特集

INTERVIEW 2022.10.02

北条時政役・坂東彌十郎さんインタビュー

~たくさんの人に時政にしていただきました~

放送開始以来とても親しみ深く愛されている北条時政ですが、世間の声はどのように感じていますか。

大河ドラマ館などに行くと、「パパ!」とか「父上!」と言われるんですよ(笑)。ああいうところに行っても僕になんて誰も気づかないと思っていたのですが、すごく親しんでいただけているんだなと感じて、本当にありがたいです。SNSだと「パッパ」なんて呼ばれていますから、おもしろいですね。以前も、デパートでぶらぶらしていたら急に若いご夫婦が走ってきて、「あの…彌十郎さんですよね?」とおっしゃるから「はい」とお答えしたら、「かかさず大河ドラマを拝見しています」と。それで、「握手してもらってもいいですか?」と聞かれたので、「このご時世なので、握手ではなくグータッチでいいですか?」と言って(笑)。そういうのもうれしいですよね。SNSでも「歌舞伎をに行きました!」というコメントをいただいたりして、「期待を裏切らないようにしないといけないな」とも思いますが、ありがたいです。

長く撮影している間にいろいろな出来事があったと思いますが、特に印象に残っていることはありますか。

僕の誕生日に瀬戸(康史)くんが色紙にすごく上手な絵を書いてくれて、そこにみんながメッセージを添えてくれたものをいただいたのですが、うれしかったです。それでちょっと笑ってしまったのですが、中川(大志)くんが「生きたいです!」と書いていて、とても刺さる言葉でしたね。誕生日当日はりくと一緒のシーンだったので宮沢(りえ)さんには花束もいただきましたし、みんな個別でプレゼントもくれて、「僕はみんなに何もしてないのに」と思いつつ、本当にありがたかったです。
子どもたちはもちろん、途中から娘婿になった畠山役の中川大志くんなど、みんなが僕のことを「父上」と呼んでくれて、うれしいです。みんな本当に可愛かわいい。たくさんの人が僕を時政にしてくれたのだと感じます。また会いたいな…。

本編では最初のホームコメディー感がどんどん薄くなり、ついに家族との今生の別れが描かれました。義時との対面では、どのような思いになりましたか。

小栗(旬)さんとは今回初めてお仕事をご一緒しましたが、親子になって長い時間がたっていたので、別れのシーンはすごく感慨深かったです。義時はだんだんと強く変わってきていますが、最後に僕と別れるところでは息子の顔に戻るんですよね。今話していてもちょっとうるうるしてしまうのですが、それがすばらしくて、僕も父親に戻って優しくなれたシーンだったなと思います。決して敵対したわけではないですし、時政義時も「鎌倉のために、こうなっていくのはしょうがない」とわかっているんですよ。多くを語らずともね。

別れのシーンで小栗さんと相談したのは、時政が急にウグイスの話をするところです。「父上、これをどういう気持ちで言うんですか?」と小栗さんがおっしゃって。たしかに義時からしたらそう思いますよね。時政としては自分のうしろめたさをごまかすのもあるけれど、例えば子どもと虫取りに行って説明してあげるのと同じ感じで、ウグイスのことを教えてあげたかったのかなと。そうしたら義時が感心したように頭を下げてくれるわけですよ。父親目線で、たまらなかったですね。思わず抱きしめたくなるけれど、肩に手を置きにいく。最終的にはお互い何も話さないけれど全部わかっているというような、親子だなと感じるいいシーンだったと思っています。

りくの数々の助言がきっかけとなり追放されることになりますが、時政はそれらをどう受け止めていたのでしょうか。

根本的には、息子・政範が殺されたからですよね。そもそもそれがなければ、畠山にあんなことはしなかったでしょう。でも、りくは「敵討ちがしたい」という思いが強かったので、時政は「なんとかさせてやろう」と思ったんですよね。そこからどんどんエスカレートしていき、時政ものらりくらりと言われるがままになっていた部分はありましたが、政範は自分の息子だし、「殺された」なんて聞いてしまったら信じてしまいますよ。だからりくの思いもわかるし、時政として「りくをおさめるには言うことを聞いてあげないといけない」と思いました。

今回もりくに言われたから実朝を監禁してしまったけれど、彼は自分の孫だし、どんなことがあっても手はあげることができない。そして時政は、監禁した時点で自分が負けることもわかっているわけです。でも、やらなければりくが納得しないから、「じゃあいいよ、俺が命を捨てればいいんだから」という考えになったんだと思います。

命を捨てる覚悟までしていた中で、「伊豆に追放」という判決がくだされたことはどう感じましたか。

時政の思いを義時がちゃんとんでくれたということですよね。僕を殺させないようにうまく大江広元たちと話し合ってくれたというのが彼のすごいところです。「私は首をはねられてもやむなしと思っていた。礼なら、鎌倉殿と文官の方々に言ってください」とそっけなく義時は言いますが、時政は「たぶん義時が骨を折ってくれた」とわかっている。いい親子だなと思います。そして伊豆の地を選んでくれたことは、時政からすれば満点です。大好きな富士山は鎌倉からも見えてはいましたが、時政はきっと伊豆からの見え方が好きだったでしょうし、心が落ち着く場所に帰れるので、逆にちょっとホッとしているところもあると思います。

伊豆の平凡な豪族だった北条家の運命は、源頼朝をかくまったことで大きく変わりました。改めて、北条時政の人生はどのようなものだと感じますか。

きっと追放されて伊豆に帰るまで、馬に揺られながらずっと考えているのだと思います。「いろいろなことがあったな。でも、おもしろかったな」って。そして、「やっぱり本当は誰一人殺したくはなかった。みんなに悪かったな」と思っていると思います。大きく出世はさせていただきましたが、あまりいい夢ではなかったように感じるんですよ。「権力を持てるなら持とう」と思ったんでしょうけれど、もともと時政は平和が好きな人だと思うので。でも当時は誰かをたたき落とすことが普通に行われていた時代ですから、しかたがなかったのかなと思いますし、時政は最後までほとんど悪人にはならなかったのではないかと思っています。

特集

新着の特集をご紹介します