国産ロケットH3「失敗」明言も 共同通信の対応は全然問題ないワケ

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先日、国産ロケット「H3」の打ち上げ結果に関する「失敗」「中断」の判断を巡って、インターネット上で議論が紛糾した。物議を呼んだ共同通信記者の対応は本当に間違っていたのか、改めて考える。

ネガティブワードは不愉快?

記者のイメージ(画像:写真AC)
記者のイメージ(画像:写真AC)

 むしろ、あれを「捨てぜりふ」と捉えてしまう人々のほうが、どうかしている。どうやらその種の人々は、H3打ち上げをW杯の日本代表戦やオリンピックの日本人選手の決勝戦か何かと同一視しているようなのだ。

 JAXA担当者が涙ぐんでしまったことも、一層同情を引いたに違いない。研究者たちを慰労し、褒めたたえ、「悔しかったけれどよくやった、お疲れさま!」と言い合って皆の心をひとつにすることが、何より心地良いのだろう。ゆえに「失敗」というネガティブワードは不愉快であり、侮辱的にすら聞こえてしまうのだ。

 記者というのは「プロの素人」「素人のプロ」などと形容されることがよくある。今回の打ち上げがなぜ「失敗ではない」のか、私にはいまだによく分からない。素人が見て「なんで?」と思うことは、分かるまで聞いてほしい。共同通信の記者は、それをやっただけだ。

 ロケット打ち上げ「中止」の記事が出た18日付の日本経済新聞には、「COCOA失敗」という記事が出ていた。仮に厚労省が「COCOAは失敗ではない。中止しただけだ」と主張したら、新聞記者はその通り書かなくてはいけないのだろうか。そんなはずはない。当局の見解と記者の認識がズレることはあり得る。その意味で、記者という職業は本質的に一種の独善を含んでしまう存在だ。

 こうした「記者の独善」はネット社会では極めて評判が悪い。でも、記者の世界から独善が失われたら、きっと

「独善よりもひどいこと」

が起きるだろう。