〈社説〉「はだしのゲン」 深く学べる道探ってこそ

 「はだしのゲン」は広島市出身の故中沢啓治さんが、被爆体験を基に描いた自伝的漫画だ。広島県内にとどまらず、全国で平和教育に活用されてきた。

 いわばその発信地である広島市で、来年度の平和教育の教材からこの漫画が削除される。

 不可解なのは、市教育委員会がその理由を「被爆の実相に迫りにくい」としている点だ。

 というのも「はだしのゲン」は被爆の実相に鋭く迫る作品として国内外で評価されてきた。英語やロシア語、中国語など20以上の言語に翻訳され読み継がれている。

 現行の教材では小学3年の学習で登場する。主人公のゲンらが浪曲をうなってお金を稼ぎ、身重の母に滋養のつくものを食べさせたいと裕福な家の池からコイを釣る場面が引用されている。

 改訂に向けた学校関係者などによる検討で「浪曲は児童の実態に合わない」「コイを盗む描写は誤解を与える恐れがある」といった意見が出たという。

 この場面は説明が要るだろう。当時は戦争末期で、ゲンの父親は戦争を批判して警察に連行され、一家は「非国民」として周囲からのけ者扱いされていた。

 厳しい言論統制や深刻な食料不足など、時代背景まで掘り下げれば、むしろ戦争のむごさが胸に迫ってくる。そうした考察を深める余地が平和教育の現場で失われていないか、心配になる。

 漫画には原爆投下直後の惨状も描かれている。体中にガラスの破片が突き刺さったままさまよう人、川を埋め尽くす遺体。ゲンの父と姉、弟も犠牲となり、生まれた妹もまもなく亡くなった。爆心地から1・2キロで被爆した当時6歳の中沢さんが目に焼き付けた。

 全10巻の物語を通して、貧困と差別に負けずにたくましく生き抜く子どもたちの姿が立ち上がってくる。教材としても多面的だ。

 広島の被爆者団体などが、削除の撤回を求めている。市教委は削除せずに、教材として深く学べる道を探ってほしい。

 これまで「はだしのゲン」を巡っては、「残酷描写」や「差別を助長する表現」があるとして、一部で学校図書の閲覧制限や蔵書回収の動きも起きた。

 中沢さんは生前、生々しい描写を批判されても「実際はこんなものじゃない」とはねつけたという。

 戦争と原爆の実態を覆い隠すのではなく、知った上でどう考え、行動するのか。「はだしのゲン」のメッセージを受け止め、足元の平和教育を見つめ直したい。

あわせて読みたい