第1の問題外:ナチスは経済合理性で殺人政策

 第1のグローバルな常識は、ナチスのユダヤ人虐殺、いわゆる「民族浄化」ホロコーストが、ヘイトを背景としながら「経済的合理化政策」として口火を切った事実です。

 まともな国際人なら誰でも知る事実ですし、それが分からずに国際言語でそうした内容を発信する人は、発言そのものを継続できない立場に容易に追い込まれるでしょう。

 1939年、すでに開戦していたナチス・ドイツは「子供の安楽死」計画を水面下で策定し始めます。

 ここでいう子供とは「精神」や「身体」に重篤な障害を持つ、あるいはその兆候が見られる子供です。

 中長期的に「国家の未来に益するところがなく、むしろ経済的負担となる可能性がある集団」として、ナチス国家から排除すべきとの「優生学的判断」から、殺処分を政策決定された最初のテストケースだった。

 今回の「高齢者は老害化する前に・・・」と基本的な動機が同じなのは、社会経済的にマイナスな存在だから始末してしまえという、非人間的な「合理性」が共通している点です。

 こうした発想が人類史上決して珍しいものでないのは「口減らし」や「姥捨て」など、社会の暗黒裏面史が雄弁に示す通りです。

 近代の民主主義社会は、いかにしてこうした非人道を克服するかが、主要な課題となってきたわけです。

 それに真向から抵触する内容を平気で語れるのは、ある種の「低学力」と言ってよい状況に過ぎません。まともに相手にするレベルではない。

 ナチスは当初、リスクがあると考えられた「子供」を「保護者が自主的に」「小児診療所に入院」させるよう布告を出し、院内で致死量の薬物を投与するなどして殺害。

 やがて政策は拡大され、対象は「障害者」「精神病患者」「高齢者」などに拡大。

「生きるに値しない命」と国家が判定した人々は列車で収容施設に運ばれ、入所のための消毒シャワーと偽った「ガス室」に導入される。

 後年広く知られるようになった大量殺人の最初のケースとなりました。

 私が直接知るケースでも、親しくご一緒した作曲家カールハインツ・シュトックハウゼンのお母さんは「ノイローゼ気味」で病院に入り、やがて「移送」され、小さな「骨壺」になって帰って来ました。

 中身はよく分からない少量の灰しか入っておらず、入院させてしまった父親は自責の念に囚われ、戦地に赴き行方知れずになったと語ってくれました。

 自分の母親の「灰」を見た当事者から直接聞いてしまうと、自分自身の体験のように刻印されてしまう。「かたりべ」の存在価値は大きいと言わねばなりません。

 やがて1940~41年と「安楽死政策」は確実に拡大。

 1942年1月20日、よく知られた「ヴァンゼ―会議」で「ユダヤ人問題の最終解決」がナチス国家として決定され、ホロコーストという「公共事業」がドイツの版図と占領地域で展開。

 ただしアウシュヴィッツ、ダッハウ、ザクセンハウゼンといった場所で何が起きたか、10年や20年前であれば誰でも強制収容所の名だけで通じたものですが、Z世代には通じない若者も見受けますので明示的に記しましょう。

 合計600万人ともいわれるユダヤ人を中心とする人々が全資産を奪われたうえ強制収容所に移送され、毒ガスなどで殺害。

 効率的に「焼却」処分するのみならず、髪の毛などはフェルトとして軍靴などに利用されるという、人道的にあるまじき犯罪が「公共事業」として遂行された。

 3年間で600万人という犠牲者数は年間200万人。単純計算でも毎日5500人近く、つまり24時間フル稼働で殺害し続けても1時間あたり230人、毎分4人、15秒に1人を不眠不休で3年間殺し続けるという、狂気の沙汰が現実に発生したわけです。

 戦後、とりわけ西側のあらゆる社会思想は、右派左派の別なく、このような非人道を繰り返さないことを第一原理として再出発せざるを得ませんでした。

 そうした一の一の基礎学力に欠けるところのある発言。

 とてもアイビーリーグの助手が務まる水準ではなく、真面目に相手にするというよりは、レベルの低さで笑われるのが関の山という水準です。

 イエール当局も「大学は無関係」としっぽ切りに出ているようで、そのうち絶縁される可能性が高いように見受けます。