「委ねる」と聞いた瞬間、イエス様に委ね切って微笑みつつ天に召された夫を想った。
満州で生まれ育ち、十六歳で終戦。価値観が逆転し、何を信じればよいか分からない、魂の暗闇を経験した夫は、長女を入れたカトリック幼稚園でイエス・キリストに出会った。
イエス様の説く神の言葉に普遍的な真理を悟った夫は「洗礼を受けたい」と言い出した。
神父様のご配慮で、最初否定した私も共に一家で受洗し、生きる指針を得て喜んだ。
しかし信仰を得た幸せを真に感じたのは夫の癌告知からである。
一瞬にして奈落のどん底に突き落とされ、病状に一喜一憂し、死の影に怯えた。死の恐怖は底なし暗闇の絶望である。この時、イエス様の言葉は天から差し込む光・救いの命綱だった。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」(参 マタイ11・28)私たちはイエス様に全てを委ねて祈った。すると不思議に心が軽くなり、希望を持つ力を得た。
その頃夫は新素材の合金開発に命を燃やしていた。病気のことは主治医に任せ、病床からFAXやメールで若いスタッフに実験を指示していた。
だが、ある時期からホイヴェルス神父様の詩の後半を時々口ずさんでいた。
「...己をこの世に繋ぐ鎖を一つづつ外して行くのは、真にえらい仕事
こうして何も出来なくなったら謙虚に承諾するのだ
神は最後に一番良い仕事を残して下さる 。それは祈りだ。
手は何もできない しかし最後まで合掌できる
愛する全ての人の上に 神の恵みを求めるために...」
周りのご協力でその研究成果が記者発表され、マスコミでも大きく報道された。ベッドでそれを見守った夫は研究開発に役立ったことを喜び、神のお計らいを感謝した。
そして一週間後、天に召されたのだった。