1.三菱スペースジェット開発の経緯

①リージョナルジェット(RJ)開発の背景

 三菱リージョナルジェット(MRJ)計画の発端は、2002年に経済産業省が発表した30席から50席クラスの小型ジェット機開発案「環境適応型高性能小型航空機」で、開発について機体メーカー3社(三菱重工、川崎重工業、富士重工業)に提案を求めた。

「YS-11」以来の日本国産の旅客機となったが、YS-11と大きく違うのは、同機がターボプロップエンジンによるプロペラ機であるのに対し、噴射式のターボファンエンジン搭載の機体としている点である。

 その背景には、1990年代半ばのリージョナルジェット(RJ)革命がある。

 1990年代後半、カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルが小型のRJを多数発表した。

 客室の騒音が少なく速達性に優れるジェット機は、中小エアラインに注目され、販売数を急速に伸ばした。

 米国のエアラインではパイロットユニオンがパイロットの雇用確保のために一定数以上の50席以下の航空機を保有することをエアラインに要求しているため、RJを使わざるを得ないという理由もあった。

 2000年代初頭はターボプロップ機市場が凋落する一方、RJ市場は今後も拡大の見込みが大きく、日本にも参入の余地があると考えられた。

②2003年4月7日、経済産業省は航空機メーカーを招いての説明会を行い、4月末を締切として希望者を募集した。

 計画案を提出したのは三菱重工のみで、5月29日に三菱重工を主契約企業として、富士重工と日本航空機開発協会(JADC)が協力することとなった。

 機体開発に関しては宇宙航空研究開発機構(JAXA)と東北大学が協力する。

③2005年5月の第46回パリ国際航空ショーで、三菱重工はこれまでの計画案と縮小モデルを展示した。

 この年の春頃、30席クラスでは成熟した市場に対して需要に限りがあり、また21世紀前半にはアジアで航空需要の急成長が見込めるといった理由から70~90席に規模を拡大した。

 そして、MRJは、MRJ-70とMRJ-90の2タイプが開発されることになった。標準座席数はMRJ-70が76席、MRJ-90が88席仕様である。

④2007年10月9日、三菱重工はプレスリリースを公表し、MRJ事業化への重要なステップとなる正式客先提案(ATO:Authorization to Offer)を決定し、世界各国の顧客候補エアラインへの販売活動を本格的に開始すると発表した。

 同時に、エンジンには、最新鋭のプラット&ホイットニー社製「GTF(Geared Turbo Fan)」を採用することや、MRJが参入を目指すクラスのリージョナル機市場は、今後20年間、世界で約5000機の需要が見込まれていることを発表した。

⑤2008年3月28日、全日空が自社のサイトで合計25機(うち10機オプション)の発注を公式発表した。

 全日空からの注文を受け、三菱重工は、2008年(平成20年)4月1日に「三菱リージョナルジェット(MRJ)」の名称で事業化を決定するともに子会社の三菱航空機を設立した。

 初代社長には三菱重工取締役執行役員の戸田信雄氏が就任した。