CDやチラシを手に「祥子が生きていたことを知ってほしい」と呼びかける(左から)矢島晶子さん、祥吉さん、敏さん

 大阪市西成区で生活困窮者らの医療支援に当たり、2009年11月に同区内の川で遺体が見つかった群馬県高崎市出身の医師、矢島祥子(さちこ)さん=当時(34)=を巡り、家族が真相解明に向けた取り組みを続けている。大阪で毎月、情報提供を呼びかけているほか、兄でミュージシャンの敏(びん)さん(52)=神奈川県茅ケ崎市=が矢島さんの生きざまをテーマに作曲した楽曲が発売された。敏さんは「祥子のことを知ってもらい、世間の空気が変わることで真相解明につながれば」と願う。

 矢島さんは日雇い労働者のまちとして知られる同区の釜ケ崎で医療支援に当たり、路上生活を送る人々を回るなど献身的な活動で「さっちゃん先生」と慕われた。09年11月、勤務先の診療所を出た後に行方不明になり、遺体で見つかった。

 大阪府警は当初自殺の可能性が高いとしていたが、首に絞められたような跡があったことなどから、両親が12年に「何者かに殺された可能性が高い」として容疑者不詳のまま殺人と死体遺棄容疑の告訴状を西成署に提出し、受理された。府警は事件と事故の両面で捜査を続けている。

 楽曲「さっちゃんの聴診器」は1月下旬に発売された。「もっと生きたかったこの町に もっと生きたかった誰かの為(ため)に」「何で生まれてきたのやら分からぬ人に聴診器 渡して聴かせる我が胸の呼気は今宵(こよい)も生き生きと」など、矢島さんの釜ケ崎での歩みを歌っている。

 歌詞は「釜ケ崎人情」などの楽曲で知られる作詞家、もず唱平さん、歌唱は門下生の歌手、高橋樺子(はなこ)さんが担当した。もずさんがテレビ番組で矢島さんのことを知り、家族に連絡したのがきっかけという。

 敏さんはもずさんの歌詞に前向きで明るいメロディーを付けた。「精いっぱいやり切った祥子が、懐かしい目で過去を見る時のような詞。思いを残しながらも旅立った祥子の目を通した、現代の人々への応援歌になれば」と説明する。

 家族らは毎月、チラシを配って情報提供を呼びかけている。父の祥吉さん(79)は「涙が出る曲。多くの人に知っていただきたい」、母の晶子さん(78)は「私たちが真実に向かう力になる」と話す。敏さんは「楽曲を通じて生きる勇気や希望を持ってほしい。それが祥子が生きた意味になる」と訴える。

 楽曲のCD(1000円)は全国で発売中。配信サイトでも配信されている。遺族と支援者らでつくる「さっちゃんの会」は3月31日、高崎市総合福祉センターで集会を開く。矢島さんの生涯を紹介し、高橋さんらが楽曲を披露する予定。