伝説の「胸番号」に斬新すぎた「ガッチャマン」…球界をざわつかせた福岡ユニホーム列伝 (2ページ目)

西日本スポーツ 相島 聡司

好評だったダイエーのグラウンドコート

そして池田親興さんの思い出

 南海時代から一変したデザインで話題を呼んだダイエーの「初代ユニホーム」。1988年12月19日に福岡市であった発表会ではグラウンドコートもお披露目された。こちらも斬新なデザインながら、好評を博した。

 胸に「Daiei Hawks」と入り、ローマ字で名前が入る背中には、九州の形と鷹がデザインされていた。背番号は左袖。色はホーム用はオレンジ、ビジター用は緑がベースで、豪華仕様の本物は高価だった。

 当時はレプリカを含めて着ている人を街でよく見かけた。90年からダイエーで打撃コーチを務めた大田さんは「すごく人気があったみたいで、関東の知人から『10着、何とかなりませんか』と頼まれたのには驚いたよ」と振り返る。

1999年の日本一パレードで福岡のファンに手を振る福岡ダイエー時代の秋山幸二(中央左)と工藤公康(中央右)

 91年からダイエーでプレーした池田さんにも思い出がある。「選手は数年に1度もらえるんだけど、94年はもらって間もなく戦力外になったんだよね」。自宅で袋に入れたままにしていたが、引退後にテレビで披露する際に確認すると名前も背番号もなかった。

 戦力外を伝えられたのは球団納会の席。同年オフに監督からフロント入りした根本陸夫さんからだった。「(戦力外を)球団の人は知っていたんじゃないかな」。そのグラウンドコートは、自宅で大切に保管している。

 

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