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亡き矢島医師へ思い込め 高橋樺子の新曲「さっちゃんの聴診器」

2023年2月9日

 「もっと生きたかった 誰かの為(ため)に」-。“ピース&ラブ”がモットーの歌手、高橋樺(はな)子の新曲「さっちゃんの聴診器」(もず唱平作詩、矢島敏作曲)の発売記念ライブが、大阪・十三のライブハウスで開かれた。新曲は大阪・釜ケ崎(あいりん地区)で献身的な医療活動をし34歳の若さで亡くなった矢島祥子医師の半生を描いたドキュメント。高橋は美しいメロディーに乗せ、天国の“さっちゃん先生”へささげる歌唱で満員の観客を魅了した。

天国の“さっちゃん先生”への思いを込め歌う高橋樺子=大阪市淀川区、246ライブハウスGABU
「島唄とやまとうたを融合した新しい音楽を追求したい」と新レコード会社「UTADAMA」スタッフを紹介するもず唱平(左)

 もずの作詞家デビュー曲「釜ケ崎人情」(1967年)は発売当時60万枚のヒット。その釡ケ崎で“さっちゃん先生”“西成のマザー・テレサ”と呼ばれ、日雇い労働者へ献身的な医療活動をしていた矢島医師の生きざまに感動したもずが「矢島祥子さんを偲(しの)ぶ」集会で作詞化を誓い、書き上げた。

 新曲は「もっと生きたかった この町に/もっと生きたかった 誰かの為に」で始まり、歌詞の中でつづる「鳶(とび)職で鳴らした権爺(ごんじい)」「親に背いたフーテン」「昔名のある踊り子」「捨てた我が児(こ)を想(おも)い出し 泣いているひと」-と“さっちゃん先生”と“釡の人たち”との心の交流を思い描いた哀悼歌。

 もずが「これまで平和をテーマに歌い続けた君に歌ってほしい」と高橋を指名。高橋も「祥子先生は聴診器で釜の人たちの心の訴え、生きざまに耳を傾け、『ずっと寄り添っているからね』と自分の気持ちを伝えていた。『UTADAMA樺ちゃん』でユーチューブでもアップしました。もっと多くの人に聴いてもらい、歌ってほしい」と呼びかけている。

 ライブは「さっちゃんの聴診器」からスタート。高橋のデビュー曲で東日本大震災復興支援ソング「がんばれ援歌」や「サラエボの薔薇(ばら)」、「母さん生きて」など、彼女ならではの「平和」をテーマにしたオリジナル曲を連続。もずの歴代ヒット曲「釜ケ崎人情」はじめ「花街の母」「はぐれコキリコ」なども披露した。

 もずは沖縄を拠点とし「島唄(うた)とやまとうたを融合した新しい音楽を追求したい」と自ら新レコード会社「UTADAMA」をこのほど立ち上げ。すでにもずをはじめとする事務所メンバーと共に沖縄へ移住した高橋は、かりゆし姿で三線(さんしん)の伴奏に乗りフォークの名曲「悲しくてやりきれない」も歌った。

 和歌山出身で長く大阪で活動していた高橋は、5年ぶりの新曲に「メッセージを沖縄から発信したい」と沖縄の紅型(びんがた)を着て来場者を送り出し。今後も“平和の歌の伝道師”として生き続ける決意を新たにした。

 今月15日には、大阪・アメリカ村のライブハウス「BIGCAT」(BIGSTEP6階)で開催の「大阪発・流行歌(はやりうた)ライブ」で生歌を披露する。