員会で、総理入り一般質疑を行いました。一般質疑には、通常総理は出席しないのですが、この日は、特別です。自民党からは、片山さつき、山田俊男、山谷えり子各委員が立ち、それぞれの持ち味を活かした素晴らしい攻めをしました。
 夕刻から、衆議院長野県第2区で再挑戦する自治省先輩の務台俊介さんのパーティーに出席した後、町村派参議院の政策グループ清風会の総会に出席しました。懇親会終了後、同僚の西田昌司参議院議員と2次会に行ったところ、前原外務大臣を辞任に追い込んだ後でもあり、大人気でした。

○質問に立つ
 3月9日(水)は、予算委員会で、一般質疑を行いました。自民党では、私がトップバッターに立ち、中国船衝突ビデオの全面公開について大畠国土交通大臣に、第3号被保険者運用救済問題について細川厚生労働大臣に、防衛次官通達の即時撤回について北沢防衛大臣に迫りました。あわせて、外務省菊田政務官に、アメリカ国務省メア日本部長の講演問題について、糾しました。民主党の大臣の皆さんは、質問をして論理が詰まっていても、逃げの答弁ばかりを繰り返します。本当に度量というものがありません。それでも、一定の詰めを行い、議論を進めることができたものと考えます。
 私の後、昨年初当選の宇都隆史、長谷川岳両委員がデビュー戦に立ちました。若々しい力強い追及で、良かったと思います。トップページに掲げていますが、長谷川さんの質問で、経産省作成のTPP広報資料の中にその最終目標を「次期米国大統領選挙」としているものがあることが判明しました。TPPがいかにアメリカ寄りの政策であるかということを、まざまざと示した資料です。これには、海江田経済産業大臣は、ぐうの音も出ませんでした。
 夕刻から、道州制懇話会議員懇親会に出席しました。その席で、小池百合子総務会長から「石原慎太郎都知事は、再出馬する。」という内緒の話を聞きました。

○集中審議
 3月10日(木)は、予算委員会で、午前中、一般質疑を行い、民主党が質問に立ちました。他党の質問にケチをつける気はありませんが、与党民主党は、いつまでたっても、自民党批判をやめません。「与党になったら、頭を下げてお願いするものだ。」ということが、全く分かっていません。困った政党です。
 午後から、社会保障に関する集中審議を行いました。集中審議は、総理入り、テレビ入りで、行われます。自民党からは、ベテランの世耕弘成、宮沢洋一両委員が立ち、相当に鋭い質問を行い、細川厚生労働大臣はたじたじでした。第3号被保険者運用救済問題について、私の質問で岡本政務官が課長通達を知っていたことが判明していましたが、「担当課長を更迭しておいて、なぜ政務官を更迭しないのか。」など、厳しく追及しました。
 私は、テレビに出るつもりはなかったのですが、枝野官房長官が指名もされてもいないのに何度もでしゃばり答弁をするので、委員長席に詰め寄り、枝野さんに「官房長官なら、もっと常識的に対応しろ。」と叱りつけました。

○沖縄出張
 3月11日(金)は、決算委員会で全大臣出席、テレビ入りの総括質疑が行われるので、予算委員会は行われません。私は、その間、沖縄出張です。自民党沖縄振興特別委員会の幹事兼法制主査を務めています。午後、那覇到着後、沖縄県庁で、上原副知事を表敬訪問し、メア氏発言問題などについて意見交換しました。その後、来年度末で期限切れを迎える沖縄振興特別措置法に替わる新立法について、企画部長らから、約3時間にわたって沖縄県の要望を聴きました。
 その間、東北で震度7の地震が発生した旨の報告が入りました。途中で、党国会対策委員会から、来週月曜日の予算委員会を中止したいので、手続をとってほしい旨の連絡が入りました。さらに、地元大分県でも、津波警報に伴う避難勧告が出されたと連絡があり、大分事務所と連絡をとりました。東京事務所の秘書は議員会館で、妻は勤務先の保育園で足止めされていると、メールがありました。東京も、大変な状況であることを知りました。
 夕刻から、那覇市内のホテルで、テレビを見ていましたが、悲惨な状況の場面は繰り返されましたが、どうも被害の全体像がつかめません。ツイッターをフォローして情報の収集に努めました。夜半になって、何か想像を絶するような大きな被害が生じていることが分かってきました。一刻も速い救援が必要です。消防庁OBの私としては、何かをしたいのですが、出張先でままなりません。
 昨日は、長野県でも強い地震があったと聞き、東日本の状況が気になって仕方ありませんが、休日にもかかわらず、視察をお願いしていたので、予定どおりの行動をとることにしました。午前中は、沖縄県恩納村で、沖縄科学技術研究基盤整備機構を訪れ、理事のロバート・バックマンさんに大学院大学構想について、伺いました。沖縄の素晴らしい海が一望に見渡せる台地に同所はあり、来年9月の開学を目指しています。ライフサイエンスを中心とした5年間一貫の博士課程コースで毎年20人の俊英を入学させます。役員はノーベル賞受賞者らが名を連ね、今後は物理学の教員を中心に募集するそうです。
 午後から、那覇空港で、全日空貨物センターを訪ね、同社の黒田太津夫さんに話を伺いました。大型の貨物ヤードを整備し、沖縄を航空貨物の積み替え拠点とすることにより、アジア向けの貨物の搬送時間を半日短縮できるそうです。アジアの各空港から0時過ぎに貨物機が到着し、2、3時間で積み替え作業を行い、早朝にはアジアの空港に到着するそうです。したがって、多くの職員の皆さんは、深夜勤務しています。
 その後、沖縄を後にして、福岡空港へ向かいました。博多大分間の特急ソニック号も、津波警報のため途中で運転を打ち切っていましたが、直前に注意報に変更されたため大分駅まで直行できました。

○上京
 本日は、午前中、杵築市で、同市議会議員候補予定者冨来征一さんの総決起集会に出席しました。党本部から、統一地方選挙の応援自粛が指示されているので、政局の話は避け、ほとんど今回の大地震に関する話をしました。その後、豊後大野市三重町で、自民党三重町支部総会に出席しました。ここでも、大地震の話が中心になりました。その後、明日からの国会運営について協議するため、上京しました。宿舎では、本やCDなどが棚から飛び出していましたが、幸い壊れたものはありませんでした。

 まだ災害の全容は判明していませんが、これだけの大災害になると、何をどうすればいいか的確に理解している人は、少ないものと思います。早晩、補正予算の編成や特別措置法の制定などが必要になりますが、そこまで行き着くまでに、被災状況の把握が欠かせません。今の政府の体制でそれが可能か、真剣に議論をしなければなりません。
   
   

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■予算委員会 2011年3月6日(日)

    

○予算審議始まる

 参議院で予算案の審議が始まりました。そうした中で、先週は、いろいろなことがありました。予算委員会も、ようやく3月4日(金)に開かれ、議論が始まりました。予算委員会理事を務めており、自ら質問するほか、自民党の質問者のオーダーを決めたり、質疑日程の協議や野党調整をするのも、私の仕事です。もちろん幹部と相談しながら決めていくのですが、結構大変な仕事です。

○新憲法慣例
 3月1日(火)は、未明まで,衆議院で、徹夜国会が行われ、中井予算委員長の解任決議案が否決された後、予算案が採決に付されて賛成多数で可決され、参議院に送付されてきました。ここで、問題が起きました。予算案は送付されましたが、税制改正法案や公債特例法案などの歳入関連法案が同時に送付されないという異例な事態となったのです。民主党は、参議院でこれらの法律が可決される見込みがないと判断し、衆議院で棚上げしたのです。そのため、参議院議院運営委員会では、予算案を受け取るべきかどうか、大議論になりました。
 これと並行して、夕刻から、予算委員会理事懇を開き、順調ならば、翌2日及び3日に全大臣出席の基本的質疑を行うことを一旦決めましたが、その間、西岡参議院議長が「その日は、予算案を受け取らない。」旨声明したので、2日は予算委員会を開かないこととなりました。憲法には、参議院が30日間予算案を議決しないときは衆議院の議決による旨が定められていますが、期間の初日が「衆議院の可決後」ではなく、「参議院が受け取った後」と定められているので、こんな話になったのです。法律屋の立場としては「うむ」という所もありますが、西岡議長が「優れて政治的な判断だ。」と言っているので、「それでいいのだ。」と考えています。

○与党審議拒否
 3月2日(水)は、予算委員会筆頭理事間で、質問時間の割り振りを断続的に議論しましたが、民主党理事が前日から少数会派の質問時間を減らすように無理難題をふっかけてきているので、協議は難航しました。夕刻になって、少数会派の時間については与党が譲歩してきましたが、民主党と自民党の質問時間は同じでないと駄目だと民主党が言い張り、筆頭理事間の協議は、決裂しました。そこで、野党側は、野党理事懇談会を開催し、少数会派の質問時間を確保するならば、民主党及び自民党の質問時間は委員長の裁定に委ねる旨、前田予算委員長に申し入れることを決定しました。
 これを踏まえ、午後7時20分に理事懇が招集されたのですが、理事会室に委員長も与党理事も誰一人姿を現さないまま、自民党脇国対委員長から「民主党羽田国対委員長が明日の予算委員会は流すと言っている。」との連絡が入りました。与党による前代未聞の審議拒否が現実のものになったのです。どうも、聞くところによると、前日の西岡議長の判断に対する民主党最高幹部の意趣返しがあったようです。そのため、やむなく、3日の予算委員会も開かれないことになりました。

○委員長横暴
 3月3日(木)は、早朝から、私が、前田予算委員長に委員会の開会を求める申入れをするため、全野党委員の署名を求めて回りました。3分の1以上の委員の要求があれば、委員長は、会議を招集しなければなりません。野党は、過半数を超えているので、全く問題ありません。午前中、議員会館に、県農業法人会の皆さんが訪れ、農業問題について議論しました。正午に、予算委員長に対し、全野党理事から、翌4日に委員会を開くことを申し入れました。その後、随分時間が掛かりましたが、ようやく午後4時に理事懇が招集され、翌日の委員会開催が決定され、ここでまた事件です。質問時間の裁定を委ねられた委員長が、自民党案を全く無視して、民主党案のままで押し切ったのです。私から、「裁定というのは、間を取ることを言うのだ。民主党案で押し切るのは、委員長の横暴だ。それなら、明日の委員会で採決で決めよう。」と発言しましたが、協議は整わず、理事懇は散会しました。

○やっと予算委員会開会
 3月4日(金)は、私は、委員会冒頭質問時間変更動議を出す構えでいましたが、最終的には、「自民党は、大人の態度をとろう。」ということで、動議は出さないことにしました。民主党に、予算委員会は野党が多数であることを思い出させただけで、十分な効果がありました。その後の予算委員会については、テレビ中継されたので、御覧いただいた方も多いでしょう。自民党は、満を持して総攻撃を仕掛けました。小坂幹事長、山本政審会長や林副会長が菅内閣の政治姿勢について鋭く追及しました。世耕幹事長代理が細川厚労大臣に年金運用救済問題を、森委員が藤井副長官に多額の不明金問題を、西田委員が前原外務大臣に外国人献金問題などを質問しました。大きな戦果が得られました。
 決して意図的ではありませんが、委員長の変な裁定により自民党の質問時間が30分削減されましたが、閣僚のしどろもどろな逃げ回った答弁のせいで答弁時間を含めた自民党の質問時間は、結局1時間30分も超過しました。

○別府病院
 昨日は、午前中帰省し、午後から、大分事務所で、スタッフと打ち合わせをした後、豊後大野市三重町で、県議会議員候補予定者浅野益美さんの応援のため、街頭演説を2か所で行いました。街宣車を使ったので、久ぶりの選挙モードの演説となりました。夕刻から、別府市で、自衛隊別府病院設立37周年記念式典に出席しました。同病院は、温泉治療が特徴であり、全国から隊員が療養に訪れます。「自衛隊員の健康管理に本当に御尽力いただいている。今後は、心のケアなど予防医療が重要になってくる。」と、御挨拶しました。
 本日は、午前中、大分市内及び別府市内で、県議会議員候補予定者の事務所を応援に回り、午後から、日出町で、県議会議員候補予定者上野公則さんの応援のため、街頭演説を行いました。本日も、かなりの選挙モードです。その後、明日の予算委員会に備えて上京しました。

 予算委員会の審議途中、菅総理は、何度も虚ろな眼で天を仰いでいました。見ていると、痛々しい感じがします。政権の末路は、近いでしょう。今週は、7日(月)が基本的質疑の続きで、民主党と自民党以外の野党が質問します。8日(火)は、総理入り一般質疑が行われます。そこまで、決まっていますが、その後も連日質疑を行う考えです。参議院は、政府を休ませません。    

   

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■風の郷 2011年2月28日(月)

    

 ニュージーランドクライストチャーチで、救助活動が続いています。一刻も早い救出をお祈りします。クライストチャーチは、一度訪れたことがありますが、とても美しい町です。地震の恐さを改めて感じました。
 お気付きと思いますが、今年から、東京での議員活動について、詳しく報告させていただいています。そういう御要請をいただいたこともありますが、マスコミが正確に報じない政治の現場について、皆さんに御理解いただきたいと思いました。そのため、多少文章が冗漫になりますが、私の活動を正確に伝えていきたいと考えます。

○自民党県連大会
 2月21日(月)は、午前中、大分市で、企業関係の挨拶回りを行い、その後、自民党県連総務・支部長・幹事長合同会議に県連副会長として出席しました。午後開催される県連年次大会の議案を審議するのが目的です。「民主党を解散総選挙に追い込もう。」と、御挨拶しました。午後から、第57回自民党県連年次大会に出席しました。岩屋毅県連会長の挨拶の後、広瀬勝貞県知事、安部省祐県議会議長、竹中万寿夫公明党県本部代表、姫野清高大分商工会議所会頭が祝辞を述べました。式典の後、麻生太郎元総理が特別講演を行いました。分かりやすいお話しでした。統一地方選挙公認候補予定者等が紹介され、勝つぞ三唱で大会を閉じました。その後、大分空港に急行し、上京しました。
 2月22日(火)は、午後から、党本部で九州国会議員の会、議員会館で参議院政策審議会に出席しました。その後、会館で、総務省のレク等を受けました。夕刻から、道州制懇話会設立準備会に出席した後、党本部で、日本保育協会青年部の皆さんとの懇親会に臨みました。その後、都内のホテルで、マスコミの皆さんとの懇親会である大久良会に出席しました。

 2月23日(水)は、早朝、党本部で、TPP参加の即時撤回を求める会に出席しました。公共事業の市場公開について、議論しました。午前中、事務局次長を務める行政改革本部総会に出席し、内閣府から規制緩和の動向について説明を聴きました。その後、議員会館に戻り、NHK経営委員会の井原理代監査委員からNHK会長人事に係る情報管理の在り方について、説明を受けました。午後から、党本部で、参議院政策審議会に出席し、動物愛護法の改正方針について、環境省から説明を聴きました。三原じゅん子さんが事務局長を務めています。その後、日本の前途と歴史教育を考える会に出席し、社会科教科書の問題点などについて議論しました。また、ウイグルの現状に関する懇談会に出席し、日本ウイグル協会から中国ウイグルの状況について説明を受けました。
 引き続き、行政改革本部幹部会に出席した後、議員会館に戻り、全国銀行協会から住民基本台帳カードの取扱いについて説明を聴くとともに、防衛省から懸案事項のレクを受けました。その後、党本部で、公務員制度勉強会に出席した後、町村会館で開催されている離島振興懇談会に出席し、御挨拶しました。姫島村の藤本村長も出席しており、親しく会談しました。夕刻から、党本部近くの中華料理店で、清和政策研究会事務所移転祝賀懇親会に出席しました。

○予算委員会近づく
 2月24日(木)は、早朝、党本部で、TPP参加の即時撤回を求める会に出席し、JC総研理事長から、TPPを巡るアメリカ国内の議論について、説明を受けました。その後、農業・畜産・酪農対策小委員会に出席し、農林水産省から、米価の低迷に伴う戸別所得保証の追加措置、飼料原料の高騰に伴う影響などについて、説明を受けました。また、清和政策研究会政策委員会に出席し、東京大学副学長田中明彦さんから、国際的なGDPシェアの歴史的変動などについて、講演を聞きました。その後、保育関係者との緊急懇談会に出席し、民主党の進める急激な幼保一元化に反対する決議案を決定しました。
 午後から、党本部で、清和政策研究会総会に出席しました。その後、院内で、国会対策委員会と予算委員会理事の合同会議に出席し、衆議院から予算案が送付された後の取扱いについて、協議しました。そのため、日本消防協会が主催する消防団表彰式に急きょ出席できなくなり、失礼しました。今年の「纏」を受賞された団体に敬意を表します。その後、議員会館に戻り、衆議院法制局と、地方議員年金法案について、議論しました。また、院内で、3時間ほど時間を掛けて、川口順子、島尻安伊子両参議院議員及び参議院法制局と、沖縄振興特別措置法案について、骨格を議論しました。夕刻から、都内で、国会議員の懇親会に出席しました。

 2月25日(金)は、春一番の暖かい日でした。早朝、党本部で、「自民党政治総括」部会に出席し、「政治と金」の問題などを議論しました。私は、「政治家個人が金を集めることを全面的に禁止してはどうか。」と、発言しました。午前中、「4月28日を主権回復記念日とする議員連盟」に出席しました。昭和27年の同日は、前年9月8日に調印したサンフランシスコ講和条約の発効した日であり、米軍等が占領軍から駐留軍に変わった日でもあります。
 午後から、党本部で、厚生労働・総務合同部会に出席し、国民健康保険第3号被保険者の保険料未納問題について議論をしました。一定の救済は考えなければなりませんが、厚生労働省は、事態を隠匿し、法律の改正によらず、運用によって保険料の免除をしようとしたことは、法治国家として極めて問題です。今後、細川厚生労働大臣の責任を追及していきます。その後、総務省から、国勢調査に基づく選挙区人口の変化について、説明を受けました。

○風雪会
 2月26日(土)は、午前中、杵築市山香町で、同町観光協会を訪れ、会長の松原保則さんから、同町の観光の現状について、お話を伺いました。同町の山香温泉風の郷は、平成12年の開業後10年を迎え、現在の利用客数は当初よりも減少しているものの、年間18万人を超え、まずまずというところです。その後、松原さんと風の郷を訪ね、甲斐竜彦支配人に御案内いただきました。宿泊室の中には、障がい者が車椅子のまま入浴できる温泉浴室を備えているものが2室あり、利用価値が高いと感じました。大浴場には、広い露天風呂や源泉掛け流し風呂もありました。その後、同市で、菊栽培農場のフローリストきつきを訪ね、代表取締役の藤原弘文さんにお話を伺いました。大きなハウスで125アールもの菊の栽培を行っており、年間を通じて全国の需要に応えています。原油の高騰により暖房費がかさみ、施設の更新に資金が掛かるのが悩みということです。菊は、切り花のままで1週間ほど冷蔵保存できるそうです。
 午後から、同市で、中央保育園を訪ね、園長の木元洋一さんからお話を伺いました。県内でも、有数の大型保育園であり、200人を超える園児が通っています。園舎も、通路部分が開放されている斬新な作りであり、広い園庭と合わせて、県内随一の規模ではないでしょうか。その日は、発表会の日で園児が退園しており、保育士の皆さんに御挨拶させていただきました。その後、同市内で、挨拶回りをしました。夕刻、午前中訪ねた風の郷の温泉が気になり、もう一度訪ねて入浴することにしました。3月一杯まで、ふだん500円の入浴料が350円に割引きされていました。塩泉で、肌がつるつるになりました。

 昨日は、午前中、由布市湯布院町で、近藤和義県議会議員の事務所開きに出席しました。近藤さんは、県議会自民党で農業の第一人者です。私たち来賓の挨拶も、勢いTPP反対という話になりました。4期目の挑戦になりますが、今のところ定数を超える立候補の動きはありません。ただし、前回は公示直前に立候補表明があったので、気を緩めることができません。午後から、大分市トキハ前で、街頭演説をしました。最近は、聴衆の感触がよく、用意したビラがすぐになくなりました。
 夕刻から、別府市で、風雪会設立50周年記念パーティーに出席しました。「風雪会」は、元郵政大臣、故佐藤文生衆議院議員の秘書の皆さんの会です。私は、佐藤先生を直接存じ上げませんが、京極純一教授のゼミでジェラルド・カーチスさんの「代議士の誕生」を教材として佐藤先生のことを学んだ記憶があります。もちろん現在の風雪会の皆さんには、大変お世話になっています。前半は、衛藤征士郎衆議院副議長、岩屋毅県連会長、衛藤晟一参議院議員と共に最近の政治状況を巡ってパネルディスカッションをしました。後半は、300人を超える皆さんとの懇親会です。最後にカラオケを1曲歌わせていただき、楽しい会になりました。

 本日は、衆議院での予算案採決を巡る緊迫した情勢の中で、国会対策委員会から緊急の招集がかかり、早朝の便で上京しました。正午から、衆議院内で、谷垣総裁を交えて衆参国会担当者が集合し、この後の方針について、協議しました。与党・民主党は、予算案と税制改正法案や公債特例法案などの予算関連法案を切り離して、予算案だけを参議院に送付するという前代未聞のことをしようとしています。国会審議を軽視すること甚だしいと思います。
   
   

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■大分出張 2011年2月20日(日)

    

○ガンダム

 2月14日(月)は、午後から、議員会館で、出版社と打ち合わせしました。昨年の常用漢字表の大改正に準拠した「分かりやすい公用文の書き方」の改訂版を既に出版し、「分かりやすい法律・条例の書き方」の改訂版を2月中に出版する予定としています。是非御利用ください。その後、党本部で、行政改革推進本部幹部会や「自民党政治総括」部会幹事会などに出席しました。
 2月15日(火)は、午前中、議員会館で、ラグビーワールドカップ2019成功議員連盟に出席しました。午後から、党本部で、国家戦略本部第一分科会に出席し、慶應義塾大学教授権丈善一教授の社会保障に関わる大変分かりやすいお話しを伺いました。その後、議員会館に戻り、総務省やNHKからレクを受けました。その後、大分県東京事務所と打ち合わせを行い、党本部で、公務員制度勉強会に出席し、連合副事務局長の團野久茂さんや私鉄総連委員長の渡辺幸一さんの説明を受けました。私は、「労働政策に弱かったのが自民党衰退の一因だ。」と、述べました。夕刻から、清和政策研究会政策委員会幹部会に出席しました。

 2月16日(水)は、早朝、党本部で、党改革委員会に出席しました。午前中、平成20年度決算に係る参議院本会議に出席しました。午後から、院内で、参議院同期会の一七会に出席し、続いて、党本部で、参議院政策審議会に出席し、ガンダム型ロボット(二足歩行搭乗型ロボット)の製作について、立命館大学の金岡克弥教授の講演を伺いました。講演後、私は、ロボットの指先を装着し、硬いスーパーボールを実際に破壊してみました。怖かったです。その後、議員会館に戻り、創生日本の会に出席し、憲法改正原案を審議しました。憲法改正規定の改正を行おうとするもので、憲法第96条で憲法改正発議に「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」が必要とされているのを、「過半数」に改めようとするものです。私は、憲法改正が決してタブーではないということを国民に知ってもらうため、発案には良い効果があると考えています。その後、院内で、参議院党幹部との打ち合わせを行い、党本部で、議員定数・選挙制度小委員会に出席し、衆議院選挙制度の改正について、議論しました。その後、議員会館に戻り、総務省及び内閣府からレクを受けました。

○予算委員会出張
 2月17日(木)は、参議院予算委員会の出張で、何と大分県及び福岡県を視察しました。衛藤晟一議員と私が同委員会理事を務めていることと、関係あるのでしょうか。大分空港に到着すると、あいにくの小雨模様でした。民主党の前田武志委員長以下14人の委員が出席しましたが、皆さん多忙なため入れ替わり立ち替わりでした。その日は、衆議院で、民主党比例代表議員16人の会派離脱騒ぎがあった日であり、そんな話にも花が咲きました。
 別府市内で昼食を採った後、午後から、同市で、太陽の家の敷地内にあるオムロン太陽を訪ねました。私は、何度も訪ねている工場ですが、障がい者の一人一人に合わせて製造機械を調整しているのには、本当に感動します。社長の御前照夫さんのお話を聞いた後、工場視察をしました。行程が整備されたすばらしい工場です。しかし、最近、部品工場だけではやっていけず、総合的な技術力やマーケッティングの力も必要であるという話でした。
 次に、同市で、竹工芸・訓練支援センターを訪ねました。県職員から説明を受けた後、介護と竹工芸の研修室を見学しました。女性研修生が、フウフウ言いながら、十字の木工具を使って竹を四つに割っていました。この行程が一番大変だそうです。竹ひごを組む前に、竹ひごを自分の力で準備しなければならないのです。聞いてみると、竹工芸の研修生は、大分県外から来ている人が多く、伝統技能を守るためもっと国が助成すべきではないかとの意見が委員から出されました。
 夕刻から、大分市内のホテルで、大分県や九州財務局等の説明を聴きました。ここで事件が起きました。説明者の一人である税関の説明が長々と続いたため、委員の質問時間がなくなってしまったのです。私が「予算委員会の出張であるという認識が欠けているのではないか。」と発言したので、会議が固まってしまいました。しかし、その後は、委員会の場ではいつも対立している委員の皆さん方と、夜遅くまで懇親を深めました。

 2月18日(金)は、大分自動車道を使って福岡県入りし、朝倉市のJA筑前あさくらを訪ねました。いちご「あまおう」の輸出で有名な福岡農産物通商会社社長の渡邉宏さんから非関税障壁の問題など農産物輸出の苦労話を伺いました。しかし、現在TPPが大議論されている中でもあり、「輸出のことばかりいうと、日本も輸入しろという話になるのではないか。」という趣旨の発言が委員から続きました。途中で、JAの代表からも、「渡邉社長とは意見が違う部分もある。」という発言もあり、議論は佳境に達し、大幅な予定時間超過となりました。
 午後から、福岡市内で、福岡県や福岡財務支局の説明を受けました。麻生渡同県知事のお迎えもありましたが、県議会開催中ということであり、昼食を採りながら副知事から説明を聴きました。
 その後、宗像市で、日本で唯一のベンチャー型ロボット製造会社のテムザックを訪ねました。ここでは、受付ロボット、留守番ロボット、レスキューロボット、歯科訓練用ロボットなどたくさんの種類のロボットを製作しています。社長の髙本陽一さんの話では、「デンマークやシンガポールから多くの引き合いが来ている。ベンチャーとしての会社の経営は厳しいので、日本で商売にならなければ、海外移転を考えなければならない瀬戸際に来ている。」ということでした。「このままでは大変だ。」という意見が、委員からありました。
 視察後、近所の宗像神社を参拝し、私は、鹿児島本線東郷駅で本隊を離れ、帰省しました。

○別府市
 昨日は、午前中、大分事務所で、事務打ち合わせを行い、その後、陸上自衛隊別府病院から、事務説明を受けました。午後から、大分市で、先週お亡くなりになった元大分市議会議長田島八日さんの自宅を弔問しました。67歳でした。先月行われた後援会の皆さんのソフトボール大会で元気なお姿をお見受けしたばかりだったのですが、本当に残念なことです。心から御冥福をお祈りいたします。その後、大分市明野アクロス前及び稙田ニュータウン内で、街頭演説をしました。通行の皆さんが本当によく聞いていただいているのが分かります。
 本日は、一日中、別府市で、現職の市議会議員選挙候補予定者の選挙対策事務所等を訪ね、統一地方選挙の応援に回りました。どこでも、「それよりも、国政はどうなるのですか。」という質問を受けました。別府市議会は、定数を4人削減して25人となり、県内の市でも最も定数削減が進んでいます。引退等で現職4人が辞め、新人も同数ぐらい出馬するのではないかという見通しです。保守系候補の皆さんには、是非御健闘をしていただきたいと思います。

 さて、民主党の分裂騒ぎで、政局が一気に緊迫してきました。今週以降、いつ何が起きても不思議でない状況です。歴史的に見ると、「政権与党の崩壊は内部から起きる。」と言われています。しかし、政権を追い詰めるのは、私たち野党の仕事です。しっかりと、覚悟を決めてがんばらなければなりません。
   
   

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■弥彦村 2011年2月13日(日)

    

○防衛次官通達撤回を申入れ

 2月7日(月)は、午前中、上京し、議員会館で、東京事務所との打ち合わせ、役所からのレクなどで過ごしました。
 2月8日(火)は、午前中、議員会館で、参議院法制局から沖縄振興特別措置法案についてレクを受けました。午後から、総務省の森田高大臣政務官が来室し、郵政改革法案の取扱いについて、意見交換しました。その後、同会館で、広田一防衛大臣政務官と芝博一総理補佐官を招き、防衛事務次官通達の即時撤回を申し入れました。詳細については、トップページの新着情報に掲げています。その後、記者会見を行い、「通達の撤回は、参議院での予算審議入りの前提条件となる。」と、お話ししました。その後、島尻安伊子参議院議員が来室し、翌日の党沖縄振興特別委員会の進行について打ち合わせました。
 夕刻から、都内のホテルで、予算委員会の委員懇談会に出席しました。委員長招待の形で行われるのですが、民主党は、野党時代、「委員会のパーティは無駄遣いだ。」と言って反対していたのです。そこで、その日の議院運営委員会で、民主党の反省の弁をもらって、わざわざ各会派の了解をとっての実施となりました。その後、都内で、道州制研究会若手議員懇親会に出席しました。

○NHK服務違反疑惑
 2月9日(水)は、早朝、党本部で、総務部会に出席しました。NHKの新会長の松本正之さんの挨拶を受けた後、経営委員会の安田喜憲委員長代行から今回の会長人選の経緯について説明を受けました。そこで、事件が起きました。安田代行が、人選過程で候補者の名前が漏れたことを認め、「服務準則に違反した疑いがある。」と、発言したのです。これは、大変な話です。私は、「この問題について、経営委員会でしっかり調査をしてもらい、報告を受けるべきだ。真相がはっきりするまで、NHK予算を審議すべきでない。」と、主張しました。経営委員の一人である井原理代監査委員からも、調査をしたい旨の発言がありました。
 午前中、党参議院議員総会の後、本会議に出席しました。本会議では、中曽根弘文議員会長が永年勤続25年の表彰を受けました。本会議散会後、党参議院全議員懇談会、予算委員会委員打ち合わせ会に出席しました。私は、「党改革は、谷垣総裁自らリーダーシップを執るべきだ。」と、主張しました。
 午後から、党本部で、沖縄振興特別委員会に出席し、法制主査として、現在までの沖縄振興特別措置法案の検討状況を説明しました。その後、議員会館に戻り、NHK経営委員会から服務準則について、総務省から放送法の解釈についてレクを受けました。その後、党本部で、地方議会の機能強化検討PTに出席しました。政務調査費に係る地方自治法の改正など地方議会議長会の要望事項を中心に議論します。

○清和研の移転
 2月10日(木)は、早朝、党本部で、税制調査会国民負担等検討会に出席しました。国民共通番号制についての与党・政府案のヒアリングです。私は、税調小委員会事務局長を務めているので、司会をしました。自民党も、納税番号の導入は進める方向で検討していますが、「国民総背番号制反対」ということにならないよう、しっかりとした自民党案を作っていきます。その後、党本部近くのビルで、清和政策研究会の事務所移転に伴う神棚遷座祭が執り行われました。新事務所には、福田赳夫、安倍晋三、三塚博、森喜朗、小泉純一郎各歴代会長の写真が掲げられていました。
 午後から、党本部で始めての清和研の総会が開かれました。テーブルにスプーンが置かれており、また例の党本部名物のカレーライスかと思っていたら、オムライスが出て来たので、ほっとしました。その後、議員会館に戻り、総務省から地方財政対策について、衆議院法制局から地方自治法改正案についてレクを受けました。
 夕刻、翌日新潟県弥彦村で行われる建国記念の日式典での講演に備え、東京駅から上越新幹線で燕三条へ向かいました。弥彦村では、村長の大谷良孝さん、弥彦神社宮司の永田忠興さんらと会食しました。越乃寒梅の焼酎を越乃寒梅の清酒で割ったものを頂きました。大変おいしかったのですが、相当に効きました。

○建国記念の日
 2月11日(金)建国記念の日は、午前中、新潟県弥彦村で、弥彦神社を訪ね、特別参拝をさせていただきました。神社参道前で、村民の皆さんによる建国記念の日奉祝パレードを見学し、同パレードが同村総合文化会館到着後、同所で小学生の皆さんの歓迎吹奏楽を聞きました。同村区長会長の音頭で万歳三唱しました。午後から、同会館で式典へ出席し、式典後記念講演をしました。建国記念の日であるので、現在の皇室の状況や皇位継承問題などについて、お話ししました。男子皇族が減少する中で、「女性天皇」と「女系天皇」の違いを、説明しました。
 中津市では、高校時代の恩師植山正胤先生の叙勲祝賀会が催されていましたが、失礼をしました。漢文の先生です。
 昨日は、一日お休みを頂き、都内の議員宿舎で、掃除、洗濯、片付けなどに時間を費やしました。夕刻、帰省便に乗るため、羽田空港へ向かったところ、大分空港が雪のため羽田へ戻ることもある条件付き運送ということでした。しかし、思ったほど飛行機も揺れず、無事大分空港に着陸しました。でも、高速道路は、閉鎖されていました。深夜、大分市で、自民党関係者の打ち合わせに出席しました。
 本日は、午前中、自宅近所の理髪店で散髪したのち、大分市で、麻生栄作県議会議員の選挙対策事務所開きに出席しました。神事の後、開所式に臨みました。「今回当選すれば麻生先生もベテラン議員。県議会議員の中で改革派ナンバーワンが麻生さんである。」と、御挨拶しました。午後から、大分市トキハ前及び別府駅前で、街頭演説を行い、大分空港へ向かいました。既に、高速道路の閉鎖は、全て解除されていました。

 共同通信によると、菅内閣支持率も20パーセントを割り、19パーセント台に下落しました。追い込んでいかなければなりません。今週から、参議院予算委員会の仕込みを始めます。先週末、全予算委員に宿題の提出をお願いしました。多少の御批判があっても、ぶれずに、正攻法で、真剣に攻撃を加えていく覚悟です。    

   

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■大雪降る 2011年2月6日(日)

    

○内閣支持率再び低下

 菅内閣の行き詰まりも、エジプトと相撲協会のニュースに救われているような気がします。それでも、最近の内閣支持率は、20パーセント前半まで降下してきました。今後の戦略に多少御批判があっても、解散総選挙へ追い込む覚悟です。

○大渋滞
 1月31日(月)は、早朝、大分市で、団体の代表と打ち合わせを行い、大分空港に向かいましたが、前日の降雪のため別府以北の高速道路が全て通行止めでした。飛行機の出発時刻の2時間以上前に大分市を出たのですが、出発時刻を10分程度遅れ、予約していた飛行機には搭乗できませんでした。別大国道のうみたまご辺りから渋滞が始まり、別府市亀川を抜けるまで渋滞が続きました。別大国道の6車線化が概成してから、こんなことは一度もなかったのですが、原因不明の渋滞です。高速道路の無料化と、何か関係があるのでしょうか。
 午後から、党本部で、総務部会正副会長会議に出席し、今後の国会対策について議論しました。その後、議員会館に戻り、財務省から税制改正について、参議院事務局から金融政策について、レクを受けました。党本部に戻り、党改革委員会「自民党政治総括」部会に出席し、自民党政権時の政策について、反省すべきポイントを委員間で議論しました。
 2月1日(火)は、議員会館で、午前中、内閣府地域主権戦略本部から一括交付金について、午後から、総務省から国家公務員人件費について、レクを受けました。その後、総務省逢坂誠二政務官が来室し、通常国会における総務省関係法案等の取扱いについて、意見交換しました。続いて、党本部で、内閣・総務合同部会に出席し、一括交付金について政府の説明を受け、議論しました。私は、「『ひも付き補助金』の段階的廃止と言うが、補助金としての自由度が高まっているわけではなく、表現がおかしいのではないか。」など、指摘しました。その後、自主研究グループの公務員制度勉強会に出席し、厚生労働省から、労働法制について説明を受けました。
 2月2日(水)は、早朝、党本部で、総務・財金合同部会に出席し、財政健全化推進法案について、議論しました。自民党として、現在衆議院で継続審議となっている同趣旨の法案を取り下げ、参議院に改めて議員立法を提出することを了承しました。続いて、午前中、参議院政策審議会に出席し、政府予算案の問題点等について、議論しました。正午、漁港漁場漁村整備促進議員連盟に出席し、水産庁から、公共事業関連予算案の説明を受けました。午後から、議員会館に戻り、総務省から今後の国会対応等について、内閣官房から共通番号制について、レクを受けました。

○プリ赤最後の総会
 2月3日(木)は、正午、清和政策研究会総会に出席し、その日の司会を務めました。実は、プリンス赤坂ホテルがこの3月に閉店することが決まっており、その旧館は保存されるものの、旧館内に入居している清和研の事務所が近く移転することとなっています。そのため、プリンス赤坂ホテル旧館における最後の総会となりました。私も4年近く、ベテラン議員では20年以上も、ここでの総会に参加しました。なにせ福田赳夫初代会長以来のことであり、感慨深いものがあります。その最後の司会を務めたことは、光栄でした。来週から、総会は、党本部で開かれることになります。
 派閥は、ここ1、2年で大きく変わってきました。党改革委員会では、派閥の在り方も、議論の対象とし、提言を行っていきます。
 午後から、党本部で、その党改革委員会「自民党政治総括」部会幹事会に出席し、これまでの自民党政策の反省すべき点について、整理を行いました。借金の増大、地方の疲弊、景気回復の遅れ、国際競争力の低下、福祉の信頼低下、公務員改革の停滞などが、議論されました。その後、議員会館に戻り、厚生労働省から叙勲事務について、レクを受け、夕刻、帰省しました。
 2月4日(金)は、午前中、日田市で、桜木博県議会議員の選挙対策事務所開きの神事等に出席しました。「景気回復が国民の一番の要求だ。今の政権ではそれに応えられない。」と、訴えました。その後、同市内で、挨拶回りをしました。正午、玖珠町で、同町老人会連合会会長会議に地元の濱田洋県議会議員と共に出席し、「お年寄りの施策の充実にしっかり努める。」と、御挨拶しました。午後から、由布市湯布院町で挨拶回りを行い、大分市を経て、臼杵市で挨拶回りをしました。その後、大分市に戻り、大分事務所で、会議を行いました。

○県内回る
 昨日は、午前、午後と、豊後高田市で、2月20日(日)に施行される同市議会議員選挙の応援のため、各候補予定者の選挙対策事務所を回って歩きました。定数2人削減、現職2人引退、新人2人立候補予定の少数精鋭の厳しい選挙になる見通しです。保守系候補の皆さんに全力を挙げてがんばってほしいと思います。夕刻から、大分市で、日本司法書士政治連盟九州ブロック協議会が同市で開催され、衛藤征士郎衆議院副議長及び岩屋毅県連会長と共に懇親会に出席しました。中央から、政治連盟の田嶋規由会長及び芝将宏幹事長も、出席していました。
 本日は、午前中、大分市及び佐伯市で挨拶回りをし、午後から大分市で挨拶回りをし、その後、竹田市久住町で、ガンジーファームを見学しました。同社は、最近経営者が変わりましたが、1月の雪で客の入りに響いたということでした。夕刻から、同町で、自民党久住支部総会に出席し、国政報告をしました。久住の党員の皆さんは、いつも心温まる人ばかりです。


   

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■ぼろ家 2011年1月30日(日)

    

○築40年

 地元の支援者から「国会議員でこんなぼろ家に住んでるのはおらん。この家は、とっとかんといかんで。」と、ほめられてるのか、けなされてるのか、分からないことを言われます。中の住人には「ぼろ家」という認識はないのですが、考えてみると、私が中学校1年生の時に建てた家ですから、その後何度か増改築を重ね、かれこれ築40年になります。私は、18歳で東京に出て行きましたから、5年間しか住んでいません。

○開会式
 1月24日(月)は、通常国会が召集されました。会期は、150日間です。早朝8時から、党本部で、全議員懇談会が開かれました。たくさんの現前議員が立ち、前日の党大会での谷垣総裁の演説は熱がこもっていて良かったという発言が続きました。私も、「ひるまず与党を追及しよう。」と、発言しました。続いて、院内で、党の参議院議員総会が開かれました。年初は、女性議員を中心に和服が多いのですが、今年は選挙後初めての通常国会であり、集合写真の撮影が行われるので、男女とも特に和服が多いのです。私は、洋服です。10時に本会議が開かれ、座席の指定だけで休憩。その後、衆議院で、党の両議院議員総会が開かれました。
 午後から、開会式です。天皇陛下のお出迎えを正門前で終え、参議院本会議場に衆参両院議員が集まって開会式が挙行されました。玉座は、参議院本会議場のみにあるのです。再び正門前で、天皇陛下のお見送りをした後、中央玄関前で参議院自民党の記念撮影を行いました。その後、院内で、翌日から始まる代表質問の内容打ち合わせを行いました。本会議が再開され、政府四演説が行われました。またしても、内容のない空疎な演説です。
 1月25日(火)は、午前中、党本部で、「自民党政治総括」部会幹事会に出席した後、議員会館に戻り、総務省から地方財政対策についてレクを受けました。午後から、引き続き、財務省から予算案について、経済産業省から予算委員会の対応について、レクを受けました。その後、全国町村議会議長会から地方議員年金の廃止関連の陳情を受けました。続いて、内閣府園田政務官から、同府予算案について、説明を受けました。また、議員立法の沖縄振興特別措置法案について、参議院法制局及び沖縄県から、説明を受け、協議しました。その後、総務省から、地方議員年金の廃止について、レクを受けました。

○言論弾圧通達
 1月26日(水)は、午前中、党本部で、行革推進本部幹部会に出席した後、総務部会に出席し、総務省提出予定法案等の説明を聴きました。その後、院内で、私が座長を務める言論弾圧通達検討プロジェクトチームを開催しました。たくさんの議員や記者が集まり、満席状態でした。報告書を事務局に朗読させ、引き続き、北澤防衛大臣に次官通達の即時撤回を求めていくことを満場一致で採択しました。
 午後から、文部科学省林政務官から同省予算案について、厚生労働省から叙勲関係について、財務省から国有財産の売却について、消防庁から消防補助金について、それぞれレクを受けました。夕刻から、大分料理の「銀座坐來」で、東京事務所の新年会を開きました。秘書の皆さんと、大分の銘酒を堪能しました。女性秘書の方が私よりお酒は強いのです。
 1月27日(木)は、午前中、参議院本会議が開かれ、我が党の中曽根弘文議員会長が代表質問に立ちました。非常に格調高く力強い質問でした。一方の輿石東民主党議員会長の質問は、平板で論点がなく、野次ることもできない内容でした。午後から、都内のホテルで開かれた清和政策研究会(町村派)の議員総会で昼食を頂いた後、議員会館に戻り、総務省から地方税制改正について、レクを受けました。
 1月28日(金)は、午前、午後と一日中、参議院本会議で代表質問が継続されました。午後には、自民党から岩城光英議員と有村治子議員が質問に立ちました。民主党議員の質問では、菅総理の政治姿勢を批判するものが多く、党内の亀裂の大きさを感じました。本会議後、短時間、予算委員会の理事会と委員会に出席しました。私から、中国漁船衝突事件ビデオの未公開部分の理事会提出と防衛次官通達問題の集中審議などを与党に求めました。

○双葉山
 昨日は、午前中、宇佐市で、双葉山生誕100周年記念事業実行委員会に出席しました。委員会には、大分県出身で元日本体育大学学長の塔尾武夫先生や双葉山長男夫人の穐吉ひろみさんも、出席しました。郷里の偉人双葉山関を皆さんと協力して顕彰します。午後から、中津市内で、挨拶回りをしました。その後,大分市に戻り、トキハ前で街頭演説をし、「円高デフレを止めるための大規模な金融財政措置を講じないと、日本経済はつぶれてしまう。」と訴えました。
 その後、同市で、大分県薬剤師会新検査センター落成・検査センター創立30周年記念式典に出席しました。「皆さんと協力して、薬剤師の地位向上に努める。」とお話ししました。夕刻から、佐伯市で、同市商工会議所女性会主催の新春ニコニコ慈善パーティーに出席しました。毎年、盛大な抽選会が行われ、今年も、お花などの賞品を頂きました。女性会の皆さん、お疲れ様でした。
 また、東京の明治大学で、副学長の中邨章先生の最終講義が行われました。出席できず残念でしたが、先生とは、東アジア地域の行政学会であるエロパの役員として共に活動し、自治大学校研究部長の折に海外出張にも数度同行しました。本当にありがとうございました。
 本日は、午前中、大分市で、豊の国たこあげ大会に出席しました。同市戸次の皆さんが主催のイベントであり、多くの親子連れが参加しました。今年は、雪の降る中の強風で、私の持参したたこもよく上がりましたが、途中でたこの骨が折れてしまい、退陣を余儀なくされました。午後から、2月6日施行の九重町議会選挙の応援に同町に入る予定としていましたが、降雪のため高速道路が閉鎖され、現地もかなりの積雪と聞き、断念しました。そこで、日出町、豊後大野市及び大分市で、挨拶回りをしました。

 サッカー・アジアカップ、すばらしい優勝でした。
 
   

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■自民党大会 2011年1月23日(日)

    

○小沢カード

 結局、小沢一郎さんの政倫審への出席は、立ち消えになりそうです。小沢さんが駆け引き上手なのか、菅さんが口先だけなのか分かりませんが、小沢カードも結果見せカードにすぎなかったことが分かってきました。本当に国民をばかにした話です。もう、国民もだまされません。

○党改革委員会
 1月17日(月)は、午前中、大分市で、公明党大分県本部新年互礼会に出席しました。竹中満寿夫本部長の挨拶の後、広瀬勝貞大分県知事、衛藤征士郎衆議院副議長、木庭健太郎公明党参議院幹事長が祝辞を述べ、岩屋毅自民党大分県連会長の音頭で乾杯しました。懇談に移って後、私と、公明党の遠山清彦衆議院議員が挨拶しました。午後から、大分市内で、挨拶回りを行い、途中、南日本造船で、岩崎民義会長らから業務説明を受け、工場見学をしました。夕刻から、同市で、大分県美容業組合新年互礼会に出席しました。最後には、恒例の阿波踊りをみんなで踊りました。
 1月18日(火)は、上京し、午前中、議員会館で、内閣府地域主権戦略室の説明を受け、午後から、自民党改革委員会自民党政治総括部会幹事会に出席しました。私は、「党改革には総裁のリーダーシップが必要だ。遠慮をせずに党改革に関する党内の大きな議論を起こしていくべきだ。」と、発言しました。その後、同委員会で、毎日新聞主筆の岸井成格さんの講演を聴きました。その後、議員会館に戻り、地方自治情報センターから住基カードについてレクを受け、夕刻帰省しました。
 1月19日(水)は、別府市で、大分県農業委員研修大会に出席し、祝辞を述べました。私は、TPPに明確に反対である旨お話ししました。「中国や韓国が参加しない中で、中身がどうなるかも分からないのに、あわてて飛び乗る必要はない。」と、述べました。この会合にも、民主党の国会議員は誰も出席していません。午後から、大分事務所で、地元新聞社の取材を受けました。その後、同市内で、企業関係の挨拶回りをし、夕刻、別府市で、大分県技能士大会懇親会に出席しました。小橋会長の挨拶の中で「公務員の給料ばかりが高い。」という批判をいただき、私は、「消費税増税を考えている政権が、公務員人件費の見直しを先送りするとは、全く信じられないことだ。」と、お話ししました。

○励ます会
 1月20日(木)は、上京し、午前中、議員会館で、総務省から事務説明を受け、正午、清和政策研究会の在京者昼食会に出席しました。昼食会では、「愛知県知事選挙で重徳和彦氏を党が推薦しないのはおかしいのではないか。」と、発言しました。その後議員会館に戻り、夕刻から、都内で、地元支援者との会合に出席し、その後、総務省の昔の部下の皆さんとの懇親会に出席しました。
 1月21日(金)は、午前中、党本部で、総務部会正副会長会議に出席し、通常国会における総務委員会関係の法案等の取扱いについて協議しました。正午から、日本行政書士会新年賀詞交換会に出席し、同会幹部の皆さんと挨拶しました。その後、党本部に戻り、国家戦略本部第一分科会に出席し、日本郵船相談役草刈隆郎さんから規制緩和の在り方について話を聞きました。午後から、総務省から地方自治法一部改正法案について説明を受け、夕刻、妻と共に帰省しました。
 昨日は、午前中、大分市で、後援会の主催する「参議院議員礒崎陽輔を励ます会」に妻と出席しました。本当にたくさんの皆様に御出席いただき、感動しました。大分県議会議長安部省祐さんを始め、御出席の県議会議員の皆様に御挨拶をいただきました。また、市議会議員など多くの御来賓にもお出でいただきました。私は、「今こそ政権を取り戻さなければならないが、その前には自民党の改革が必要である。」と、お話ししました。大分県商工会連合会会長の清家孝さんの音頭で乾杯しました。約1時間ほど歓談し、国民政治協会大分県支部長、梅林建設社長の梅林秀伍さんの音頭で万歳三唱し、会を終えました。懇親の間、昨年の予算委員会での私の質疑のビデオがずっと流されていました。御出席、御協力いただき、本当にありがとうございました。
 午後から、上京し、夕刻から、都内のホテルで開かれている党大会のウエルカムパーティに出席しました。大分県連の代表団の皆さんや翌日党大会で表彰を受ける皆さんなど、大分県の方もたくさん出席していました。いつもながらの豪華料理です。谷垣総裁や石原幹事長らと共に、みんなで一緒に写真を撮りました。

○党大会
 本日は、午前中、都内のホテルで行われた第78回自由民主党大会に出席しました。党広報からツイッターでの実況中継の依頼があり、iPadを持ち込んでずっとタイピングしていたので、目が回りました。三原じゅん子さんと中西祐介君、二人の新人参議院議員が司会を務め、国歌、党歌斉唱の後、北海道、島根県、沖縄県の国境問題を抱える道県の代表を議長団に選出しました。山口那津男公明党代表と米倉弘昌日本経団連会長が来賓挨拶を行いました。刺しても痛くない注射針を開発した東京都の町工場の社長岡野雅行さんがゲストスピーチを行い、江戸弁の落語を聞いているようで、とても楽しかったです。その後、石原幹事長の党務報告、石破政調会長の政策報告、森組織運動本部長の運動方針の説明が続きました。
 大分県関係では、優秀党員として前挾間町長佐藤成己さん、元国会議員秘書土井武志さん、前県柔道整復師会会長清田洋一さん及び大分県議会議員田中利明さんが、優秀党組織として大分県看護連盟支部及び大分市鶴崎校区支部が、協力者として大分県司法書士政治連盟大分会会長近藤稔さんが表彰されました。その後、谷垣総裁の年頭演説が行われました。熱意のこもる前向きな演説でした。次に、統一地方選挙候補予定者代表の紹介が行われ、大分県は表彰を受けた田中県議が発言しました。代表によるがんばろうコール、谷垣総裁の音頭による万歳三唱を行い、盛会のうちに党大会は幕を閉じました。

 明日通常国会召集です。明日から、月から金までは東京、土日は大分の金帰月来の生活に戻ります。
 
   

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■暴風雪警報 2011年1月16日(日)

    

○内閣改造

 内閣改造が行われ、第2次菅内閣が発足しました。問責決議を受けた仙谷官房長官と馬淵国土交通大臣の退任は織り込み済みです。官房長官には、枝野前民主党幹事長が選任されました。実力は未知数、与党内の融和が保たれるものか分かりません。法務大臣には、江田前参議院議長が就任しましたが、三権の長を務めた人が一閣僚になるというのは、問題です。最大の疑問は、与謝野馨衆議院議員の財政経済担当大臣への就任です。何を言おうと、「平成の変節王」とのそしりを免れません。

○成人の日
 1月10日(月)成人の日は、休暇扱いで地元の新年会にノーネクタイで参加しました。午前中は、大分市新春日町の恒例の鏡開きに出席しました。と言っても、おぜんざいを頂くだけなのですが、今年は大きなお餅が二つも入っていました。小さいお子さん連れの家族が、たくさん参加していました。一杯で帰るわけにもいかないので、餅抜きでもう一膳ごちそうになりました。午後から、同市南春日町の新年互礼会に出席しました。ここの自治会は、荒金一義会長を中心に本当によく年中行事をこなしています。衛藤晟一参議院議員、広瀬勝貞県知事夫人、秦野泰義大分市議会議員夫人も、参加しました。踊りあり、手品ありの楽しい会でした。私は、閉会後の役員の二次会にも参加し、お酒をたっぷり頂きました。その後、自宅で、ホームページの整理などをして過ごしました。
 1月11日(火)は、午前中、大分市内で挨拶回りをし、午後から、同市で、南九州税理士会大分県連合会新年賀詞交歓会に出席しました。6人の国会議員が出席していました。連合会会長が、式辞で昨年の政局を批判すると、祝辞の際に、吉良州司衆議院議員が長時間反論したので、司会者から「空気を読むように」と注意を受けていました。おかげで、それなりに盛り上がった会となりました。その後、同市内で、企業関係の挨拶回りをしました。夕刻から、同市で、母校の大分舞鶴高校同窓会の「舞鶴会」が開催され、出席しました。毎年正月に、同窓会幹部、政治家、学校関係者など数十人が集まります。記念撮影の後、楽しく歓談しました。政治家も、自民党、民主党、共産党と様々です。
 1月12日(水)は、午前中、大分市内で、企業関係の挨拶回りをしました。午後から、同市で、地元の空調設備の三信工業の皆さんと、設備関係の企業の挨拶回りをしました。夕刻から、宇佐市で、宇佐商工会議所新年賀詞交歓会に出席しました。たくさんの会員の皆さんが参集していました。私は、「白鵬の新記録も見たいが、双葉山の記録が破られては困る。結果的に良かったのではないか。」と、祝辞を述べました。白鳳のがんばりで、宇佐市もいい宣伝をしてもらいました。来年は、双葉山生誕100周年です。

○初上京
 1月13日(木)は、遅くなりましたが、始発便で初上京しました。午前中、党本部で総務部会幹部会に出席し、その後、議員会館会議室で党参議院改革本部の会合に出席し、参議院選挙制度改革について議論しました。私は、「定数削減を行うとなると、参議院選挙区の一票の格差の是正のために考えられる措置は、限られてくる。」と、発言しました。午後から、議員会館で、総務省関係の役所の説明を受け、夕刻から、日本バス協会及び全国社会保険労務士会新年賀詞交歓会に出席しました。野党議員のひがみですが、こうした東京での全国団体の会合では、まだ民主党が幅をきかせています。
 1月14日(金)は、終日、議員会館で、政策説明や新年挨拶を受けました。午前中、衆議院法制局から地方議員年金廃止法案について、日本放送協会からNHK新年度予算案について説明を受けました。午後、党参議院政策審議会から言論弾圧通達プロジェクトチームの日程について、総務省から地方議員年金廃止法案及び地方自治法一部改正法案について、参議院法制局から沖縄振興特別措置法案について、説明を受けました。その後、大分県に帰省しました。

○積雪
 1月15日(土)は、午前中、大分市で、渕健児県議会議員の事務所開きに出席しました。渕県議は、4期目の挑戦になります。前日内閣改造があったことに及び、私が「与党と野党の間で謝ると書いて、与謝野と読む。」と話をすると、大受けでした。その後、午前、午後と大分市内及び別府市内で、企業関係の挨拶回りをしました。夕刻から、大分市で、大分県歯科医師会新年互礼会に出席しました。たくさんの関係者が出席し、遅くまでたくさんのお酒を頂きました。
 1月16日(日)は、午前中、臼杵市で、連合消防団出初め式が行われる予定でしたが、積雪等の理由により、急きょ中止となりました。大分県では珍しい暴風雪警報が前日から発令されており、大分市内でも早朝多少の積雪があり、臼杵市までの通行にも困難な状況でした。その後、大分市で、自衛隊大分地方協力本部創立56周年記念行事に出席しました。祝辞の中で、防衛大綱、次官通達、内閣改造などの話をしました。祝宴では、多くの防衛関係者の皆さんや自衛官の皆さんと、歓談しました。午後から、大分市トキハ前で、街頭演説しました。

 今週いっぱい、東京と大分の間を行ったり来たりの日程が続きます。

   

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■寒波 2011年1月9日(日)

    

○国会召集

 1月28日というびっくりするような遅い日に通常国会の召集日はなりそうです。これだけ円高デフレの厳しい経済情勢が続いている中、政府が年度内に平成23年度予算を成立させようと言うのであれば、もっと早く国会を召集すべきです。小沢一郎氏の政倫審出席問題と内閣改造の人事抗争という党内事情により、昨年の遅すぎる臨時国会に続き、菅総理は、またも国会を可能な限り避けようとしています。当方は、準備万端国会論戦に備えています。早期召集、どんと来いです。

○新年互礼会
 1月3日(月)は、活動を本格的に始めました。午前から、玖珠町で、濱田洋県議会議員の新年祝賀互礼会に出席しました。県西部地方の大雪で参加を危ぶんでいましたが、その日は交通規制はなく、無事出席できました。ただし、雪の影響か、毎年お会いする九重町の七福神にお会いすることができず、残念でした。大変な酒攻めにあいましたが、何とかがんばって、祝賀会終了後、同町で挨拶回りをしました。午後から、日田市で、浄満寺を訪ね、お参りしました。同寺の有名な畠中光享の2枚のふすま絵のうち青絵の方(寂静阿弥陀経説法址)は、富山県水墨美術館に出品されていました。その後、同市で、桜木博県議会議員の新年祝賀互礼会に出席しました。日田市を代表する皆さんと楽しくお話ししました。
 1月4日(火)は、午前中、別府市で、同市新年祝賀互礼会に出席しました。その後、大分市で、大分県・大分市・大分商工会議所新年祝賀互礼会に、少し遅れて出席しました。それでも、大分合同新聞「ぶんぶん号」の超高速新聞には、乾杯シーンの写真にちゃんと写っていました。午後から、同じホテルで開催された同会議所議員新年互礼会に出席しました。その後、新日本製鐵大分製鉄所の新年互礼会に出席しました。

 1月5日(水)は、恒例の新年挨拶回りです。午前6時15分から、大分市公設市場で、水産部の初せり式に出席しました。初日にしては、たくさんの海産物がせりに出されていました。御祝儀相場で少し高めだということです。午前7時から、青果部の初せり式に出席しました。ここでは、少し早い七草がゆを頂きました。その後は、大分市東部方面各地区の新年互礼会のはしごです。主賓である釘宮磐市長の後を、追いかけました。佐賀関、坂ノ市、大在、鶴崎、明野と巡回しましたが、今年は、衛藤晟一参議院議員、渕健児、麻生栄作両県議会議員、板倉永紀市議会議員も、皆勤ではなかったでしょうか。
 1月6日(木)は、大分市内で、午前7時から企業の朝礼に出席した後、企業関係の挨拶回りをしました。午後から、同市で、大分県石油商業組合の新年互礼会に出席しました。偶然ですが、大分県関係全9人の国会議員が全員出席し、当人たちも、出席の皆さんも、驚いていました。その後、前日の同市内の新年互礼会の続きで、大南地区の互礼会に出席しました。その後、野津原地区、稙田地区の互礼会もありましたが、他の公務と重なり、出席できず、失礼しました。夕刻から、中津市で、中津商工会議所新年賀詞交歓会に出席しました。本当に団結のいい会議所であり、たくさんの会員の皆さんが参加していました。「景気回復が何よりも重要だ。」と、お話ししました。
 1月7日(金)は、午前中、大分市で、陸運関係賀詞交歓会に出席しました。6人の与野党国会議員が順次御挨拶し、ミニ討論会というような感じにもなりました。午後から、同市及び由布市挾間町で、企業関係の挨拶回りをしました。

○出初め式
 昨日は、午前中、宇佐市で、消防出初め式に出席しました。雲一つない晴天の下の訓練となりました。恒例により「自由民主党消防議員連盟」の法被を着て、御挨拶しました。寒中、ぜんざいを頂き、うれしかったです。午後から、日田市で、井上しんし県議会議員の新年祝賀互礼会に出席しました。久しぶりに会う日田市の皆さんと、いろいろなお話をしました。夕刻から、大分市で、大分舞鶴高校後輩の村上けい子さんの「ケイコ&カルロ ハッピーニューイヤーコンサート」を鑑賞しました。ソプラノの村上さんとピアノのカルロ・アントニオッリさんの共演です。心和む歌声でした。でも、最近、どこに行ってもたくさんの知り合いの方に出会います。
 本日は、午前中、玖珠町で、同町消防団特別点検に出席しました。前日とは打って変わって、みぞれ交じりの小雨の中、訓練が開始されました。玖珠町では、伝統的なフルコースの消防訓練が実施されており、寒さの中本当に頭の下がる思いがしました。私の身体も、冷え冷えでした。午後から、大分市に戻り、トキハ前で、本年初めての街頭演説をしました。「①デフレの是正、②公務員改革の推進、③自民党改革の断行を今年の目標とする。」と、訴えました。折しも、同市では成人式が行われ、和服にショール姿の女性がたくさん目の前を歩いて行きましたが、政治に関心を持ってほしいものです。私の下の娘と同級生の皆さんです。
   
   

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■謹賀新年 2011年1月1日(土) 元日

    

 明けましておめでとうございます。
 経済、政治ともに不透明な中での船出ですが、国民生活の安定に向けて、今年も精一杯がんばってまいります。今年も御支援賜りますようよろしくお願い申し上げます。

 大分県でも、年末から元日に掛けて積雪がありました。自宅のある大分市では、大変寒い日が続いていますが、積雪はありません。
 本日は、午前中、地元勢家町の皆さんによる恒例の獅子舞が我が家を訪れました。その後は、お屠蘇を頂き、おせちを食べ、頂いた年賀状を整理して、のんびり過ごしています。

 皆様も、寒い中健康に御留意され、御家族御一同様ますます御発展されますことをお祈り申し上げます。

   

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