67歳で凶弾に倒れた安倍晋三元総理。安倍氏がまだ若手議員だった頃、自民党で同じ派閥(清和政策研究会)の先輩として導いたのが亀井静香元金融担当相だ。
安倍氏の追悼として、亀井氏の著書『永田町動物園』から「安倍晋三」の章を特別公開。安倍氏や、その父・安倍晋太郎元外相の知られざるエピソードをお届けする。
※本記事は2021年11月刊行の書籍から抜粋のうえ、一部加筆修正しました。肩書きなどは2021年時点のものです。
まるで弟のようだった
俺は安倍晋三を弟のように可愛がってきた。総理大臣時代には、立場上、「総理」と呼んではいたが、俺にとっては今でも父親(安倍晋太郎)の秘書官だった晋三のままだ。
初めて晋三に会ったのは、中曽根康弘さんの「中曽根裁定」のときのことだ。'87年10月、中曽根総理の退任に伴い、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3者で総裁ポストが争われた。
指名前日まで、派閥領袖(清和会会長)になっていた晋太郎先生が有利とされていて、俺が所属していた清和会では、誰もが安倍指名を疑わなかった。
俺は、警察官僚時代の先輩で中曽根政権の官房長官だった後藤田正晴さんのところに行って、「後継者指名は誰か?」と訊ねた。
すると、「亀井君、『血は水よりも濃し』なんだよ。清和会には何の義理もなければ恩もないだろう」と言う。暗に「後継」は竹下ということを聞かされていたのだ。