うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ 作:珍鎮
右に樫本先輩。
正面にドーベル。
その彼女の左右にマンハッタンとサイレンス。
今いる場所は就寝の為に後部座席のシートを全て倒したハイエースの中。
──何だろうか。この状況は。
とりあえず俺自身は何もしてないのが現状だ。
怪異と戦ってムラムラが爆発して眠気も限界で一旦車でお昼寝をブチかましたら、いつの間にか先輩に膝枕をされていた。
少し経ってドーベルが車まで訪ねてきた。日中の俺の様子がおかしいことが気掛かりだったようで、ついでにサイレンスとマンハッタンもやってきた。
つまり俺が愛しているヒロイン三人に、年上の美人な女性に膝枕されているところを目撃されてしまった、というわけである。
──と、まぁ一旦俺の社会性や彼女たちからの好感度が死滅したことは置いといて。
自分で言うのもなんだが今の俺はまともではない。
こうして自身を俯瞰できているうちはいいが、彼女たちの前で自制が利かなくなったらいよいよ閉店だ。秋川乳業。
「……それで、葉月くんと樫本トレーナーはどういったご関係なんですか……?」
痺れを切らしたサイレンスが困惑の面持ちのまま口を開いた。浴衣ということはお風呂上りか? どうりで妙に色っぽいわけだ。アーユーレディ!? レッツモーフィンタイム。
「ええと、どう……というと……」
「……先輩と後輩の関係だよ。俺がガキの頃に世話になってたんだ」
理子ちゃんは基本的に運動以外なら何でもできる凄い子なのだが、予想外の緊急事態に対しては極端に弱いため、こういう時は俺が助け舟を出してあげなければならない。
それにサイレンスの質問はごく普通のものだし、こちらも隠し立てするような秘密があるわけでもないから淡々と事実を伝えればいいだけの事だ。
「ただの先輩後輩の関係で、膝枕を……?」
うるせぇ! 公園でヌルグチョに握手洗いして隠密デートして砂浜で頬にキスしてなお普通の友達面してるお前はなんだ! まずは貴女は抱き枕として安眠の手助けをしてください。
「……逆に聞くけれど、貴方たちは葉月の何なのですか。就寝時間前に旅館から少し距離のある駐車場まで来るなんて」
先輩が攻勢に転じる。
サイレンスは不意の反撃で面食らい、先ほどから動揺しっぱなしで会話に入れないドーベルを見かねて、理子ぴんの詰問に応じたのはマンハッタンだった。
「私たちは葉月さんの友人です。アルバイト先が同じで……
妙に強調するような言い方だ。そもそもの疑問なんだがどうしてこんなに空気がピリついているのだろうか。寝不足気味な友達が昔の恩人に看病されてたってだけの話じゃないのか。
……まぁ、彼女たちからすれば樫本先輩は今回のイベントで知り合ったばかりで、トレーナーではあるが学園では一切交流した事がないただの他人だ。多少警戒するのはしょうがないことかもしれない。
「アルバイト? 既に全国的に有名な貴方たちが……? グッズだけでなく、よく見かける宣伝のお仕事でも十分──」
「学園からの許可は取ってあります」
「……何か隠し事がありそうですね。立場上そちらの事情を聞くことはできませんし、詮索するつもりもありませんが──葉月が関わっているのであれば、話は別です」
「っ……!」
全員正座して真剣な話し合いをしている雰囲気に思わず俺まで真面目になってしまいそうだ。
……あ、樫本先輩が若干プルプルしてる。
表情はシリアスそのものだが、おそらく足が限界なのだろう。多分しばらく痺れて立ち上がれない状況だと思われる。かわいい~♡
──ちなみに言っておくとガチマジやばめにクソ眠い。
お昼寝を挟んだのにまだまだ眠い。
腹も減ったしアホほどムラムラするが何よりも眠い。どうやら三大欲求で序列を決めるなら睡魔が頂点に君臨する欲望であったらしい。
この今の俺がこんな真面目に話し合いを重ねていきそうな空気の中で平静を保ち続けるのは不可能だ。いますぐにでも全員押し倒して嫁にしてやってもいいくらいなのにお行儀よく正座していることを褒めてほしい。
「…………ぁ?」
ふと、気がついた。
いま乗っている車が暖房をつけているせいか、暑さを感じたドーベルが身じろぎをして少しだけ首元を扇いだのだが。
──ちょっと浴衣がはだけている。
いや、はだけていると言うのもおこがましいレベルかもしれないが、それでもちょっとだけ肩というかうなじの部分がチラ見えしてしまっているのだ。
完全に油断していたがアレは完全に種付けの催促。遂に俺のキカン棒も我慢の限界を迎えた!
「だ、だからアタシたちはツッキーを支えなくちゃいけなくて……っ!」
「……何を言うかと思えば怪異だのなんだのと。そんな荒唐無稽な話を信じろと?」
なんだか四人の話が結構な段階まで進んでいるみたいだが全然聞いていなかった。今どのあたりの話をしているのかが全く分からない。
「うぅ……そ、その、アタシたちの話、やっぱり信じられませんか……?」
「……別に一切を否定するわけではありません。一部の超常の存在が実際にいることは私も理解する範疇ではあります。不思議な猫とか知ってますし……ですが、貴方たちの話の全てを鵜呑みにすることはできません。……もしその通りだったら葉月の一人暮らしなんてこれ以上は看過できない」
気がつくといつの間にか先輩の視線が俺に注がれている。どうして急に俺が恋しくなったのだろう。旦那じゃ届かないところまで到達したか。もっと熱烈にアピールしないとコトだぜ? 美女。
「……葉月、どうなの。彼女たちを庇いたい気持ちは分かるけど……正直に答えて」
ヌモォ。
美人な顔が急接近。お前のせいで下腹部の隆起が今年イチですよ。
「ぁ……えーと……」
マジで本当に何も聞いてなかったが誤魔化さないと。思考を動かせ。わっせわっせ。
とにかく今俺が思っていることを口にしよう。
否定も肯定も議題のテーマを理解していないと最悪取り返しのつかない結果になる。
まず全員を娶って王になること以外で現在の脳で出力できる返事は──
「心配……かけさせたくなくて」
「っ!」
今日からお前は俺のもんだ。
──思考と言葉が逆にならなくて本当によかった。危うくゲームオーバーになるところだったぜ。俺でなければだがな。
「……だから秘密にしていたの? 私にさえも」
「そ、そうです。ごめんなさい、先輩」
「…………はぁ。嘘を言っている様子ではないし、今は信じるしかなさそうね……」
でも、と呟いて先輩は一拍置いた。
「事情を共有している仲間とはいえ、貴方たちはどこか……その、距離感が近すぎるような気がします」
そうかな? そうかも。
「……こ、交際しているの? 彼女たちの中の誰かと」
「えっ」
「「「──ッ!!?」」」
何を言うかと思えばそんな事か。
もちろん付き合ってなどいない。心は繋がっているけれど。
「あくまで学園のトレーナーではなく……あなたの幼少時代を知る一人の先輩として質問しています。口外するつもりはないから教えて。……どうなの」
「いいいいっいやいやいやツッキーとアタシはそんなんじゃっ!?」
「ど、ドーベル、落ち着いて」
「葉月さんは……まだ、誰とも……そのはず、ですが……」
「貴方たち、ちょっと静かにしていてください」
何も下世話な気持ちで質問したわけではない、と補足する先輩。
「その“解呪”とやらの詳しい内容はまだ聞いていないけど、交際もしていない男女がそう何度も異性の家に泊まるだなんて……事情を鑑みても看過できないわ。十二分に不純異性交遊の危険性を孕んでる──仮にそんな気持ちが無かったとしても、この三人ほどの知名度を誇る現役ウマ娘が
うおっすっげ早口。
いろいろ語ってるけど俺への好意は隠せてないぜ。ちらりと見える焦燥がチャーミング。
おそらく先輩の作戦はこうだ。
この状況で一人暮らしは危険 → 誰とも付き合ってない → じゃあ一つ屋根の下で過ごすのはダメ → 最近こっちに越してきたから卒業までは私と暮らしなさい──とこのように。あ、ありがとうございます♡
なるほど樫本先輩の言いたいことは理解できる。
何より大人が介入した方が安全なのは間違いない──と考えているのだろうが、そう単純な話ではないのだ。
怪異に対処できるのはその存在に理解があり尚且つウマ娘であるドーベル、サイレンス、マンハッタンの三人とこの俺だけだ。
もしも俺と一緒に過ごす事で樫本先輩が怪異の攻撃対象になった場合に、俺が庇えない状況になったらごくごく普通の人間である彼女は自分の身を守ることが出来ない。まず怪異と“戦う”というステージに立つことすら不可能なのだ。
たしかに現在の俺たちの状況は最適とも最良とも取れないが、間違いなく最善は尽くしている。このまま先輩の提案に乗ってしまうのはいささか早計な判断だろう。
…………なんか一瞬だけまともな思考が働いたな。
欲望が決壊寸前の──喉が渇き下腹部が疼き、視界はボヤけて意識が揺れて、瞼が鉛のように重い極限状態だというのにいま冷静に物事を考えられたのは、おそらくいつもと違って今の俺がユナイト状態だからだ。
どうやら肉体を行使する派手な運動だけでなく、脳をこねくり回すにも最適な変身形態であったらしい。不幸中の幸いというやつだ。いつもならもう四人の中の誰かに抱き着いて死んでた。
「……付き合っては、いません」
あー。駄目だ。
いよいよフラつくばかりか吐き気まで催してきやがった。
脳みそをフル回転させて、オマケと言わんばかりに冷静に自分自身の状況を俯瞰して自覚したのが良くなかったみたいだ。
なんというか、自分がヤベー状態だってことを自覚した瞬間に一気に疲弊が襲ってきた。
「でも……先輩には信じてほしいんです。この三人は頼れる仲間で……最善を尽くして今の状況にあるってこと……」
「葉月……」
「信じてください、先輩。俺らはまだ学びの足りない高校生だし、一から十まで健全で完璧ってわけじゃないけど……
言葉巧みに先輩を手懐けて差し上げますよ♡ それも家庭教師の責務ですからね。
なんやかんやでがんばってセリフを絞りだしていく……その最中。
マンハッタンが少しだけ怪訝な表情に変わった。
「……葉月さん? なんだか前髪が、白く……」
ねむ、ねむ。
眠気が限界フェスティバル。いよいよ楽しくなってきた。
あぁ、そういえば今まで長時間ユナイトしたこと、なかったな。
どうなるんだろう。疲れるだけなのか、俺の肉体が爆発四散するのか。
それとも──二人が一つになってしまうのだろうか。
◆
「……俺の夢の中か、ここ?」
「そうみたい」
「みたいって。わかんねーのかよ」
「ん……私もよく分からない」
気がついた時には秋川本家の屋敷の中庭に立っていた。
どうやら困憊に抗うことができず、遂にワゴン車の中で寝落ちしてしまったようだ。
意識が落ちる寸前の事は何も覚えていないのだが、結局どうなったのだろうか。なんとなく和解できそうな雰囲気ではあったけども。
「……あ、ショタハヅキ」
「やよいも一緒だな」
「二人ともぽてっとしてて、かわいい」
縁側で大人たちに隠れて漫画を読んでいるかつての自分と従妹の姿を眺めながら、すぐ近くにサンデーと一緒に座って──とりあえずこの明晰夢の中で一息つくことに決めた。
結局寝落ちしてしまったために夢の操作による欲望の発散は叶わず、こうして自分の夢の中でのんびりするハメになったわけだが、休める状況にはなったのは素直にありがたい。
『やよい、また山のなかにいこーぜ。こんどはやよいが好きそうな本があるかも!』
『……』
子供の俺は幼いやよいの手を引いて、こっそり本家の屋敷から抜け出していく。そういえばこうでもしないと外出できないんだったっけか。
それから見ての通り、この頃のやよいは感情表現が極めて希薄だ。
無口でハイライトオフで基本的に無抵抗。
俺にも本家の人間にも逆らわず、言われたことに従うだけのロボットに等しい──そんな彼女の状態を見過ごせなくて『ヤンチャ』に走ったのがこの時期の俺だ。
唯一親身に寄り添ってくれていた祖父がこの世を去って、味方がいなくなった一番孤独な時期。
先生も山田もいないこの頃の俺はとにかく何かを変えたくて必死に駆けずり回っていて──
『……あなた達、ウチの敷地内で何をしているのかしら』
そこで彼女に出会った。
密かに秘密基地にしようと目論んでいた場所は、その女子高生の家が管理している敷地の中だったらしく、何も知らず遊びまわっていた俺たちは遂に所有者に見つかったというわけである。
「それで、ハヅキたちはあの後どうなったの」
「えっ? あぁ……どうしても家に帰りたくないってゴネたら先輩が自分の家にあげてくれて、俺たちの話を聞いてくれたんだよ。そっからは……」
定期的に先輩が面倒を見てくれるようになって、俺とやよいが人間性を学んで、あとは──
「まぁ、普通の小学校時代だな。悪いことして怒られて、良いことして褒められて、勉強とか面倒くさいことは後回しで楽しいことばっかりやって……マジでそんなもん」
特別な事は何もない。
それこそ誰もが経験してきた幼い頃の思い出程度のものだ。
「ふーん」
山道で汚れた子供の俺を風呂で洗おうとしている樫本先輩を眺めながら、サンデーは興味無さそうに相槌を打った。
こんな毒にも薬にもならない俺の過去なんてものを話してもしょうがないか。相手を困らせるだけだろうしサンデー以外には言わないでおこう。
「──にゃっ」
そのまま何の気なしに和室の居間で寛いでいると、後ろから可愛い声が聞こえてきた。
振り返ってみると、そこにはフワフワで柔らかそうな猫耳を携えた“秋川やよい”の姿があった。
「んなぁ」
「……や、やよい?」
「違うと思う。あれ、先生」
先生──あぁ、いつもやよいの頭の上に乗ってる猫こと、先生。
たしかに彼女は夢の世界の中では猫の姿ではなく、帽子を脱いだやよいに瓜二つな姿に変身するんだっけか。
先生の正体は夢の案内人だ。夏のイベントの際にサンデーを夢の境界から連れ戻すときはどうもお世話になりました。
お久しぶりですけど、なんで俺の夢にいるんですかね。
「こんにちは、先生」
「にゃーん」
挨拶をしたら隣に座って頭をこすりつけてきた。かわいすぎ警報発令。
「どうです、やよいは元気ですか」
「ごろごろ」
顎の下を撫でたらゴロゴロと鳴る猫エンジンが起動した。どっから音出てるんだろこれ。
「うなーん」
「……」
「んなぁお」
「……サンデー、先生はなんて言ってるんだ?」
とても申し訳ないのだが猫語を履修していない俺には何も分からない。通訳お願いしますね。
「ん。先生曰く、強制的に意識を落として私たちを夢の世界に避難させてくれたみたい」
そんな芸当ができたのこの猫。尻尾の付け根をトントンしたら腰が上がってきましたよ。姿がやよいなのではたから見ると犯罪臭凄いわコレ。すげぇ従順……やっと巡り合えたね。
「ユナイトの時間が長すぎ、ってちょっと怒ってる」
「えっ……ごめんなさい」
「私もごめんなさい」
「ふるる」
やよい姿の先生マジで無表情だから何も感情が読み取れん。
「みゃあ」
「ふむふむ。下手するとユナイト状態のまま戻れなくなるから、これからは三分以内を目安にして緊急時のみ使うように……とのこと」
三分。ウルトラマンツッキー。
「……あれ? ちょっと待ってくれ。俺たちの肉体がユナイトしたまま意識がこっちに来てるの、大丈夫なのか?」
「先生に意識を引っこ抜かれたときに強制的に分離したみたい。危ないからもうやらないって」
「それはまぁ……ご迷惑おかけしました先生。どうか猫缶でここはひとつ……」
そう言って土下座すると、先生は俺の髪を軽く猫パンチした。いたくない。
「にゃうわう」
「……なんて?」
「直訳する。──今回の事はいいから、それよりやよいともうちょっと話をしてあげて。今朝もけっこう心配してた」
「それは……」
耳が痛い話だ。
とても余裕が無かった朝はやよいともちゃんと話せてなかったし、樫本先輩が戻っているなら休憩時間にでもその話をしておけばよかったように思う。
体調が悪かったとはいえ今夜のミーティングも休んで任せきり──これはいけない。
だいたい、元をただせば俺がトレセンの行事を手伝うようになった理由は先輩でもウマ娘でもなく、理事長として頑張ってるやよいを支えるためではないか。
なのに他の寄り道ばかりしていては来た意味がない。本末転倒だ。
──よし、割り切ろう。
怪異によって発生する俺へのダメージは全部必要経費だ。アレに対して懊悩するのはもうやめよう。
痛みも疲れも性欲も、余すことなく我慢する。
いたい~ねむい~ムラムラする~だなんて甘えるのは終わりだ。男の子なんだそれくらい我慢しろという話である。
「にゃん」
「いてっ」
また猫パンチ。
「な、何ですか……?」
「うなーん」
「ん、極端すぎ。心配をかけさせないように無理するんじゃなくて、もっと相手を頼ることを覚えて……だって」
「……そう、だな。すいません、また偏った思考になってたみたいだ」
以前サンデーにも言われた通り、俺の発想はいささか極端すぎるらしい。てか先生も心を読めんのかよ。
頼ることを覚えて、尚且つやよいとも話して、とはつまり──彼女に対しても弱音を吐いていい、ということかもしれない。
いとこだがもうほとんど妹みたいなものだし、家族だからこそ話をするべき、というのは尤もな意見だ。
──そうか、先生のコレがヒントなんだ。
樫本先輩に対してもしっかりと話をして、ただの一般人と決めつけて遠ざけるのではなく折衷案を見つけるべき、ということか。
さすが先生。
夢の案内人とかいうよく分からんファンタジー職業についているだけあって視野が段違いだぜ。
「ありがとうございます、先生。やっぱり先生は頼りになりますよホント」
とりあえず撫でたり抱きしめたりフワフワやわらかケモ耳を揉んでおく。猫形態では俺にもみくちゃにされるとゴロゴロ言って喜んでたのでやよい姿でも変わらないはずだ。よ~しよしよし。
「にゃ、にゃぁ……」
うほっ何ですかそのチョロさは。私の授業では教えてないですよ。
「……そろそろ起きるか。それじゃあ先生、また今度」
「ふるる」
「行こう、サンデー」
「うん。先生、また明日」
「にゃーん」
そして起きるために自分の頬を強くひねると、和室の内装を捉えていた視界が暗転した。
◆
「──あっ、葉月。気がついたのね……よかった」
目覚めた場所は変わらず車内。
そして窓の外も未だに夜だ。腕時計を確認すると、ほんの三十分程度しか意識を失っていなかったらしい。
上体を起こして周囲を確認すると、ウマ娘の少女たち三人がいない事に気がついた。
いつの間にか先輩も足を崩していて、明らかに痺れた脚を動かせない様子だ。弱点を感知。
「先輩。ドーベルたちは……」
「もう夜遅いから、明日また話をしようと決めて一度旅館に戻ってもらったわ」
言いながら、若干居心地が悪そうな表情の樫本先輩は視線を右往左往させ、深呼吸を挟んでから再び俺に向き直った。
「……ごめんなさい、葉月」
謝罪された。さすがに意外。
「私……あなたに押しつけがましいことを言っていた。それに……何も分かっていなかったみたい」
「せ、先輩……?」
俺が眠っている間にドーベルたちと何を話したのか分からないが、とにかく樫本先輩は自らの発言について顧みて猛省している様子だ。
だが、そんなに彼女はおかしいことを言っていただろうか。
大人としてどうだったのかは子供の俺には判断できないが、少なくとも秋川葉月を心配してくれる一人の先輩としては矛盾のない、そこそこ普通の内容を話していたように思う。
それでも自省して発言を見つめ直すのが、もう高校生ではなくなった大人としての樫本理子の在り方……なのだろうか。わからんけど。
「ダメね……長い間離れていたくせに、まだ“私が守らなきゃ”って考えに縛られてた。あなたは今日までずっと自分の足で立って戦っていたのに」
それから、と言って先輩は窓の外を見つめた。その先にはあの少女たちが宿泊している旅館が鎮座している。
「彼女たちのことも見誤っていたわ。最初は中央トレセン生ではどうしても交流しづらい高校生の男子だから、三人がかりで繋がりを保とうとしてるんだって思ってたけど……恥ずかしくなるほどの勘違いだった。
あの子たちは本気で葉月のことを心配して、真剣に自分たちができることを考えてた。本当にまっすぐで……私なんかよりもずっと、意志の強い少女たちだわ」
あ、知らない間に和解してる。サイレンスたちが車に乗り込んできた時に生まれたピリついた空気が遠い昔のようだ。
──確かに彼女たちは自慢の嫁、だが。
先輩にはあまり自分を貶さないで欲しい。
俺にとっては昔も今もたった一人の憧れの先輩なのだから。
「……ありがとうございます、先輩」
「えっ……?」
「長い間離れていたのに、それでも守ろうって考えてくれてたこと……本当に嬉しいんです」
「──っ!」
正直に言うと美人だしスーパーハイスペックウーマンだし美人だしで、最悪の場合は恋人はおろか結婚までしてても全然おかしくないと覚悟していたのだ。
しかし彼女はまだ俺のことをちゃんと考えてくれていて、マジで純粋に嬉しかった。
たぶん後輩としては何があっても祝福して然るべきなのだろうが、昔から彼女と繋がりを持っているがゆえに謎の独占欲が発生してしまっている。
……いや、待て。
ちょっと待て。
あくまで俺のことを忘れていなかっただけで、恋人がいないという保証はどこにもなくないか?
指輪はしていなくても同棲なんて全然あり得るし、このまま勘違いして安心したところに爆弾を投下されたら脳が破壊されるどころの騒ぎじゃない。あなた様♡ 一緒に赤ちゃんつくりましょ♡
「ふふっ……葉月、あなたは──」
「あっあの先輩っ!」
「っ? ど、どうしたの」
うるち米。今のうちに聞いて心の平穏を手に入れなければ。
いや既に恋人がいるとか言われたらどうするんだ。脳がぶっ壊れて寝込むのか。やっぱり聞かない方がいいのか。どっちなのだ!?
いや、いや、聞く。
思い返せば先輩だって俺に対して似たような質問をしたじゃないか。やり返して何が悪い。聞くぞ。イクぞイクぞ! 我が物とするぞ!
「先輩って、その……かっ、彼氏とかって……いるんですか?」
「ふぇっ……」
後悔してももう遅い。既にこの口は質問を解き放ってしまった。もはや野となれ山となれだ。ご臨終の準備はできているようだぜ。
俺に下世話な質問をされた樫本先輩は一瞬狼狽し。
しどろもどろになりながらも、少し間を置いてから口を開いてくれた。
「いない、けれど……」
────俺の勝ちだ。
「は、葉月……? 今の質問ってどういう──えっ、あっ……! だっ、ダメよ!? そんなっ、やよいさんに顔向けできなくっちゃうじゃない! ばかっ!」
とりあえず質問に答えてくれてGOODだよ♡ だが色恋沙汰の話題への耐性が足りない!
急速に顔を赤らめてそっぽを向いてしまったが構わない。どうあろうと彼女に恋人がいない情報は俺の心に未来永劫の安寧を齎してくれたのだ。聞きたいことを聞けて満足。
「うぅっ、ダメだってば、ほんとに……だって葉月はまだ高校生だし……大人として健全な青春に導かないと……」
ブツブツと呟いているが目下の懸念点はすべて消えた。
一旦夢の世界へ逃げてユナイトが解除されたとはいえ、増幅した三大欲求は健在なのだ。
とりあえず睡眠欲から順を追って解消していこう。ふぅ~~思わずヒート・アップしてしまいましたが。夜はこれからです。
「ぐぅ……」
「あっ、ちょっと! 狸寝入りをやめなさい! ダメよッ!? ダメだから! あなたまだ高校生──ちょっと聞いてるの葉月っ!? 一回起きなさい! 起きなさいってば! ねえ起きてぇ……ッ!!」
おやおやそんなに狼狽して。天晴れ。ブチ眠るので静粛に。