宮中八神と鎮魂八神は同じだが
江戸時代までは
宮中八神=鎮魂八神=八大龍王
という習合をしていたことはあまり知られていない
秩父今宮神社が宮中八神を祀っているというのは八大龍王を祀っているのでイコール宮中八神というだけで、宮中以外で宮中八神は祀れないのがルールだ
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返信先: さん
そちらの記録にも詳細分からずとあるように、八神は江戸時代までは民間で勝手に祀れるようなものではなく、白川家や吉田家が勅許を得て祀りました
ただし八大龍王を八神と習合するのは他にもあり御社も自然と習合して宮中八神を祀っていると理解されていたとは思います
勅許がございましたらすみません
返信先: さん, さん
また八神としても、この場合は宮中では無いので鎮魂八神と理解するべきではないかと思っております
何故ならば、宮中八神は八神と言いながら宮中では大直日神を合わせて九神で祀るからです
とは言えこの件はそちらの社伝に関わりますので、私のツイートが不適切であるのであればいつでも消去致します
返信先: さん, さん
ただし、元ツイートの秩父今宮神社の宮中八神は元々八大龍王からの習合で宮中八神とみなされたという私の趣旨は、御社の公式HPにて『「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ』と記載があるのを確認してのことですのでご理解ください
返信先: さん, さん
元ツイートも、八大龍王から宮中八神と習合することは民間信仰で受け入れられていたが、習合からではなく単独で宮中八神を(勅許など正統な理由なく)祀ることは宮中へのご遠慮からご遠慮するのは当時のルールであるという趣旨です
鎮魂八神や八大龍王からの習合はルールの適用範囲だと思っております
返信先: さん, さん
秩父今宮神社の明治二十八年の神社取調書にも「宮中八神」とは書いておらず「八神」「八座」としているのみですし、また八大龍王を神仏混淆で禁止されたので龗神としたように、元々江戸期には修験系寺院の今宮坊であったものを、神仏分離で明治に神社とした際に御祭神を神道に寄せた結果だと思います
返信先: さん, さん
私も学者でもなく勉強不足の身ですので、
秩父今宮神社の江戸時代以前の文書に「当社は宮中八神を祀り」と書いてある文書がございましたら、ぜひご教示頂きたく思います
また秩父今宮神社の御祭神を「宮中八神」と記している最古の文献はいつのものかも、ご教示頂ければ幸いです
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