国産ロケットH3「失敗」明言も 共同通信の対応は全然問題ないワケ
先日、国産ロケット「H3」の打ち上げ結果に関する「失敗」「中断」の判断を巡って、インターネット上で議論が紛糾した。物議を呼んだ共同通信記者の対応は本当に間違っていたのか、改めて考える。
「失敗」という言葉を忌避する人々
国産ロケット「H3」の打ち上げが「失敗」した――と表現することは、もはやちょっとした禁句になりつつあるようだ。
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文科省は「打ち上げ前に取りやめを判断しており、失敗ではなく中断と受け止めている」と見解を示し、高市早苗経済安全保障担当相も自身のツイッターで
「今朝はH3ロケットが打ち上がらず残念でしたが、安全のための設計の範囲の中で停止したので、『失敗』ではなく『中断』」
と明言した。
そして、ツイッターをはじめネット上には「失敗ではない」のコメントがあふれ、ニューズウィーク日本版で「国産ロケットH3の打ち上げは『失敗』である」とのコラムを執筆した私(西谷格、フリーライター)は著名な実業家から
「うんこ記者」
とまで呼ばれてしまった。
一連のやり取りを観察して気づくのは、日本社会に漂う「失敗」の2文字に対する強烈なまでの忌避感情だ。今般の打ち上げ結果を「失敗」と形容することは、
・研究者へのリスペクトを欠いた
・日本をおとしめる
・思いやりのない
人としてあるまじき侮辱行為と考えている人が一定数いるようだ。
「失敗」という言葉を忌避する人々は、この2文字のなかに
・無駄
・無意味
・敗北
・屈辱
・害悪
・汚点
・恥
・破滅
といったさまざまなネガティブイメージを連想しているのだろう。もっと言えば「バカ」「アホ」の類義語ぐらいに思っている人もいる。