月の薬師は魔法使いの夢を見るか?   作:十六夜××

1 / 16
第一話 穢れに満ちたこの世界で

 一九六一年、私はイギリスのロンドンにある屋敷の一室で生を受けた。

 

 私はこの身が穢れきるまでこの穢れた地で生きていかなければならない。

 

 私は浄く美しい月の土地を思い出し、静かに涙を流した。

 

 

 

 力のない人間が短い生を無駄に消費する様子を私はベンチに座って眺める。

 ある男性は腕時計を睨みつけながら早足で改札を抜けていく。

 ある子供はお菓子の屋台の前で駄々を捏ね、母親を困らせている。

 どこを見回しても人、人、人、人。

 人混み、人ゴミ、ここはまさに地獄だ。

 

「すまんセレネ、待たせたな」

 

 私が群衆に顔を顰めていると、穢れに満ちた人間が一人、私の前に立つ。

 人間の名前はシリウス・ブラック。

 私の二つ上の兄だ。

 

「よし、それじゃあ九と四分の三番線に行くぞ。確かセレネは初めてだよな。しっかり俺についてくるんだぞ」

 

 シリウスはそう言うとベンチの横に停めていた荷物が満載のカートを押して駅の中へと入っていく。

 私は小さくため息を付くと自分の荷物が乗ったカートを押してシリウスの後を追った。

 

 

 通勤ラッシュの時間は過ぎているが、ロンドンの主要な駅の一つであるキングズ・クロス駅は多くの人間で賑わっていた。

 シリウスはそんな人混みの中をぶつからないようにカートを押しながらズンズンと進んでいく。

 シリウスは親と仲が悪い。

 きっと、家を離れられることが嬉しくて仕方がないのだ。

 

「七番線……八番線……九番線……よし、ここだ」

 

 シリウスはホームの途中で立ち止まると、私の方を振り返る。

 

「いいかセレネ。ホグワーツ特急が停まる九と四分の三番線はあのレンガの壁の向こうだ。あの壁に向かって真っすぐカートを押していけばいい」

 

「……はい」

 

 私はカートを掴む手に力を込め、レンガの壁に向かって歩く。

 そしてそのまま壁をすり抜け、魔法で隠されたホームに出た。

 私が後ろを振り返ると、すぐにシリウスが私の後を追ってホームへ入ってくる。

 そして目の前に停まっている赤い汽車を指さした。

 

「あれがホグワーツ特急だ。あれに乗り込めばホグワーツ近くのホグズミード駅につく。ホグズミード駅についたらハグリッド……大きな男の人の指示に従えばいい」

 

 私はシリウスの顔を見上げる。

 どうやら彼は私の世話など放り出して、さっさと学友の元へ向かいたいようだ。

 だとしたら、そのようにしたらいい。

 どうでもいいとすら思っている妹の世話に、その短い命を無駄にすることはない。

 私はシリウスの言葉に頷くと、自分から離れ、汽車の客車に乗り込む。

 カートを埋めている大きなトランクを引き上げるのには少々難儀したが、通路まで上げてしまえばこちらのものだ。

 私は大きなトランクを押しながら開いているコンパートメントを探す。

 まだ出発まで時間があるためか、すぐに誰もいないコンパートメントを見つけることができた。

 私はコンパートメントの座席の下にトランクを押し込むと、窓際の席に座る。

 そして、窓に映る自分の姿を見て、小さくため息を付いた。

 真っ白な髪に青い瞳。

 白く透き通った肌に整った顔。

 これは、まさに私の姿そのものだ。

 穢れに満ちた人間から産み落とされた私の姿は、月にいた頃の私の姿そのものだった。

 

 

 

 

 私は、月の都で薬の調合を行う薬師だった。

 かの大天才、八意××の一番弟子であり、私自身も優秀な薬師であると自負している。

 流石に師匠である八意××には遠く及ばないが、それでも月の都で発生する薬の需要に応えられる程度には技術も知識も身につけていた。

 のんびりと流れる時間、平和な月の都。

 時に月の兎と歌い、桃を齧り、薬を調合する。

 平穏な日々が何千、何万と続いただろうか。

 今から千年以上前、そんな平穏な日々が突如崩れ去った。

 師匠である八意××が月の姫である蓬莱山輝夜の協力のもとに禁忌とされる不老不死の薬、『蓬莱の薬』を調合したのだ。

 蓬莱の薬を飲んだ輝夜は罰として地上へと落とされ、数年その穢れた土地で生活させられることになったのだ。

 とはいえ、数年という時間は月に住む我々からしたら瞬きするほどの短い時間だ。

 蓬莱の薬を服用したという禁忌を犯した罰にしてはあまりにも軽い。

 いや、地上に落とされるというのはこれ以上ない極刑だ。

 殺しても死なない身になった以上、妥当な罰なのかもしれない。

 輝夜が地上に落とされて数年が経ち、ついに地上にいる輝夜を迎えに行く日になった。

 迎えに行くのは月の使者のリーダーである八意××を筆頭に、私や月の使者が十数名ほど。

 だが、出発の直前になって八意××の指示で私は月に残ることになった。

 どのような考えでそのような指示をしたのかはその時は分からなかった。

 だが、すぐにその意図を知ることになる。

 地上に降りた八意××は月の使者を皆殺しにし、蓬莱山輝夜と共に逃げたのだ。

 私は、八意××の最後の情で、助けられたのだった。

 八意××が地上に逃げたこともあり、彼女が受け持っていた仕事の一部、主に薬の調合に関する仕事は私が受け持つことになった。

 何故彼女は自らを罪人の身に落としてまで輝夜と共に逃げたのだろうか。

 何故彼女は一番弟子である私ではなく、あのような我儘お嬢様を選んだのだろうか。

 私はそれが妙に悔しく、そんな選択をした彼女を少しでも見返してやろうという浅ましい理由からますます医学の分野にのめり込んでいくことになる。

 

 八意××が地上に逃亡してから千二百年近くが経ったある日。

 ついに私は自らの力のみで『蓬莱の薬』の調合法を完成させた。

 私はまた一歩八意××に近づいたのだ。

 だが、天は私に味方しなかった。

 どこから研究が漏れたのかわからないが、私が『蓬莱の薬』を研究していることが月の上層部にバレた。

 蓬莱山輝夜と八意××の逃亡以降、『蓬莱の薬』は服用どころか製造、研究することすら大罪になった。

 私は警備の玉兎にあっさりと捕まり、形式上の裁判を受けたあと、蓬莱の薬を研究した罰としてこの身が穢れにより朽ちるまで地上に落とされることになった。

 事実上の死刑だが、まあ、その場で殺されなかっただけ温情というものだろう。

 こうして、私は穢れに満ちた地上へと落とされた。

 

 イギリス魔法界の純血の家系である、ブラック家の長女として生み『落とされた』。

 

 

「ここ、空いてるか? いや、空いてるのは確かだけど……その……」

 

 不意に声を掛けられ、私は視線を窓から通路の方へと向ける。

 そこには十一歳の私と同い年だと思われる少年がコンパートメントの扉を少し開けてこちらを覗き込んでいた。

 

「空いてないわ」

 

 私は薄茶色の髪の少年にそう告げる。

 少年はコンパートメントの中をもう一度見回し、私以外誰もいないことを確認してからもう一度口を開いた。

 

「えっと、君一人のように見えるけど?」

 

「私がいるじゃない」

 

 私はこれ以上の問答が面倒くさくなり、窓に視線を移す。

 窓の外では新入生と思われる人間が親との別れを惜しむように抱き合っていた。

 どうせすぐに消えてなくなる命なのに、どうしてあのように好き合うのだろう。

 無駄、無駄、全てが無駄だ。

 その時、ガタガタという音が扉の方から聞こえてくる。

 私がもう一度視線を向けると、先程の少年が大きなトランクをコンパートメント内に引きずり込んでいる最中だった。

 

「……聞こえなかったのかしら」

 

「頼むよ、どこも一杯なんだ。この哀れな少年を助けると思ってさ」

 

 少年はへらへらと笑いながらトランクを座席の下に押し込むと、私の向かいに腰かける。

 そして目を輝かせながら言った。

 

「僕の名前はバーテミウス・クラウチ。バーティって呼んでよ。今年からホグワーツに入学するんだ。君は?」

 

 私は少年、バーティの容姿を上から下まで観察する。

 身なりのいい服装に整った髪、利発そうな表情をした快活な男の子。

 それにクラウチ家と言えば、ブラック家と同じく間違いなく純血とされる聖二十八一族の一つだ。

 私は小さくため息を付くと、こちらも自己紹介をする。

 

「セレネ。セレネ・アルテミス・ブラックよ」

 

「セレネ……ブラック。ってことは、ブラック家か。じゃあ親戚みたいなもんじゃないか」

 

 ブラック家は純血同士の婚姻を重視しているため、魔法界の殆どの純血の家系と血の繋がりがある。

 

「純血の家系はどこもそんなものでしょ」

 

 私は興味なさげにまた窓の外に視線を向けた。

 ホグワーツ特急は汽笛を鳴らし、ゆっくりとロンドンの街を後にしていく。

 今思えば、このような列車に乗るのはこれが初めてかもしれない。

 魔法使いとして生を受けてからというもの、私は生涯のほとんどをグリモールド・プレイスにある屋敷の自室で本を読んで過ごしていた。

 私としては死ぬまでの暇つぶし程度の認識だったが、両親には勤勉な姿として映ったらしい。

 いや、違う。

 両親は兄のシリウスと私を比較していただけだ。

 兄のシリウスは勉学自体は優秀だが、家の風習と反りが合わず反抗的な態度ばかり取っている。

 両親は、シリウスのことは完全に見限り、私に期待しているのだ。

 

「なんにしても、ようやくホグワーツに入学だ。ほんと待ちわびたよ。家で学べることには限界があるからさ。君はどこの寮になると思う? 親父の話では組分け専用の帽子があって、それが入る寮を決めるらしいけど……」

 

「どこでもいいわ」

 

「そう? どこでもいいってことはないだろう? ハッフルパフだけは嫌だな。あそこは劣等生が集まる寮だ。君は……ブラック家だし、スリザリンじゃないか? ブラック家の子供の殆どがスリザリンに入るって聞いてるよ」

 

「そうね」

 

 いや、例外はある。

 兄のシリウスはスリザリンではなく、グリフィンドールに組み分けされた。

 それが、両親とシリウスの間に走る亀裂を大きくしたのは確かだろう。

 私は視線を窓の外から正面に座るバーティへと移す。

 バーティは私と目が合うと、少し顔を赤くして目を逸らせた。

 やはり、この世は穢れに満ちている。

 

 

 

 太陽が沈み、地平線から月が頭を出した頃、ノックも無しにコンパートメントの扉が開かれる。

 私との会話を諦め本を読んでいたバーティは咄嗟に顔を上げ、扉を開けた人物の方を見た。

 

「君たちは一年生かな?」

 

「え、はい。今年からホグワーツです」

 

 私も窓の外に向けていた視線を扉の方に移す。

 そこには上級生と思われる生徒がコンパートメントの扉を半分ほど開けてこちらを覗き込んでいた。

 肌は青く見えるほど色白く、身長はそこそこに高い。

 顔立ちは少々骨張っており、金色の長髪を後ろで一つにまとめていた。

 

「そろそろホグズミードに到着する。ホグワーツの制服に着替えたほうがいい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 バーティは上級生の胸につけられたバッジをチラリと見ると、小さく頭を下げる。

 上級生は扉をピシャリと閉めるとツカツカと革靴を鳴らしながら隣のコンパートメントに歩いていった。

 

「スリザリンの監督生だ。コンパートメントを見回ってるんだろう。っと、そっか、制服に着替えないとだな」

 

 バーティは座席の下に入れていたトランクを引っ張り出し始める。

 私はバーティが屈んだ隙をつき、顎を軽く爪先で小突いた。

 その瞬間、スイッチが切れたようにバーティが気絶する。

 顎から脳を揺らし気絶させたのだ。

 

「玉兎でももう少し配慮するわ」

 

 私は地面に倒れているバーティをコンパートメントの隅へ蹴り飛ばすと、自分のトランクからホグワーツの制服を取り出し、着替える。

 そして何食わぬ顔で席に座ると、バーティの頭を軽く小突いた。

 

「……っ、うーん」

 

 バーティは目を覚ますと、後頭部を掻きながら起き上がる。

 そして何が起こったのか理解できていないという顔で椅子に座り直した。

 

「あれ? 俺今何してたんだっけ?」

 

「制服に着替えようとしていたわよ」

 

 私は半分ほど引っ張り出されたトランクを指差す。

 バーティは少々首を傾げながらもトランクから制服を取り出し着替え始めた。

 

 

 

 

 

 ホグワーツ特急を降りた私はシリウスが言っていた大男の案内でボートに乗り、ホグワーツ城を目指す。

 ボートには私の他に三人の人間が乗っていたが、緊張しているのか人間たちに会話はなかった。

 

「ボートに忘れ物はしちょらんか? よーし、こっちだ」

 

 城の真下にある洞窟でボートを降りると、その先にある階段を上っていく。

 階段を上った先は城の裏手のようで、石造りの壁に木製の扉が嵌め込まれていた。

 大男は大きな拳で扉をノックする。

 

「先生、イッチ年生をお連れしました」

 

 大男がそう伝えると、木製の扉が開かれ、中からエメラルドグリーンのローブを着た女性が姿を現した。

 年齢は四十歳前後だろうか。

 

「お疲れ様です。ここから先は私が引き受けます。新入生の皆さん、私についてきてください」

 

 女性は新入生を見回すと、城の中を先導していく。

 私はその女性のすぐ後ろを歩きながら城の中を観察した。

 建ってからかなりの年月が経過しているのか、廊下に敷かれた石畳は中央が人の足によって削られ軽く凹んでいる。

 窓にはガラスが嵌められているが、小さな傷が無数につき、今にも砕け散りそうだった。

 女性の先導で城の中を進んでいき、最終的に小さな小部屋のような場所に案内される。

 

「ただいま大広間では貴方たちの歓迎会の準備が進められています。貴方たちは組分けの儀式を受け、それぞれの寮へと振り分けられます」

 

 その後も女性は各寮の特性や、どの寮も長い歴史や伝統があるということを説明し始める。

 だが、所詮千年ほどの短い時間だ。

 それに、特性があるといっても所詮は寮。

 どの寮に入っても学校生活に違いはないだろう。

 違いが出るとしたら学校生活ではなく、家族関係だ。

 ブラック家は代々スリザリンに組分けされる。

 両親の話では、『純血を維持する真の魔法使いの一族である我々に相応しい寮はスリザリンだけ』らしい。

 スリザリン以外に組分けられたら、家からの評価が地に落ちるだろう。

 自分の兄であるシリウスがいい例だ。

 

「準備が整いました。私についてきてください」

 

 先程の魔女が部屋へと戻ってきて、新入生を先導し始める。

 私は押し流されるような形で部屋の外に出ると、そのまま多くの在校生が待つ大広間へと足を踏み入れた。

 大広間の中は大きく長い四つのテーブルが並び、その奥には職員用と思われるテーブルが設置されている。

 新入生は大広間の中央を進み、職員用のテーブルの前に並ばされた。

 ローブの色から察するに、四つのテーブルがそれぞれ各寮のテーブルとなっているようだ。

 新入生が全員並び終わると同時に、先程の魔女が古びた帽子が乗せられた椅子を新入生の前へと運んでくる。

 あれが噂に聞く組分け帽子というやつなのだろう。

 組分け帽子は在校生が静かになるのを待つと、大きな声で歌を歌い始めた。

 聞くに堪えない雑音と幼稚な歌詞だったが、どうやら各寮のことを歌っていたようだ。

 

「名前を呼ばれたら椅子に座って帽子を被り、組分けを受けてください」

 

 先程の魔女はそう言うと、早速一人目の名前を読み上げる。

 名前を呼ばれた新入生は長過ぎるローブの裾で転びそうになりながらも椅子に座り、帽子を深々と被った。

 

「レイブンクロー!」

 

 新入生が帽子を被った瞬間、組分け帽子が声高らかに叫ぶ。

 すると四つあるテーブルのうちの一つから拍手が湧き起こり、組分けを受けた生徒を迎え入れた。

 その後数人が組分けされた後、すぐに私の順番が回ってくる。

 私は椅子から帽子を持ち上げると、椅子に座り帽子を静かに頭の上に乗せた。

 

『ふむ。これはまた難しい生徒が入ってきよったな』

 

 組分け帽子の声が脳内に響く。

 

『お主にとって、この学校は監獄でしかない。お主がこの学校で学ぶことなど何一つないであろう』

 

 どうやらこの組分け帽子は人の記憶を読むらしい。

 まあ、帽子の言う通りだろう。

 私は数万年という歳月を学問に捧げた。

 今更このような原始的な世界で学ぶことなど何もない。

 魔法など、所詮は体の中を流れる魔力をある法則に従い変換し、仕事をさせているに過ぎない。

 

『であるのなら、お主が入る寮は一つしかない』

 

「スリザリン!」

 

 組分け帽子は高らかに叫ぶ。

 私は帽子を椅子の上に戻すと、拍手に導かれてスリザリンの寮のテーブルへと向かった。




プチコラム

セレネ・アルテミス・ブラック
 ブラック家の長女でシリウスの一つ下の妹。原作で言うところのレギュラス・ブラックの代わりにセレネが生まれたような状態。

月の都
 一億年ほど前から月の裏側に存在する月人が暮らす都。穢れに満ちた地上とは違い、この地には穢れは存在しない。高度な文明を有した理想郷。

八意××
 八意永琳の月での呼ばれ方。××の部分は地上の民には聞き取れない。

八意永琳
 数億年を生きている月の賢者。科学、医学、薬学とさまざまな文野において彼女の右に出るものはいない。

蓬莱山輝夜
 月に暮らす姫の一人。暇を潰すために永琳に『蓬莱の薬』を作らせ、服用した。その罪で一時的に地上に堕とされたが(竹取物語)、迎えにきた月の使者を永琳と共に皆殺しにし逃走。現在行方不明。

蓬莱の薬
 不老不死の薬。この薬を飲むと魂が固定され、それを基準に肉体が復活するようになる。極論を言えば、原子レベルで体をバラバラにされても数秒の時を経て復活することが出来る。

▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。