間違いなく力作である。俳優の高知東生が書き上げた初の小説『土竜(もぐら)』(光文社)は、ヒリヒリした表現が心に刺さる自伝的内容。四国でケンカと女に明け暮れた少年が、上京して薬物に溺れ転落するまでの半生が描かれている。今回、高知に小説の背景となった幼少期から上京までを振り返ってもらった。(前後編の前編)
【写真】初の小説『土竜(もぐら)』が話題の高知東生一読すれば、その本格派かつ硬質な文体に驚かされることだろう。ワイドショーやネットニュースで報じられるパブリックイメージとあまりにも乖離しているからだ。小説が最初に『小説宝石』に掲載されたときから「本当に高知東生が書いたの?」という声が絶えなかったのも頷ける話ではある。
「正直、書いているときはめちゃくちゃ苦しかったですよ。それまで蓋を閉じていた“自分の真実”をさらけ出すわけで。そもそも僕の場合、真実がどこにあるのか自分でもわかっていない部分が多かったわけですね。親父はヤクザの組長でしたけど、実の父ではないと知ったのは大きくなってから。じゃあ実の父は何をしている人かというと、別の土地でヤクザの組長をやっていた(笑)。母親は41歳で死んだと思っていたんですけど、あとから実は39歳だったと知った。本当にそんなことばかりなんです。親の生年月日も知らないで育つなんて、冷静に考えたら異常ですよね」
高知の父親が有名暴力団組織の組長ということは、芸能界の中で公然の秘密だった。めったに会うことのない母親は別の組織で暴力団員の愛人をやっていたものの、高知が高校生のとき、「ねぇ……私、綺麗かな?」と尋ねてきた末に自決。実際に育ててくれたのは祖母だったという。こうした特殊な環境が高知に与えた影響は大きく、「大人は嘘ばかりつく」と人間不信の感情を募らせてく。
「よく言われるのは、親がヤクザなので覚醒剤が身近な存在だったんじゃないかということ。でも、それは大きな誤解です。子供の頃、覚醒剤なんて見たこともなかったですから。僕自身はヤクザの道に進む気がまったくなかったんですよ。それは亡くなった母親から『ヤクザにだけはなるな』と言われたことがひとつ。それに親父が地元で名が知れた大親分だったからこそ、逆にチンピラ風情のハンパな真似はできないという気持ちはありました。『今さら住み込みの雑巾がけなんてできるか!』という感覚に近いかな。それよりも自分の中で強かったのは『なんでもいいから成り上がってカネを掴んでやる』という感情で、矢沢永吉さんの『成り上がり』を片手にとりあえず上京したんです」