[「防人」の肖像 自衛隊沖縄移駐50年](11) 第1部 対峙 琉大入学紛糾(下)

 もう少し背が高かったら自衛官にならず、1975年の琉球大学短期大学部で入学を巡る紛糾にも遭っていなかったかもしれない。当時20歳の海上自衛隊士長だった大旗清さん(65)=千葉県=は、本紙の取材に半生をひもといた。

 小学生の頃から飛行機乗りになりたかった。思いを秘めたまま、高校を卒業した時は身長163センチ。165センチ以上の基準があったという民間航空会社入りを諦め、158センチあればよかった自衛隊でパイロットを目指した。選抜試験に落ちる前後も、航空機の整備を懸命に学んでいた。

 優秀で、配属の希望通り沖縄へ。日本復帰で話題になり、米軍がいて外国人の多さから英語も学べそうだと憧れていた。住んでいた隊舎があった海自沖縄航空隊の住所は今でも覚えている。入学願書に書いて、ある私立大学に出すと「書類で落とされ、試験も受けられなかった」。反自衛隊感情に気付くきっかけだった。

 身分を隠して大学に通う先輩がいると聞いて「沖縄の実情を知りたい」と思いが募った。住所を記さなくていい私書箱から、職業を公務員とした願書を琉大短大部に送った。合格発表の数日後、大学職員が隊を訪ねてきて身元が割れた。...