少年隊の「仮面舞踏会」は1985年12月12日にリリース、デビュー曲にして1986年オリコンシングル年間売上ランキング3位を獲得した名曲だ。
錦織一清さんが東山紀之さん、植草克秀さんの3人で軽やかに歌い、踊る姿は日本中をあっと言わせた。
そして「第28回日本レコード大賞」「'86FNS歌謡祭」で最優秀新人賞を獲得、1986年に同曲の大ヒットで数々の新人賞を受賞したほか「第37回NHK紅白歌合戦」初出場、日本を代表するアイドルとなったのはご存知の通り。
2020年12月12日には少年隊デビュー35周年を記念したアルバム「少年隊 35th Anniversary BEST」がリリースされ、大ヒット。錦織一清さんはその後ジャニーズ事務所を退所、長く手掛けてきた舞台演出やソロアルバムリリースなどで活躍している。
その錦織さんの最新著書が『少年タイムカプセル』(新潮社)だ。これは幼少期からジャニーズ事務所に入所した経緯、ダンスへの思い、そしてジャニーさんと二人三脚で多くのエンターテインメントを生み出してきた軌跡などを、ミュージシャンで音楽プロデューサーの西寺郷太氏がインタビューをし、まとめた一冊。まさに昭和・平成・令和をまたいだ日本のエンタメ史ともいえる。
本書より、名曲「仮面舞踏会」ができるまでを抜粋掲載にてお届けする。
汗と涙の『仮面舞踏会』
――1985年の12月12日、少年隊がついにデビューをします。ここからは、デビューシングル『仮面舞踏会』発売に至るまでのプロセスを詳細に追っていきたいと思います。1985年7月にはWEAと9月にはワーナー・パイオニアと契約してデビューの布石を整え、デビュー曲『仮面舞踏会』の制作に入り、曲を少しずつブラッシュアップしていった、その時期ですよね。
錦織 そうなるね。
――デビューを修善寺の旅館「あさば」でメリーさんから聞いた時には、すでに『仮面舞踏会』という曲の構想はあったのですか?
錦織 いや、メリーさんからは曲のことは聞いてない。曲を作るのはジャニーさんだから。
――錦織さんが「ちあき哲也さんに詞を書いてほしい」と言ったんですか?
錦織 そう。それをジャニーさんかメリーさんのどちらに頼んだかは覚えていないんだけど……。なぜちあきさんにお願いしたかったかというと、俺が永ちゃんのファンだから。ちあきさんは『YES MY LOVE』とか『止まらないHa〜Ha』とか、永ちゃんの曲の作詞を多く手掛けていて、永ちゃんもその時はワーナーの所属だったので、ならば脈もあるのかなって。言ってみるもんだったね(笑)
――しかも作曲は筒美京平さん。最初に『仮面舞踏会』を聴いた時のことは、覚えていますか?
錦織 うーん、いつだったかなあ? デモテープが上がった直後だったと思うけど。ファースト・アルバムの制作も同時進行だったし、前にも言ったけど、この時期は本当にグシャグシャの日々でね。そこにデビューに向けての準備が重なったから、1985年の後半は本当に大変だったという記憶しかない。