音楽を軸に演技、アートなど、幅広い活躍を続けるコムアイさん(30)は、広島原爆で被爆した祖父を持つ被爆3世です。政治、社会問題についても、ためらうことなく発信しています。5月に広島市である先進7カ国首脳会議(G7サミット)では「各国首脳に15分でもいい、被爆者と対話してほしい」と願っています。(編集委員・田中美千子)
各国の首脳たちへ 被爆の実態に触れて
広島でのサミットに参加する首脳たちは、大忙しの滞在スケジュールなのでしょうが、被爆の実態に触れないまま、広島を訪れたことにしないでほしいんです。原爆資料館もしっかり見てもらいたい。私は初めて見学した時、恐ろしくて、吐き気がしました。でも、それで良かったんだと今は思う。それくらいおぞましいことを人間はやってしまうんだと、感じたんです。

祖父が被爆者だということは、幼い頃から知っていました。でも、その重みを分かっていなくて。一緒に暮らしたこともなくて、詳しい話を聞く機会がありませんでした。祖父はもう90歳を過ぎ、入院生活を続けています。早く聞いておけば良かった。
中学3年の夏、地雷問題が気になった
社会問題には、子どもの頃から興味がありました。中学3年の時、夏休みの課題がきっかけで地雷問題が気になって、東京にある非政府組織(NGO)ピースボートの事務所を訪ねたんです。それからは、地雷除去の支援活動に青春をささげました(笑)。放課後、街頭募金に立ったり、同じ問題意識を持つ友だちと話し込んだり。私にとっての「部活動」でした。

ピースボートで出会った被爆者の思い
あんなつらい体験を強いられたのに、私の出会った被爆者は誰一人、報復を求めていませんでした。それどころか「他の誰にも同じ思いをさせたくない」「私たちで最後にしてほしい」と。そのために人生で一番思い出したくない記憶を引っ張り出して、語ってくれました。その姿に接したので、私が核兵器に賛成することは今後もあり得ません。

核兵器って、存在自体が悪ですよね。「自衛のためだ」と正当化する人もいるけれど、持つということはどこかの国の誰かに向けている、ということ。他の国への威嚇になり得るし、現に拡散を招いてもいます。
被爆者とは船上生活を共にし、恋愛相談にも乗ってもらったんです。仲良くなったおじいさん、おばあさんが被爆者であると同時に、それぞれ個性ある普通の方々だと感じられたのは大事な体験でした。
母を亡くし、被爆3世を意識した
原爆の影響がどれほどあるかは分かりません。でも被爆3世であることを意識したのは確かです。心配はしていませんが、私も定期的に健診に行かなきゃなって。ただ、祖父母にも両親にも命をつないでもらったことをとても感謝しています。
放射線は目に見えない。一つの生命を超えて、何代にも影響が続くかも分かりません。それに人間だけではなく、全ての動植物のDNAを傷つけます。だから核兵器禁止条約ができた時、本当にうれしかった。信念を曲げず、核廃絶を訴えてきた被爆者や活動家たちの思いがやっと実ったんだ。スタート地点に立てるんだって。でも、日本政府は後ろ向きです。せめて締約国会議にオブザーバー参加してほしいです。

もう一つの議題 気候変動 先の世代の命を巻き込む問題
サミットでは、二つの議題を優先的に話し合ってほしいんです。核兵器廃絶をいかにたぐり寄せるか、そして、気候変動をどう乗り越えるか―。どちらも先の世代の命を巻き込む重大な問題です。
気候変動は今に始まった問題じゃない。「二酸化炭素の排出量を減らさなければ」ということは、ずっと前から言われてきましたよね。でも、私は楽観的なところがあって、正直、数年前まで切迫感を持っていなかったんです。

日本国内の認識もどんどん変わってきましたよね。今は、私も「自分たちの家が端っこから燃えている」と感じています。私たちは将来世代を巻き込み、時間差で殺人を犯しているのかもしれません。気候難民が増え、食糧難から戦争が引き起こされる前に、広島サミットでもぜひ、この問題を議論してほしいです。
声を上げてきた人へ感謝とサポートを
気候危機に限らず、私たちがアクティビストの恩恵を受けながら生きていることも忘れたくない、と思っています。例えば、女性の参政権。私たちは生まれた時から当たり前に享受しているけれど、問題にいち早く気づき、必死に声を上げてきた人たちがいる。私たちは、そのおかげで、どれだけ楽に生きることができてきたか。

サミットを控えてもう一つ気になるのが同性婚のこと。G7のうち、日本だけ認められていませんよね。周囲では賛成する声を聞くことが多いのに、政治の場の発言は違っていて、不思議だと感じています。
忘れそうになるけれど、先人たちが声を上げ、社会は今までも劇的に変化を遂げてきました。柔軟な想像力を鍛え、未来をつくっていきたいです。