64歳、もうすぐ定年。良い会社に就職できたが、てんで仕事ができず40近く年がたった。30歳で仕事や出世は諦めて、趣味に全振りする人生を送ることにした。
音楽鑑賞と音楽演奏会への参加、そして有能な人たちと一緒に写真に収まるのが生きがいとなった。
良い異性との出会いはなく、今も独身。定年を前にして、母親や祖母からの溺愛の記憶を糧に、毎日を生きている。幼いころに祖母と母とうつった写真が自宅に飾ってある。その思い出が忘れられなくて、今でも誰か有名な人と写真を撮ってもらってそれを人に見せることが生きがいとなっている。
小さな書斎で自分の小歴史を書き溜めている。幸せな人生だったと思う。なんなら電車で隣になった中学生にも自分の人生の学びを伝えたりしていて、なんとか自分の生きた証をこの世に残したいと思う。それを老害と言われようとも。
誰かと写った写真や好きだったりレコード、長い時間をともにした愛車を前にして振り返る。悪い人生ではなかった、むしろ満足している。私は祖母に愛された。母親にも愛された。自分で自分を愛してもいる。
3流だが、大学にも行った。父が遺してくれた素晴らしい家系と自宅、レコードコレクションがある。使いこんだ飴色の学びの歴史がある。コミュニケーションのきっかけとなるように服装にも抜かりは無い。哲学的な思索を今でも行なっているし、日本かくちに素敵な友人もたくさんいる。海外にも繋がりがあるし、コロナ禍でも元気に過ごせていた。学者然とした学者より、教養もある。
だが何かが欠けている。なんなのだ。この悲しみは。こんなに私のことをアピールしても、誰も振り向いてくれない。私は愛されるべき存在であるはずなのに。誰も愛してくれない。私は幼いのか。老人、ましてやまだ大人にもなりきれていないのか?
>>何かが欠けている 仕事が出来ないからでは🙄
血、血統、自分を継ぐものがたりない
何かどころか自己愛以外の全てが欠けているのでは
仮面老人だ!
出会いはあったと思うが。演奏家にアタックとかしなかったの?美人多いじゃん。
有能な人と写真に収まることが大事なので恋愛対策にならない。
そうやって対象狭めてったら結婚なんか無理よw
むかし努めてた写真店で「ワシ、池乃めだかと同級生やったねん!今でも時々いっしょにゴルフすんねや!これ、同窓会の写真!配るし焼き増ししてな!」とよく来る六、七十の客がお...
私は背が高くマントが似合うと言われる。が、池乃めだか?たとえ同級生でも口外しないだろう。
増田に60歳超えの老人はいない