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今年度末のKOSSの学術イベントです。
今年もオンラインになりますが、よろしくお願いいたします。

【KOSS学術イベント】「レズビアン」の歴史――知、出会い、排斥

・第一部 品田玲花、佐々木裕子
・第二部 赤枝香奈子、菅野優香、杉浦郁子

日時:2023年3月21日(火・休) 13:00-17:30

一般公開・ ZOOM開催(予約開始は追って告知します)

言語:日本語(UDトークによる日本語字幕あり

企画・運営:
佐々木裕子(東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程)
文可依(東京大学大学院総合 文化研究科 博士課程)
松本夏織(東京大学大学院 人文社会系研究科 修士課程)
主催:東京大学駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)

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そうだ、これ書影出ていました。

現在のフェミニズムが/と共にどうセックスを考えるのか。身体、メディア、表象、欲望、家父長制、資本主義、国家暴力。「セックス」を考えるというのはその全てを思考しようとする作業だということ、そこに簡単な「正解」はないけれども、けれども同時にフェミニストとしての「倫理」はあるということ。

70年代以降の特にラディカル・フェミニズム内での様々な議論を振り返り、それらの議論と「会話」しながら、若い(非白人の)フェミニスト哲学者が、そのことをとても誠実に丁寧に提示していく本です。

日本で、特に人文学領域でフェミニズムを教えるにあたって、こういう本が本当に欲しかったし(でも簡単に書ける本ではないです)、日本語に翻訳されたことをとても嬉しく思っています。

日本語版表紙に使われている写真作品(潘逸舟さんという、スリニヴァサンと同年代のこちらも若いアーティストの作品です)もとても美しいので、発売されたらぜひお手に取っていただければと思います。

keisoshobo.co.jp/book/b618130.

SHIMIZU, Akiko<p>『すばる』2023年1月号(「幸福論」特集)に、「許容されない幸福へと跳躍するあなたと共に拳を握って」という長すぎて意味のよくわからないタイトルの文章を寄せています。</p><p>マリアンヌ・フェイスフルの「ルーシー・ジョーダンのバラード」を出発点に、MCUの『ワンダヴィジョン』『パリ、夜は眠らない』そして『テルマ&amp;ルイーズ』と、アーメッドの『フェミニスト・キルジョイ』を補助線にしつつ辿りながら、許されない幸福を諦めない女性たちが死なない世界を創造する必要について書いています。</p><p>ものすごく久しぶりに(多分セジウィックの『白いメガネ』論を書いたときぶりくらい)、「今は誰かがこれを書かなくちゃいけない気がするから」ではなくて、自分が好きなものについて好きなように書けたので(すばるの編集担当の方には本当に感謝です)、ご笑覧いただけるととても嬉しいです。</p><p>発売は多分明日(?)なのですが、なぜか抜き刷りだけ先に送っていただいたので、一部だけ画像開示します。ぜひ全文読んでください!</p>
SHIMIZU, Akiko<p>ジュディス・バトラーのインタビュー(2018年実施)を掲載いただいています。</p><p>このインタビューは、当時のフェミニズムの状況を憂えた間部百合さんがバトラーに直接掛け合ってくださって実現したものです。間部さん、翻訳の西山さん、エトセトラの皆さん、ありがとうございました!</p><p>ちなみにバトラーの方も、フェミニズムの話をする機会は断れないと思った、と多忙なイベントの合間に、当日数時間に及んだインタビューを無償で引き受けてくれました。</p><p>様々な女性たち、女性ではないけれどもフェミニストやクィアの生に深く関わっている人々に、届きますように。</p><p>数時間のインタビューといえば、2018年の来日時、東大講演と同じ日にゼミ形式のディスカッションにもご参加いただき、傍目にもホテルにお帰りいただく方が良いのでは的に疲れていたバトラーが、それでもその後のレセプションで自分に会いにきた若いフェミたちクィアたちの話を聞きサインをし助言をしていて、パブリック・インテレクチュアルかつアカデミックなクィア・アイドルとしての責任感のような迫力を感じたことを、ちょっと思い出します。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>【クィア理論入門公開連続講座】<br />最初の年から数えて12年目(サバティカルイヤーで休みだった年を入れれば13年目)、KOSSに移動して第2期になってからは3年目のクィア講座です。</p><p>今年もどうぞよろしくお願いいたします。</p><p>「トランスジェンダー理論:性別という時間」</p><p>講師:葛原千景(東京大学総合文化研究科博士後期課程)</p><p>12/01 第一回:時間としてのSEX/GENDER<br />12/15 第二回:倒錯・クィア・LGBTfakeT<br />12/22 第三回:フェミニズムと女の境界<br />01/19 第四回:障害と医療<br />02/02 第五回:性別移行への片道切符<br />02/16 第六回:二つしかない道、二つしかない身体</p><p>日時:木曜日・19:30-21:00</p><p>形式:Zoom開催(事前申込制・一般公開・参加費無料)</p><p>対象:10代後半以上</p><p>言語:日本語</p><p>申込:KOSS Websiteで公開されるフォームより参加登録<br />(Eventページからアクセスください:<a href="https://www.utkoss.org/news-events)" target="_blank" rel="nofollow noopener noreferrer"><span class="invisible">https://www.</span><span class="">utkoss.org/news-events)</span><span class="invisible"></span></a></p><p>情報保障が必要な方は事前にメールでご相談ください。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>「非常に多様な「女」というカテゴリーのどこか/どれかに掠った人がフェミニズムの主体になる、という表現はその反面として、フェミニズムの主体になる人は(それがいかに開かれたものとして想定されていたとしても)「女」のカテゴリーと重なる部分を持つということを意味するのではないでしょうか。」</p><p>→ 意味しません。</p><p>特定のカテゴリーと関わらざるをえないこと(これは特定のカテゴリーとの特定の関係または関係の欠如の状態に否応なく投げ込まれることに由来します)と、カテゴリーと重なる部分を持つこととは違います(「カテゴリーと重なる」と言う表現について私の理解が青本さんと違うのかもしれないですが、私は「重なる」をその特定のカテゴリーに部分的であれ足を踏み入れている、属している、それを引き受けている、と言う意味で受け取りました)。</p><p>私が「掠った」と書いたのは多かれ少なかれnegotiateせざるを得なかった、というのに近い意味合いです。特定のカテゴリーと交渉せざるをえないことは、そのカテゴリーを引き受けることともそのカテゴリーに属することとも同じではありません。</p>
SHIMIZU, Akiko
SHIMIZU, Akiko<p>BT。そうですね、私はむしろ「女性として扱われないかもしれない恐れ」を抱いて生きてきたので、「女性として扱われることの痛み」が確かに実感としてわかっていないし、そのことが今回の正確性を欠く表現につながったとは思います。それはおっしゃる通りだし、反省すべき点だと思う。</p><p>「フェミニズムの主体は女性だけではない」とのみ述べて終わらせることもまた、私にとっては長年の痛みと関わる正確性を欠く表現で、だからこそ反応したのですが、結果としてそれとは違うところで正確性を欠いてしまった。</p>
SHIMIZU, Akiko
SHIMIZU, Akiko
SHIMIZU, Akiko<p>これで最後にしますが、フェミニズムの担い手のアイデンティティなりポジションは「女性」であるべきだとは私は一度も言っていないですし、フェミニズムに関わる全ての人を女性というひとつのカテゴリーに投げ込んで包摂するべきとも言っていません(包括とか包摂とかの言葉遣いがどこから出てきたのかわかりませんが、私は使っていないと思います)。そうではないよねということは最初のスレッドですでに書いています。 <a href="https://ohai.social/@akishmz/109829224764476845" target="_blank" rel="nofollow noopener noreferrer"><span class="invisible">https://</span><span class="ellipsis">ohai.social/@akishmz/109829224</span><span class="invisible">764476845</span></a></p><p>ひとつのラベルのもとで同質性を担保することで連帯が可能になるというような、私が一度も言っていないというかむしろこの数年に渡ってそれは違いますよと書き続けてきたことを、私が言ったように書くのはやめて欲しいと思っています。</p><p>ただそれとは別に、自分の考えていたことを「フェミニズムの主体」という言葉で表現したのは用語の選択が適切ではなかったし、それに気がつかせてくれた方達には感謝しています。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>のんびり説明を拝聴するつもりで会議に出ていたら自分がしなくてはいけない仕事をダブルブッキングしていたことに突然気がついて死ぬほど焦るなど。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>しかし何というか、このレベルでバトラーを理解していないと思われてるのだな、というのは、ちょっと落ち込みました。そのくらいのことは前提として話をしているつもりだったのですが(そして散々そのことについて書いてもきたし、話もしてきたつもりだったのですが)、書き手としても教員としても全然伝えられていなかったということですね。まあ、実際のところ私は全然分かっていないのかもしれないし、そうなるともう致命的だけど。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>ええと、これこれから拝読しますがびっくりしたので。</p><p>すみません、Twitterほとんど見ていないこともあって、この件が高島さんを起点とした議論だということは知らなかったし、もちろん青木さんのツイートも拝見していません。</p><p>最初に拝見したのがどなたのtootだったか忘れてしまったのですが、「フェミニズムの主体は女性だけではない」というような短いtootで、それはそうだよねと思いつつ、しかしそれだけで良いのかな、自分はどこに引っ掛かるのかなと考えながらtootをしました。</p><p>それについては別スレッドで書いているのでそちらを見てください(このスレッドを書いている間もtwitterの議論は見ていなくて、なのでマストドンでフォローしている高島さんと山内さんのtootだけ拝見していたので、それを手がかりにして書いています)。</p><p>ちょっと出発点のところで誤解があって驚いたので、そこだけまず訂正しておきます。</p><p><a href="https://docs.google.com/document/d/1Nt6pbH5J3Bfld0-vm9cih-kqW9Ou3kgZawduAbZfiTI/edit" target="_blank" rel="nofollow noopener noreferrer"><span class="invisible">https://</span><span class="ellipsis">docs.google.com/document/d/1Nt</span><span class="invisible">6pbH5J3Bfld0-vm9cih-kqW9Ou3kgZawduAbZfiTI/edit</span></a></p>
SHIMIZU, Akiko<p>→ その「第一義的には女性というカテゴリーとの関わりから出発する」という点自体に異論はあるだろうし、私自身もずっとそう考えるかどうかはわからない。この30年くらいウロウロしながら考えてきて、今のところはそうかなと思っている、という程度。</p><p>ただ、異論の有無とは別に、私の考えていることを表現するにあたって、「フェミニズムの主体」という言葉の選択は、適切ではなかったかもしれない。どういう言葉を使うのがより適切なのかはまだこれからだけれども、この言葉ではなかったのだろう(「射程」だろうか?でもここにはやはりどこか、「女性カテゴリーと関わる経験」の主体が前提されている、あるいは構築されているだろうことは否めないし、それは結局のところ表象/代表の政治と手を切れるかどうかということなのかもしれない)。</p><p>いずれにせよ、Twitterではこういう「いま考えている最中のこと」はもう一切書けなくなってしまったし、ここにこういうことを書いて、敵か味方か的な炎上に巻き込まれることなく、私よりずっと柔軟な思考を持つ若い方達から直接的ではなくてもレスポンスをもらって考えなおせたことは、幸運だったと思っています。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>→上のtootがその前から切れてしまったけれども仕方ないのでそのまま。</p><p>BT。</p><p>高島さんも山内さんも、フェミニズムの主体としての「女性」というときの「女性」をジェンダーアイデンティティか少なくともカテゴリーへの所属として捉えていらして、確かに「主体」という言葉はそう理解されるのが当然なのかもしれない。</p><p>昨日も書いたように私はフェミニズムの担い手のアイデンティティなり社会的なポジションなりは女性であることもそうでないこともあり得るしフェミニズムはそれを担い手の選別根拠とするものではないと思っている(つまり私にとってフェミニズムは第一義的には表象/代表の政治ではない)けれども、同時にフェミニズムは、というかthe subject of feminism(フェミニズムの主体/主題)は第一義的には「女性」というカテゴリーとの関わりから出発するとも思っている(これは第一義的に「女性」のアイデンティティなり経験なりから出発する、ということではないし、フェミニズムの担い手が第一義的に「女性」だとか「女性の立場から考える」とかいうことでもない)。</p><p>現時点ではそれは変わらない。</p><p>→</p>
SHIMIZU, Akiko
SHIMIZU, Akiko<p>→ 逆に言えば、私にとってフェミニズムではないクィアはありえないし、クィアではないフェミニズムもありえない。けれども同時に、フェミニズムもクィアも基本的には性にかかわる問題を扱い、とりわけ性にかかわる抑圧や周縁化や差別の制度の変容を目指すものであって、それならその二つは結局のところ同じものか、と言われたらおそらくズレが生じるとも思うわけで。そのズレは、この切り離せるとは断言できない表象/代表の政治の部分に関わっているのかもしれない。</p><p>で、それが一つあるとして、もう一つ。高島さんが「ノンバイナリーや男性やほかのジェンダーを生きている人たちを『女性』に包摂する言説には賛同できない」と書いているのは、昨日も書いた通り私も同意する( <a href="https://ohai.social/@akishmz/109829224764476845" target="_blank" rel="nofollow noopener noreferrer"><span class="invisible">https://</span><span class="ellipsis">ohai.social/@akishmz/109829224</span><span class="invisible">764476845</span></a> )のだけれど、同時に「フェミニズムの主体」として「女性」という言葉が選ばれるときの「女性」というのはそういうアイデンティティのカテゴリーを指さなくてはいけないのかな、そうでなくても良いのではないか、というのが私の念頭にはあった。</p><p>ただ、これについては、別の方のtootも目にしていて。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>→ 私にとって「クィア」は何よりまず政治的姿勢あるいはコミットメントであり、クィアがアイデンティティであるとすればそのような政治的アイデンティティであって、特定のジェンダーやセクシュアリティに関するカテゴリーやアイデンティティとは重なりはあっても同じものではない。だから、シスヘテロのクィアは存在し得るし、性的マイノリティだからクィアなわけではない。</p><p>ただ同時に、実際問題としてのクィアが特定のセクシュアリティやジェンダーのカテゴリーをめぐる経験とより強く結びついてきたことは間違いないし、だから私は「ホモヘテロ/シストランス問わずみんなクィアだ(ホモヘテロ問わず…と言うのは実際一時期よく見かけた)」とは絶対に言わないのがクィアだと思う、という言い方をしてきた。逆に、とてもストレートでなんなら生活保守的なシスゲイ男子が自分をクィアと表現したとして、え〜なんか違うな〜とは思いつつ、そのような用法を可能にする余地を完全に切り離してクィアが成立する/成立すべきである、と断言はできない。</p><p>フェミニズムについても似たような感覚がある。</p>
SHIMIZU, Akiko<p>BT。昨日のスレッドと関連する話だけれど、高島さんのような形でフェミニズムを規定することも可能だと私も思うんですよね。</p><p>高嶋さんは、フェミニズムとは性差別に反対する営みであり、したがってフェミニズムの主体は性差別に反対する人である、という提示をしているのだと思う。つまりフェミニズムは特定の政治的姿勢でありその政治的姿勢をとる人がフェミニズムの主体である、ということなのだろうし、それについては私はほぼ賛成できる。</p><p>ただ、昨日の私のTootの流れで言うと、このように提示されたフェミニズムは表象/代表の政治からは切り離されることになるかなと思っていて(確信はない)、フェミニズムが単に表象/代表の政治なだけではないのは確かなのだけれど(こちらについては確信がある)、じゃあ表象/代表の政治という側面を切り離して「フェミニズム」は成立するのか、あるいは成立すべきなのか、という問いになると、それを言い切ってしまう自信が現時点では私にはない。</p><p>この点については、私の「フェミニズム」の理解が、私の「クィア」に対する理解に引っ張られすぎているのかもしれない、とは思う。</p>
SHIMIZU, Akiko
SHIMIZU, Akiko<p>バイデンの一般教書演説良かったの?(今さら)</p>
SHIMIZU, Akiko<p>BT 楽しいけど紛らわしいw</p>
SHIMIZU, Akiko
SHIMIZU, Akiko<p>あらほんとだツイートできないですね(Twitter公式アプリから)</p>