若妻アドマイヤベガが落ち着かなかった日
書きました。
ふわふわ大好きなアドマイヤベガさん、ごつごつで無骨な旦那の背中を抱き枕代わりにしていて欲しいしそれがなかったら眠れないし落ち着けないっていうのを考えながら書きました。
たまにはこういうのもね。
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「……」
アドマイヤベガ、24歳。
配偶者、元担当トレーナー。
子供、二人。
元担当トレーナーである彼と結婚してからというものの、慌ただしくありながら幸福と呼べる日々が毎日だった。
現役時代の自分は、今の家庭を築いている姿を果たして想像できたことだろうか。
或いは、自分のためではなく、彼女のために走っていた自らが、引退して、彼との子供を産むなんて。
もし、過去の自分に言ってみせたらきっとこう言うだろう「ありえない」と。
自分が命を授かるなんて、と。
けれども──この世の物とは思えない激痛に苛まれながら、産声を耳にした時の胸が満たされるあの瞬間は。小さな命が腕の中で確かに脈動していたあのひと時は忘れられるはずもない。
一生涯の中で一番泣いたかもしれない──それほどに、胸から溢れた感情が流れ続けていたし。彼の顔もぐしゃぐしゃになっていた。夫婦揃ってバカみたいに泣いたのは今となってはいい思い出だろう。
そんな子供達は可愛い盛りの4歳と5歳の姉妹。
自分のお腹を痛めて産んだ、可愛い、本当に愛らしい子供達だ。
甘え盛りで寂しがりな妹と、そんな妹をしっかりと支える真面目ながらも茶目っ気のある姉。
──もし、あの子がいたなら私達もこうなっていたのかしら。
たまに、そう思うこともある。
けれども──それは考えないようにしている。
あの子への贖罪を、子供達と重ね合わせるのは違うと思うから。
子供達も遊び疲れてもう眠りについた。
いつもなら夜の空空に輝く星々をトレーナーと観測するものだが、生憎と今日は彼がいない。
そう、夫がいない。
かつての旧友達の担当トレーナーと飲み交わしているという連絡が来たのは凡そ数時間前か。
夕飯は要らない、という連絡自体珍しいものだったが、オペラオーさんやカレンさんを担当していたトレーナーさん達となら積もる話もあるのだろう。
考えているうちに──日記を付ける筆の先が、止まった。
普段の時は彼が向かい側の席に腰掛けて色々と話してくれたり、子供達と遊んだ内容を仔細書き連ねるものだったが、一頻り書いて筆が進まなくなった。
文が纏まらない。
さて、どう書くか──そう思い、ふと、リビングの窓から満月を見つめた。
暗がりの空を漂い、穏やかに月光を放つ。丸みの帯びた形状が千切れ雲の上で存在を主張しているようで。
いい月だ、と一人ごちる。
「……」
テーブルに頬杖を付きながら、自らの左手を月にかざして眺める。月明かりに照らされて煌めく白銀の指輪。他でもない、彼と私を繋ぎ止める深い絆の象徴。指輪を見つめ、トレーナーと呼ばれる彼との思い出を少し辿った。
トゥインクルシリーズが終わってから入籍、直ぐに式を挙げて。気づけば愛らしい子供達に囲まれていた。
自分が成し得た功績の全ては彼が隣に立っていてくれたから。
自分はというと──あまり口数の多い方ではないし、最初の出会いを部類で言うならば最悪に近い方だろう。
その性格は自覚しているつもりだ。
突っぱねて、拒んで、拒絶して。
壊れていいとさえ思っていた。
あの子のためなら、自分は──と。
だから、彼と触れるのは怖かった。
自分の贖罪。
楽しむ事さえ許されない、あの子に捧ぐための走り。
自分の罪を、どうして共有できるか。
それでも彼は決して投げ出すことはなかった。
独りよがりでもいい、一人で走ってもいい、そう言いながら自分を支えようとした彼。
──とは言っても、彼は無理させようとはしなかったけれど。
あくまでもトレーナーだからだろう。
──でも、彼と出会って漸く自分がありのままでいられて落ち着く居場所を見つけられた。
迷って、苦悩して、自責して。
しかし、彼は罵声に近い言葉を投げかけられても決して否定した事はなかった。罵声を浴びせ返す事も、めげる事も、投げ出そうとした事もなかった。
思えば、あの時の自分は急いていた。
走らないとあの子が報われない。
身を呈さなければ贖罪にならない。
無理をしなければあの子の顔が浮かばれない。
だから、自分を犠牲にしなければ。
そんな言葉達に取り憑かれていた。
自嘲気味に笑う。
彼と知り合い、幾たびも交流し、友達と苦楽を紡いで今の自分がある。彼と出会った頃の自分からは想像できないほどだった。どんな事であれ、私情が絡む事は全てする必要はない、それが自分自身のポリシーだった。
しかし今や彼にべったり。以前の自分ならば彼に面倒をかけたりする事は多々あったが今に至っては彼の面倒を見っぱなし。
指輪を見つめて彼を思い耽る。
何処か抜けていたりする事もあるが、愛嬌があるし憎めない一面もある。穏やかな人柄で現在担当しているウマ娘達や同僚の人望も厚いらしい。
どうしようもなくお節介。けれど愛おしい。そんな彼の一面を知ってから自分がどんどん彼という沼に沈んでいるように思える。温もりを求めれば抱き締めて答えるし、愛を望めば十分すぎるほどの寵愛を注いでくれる。
本当に現抜かすほどになるとは、誰が思ったことだろう。
しかして……彼を考えるとどんどんと恋しくなるのはいかがなものだろう。
また寂しがり屋だと言われてしまう。
ふるふると雑念を払うように頭を振って筆を置き、背伸びをする。
今日の日記はこれまで。
「……ふぅ」
恋しくともこの寂しさを埋めてくれる彼は暫く帰ってくることはない。
さっさと寝室に戻り、眠って寂しさを紛らわせようとするのは当然の結論だった。
「……」
暗い天井を見つめる。
ふわふわもこもこ。
柔らかく、温かい。
自身が拘り抜いた快適で安眠空間であるダブルベッド。
厳選したふわふわ羽毛布団に、ふかふかでふわふわの枕。
彼は左側で、自分は右側。
いつもの定位置に潜り込むが──今の1人には大きすぎるもので、まるで彼のいない寂しさを、心境を示しているようだった。
何度も寝返りをうち、目を閉じる。
身体は程よく疲れていてこのまましばらくしていれば寝れるのだろうが、普段感じる温もりがないせいか、眠りにつけないでいた。触り心地なんて皆無、柔らかさなんてない無骨でごつごつとした身体を抱き締めて眠りつく時間はとうに過ぎている。
ああ、そういえば──初めて彼の背中を抱きしめたとき、心の中のレビューは☆1の評価だった。
硬い、ふわふわしてない、やたら大きい。
それに眠る時に限って一日の出来事を話してくる。
と、まぁ最悪の評価だが、背中に耳を当てるととく、とく、という鼓動が聞こえてきて。心なしか落ち着く脈動と、雑多に広がって疎な話に自然と瞼が閉じて眠りの世界に誘われた。
それを毎日繰り返していれば、それは当たり前になる。
普通になる。
だから、寂しい。
目の前に彼がいないというのは些か寂しいものだ。
低い声で淡々と。
楽しかった事だとか。
自分の担当しているウマ娘についていいレースが出来てた、とか。
妹が木登りしていたら降りられなくなって、姉が助けに行ったら姉も降りられなくなって泣いていたという話まで。
でも、そういった疎に広がる話がないというのは耳が寂しいものだ。
ぼんやりとした寂しさを埋めるために彼の面影を抱き締めるように、自分の腕で身体を包み込む。腕の中にあるのは大きな背中ではなく、空虚だけだった。
眠りにつけない苛立ちを吐き捨てるように身体を起こした。
「はぁ……」
眠れない。
彼がいないせいなのか、眠りの妨げとなった理由はわからないが、このままでは眠りにつけそうにない。
溜息をついて少し乾いた喉を潤すために台所へと歩を進める。そうして薄暗いリビングに出て、ゆっくりとした足取りで台所に立った。
チェストの中に並べてある幾つかのグラスの内から、戸に近い位置にある大きなグラスと小さな2つのグラス。間に鎮座している自分用の容器を手に取る。
お茶を淹れてから定位置の椅子に腰掛けた。こういう眠れない時は本を片手に過ごすものだが、本を読む気分にはなれなかった。
「……」
頬杖をつきながら、ちびちびと喉を潤す。
近くにある壁時計に目をやると、時刻は既に0時を示していた。夜の分岐点。朝が帰路に向かう折り返しの時間。
窓から覗ける星空は未だ青黒さと星の輝きを灯していた。
こんな遅い時間になっても帰ってこない彼をついつい考えてしまう。
(……まだ飲んでるのかしら)
未だ彼が帰宅する様子はない。よほど盛り上がっているのだろう。
もう日付が変わり、夜も深くなる時刻。あまり夜更かししていては明日に障る、早く眠りに就こうと思うのは至極当然の結論だった。
もう寝室に戻ろう、そう思いながらグラスを一気に煽った時の事。玄関の扉が開く音が聞こえて、顔を覗かせると……
「かえった、ぞー」
「おかえりなさい」
「ん、アヤベぇ、起きてたかぁ……」
廊下の灯りを点けると、そこには覚束ない足取りの彼がいた。顔はそこまで赤くはなっていないものの、千鳥足で呂律の危うい喋り方から相当飲んだであろう事が汲み取れた。酒は滅多に飲まないがそれなりに強い彼が酔っているということは結構な量を飲んだのだろう。
「ち、ちょっと大丈夫?」
「へーき……へーき……」
靴を揃える間もなく脱ぎ捨て、乱雑に折り畳んだ上着を抱えてながら横を通り過ぎる。染み付いた酒の匂いがほんのりと鼻をついた。
「嫁のことほったらかして、ほんといいご身分ね……」
聞こえないぐらいに悪態つく声色はどこか拗ねた猫のようだった。それは彼に向けたものでもあり、心配していた自分への言葉でもある。
ふらふらと千鳥足を踏みながらも、帰宅してから染み付いた習慣が酔っていても尚、働いている。
着替えをしてから、手洗いと歯磨き。決まった事をこなしてから彼はそのままベッドに潜り込むと直ぐに眠るかと思いきや──来るのを待っていたのか、自分の定位置の布団が捲れていた。
彼に倣うようにもぞもぞとまだ温かいふわふわ布団の中へ潜り込む。
ぴとり、と大きな背中に身体をくっ付けた。
温かな体温、硬く、ごつごつとした感触。
耳を当てると、聴き慣れた心臓の鼓動が聞こえる。
とく、とく、とく。
それから、呼吸の音まで。
ああ、心地よい──
いつものルーティン。
彼も察してか、酔い潰れて呂律もあまり回っていないだろうに──寂しさを埋めてくれるように、喋りかけてくれる。
「今日はなー……すっごい喋ったー……」
「そう……」
「皆結婚してから久々になぁ……飲んでなぁ……」
「うん……」
「オペラオー担当のやつなぁ、3人目が出来たんだぁ〜……って言っててなぁ……」
「お祝い、しないとね……」
「うちの子が可愛いって、ぇ……話ぃ……すんごいしてなぁ……」
「ん……」
「んでなぁ……」
「……ん……」
今日の出来事を話す声は時間に経つにつれて少なくなって。
最後は二人の寝息に満たされた。
物寂しげな一等星は。
大きな惑星に寄り添うように眠りにつきましたとさ──
おわり