私の母は、私を産むために仕事を辞めなければならなかった。

 

昭和の時代だったが、母は教員だったので、出産しても仕事を続けることはできた。

 

でも、仕事のプレッシャーで妊娠しにくくなっていると言われて、辞めるほうを取ってくれた。

 

辞めてからすぐに、母は私を身籠った。

ありがとう!!感謝しかない。おかげで私は生まれてくることが出来た。

 

だけど、仕事を辞めたことは母の中でずっとしこりとなって残っている。

 

「お母さんは、あんたという面白い子に出会えただけでも、仕事を辞めてよかったと思ってる。だけど、結婚せずに一生続けていける仕事と思って選んだ職を手放したのは、惜しかったわ。あんたを産めたこととは別に、後悔してる。どうにか休職にすればよかった。復帰すればよかった」

 

母は私に、公務員になって欲しかったようだ。

結婚せずとも一生自分で自分を養っていけるから。

 

結局私は公務員になんとなく拒否感があり(アホです)、民間のしがない会社員として、しかも一般職採用というしょぼい結果になってしまったが、母は「あんた、いいとこ入ったわねぇ、よかった!」と喜んでくれた。

 

 

母は、結婚せずに定年まで勤める女性像に強い憧れがあった。

 

私が泣きながら婚活を始めた時、一度も彼氏ができたことない自分のヤバさに気付いて、病んでご飯を食べられなくなった時、「あんたの一本芯の通った生き方をかっこいいと思ってたのに、がっかりだわ」と言った。

 

芯なんか通ってない。

何となくモテない人生を生きてきただけだ。

だけど、母からはそう見えていたのか。

 

 

 

別の人の……私が読んでいるママさんのブログの話をする。

割と恋多き女というか、ブログの断片を読み解くとかなりモテる女性で、こないだ娘さんを出産した。

 

彼女は、娘さんには自分のような奔放な行動を取らず、はじめての安全な彼氏と結婚して欲しいと書いていた。

 

私は、彼女のような人生の方がずっと楽しいし、実りあるものだと思っているけれど……

 

 

そして最後に私の話をする。

私がもし娘を産んでいたら、娘には会社という働き方に縛られず、PC一つで世界中どこででも働き、沢山の男の人と恋して欲しい。稼ぐ力があるならば、シングルマザーも素敵だと思う。沢山稼いで、好きな人の子供を早めに産んで、でも愛が無くなったらさっぱり別れて、また次の恋を探すような、自由な女になって欲しい。

 

これは、私が出来なかった人生だから。

 

 

 

人は誰もが、選ばなかった方の分岐のその先を、時々想像することだろう。

もしかしたら、母が娘に、父が息子に抱く想いは、その想像や渇望が特に濃く現れるのかもしれない。

 

 

「俺のように、私のように、なるなよ子供達」

 

 

小学校の先生も言っていたな。

私も、言いたい歳になってきた。

 

少女たちよ、私のようになるなよ、と。

危険と喜びは隣り合わせだ。親の言う安全に縛られず、沢山楽しい遊びをして欲しい。

AD