伝説の「胸番号」に斬新すぎた「ガッチャマン」…球界をざわつかせた福岡ユニホーム列伝

西日本スポーツ 相島 聡司

 プロ野球の「顔」と言うべきユニホーム。球団にはそれぞれの伝統があるが、時には選手やファンを「ざわつかせた」ものも登場した。特に球団の本拠地移転など激動の舞台となった福岡には、インパクト抜群なユニホームの歴史がある。

 1988年12月20日付の西スポには「タカの戦闘服」「三宅一生デザイン」「焦茶色 縦じま」「奇抜なヘルメット」などの見出しが躍った。大阪が本拠地だった南海を買収し、福岡に本拠地を移したダイエーの新ユニホーム発表の紙面だ。

 「南海がスマートなイメージだった分、斬新でしたね。ダイエーはやっぱりオレンジのイメージ。会社の色を大事にしたんでしょう」。84年に南海に入団し、当時は俊足巧打の外野手として売り出し中だった山口裕二さん(57)は振り返る。

〝ガッチャマン〟に例えられたヘルメットをかぶったダイエー時代の門田博光

 ホーム用は白地、ビジター用はベージュ地で、焦げ茶の縦じまとオレンジのラインや縁取りが入った。何より独創的だったのが、山口さんが「ガッチャマンでしょう。まるで漫画の世界。あれには驚きました」と懐かしむヘルメットだ。

 鷹の目とくちばしなどがデザインされ、誰もが70年代に大人気だったアニメ「科学忍者隊ガッチャマン」を連想した。スパイクも鮮やかなオレンジ。エメラルドグリーンで統一された移動用のジャケットやバッグなどの印象も強烈だった。

エメラルドグリーンのジャケット姿の中内㓛オーナー(左)とダイエー・杉浦監督=89年

 91年に阪神からトレード移籍した池田親興さん(63)=西日本スポーツ評論家=は「同じストライプでも阪神は白と黒の世界。ダイエーは『世界で一番色にあふれた球団』だった」と笑う。その上で「みんなの想像を超えた点で成功だったんじゃないかな」と続けた。

 宮崎・高鍋高出身。故郷九州に本拠地を移転したダイエーを阪神時代から注目していた。「『みんなで着れば怖くないユニホーム』だったね。斬新すぎたけど、みんなも着ているから違和感はなかった」。昭和のギャグをもじって振り返った。

1991年当時の池田

 池田さんら投手が困ったのは、ビジター用のユニホーム。ベージュ地のため、捕手のサインが見えにくかったのだ。「捕手が爪に白いテープを貼ったり、色のあるマニキュアを塗ったりして、投手に見えやすくしていたよ」。当時のバッテリーの苦労と工夫を明かす。

 問題があったビジター用は、91年のシーズン途中からグレー地にオレンジの縦じまにマイナーチェンジ。さらに福岡ドームが開業した93年にはホーム用は白、ビジター用は上半身を黒として一新した。黒の採用は日本ではあまり例がなかった。

福岡ダイエーホークス時代の㊧小久保㊨藤本

 左胸の「FDH」などは、中内正オーナー代行のデザインといわれる。このユニホームは、95年に就任した王貞治監督の下で花開いた「強いホークス」の象徴になったこともあり、山口さんと池田さんも「格好良かった」と声をそろえる。

 この色使いは、現在のソフトバンクのユニホームもほぼ踏襲している。池田さんは「パ・リーグの地域密着が成功して、プロ野球の歴史で大きな役割を果たしたユニホーム。その伝統が受け継がれているのは、本当に素晴らしい」と語る。

太平洋クラブライオンズのユニホームを着た加藤初(左)と東田正義=1973年1月20日、平和台球場

 福岡にはもう一つ忘れられないユニホームの歴史がある。78年を最後に福岡を去ったライオンズだ。50年代から黄金時代を築いた西鉄は基本的にホーム用が白地、ビジター用がグレー地かブルー地。黒文字のシンプルなデザインだった。

 ところが、西鉄から太平洋に球団名が変わった73年にビジター用が鮮やかな赤に。69年からライオンズ一筋で18年間プレーした大田卓司さん(71)は「(75年に)広島の赤ヘル旋風があったけど、赤ヘルは俺らが先。弱かったけどね」と笑う。

 赤のユニホームの「先駆者」となった太平洋は、76年に再びファンの度肝を抜く。いわゆる胸番号を採用したアメフト型のユニホームだ。体の前後に背番号が付き、色も斬新。特にビジター用は上半身、下半身ともにほぼワインカラー(ホームは上半身が白)だった。

太平洋時代、アメフト型ユニホームを身にまとった大田

 米大リーグの名将、レオ・ドローチャーの就任を見据えて採用したとされるユニホームだが、監督招聘(しょうへい)は幻に終わり76年の前期だけの短い使用となった。後期は同じ色使いで、胸にチーム名や球団名が入るデザインに変わった。

 76年の大田さんは開幕から好調で、オールスターに「人生唯一」のファン投票で選出。伝説の胸番号で臨んだが、結果は3打数無安打。「ユニホームが何だか恥ずかしくてね。結果も含め、恥ずかしい思い出ばっかりですよ」と苦笑いする。

 77年からのクラウンライターを経て、79年に埼玉県所沢市に移った西武はユニホームを一新。手塚治虫の「レオ」をペットマークに、ブルーをチームカラーにして常勝軍団となった。福岡時代は遠くなったが、懐かしい「戦闘服」を忘れることはない。(相島聡司)

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