発がん性リスクに40年間沈黙、抗潰瘍薬「ザンタック」開発メーカー
Anna Edney、Susan Berfield、Jef Feeley-
がんのリスク高めることを示す証拠ないとGSK
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社内の科学者や独立系の研究者が危険性を警告していた
英国の小企業だったグラクソ・ラボラトリーズは「グラクソ大学」と呼ばれることもあった。重要な医薬品研究を行っていたが、収益性のある薬が生まれることはまれだったためだ。その同社の科学者がラニチジンと呼ばれる分子を作り出し、1978年に米特許を取得。これを基に開発した消化性潰瘍や胃炎を治療するH2受容体拮抗剤「ザンタック」(商品名)は世界で最も売れた処方薬となり、何年にもわたってグラクソの売上高の半分近くを占め、利益の大きな部分もこれに依存した。合併・買収(M&A)やスピンオフを経て現在の形である英GSKになるのも資金面で支えた。
GSKの現在の主力製品には、抗うつ薬の「パキシル」「ウェルブトリン」、帯状疱疹予防ワクチン「シングリックス」などがあるが、ザンタックの名前はない。ラニチジンは2019年、高レベルの発がん性物質と見られる物質で汚染されていることが判明した。偶然あるいは少数のバッチでの不備が原因ではなく、ラニチジンそのものから生じた。ザンタックの各メーカーと世界各国の保健当局者はリコールを行い、20年春には米食品医薬品局(FDA)が市場から完全に撤去させた。
発がん性物質「N-ニトロソジメチルアミン(NDMA)」はかつてロケット燃料に使用され、今では研究室のラットにがんを発症させるためだけに利用される。ごく少量の摂取は有害でないとFDAは指摘するが、ラニチジンに相当な量のNDMAが含まれていることが試験で分かっており、どの形態でも安全ではなさそうだった。
最初から最後まで、グラクソはラニチジンの危険性について自社の科学者と独立系研究者から警告を受けていた。40年間にわたる記録は、数千ページに及ぶ何百もの文書から明らかになったもので、その多くはこれまで非公開だった。ブルームバーグ・ビジネスウィークは、なお多くが封印されたままの裁判所への提出資料や試験資料、FDAの議事録、新薬承認申請などを情報公開法の下で開示請求。これら資料は、FDAがラニチジンを承認した際、がんのリスクを検討していたことを示しているが、グラクソは重要な研究結果の一つをFDAと共有していなかった。同社はさらに、懸念を最小限に抑えることを意図した欠陥のある研究を後押ししたほか、問題を緩和し得た方法で同薬を規定通りに輸送・貯蔵していなかった。
ザンタックやそのジェネリック(後発医薬品)を服用した7万人余りが、汚染されリスクがあるとみられる医薬品を販売したとして同社を州裁判所に訴えている。提起された訴訟の最初の審理が2月下旬にカリフォルニア州アラメダ郡の州裁判所で始まるはずだったが、判事のスケジュール調整のため夏まで延期される見込みだ。裁判にはファイザーやサノフィなど、後からザンタックを販売した企業もかかわる。
米連邦裁判所は昨年12月、GSKに有利な判断を下した。フロリダ州南部地区の連邦地裁のロビン・ローゼンバーグ判事は審理前の整理手続きで1つにまとめられた数千件の訴訟を退けた。判事は「ラニチジンとがんの間で観察できる統計的に有意な関係が科学コミュニティーで広く受け入れられてはいない」と断じた。
GSKの広報担当者キャサリーン・クイン氏は声明で、「裁判所の見解はこの訴訟を通じてGSKと共同被告人が取っている立場と一貫している」とし、「科学的なコンセンサスでは、ザンタック(ラニチジン)がいかなる種類のがんについてもリスクを高めるといった一貫性ないしは信ぴょう性のある証拠はない」ことが疫学調査を含む3年超の広範囲な研究によって示されたと指摘した。原告側は上訴する方針だ。
GSKはなお州裁判所で審理を待つ数万件の訴訟に向き合う必要がある。同社は声明で「この訴訟のあらゆる主張を含め、引き続き精力的に争う方針だ」とし、それ以上のコメントを控えた。
NDMAについては米環境保護局(EPA)やFDA、世界保健機関(WHO)などあらゆる公衆衛生当局が人にがんを引き起こす可能性が高いと指摘する。だがある人のがん細胞が医薬品によって変異したと証明するのは難しい。グラクソの判断はその可能性を絶対に考えたくなかったことを示唆する。
それを示すヒントはある。2021年6月に行われた宣誓供述によると、原告の弁護士が「ザンタックが市場で売られていた約50年の間、グラクソがNDMAの存在について誰かに試験を受けさせようとしたことはあったか」と質問したのに対し、GSKのシニア医療アドバイザーは「私の知る限りではない」と答えた。
NDMAは黄色の液体で水に溶ける。臭気はなく味もほとんどない。がんとの関連性が指摘されたのは1956年で、肝臓に最も有害だ。70年代までに最も強力な発がん性物質と見なされていたニトロソアミン類の一つ。試験を受けたあらゆる種の動物にがんを引き起こした。NDMA1ミリグラム未満を1回投与しただけでマウスの細胞は変異し腫瘍ができる。人は2グラムで数日中に死に至ることもある。
81年夏に英国で1件の臨床試験が行われた。健康な男性11人が1日2回150ミリグラムのラニチジンを4週間投与された。グラクソの科学者は長期投与が胃の細菌に影響を与え、より多くの亜硝酸塩を生み出しニトロソアミンを形成し得る可能性があるかを調べようとして、実際にその可能性を見いだした。そして、その重要性は明らかでないと結論付けた。
FDAがその後確認した概要でグラクソの科学者は、高レベルの亜硝酸塩がニトロソアミンを形成し得るとし、そのほとんどが発がん性物質だと書いていた。だがそれまでの動物実験ではラニチジンの発がん性が示されず、従って人へのリスクの程度は推定できないとした。そもそもラニチジンの長期利用は想定されていなかった。科学者は「ラニチジンは短期利用に限り推奨され、それゆえに発がん性リスクがあるとしても最小限にとどまるだろう」と締めくくっていた。
だが結果的に多くの人がザンタックを数カ月、時には数年、場合によっては数十年も利用することになる。
グラクソは82年3月にもラニチジンの危険性を示す別の研究を知った。それはH2受容体拮抗剤「タガメット」を製造するライバル企業スミス・クライン・アンド・フレンチ・カンパニーがグラクソに送り付けたわずか数ページのリポートで、科学者がラニチジンを異なる濃度の亜硝酸塩とまぜ、有害物質の形成を確認。その物質はNDMAだとした。
グラクソが疑念を持つことは当然だったはずだ。ある企業が競合製品を試験し不備を見つけたのだ。グラクソは社内の科学者リチャード・タナー氏に独自の試験を行うよう求め、同氏は同じ結果を得た。一部の検体に最大23万2000ナノグラムのNDMAを検出した。どの医薬品でも許容される上限とFDAが後日みなしたNDMAの量は96ナノグラム。タナー氏が比較的少量の亜硝酸塩を使用した際にはNDMAは検出されなかった。これは実際の人の胃の状態に近いと同社が現時点で主張する水準だ。だが裁判所資料によると、82年にグラクソは研究結果を伏せ、FDAも知らなかった。
グラクソはラニチジンについて深刻になりそうな別の問題も認識していた。ラニチジンが常に安定的ではないことだ。熱や湿気の影響を受けやすく、いずれも度合いが過剰になると品質が劣化し得る。FDAはのちにこの点に注目することになる。極端な状態でなくても通常の室温など一定の条件でラニチジンは分裂し始め、ラニチジンそのものの中でNDMA形成の条件が整う。
82年3月にグラクソはラニチジンの新薬承認申請(NDA)に動いた。米国で初の臨床試験が始まったのはそのわずか2年前だった。同年5月のFDA諮問委員会への説明で、グラクソの科学者らは3つの研究結果を示し、長期(約2年)投与でラットやマウスにがんを引き起こすことはなかったと指摘。「胃の中や他のどこにもラニチジンが発がん性物質になる証拠はない」と主張した。また、人の通常の状態でラニチジンがニトロソアミンを形成する可能性があるとの見方に反論した。タナー氏の研究にも言及しなかった。
がんに関する懸念から用量や適応対象となる潰瘍の種類に話は移った。輸送や管理の条件やラベルの警告もさほど話題にならなかった。話し合いのペースは速く、昼休み直前に外部の専門家から成る諮問委がFDAに承認を勧告した。急性十二指腸潰瘍の治療薬として1日2回150ミリグラムを最長8週間服用することを認める内容だった。1年後の83年5月にFDAはザンタックの販売を承認した。
89年までにザンタックの価値は20億ドル(約2680億円)に達した。グラクソの売上高の半分を占め、処方薬としての抗潰瘍薬市場の53%を占めるようになった。
96年春にはザンタックの市販薬が投入された。ピンク色の同薬は75ミリグラムで1日1、2回の服用が可能だった。既に米国では人々が胸やけ治療薬に毎年多額を支出していた。グラクソのマーケティング担当者の準備は整っていた。キャッチフレーズは「伝説は生き続ける」だった。
2019年9月、FDAはラニチジンについて警告する19ページから成る資料を受け取った。FDAから独立して運営されている民間の研究所バリシュアはザンタックおよび複数のラニチジン後発薬から極めて高レベルのNDMAを検出したと指摘。検査したラニチジンの全バージョンでNDMAが確認され、問題はこの分子に固有のものだと結論づけた。
FDAは警告を発したが、バリシュアの検査手法も疑問視し、独自のプロトコルで自ら検査を行うと表明。それから1カ月以内に少なくとも二十数カ国で店頭から撤去され流通が停止した。GSKは既に米国でザンタックを販売する権利を手放していたが、自ら供給停止に動いた。17年に独ベーリンガーインゲルハイムから米国での販売権を取得した仏サノフィと、ザンタックを1998-2006年に販売していたファイザーも同様の措置を取った。
GSKの上級幹部が同僚らに対し、タナー氏のリポートは欧州連合(EU)や米国の当局に提出されたのかと19年11月に尋ねたところ、答えはノーだった。どの新薬承認申請にも同リポートを付けていなかった。そしてGSKはようやく、1982年からしまい込んでいた同リポートを提出した。
20年4月、FDAは異例の思い切った判断を下した。ラニチジンを製造する企業に対し、形態や用量にかかわらず生産・販売を停止させる措置を取った。ラニチジンは終わりとなった。FDAは「ラニチジン内のNDMAのレベルは通常の保管状態でも上昇する」とし、「流通時や消費者が取り扱う過程でさらされ得る温度を含め、製品が高めの温度で保管されていたサンプルでNDMAの大幅な増加が確認された」と説明した。
FDAの検出した内容の詳細の一部は21年10月まで共有されなかった。共有したのも公表された論文の中でなく、月例講義シリーズ「FDAグラウンド・ラウンズ」の中でだった。FDAによると、最初の検査でクールミントバージョンの錠剤1錠にNDMAが357ナノグラム含まれていた。これはFDAが定める上限の約4倍。4カ月後の検査では931ナノグラムが検出されたという。
FDAはグラクソとのやり取りについてコメントを控えたが、安全かつ有効で品質が確保された医薬品へのアクセス提供に取り組み、「最新の科学に従って」ベネフィットとリスクを評価していると資料でコメント。適切と判断された場合、医薬品の市場からの撤去を要求するとし、「新たな不純物確認や新たな製造工程の活用、科学の進歩などに際し、FDAは安全性や品質、有効性改善に取り組み、生じつつある患者の健康へのリスクを調査し続ける」とした。市場からラニチジンを排除したFDAの判断は、胃の中ではなくラニチジンの中でNDMAがいかに形成されるかに基づくものだった。FDAはいったん摂取されたラニチジンがさらなるNDMA形成にはつながらないとしているが、一部の科学者はこれに異を唱える。
20年12月、GSKは根本的原因の分析だとする結果を公表したが、結論は出なかった。同社の科学者はラニチジンの中でNDMAがどのように形成されるか正確に判断できないとし、1970年代に最初に開発された際に、NDMA形成を誰かが合理的に予測するのは不可能だったとした。
その半年後にFDAは再び異例の重要な判断を下した。ラニチジンからNDMAが検出され、ラニチジンは人への発がん性が疑われるが、ザンタックががんのリスクを高めるという「一貫したシグナルはない」というものだった。ラニチジンを服用した人の尿のNDMAレベルを調べた10ページから成る研究報告書の8ページ目で指摘した。この研究は外部科学者が執筆した7つのリポートに依存するものだった。
FDAの結論は最終的なものではなさそうだったが、今ではグラクソの広報資料に盛り込まれており、恐らく訴訟で抗弁する際の根拠とするもようだ。
その後実施された3つの研究で膀胱(ぼうこう)や肝臓などのがんとラニチジンの関連性が見つかったが、FDAは自らの主張を変えていない。これについては、危険な化学物質が医薬品に潜んでいたことを何十年も容認したFDAを免責するためのものだとの批判もある。
サノフィはザンタック錠でNDMAがどのように形成されたかを独自に調査した。一部変更を加えることでFDAの精査に耐えザンタックを市場に戻せると期待してのことだ。同社が「プロジェクト・チャーチル」と呼んだ取り組みは期待外れに終わり、前例のない決定につながった。サノフィはラニチジンを成分とするザンタックを、受け入れられる形で作る方法を見つけられなかった。
同社は21年、活性成分ファモチジンでザンタックを作り変えた。これは胸やけ治療薬「Pepcid」として店頭に並んでいる。サノフィはウェブサイトで「ザンタックブランドの確立された歴史とレガシーを基礎とするものだ」と説明している。
原題:Zantac’s Maker Kept Quiet About Cancer Risks for 40 Years(抜粋)