(社説)学術会議のゆくえ 独立歪める改革は国の損失
政府が示した日本学術会議の組織改革方針に対して、歴代会長5人が岸田首相に再考を求める声明を公表した。日本記者クラブで会見し、使命を果たすには独立性と自主性が不可欠で、対話や検証もないまま改革を強行せず、社会や国会での議論が必要だと訴えた。高い学識を持ち、政策立案にも関わってきた立場からの意見は重い。政府は今国会に法案を提出する意向だが、いったん立ち止まり、熟考と議論を重ねるべきだ。
■異なる視点こそ
いにしえより学問は、独立した自由で多様な営みの中、既存のものの見方への批判精神に裏打ちされつつ、新しい発見を生み出してきた。その総体が、結果として人類や社会の発展に寄与している。
学術会議は日本の科学者を代表して、政府や社会と科学とをつなぐ役割を持ち、政府から独立して職務を行う。戦後に設立されて以来、専門性を生かし、社会課題の解決や科学技術の活用などに、総合的な提言や知見を提供してきた。
今回の政府案には、会員の選考に関与する第三者委員会の設置が含まれる。しかし、委員会が政権の意をくむ人選を事実上押しつけることにつながってしまえば、政府にコントロールされて、多様な視点が失われ、真に有益な助言機能が損なわれる恐れがある。
学問の世界と外部とのコミュニケーションを充実させること自体は大切だ。学術会議も、会員候補の幅広い名挙げに向けて産業界などとのかかわりを深めている。こうした改善の取り組みを広げていくべきだろう。
改革案が、政府や産業界と「問題意識や時間軸を共有」した連携強化を求めているのも、大きな問題の一つだ。中長期的な視点で考える学術と、目前の問題解決や現在の利益を追求するその時々の政府や産業界は視点が異なる。異なるからこそ、新しい発見につながり、イノベーションの源泉ともなる。
東日本大震災や原発事故、新型コロナでは、研究者も被害を抑える役割を十分に果たせなかったのではないか――。そんな反省は、学術会議の中にもある。政府に忠実で、その発想の延長にとどまれば、顕在化していない社会課題や制度の弱点、政官財が見逃す問題や解決法の発見を阻害しかねない。
■あやうい性急さ
そもそもの始まりは、会員候補6人の任命拒否問題だった。それを解決せず、理由も明らかにしないままに、政権や自民党は改革を持ち出した。学術会議が進める改革を検証、議論することもなく進めるのは性急だ。次期会員を新制度で選ぶために、現会員の任期を1年半延長し、通常国会に関連法案を提出しようとするのも強引だ。
学問の自由は、研究の自由だけでは保障されない。研究者の人事は大学の自治の中でも特に認められてきたものだ。また、学問には、研究方法や結果の公表、検証の仕組みなどで厳密な自律が必要だ。学術会議は、こうした学問の世界の機能を保障する存在でもある。各国の学術会議に相当する組織は、政府から独立した活動や会員選考の自主性・独立性を備える。それを歪(ゆが)め、強引に政府の意向に従わせるのでは、権威主義国家のやり方と見まごうばかりだ。
改革の背後には、政府が安全保障分野で打ち出す、企業や学術界との実践的な連携強化がある。政府の有識者会議は、政府と大学、民間が一体で防衛力強化にもつながる研究開発を進める仕組みづくりを求めている。
一方、学術会議は、軍事的な安全保障研究と学術の健全な発展とは緊張関係にあるという認識を持つ。学者も戦争に加担して惨禍を招いた歴史的経験を踏まえたものだが、これが国防の妨げとなるとする主張がある。
■機能発揮するために
しかし、科学技術を、民生と軍事の両面で使われるデュアルユースと、それ以外とに単純に区別することは難しくなっている。政府の立場からしても、特定の方向に誘導することなく科学技術そのものを高めていったほうが安全保障にも資する結果につながりうる、という観点が抜け落ちているのではないか。
学術会議が知見をまとめ、社会に貢献してきた領域は枚挙にいとまがない。ただ、その役割は広く知られているとはいえない。政治や社会への発信や説明が足りなかった面もあり、取り組みに努力の余地があるはずだ。政府も、学術会議を十分に活用してきたとは言えまい。
積極的で機動的な活動を強化すべきだが、それには予算や人員の裏付けが必要だ。年間10億円の予算は、210人の会員と約2千人の連携会員の活動を支えるのに十分だろうか。会員は研究や教育の傍ら活動に取り組んでいる。学術会議自身も、各分野の学会と協力を深めるなど工夫をこらしてほしい。
学術会議のあり方は、科学と社会の関係の根幹にかかわる。腰を据えた幅広い議論を尽くさねば、禍根を残すことになる。
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