「論座」の終了と新たなオピニオンサイトの開始について
では、鈴木が武闘派右翼から脱しテロや暴力を否定するようになったのは、なぜなのか。本人に詳しく聞き込んだことがある。
足元の一水会で82年にスパイ査問事件が起こり、仲間の一人が殺される。朝日新聞などが襲われた赤報隊事件では関与を疑われ、何度も家宅捜索を受ける。

右翼には言論の場がない、だから実力行使を通じて主張を世に伝える――そうした後退した論理は、現に言論の場が与えられた以上は通用しない。それが鈴木の出した結論だった。
非合法活動も一掃した。「児玉系」右翼の重鎮ながら敬愛していた白井為雄に若い頃、対話の重要性を何度も説かれそのたび反発した思い出が、逆境下でようやく身に染みたということもあったようだ。「反米・反体制」路線で大きな影響を受けた恩師、野村秋介が思想の異なる者と積極的に議論・交流したことに学んだことも大きかった。
だが、何よりも根底にあったのは、自らの内に暴力への情動と非日常体質があることの強い自覚と、それが暴走することへの恐れだったのではないか。
丸山眞男の有名な『現代政治の思想と行動』に、右翼について書いた興味深い論文がある。類型として「市民生活のルーティンに堪える力の不足」「モノへの没入よりも人的関係への関心」「不断に非日常的な冒険、破天荒な仕事を追い求める」といった特徴を挙げている。
若い頃に読み、あまりにも自分たちに当てはまる、と感じた鈴木は、「こうはなるまい」と誓ったという。ちなみに丸山は、これらの特徴は左翼の活動家も陥る傾向だ、とも記している。
ほとばしる情念の魅力と危険を熟知しつつ、テロを防ぐ「対話の効用」をあえて選んだ
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東大全共闘と討論する三島由紀夫 ©SHINCHOSHA
鈴木邦男さん
若き日の鈴木邦男さん
靖国神社の門のそばに立つ鈴木邦男さん=映画『愛国者に気をつけろ!鈴木邦男』から、中村真夕さん提供
韓国・金浦空港でよど号から乗客を降ろすとき姿を見せた赤軍派=1970年4月3日
3党首公開演説会で演説中の浅沼稲次郎・社会党委員長に短刀で襲いかかる山口二矢=1960年10月12日 、東京・千代田区の日比谷公会堂
自決直前、自衛隊員らを前に憲法改正などを訴える三島由紀夫=1970年11月25日、東京・市ケ谷
1972年2月19日から2月28日にかけて連合赤軍が立てこもった「あさま山荘」=長野県軽井沢町
右翼関係者によって催された「山口二矢烈士六十年祭」=2020年11月2日、東京・新橋、筆者撮影
「東アジア反日武装戦線」によって爆破された三菱重工本社ビル前で、負傷者を搬送する救急隊員ら。この爆発で同社の社員や通行人ら8人が死亡、380人が重軽傷を負った=1974年8月30日、東京都千代田区丸の内
右翼団体「大悲会」代表の野村秋介。63年の河野一郎邸焼き打ち事件、77年の経団連占拠事件で服役、93年に朝日新聞東京本社で短銃自殺した
葦津珍彦
60年安保闘争で国会議事堂を取り巻くデモの参加者たち=1960年6月11日
ロッキード事件裁判の初公判後、東京地裁を出る児玉誉士夫=1977年6月2日
右翼団体による映画『靖国 YASUKUNI』の試写会終了後、感想などを話す参加者= 2008年4月18日、東京・新宿
安倍元首相を銃撃し、取り押さえられる山上徹也被告=2022年7月8日午前11時30分、奈良市
ヘイトスピーチ規制をめぐる議論に参加する鈴木邦男さん。左派やリベラルの論客とも積極的に交流、議論した=2015年6月11日、東京都文京区