日本大百科全書(ニッポニカ)「サラリーマン」の解説
サラリーマン
さらりーまん
給与生活者のこと。明治期に用いられ始めた和製英語。サラリーsalaryはラテン語の「塩金」にあたることば。古代ローマで、兵士に塩を買うために金(かね)が与えられたことに由来する。資本主義が発展し、生産過程の協業化、科学技術の応用が進み、産業諸部門間の関連が緊密になると、工場内の製造工程や労務作業に従事する現業労働者(肉体労働者)に加えて、事務職員、技術者、管理的労働者や、商業・金融・サービス部門に従事する労働者が新たに形成されてきた。また公共サービスに対する需要が増加するとともに、中央政府や地方自治体の公務員が増大した。このように製造工程や現業部門に従事しないが、労働力を販売して給与を得て生活している人々を通例サラリーマンとよんでいる。2007年(平成19)の総務省「就業構造基本調査」によれば、日本の雇用者(ただし役員を除く)のなかで専門的・技術的職業従事者や管理的職業従事者、事務従事者は約2100万人で、4割を占めている。
サラリーマンの階級的帰属について、労働者階級の一員とみるか否かをめぐって、1960年代から1970年代にかけてマルクス主義の理論陣営内部において国際的論争が行われた。日本ではサラリーマンも労働者であるとする見解が多いが、フランスなどでは、労働者階級の範囲を、剰余価値を生産する生産的労働者に限定し、サラリーマンを除外する見解が強い。日本では、第二次世界大戦後の民主化の過程で工員・職員間の身分的区別が撤廃され、これらすべてを含む企業別組合が組織されたこと、また、高度成長期になると、出身階層を問わず進学率が上昇し、工場労働者の子弟もサラリーマンになる条件があることなど、両者を画然と区別する根拠が薄れた。さらに生産工程に産業ロボットやNC(数値制御)旋盤が導入されるとともに現業労働者も技術的労働の一部を担うようになり、職務内容の面でもサラリーマンと現業労働者の接近がみられる。
サラリーマン層の社会・労働運動における位置をめぐっても論争が行われた。たとえば、現代資本主義は科学技術的知識を決定的な生産力とする段階にあるとの認識を前提に、科学技術的知識の担い手である技術・管理労働者こそ社会変革の指導的役割を果たすとする「新しい労働者階級」論や、逆にサラリーマン層の増大を「新中間層」の増大とみて、資本主義のもとでの労使(資)の階級対立やサラリーマン層を含む労働者階級の貧困化を否定する見解も登場した。
第二次世界大戦前の日本ではサラリーマン層の運動として、1919年(大正8)6月に銀行員、官公吏などで東京俸給生活者同盟(SMU)が組織された。1926年5月には日本俸給生活者組合連盟が結成され、評議会(日本労働組合評議会)の影響のもとに労働争議の指導にあたったが、政府の弾圧により、その運動は停滞、消滅した。戦後は工員、職員を含む企業別組合が組織されたため、サラリーマン層独自の労働組合運動は成立せず、それとは別にサラリーマン減税を要求する全国サラリーマン同盟が1969年(昭和44)4月に結成された。この同盟は、1983年の参議院議員選挙の際、サラリーマン新党を結成し、不公平税制の打破を政策目標に掲げて2名を当選させたが1992年(平成4)解党した。
1990年代の長期不況以降、中高年ホワイトカラー(サラリーマン)は企業のリストラ(人員削減)のおもな対象となったため、サラリーマンの地位はこれまでにもまして不安定化している。なお、「サラリーマン」はもともと男性を前提にした用語であるため、これにかわって性中立的な「サラリーパーソン」が用いられるようになっている。
[伍賀一道]
『秋田弘著『現代サラリーマン研究』(1979・新日本出版社)』▽『千石保編著『日本のサラリーマン――国際比較でみる』(1982・日本放送出版協会)』▽『サラリーマン新党編『サラリーマン白書』(1985・中教出版)』▽『日本経済新聞社編・刊『ドキュメント 世界のサラリーマン』(1990)』