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大韓帝国皇帝・高宗というのは、戒名が「統天隆運肇極敦倫正聖光義明功大徳堯峻舜徽禹謨湯敬応命立紀至化神烈巍勲洪業啓基宣暦乾行坤定英毅弘休寿康文憲武章仁翼貞孝太皇帝」だそうだw 長いねw 1890年代後半に東洋を旅し、高宗とも面会したイザベラ・バードは、「背が低くて顔色が悪く、平凡な人で、落ち着きがなく、両手をしきりにひきつらせていたが、居ずまいやものごしに威厳がないわけではなく、愛想がよく、生来の人のよさがある」「心やさしく温和だが性格が弱く、人の言いなり」「性格的な強さと知性があれば名君になれたかもしれないが意志薄弱なのが致命的」などの感想を抱き、聡明な妻・閔妃の強い影響下にあると述べている[10]。 写真が残されているんだが、ドイツ軍の軍服を着たちんちくりんの冴えないオッサンで、日韓併合前の朝鮮というのは、近代化が遅れ、かつての宗主国であった中国は衰え、列強のあいだでウロウロしながら王室内の勢力争いに明け暮れていたというので、まぁ、あまり評価の高い人ではない。 この朝鮮愚帝の子どもが李垠で、楽寿園に住んでいた人です。日本では皇族に準じる王族とされ、東京では赤坂プリンスホテルに住んでいた(嘘 赤坂プリンスホテルのある場所に邸宅があったそうだが、戦後困窮して西武の堤康次郎に売ったらしい。李垠は日本で日本王族の軍人として暮らし、陸軍幼年学校、士官学校では優秀な成績で、陸軍将校となる。皇族の梨本宮守正王・伊都子妃の第1女子:方子女王と結婚する。 やはり小柄でちんちくりんだったそうだが、武道は得意だったそうで割とイケメンですね。この方が、李晋三のおじいさんにあたる人です。 というわけで、李晋三まではまだあるんだが、とりあえず連載一回目はここまで。 |
清和会の事務所がそこ(赤プリ李王朝邸宅)にあったとか
偶然じゃないんですね