日本の伝説的な漫画家、松本零士さん死去 85歳

イモジェン・ジェイムズ、BBCニュース

Leiji Matsumoto

画像提供, AFP

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松本零士さん

日本の伝説的な漫画家でアニメ製作者の松本零士さんが亡くなった。85歳だった。事務所の零時社が20日、発表した。

零時社によると、松本さんは2月13日に都内の病院で亡くなった。東映によると、死因は急性心不全だった。

「銀河鉄道999」、「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」、「クイーン・エメラルダス」、「宇宙戦艦ヤマト」など、壮大なSF大作で知られた。反戦をテーマにした情感豊かな物語を多く描いた。

松本さんの娘で零時社代表取締役の松本摩紀子さんは、松本さんが「星の海に旅立ちました」と発表し、「漫画家として物語を描き続けることに思いを馳せ駆け抜けた幸せな人生だったと思います」と書いた。

松本さんの本名は、松本晟(まつもと・あきら)。1938年に福岡県久留米市に生まれ、15歳で投稿作「蜜蜂の冒険」によって雑誌デビューした。高校を卒業すると上京し、漫画家の道を突き進んだ。

1961年には少女漫画の草分け的存在だった牧美也子さんと結婚。夫婦の合作も複数発表した。当初のペンネームは「松本あきら」だったが、1960年代後半から「松本零士」を使うようになった。

四畳半の下宿に住む貧しい若者たちを描いた「男おいどん」が1971年から連載され、初の大ヒット作となる。「男おいどん」は、1972年の講談社出版文化賞児童漫画部門賞を受賞した。

地球を滅亡から救うための戦いを描いた「宇宙戦艦ヤマト」、無法者とされる宇宙海賊が異星人の侵略と戦う「キャプテン・ハーロック」、命の意味などを描いた「銀河鉄道999」など、複数の作品がアニメ化され、大ヒットした。

第2次世界大戦の終戦時に7歳だった松本さんは、150以上の作品で戦争の悲劇を描いた。後に松本さんは、帝国陸軍航空部隊のパイロットだった父親から、戦争は「未来を破壊する」から絶対にあってはならないのだと教えられたことを、作品への影響として話している。

松本作品の多くを英訳したアメリカの作家ザック・デイヴィソンさんは、「世界は圧倒的な巨人を失った」とツイッターで書いた

デイヴィソンさんはさらに、松本作品のアニメは、幼い少年や青年が感情を揺さぶられる様子を描いており、男の子は勇敢なだけでなく、悲しんで泣いてもいいのだという描写が、子供の自分には衝撃だったとも書いた。「宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999は、みぞおちを殴られたような衝撃だった。人が……死ぬんだ。人が……泣いて。人が……恋に落ちる」。

「松本作品にはとてつもない悲しみが、ほかでは見当たらない壮大さがあった。神話的であると同じくらい未来的な、強力なビジュアルに包まれて」とも、デイヴィソンさんは書いた

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フランスの電子音楽デュオ、ダフト・パンクは松本作品のファンで、2000年発表の「ワン・モア・タイム」など楽曲用のミュージックビデオ制作をいくつか依頼している。

ダフト・パンクのトーマ・バンガルテルさんとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストさんは、松本さんは自分たちの子供時代のヒーローだったと話している。

2005年にはアルバム「ディスカバリー」の曲をフィーチャーしたアニメ映画「インスターステラ5555」を、松本さんと一緒に作った。太陽系外の惑星を舞台に、4人組のロックバンドを描いた物語で、日本のオンライン雑誌ペンは、「公開前からすでにカルト的ヒット作だった」と評した。

1999年には、福井県敦賀市の駅前通りに「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」を題材とした複数のブロンズ製モニュメントが設置された。

松本さんは2010年に旭日小綬章を受賞。2012年には、フランス政府から芸術文化勲章シュヴァリエを叙勲されている。

今なお絶大な人気を得ている松本作品は、数々のリメイクやスピンオフ作品を生み続け、何世代にもわたる漫画・アニメファンに影響を与え続けている。