2010/04/26 - 2010/04/26
4678位(同エリア41711件中)
coroさん
桜もピークを過ぎて、観光客も落ち着いた頃だろうと思い、覗いたお寺は「竜安寺」
甘かった。世界遺産に失礼だった。
GWを目前にした平日でも、全国からのお客様が押し寄せている。
気を沈めて、久しぶりに心静かに石庭でも見てみよう。
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山門。
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目立たないが、この石橋は「三笑橋」と名付けられている。
山門を抜けて、石庭の方に行く途中にある。 -
庫裏。
石庭への入り口。
この青紅葉がたまりません。 -
お馴染みの風景であるが、何故か緊張してしまう。
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枝垂れ桜が満開の頃に、来ればよかった...
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特に正面辺りは、いつまで待っても人の切れる事は無い。
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ところで、この石庭には四つの謎が隠されていると云う事を御存知だろうか。
ネットで調べたほんの一編を紹介しよう。 -
① 僅か75坪の白砂のスペースに大小15個の石を配置。
「虎の子渡しの庭」とか「七五三の庭」とか所説は色々伝えられているが、作者の意図としたところは未だに不明と云われる。
観賞者の自由な解釈に委ねると云う事か。 -
② 一見水平に見える石庭も、実は排水を考慮して、東南角に向かって低く作られている。
写真で云うと、右奥から手前にかけて傾斜になるように作られている。 -
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また、西側の塀は、手前から奥に向かって低く見えるように作られている。
視覚的に、奥行きを感じさせるために、観賞者の錯覚を利用した心憎い演出と云われる。
写真でお判り頂けるだろうか。 -
③ 土塀は、白砂からの照り返し防止や、風化を防ぐ為、土に菜種油を混ぜた油土塀で作られている。
因みに、正面の塀の高さは1.8メートルだが、石庭側の面は外側の地面から80センチほど高い位置になるように作られている。
これも強固さを保つための工夫だと云われている。 -
④ 作庭は室町時代とされるが、一体作者は誰なのか。
開山の義天玄承、寺の建立者の細川勝元、その実子の政元、茶人の金森宗和、絵師の相阿弥と様々な説があるが、確証はないと云われている。
そこで、注目されるのが、庭石の裏に刻まれた「小太郎・口二郎」の刻印である。
しかし、これさえも作者と判定するには憶測の域を出ない。
作者は以前、謎のままである。 -
あれが有名な
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水戸の御隠居が寄贈したと云われる「つくばい」
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矢来垣の応用と云われ、横に長いひし形が重なっているのが特徴の「竜安寺垣」
このお寺独得のシンプルさが良い。 -
昭堂。
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かって、エリザベス女王が来られた時には、この勅使門からお入りになったらしい。
石庭を御鑑賞になられ大絶賛された事を、英国BBCが大々的に取り上げたことから、竜安寺が世界中に知れ渡ったと云う。 -
これが、正面の塀の外側の写真です。
この地面より80センチ高い位置に石庭が作られている事になる。
境内を散策しよう。 -
境内は全て、「竜安寺垣」と云われるシンプルな垣で統一されている。
写真:あと8枚
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この旅行記へのコメント (6)
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