INTERVIEW 2022.12.11
政子役・小池栄子さんインタビュー
頼朝の死後、政子は中身もビジュアルも大きく変化しましたが、尼姿になった感想はいかがですか。
着るものが変わると物事の考え方もシンプルになるんだなと思いました。不思議と欲みたいなものがスッと自分の中から抜けていく感覚というか。あとは単純に、頭巾をかぶると顔が際立って見えるので、すごく恥ずかしいです(笑)。でも、政子としての心の落ち着きを衣装の力を借りてつくることができているような、そんな感覚がありますね。支度時間も、以前に比べて半分くらいになったので楽です(笑)。
三代鎌倉殿・実朝にはどう接しようとしていましたか。
頼家も実朝も繊細な人でしたが、実朝のほうが冷静だったなと思いましたね。自分の置かれた状況に戸惑っていたし、それほど野心もなかったし、「これ以上誰も踏み入れないで」というバリアを張っていたような感じもして、母として「この人が本音をぶつけられる場所はあるのかな」と心配でした。
政子は実朝が「無理だ。嫌だ。わからない」と言うことを無理にはさせず、和歌に興味を持ったならそれをやらせたいと思ったのは、頼家の死がすごく影響していたんだと思うんです。頼家の二の舞いにはしたくないと思っていたからこそ、彼に跡継ぎができないと知っても、みんなは焦っているけど、私は「焦る必要はない」と言う。そこのさじ加減も難しくて、ガラス細工のように扱うのもよくないし、かと言って正しい方向に誘導してあげたいという気持ちもあったので、かなり気を使いながら接していたような気がします。実朝は頼家と違って自分の思いを相手にぶつけられるタイプの子ではなかったし、私も腫れ物に触るみたいな対応をしてしまうこともあったので、彼との間にちょっと距離感が生まれてしまっていたかもしれないなと感じています。
これまで多くの御家人たちの粛清が続く中、第38回で描かれた父・時政、義母・りくとの対立は政子にとっても苦しい出来事だったと思います。どのような心境になりましたか。
そうですね。変わらない父上の部分もわかっているし、変わってしまった父上の部分もわかっているし、時政とりくとの間にある夫婦の絆も知っているし。でも、「なんてことしてくれたんだ」とも思っていたし…複雑でしたね。ドラマだからしょうがないんですけれど、「みんな、どうしてもっとちゃんと話し合って誤解を解かないんだろう」といつも思うんですよ。「暴力じゃなくて対話で解決できることもあるはずなのに」って。それができないのが切ないですよね。だから、父上の件では死罪にしなかったことが娘としてできるせめてものことだったんだろうなと思うし、それに義時が応えてくれてよかったなと思います。
りくとの対面シーンも難しかったですね。本当だったら今までやられてきたことを思い出して、「こうなったのはあなたのせいだからね」という思いでケンカしたくなるような感じだったんですけど、そこはグッとこらえて、今自分がすべきことは何かを短時間で考えないと、と脳みそがフル回転していたのを覚えています。これまで思ったことを飲み込むことも多かったので迷ってしまって、「感情をぶつけることは、後半の小池さんのお芝居の課題ですね」とチーフ演出の吉田さんに言われました(笑)。義時ほどではないけど、「わかりました。私がなんとかします」と言ってしまっていたし、見守っていたりするシーンが多かったから癖がついてしまって、どうしても感情的になるモードになれなかったんですよね。なのであの出来事をきっかけに、芝居の幅をもっと広げないといけないと思いました。
身内も減っていく中、妹・実衣とは緊張感のある絶妙な距離感を保っていました。政子と実衣の姉妹関係についてどのように捉えていますか。
私は彼女を憎いと思ったことは一度もないですし、頼朝様が亡くなって彼女が「御台所になる」と言ったときに「あなたに御台所は務まらない」と強く返したのは、実衣を愛しているからこそ「私のような思いをしてほしくない」と思ったからだと思うんですよ。視聴者の方はいろんな受け取り方をされたと思いますが、私としては「この子がつらい目にあうのは自分のことのようにきつい」と思ったし、全成を亡くして、どんな最期だったのかを義時から聞く実衣の涙は、見ていて胸が張り裂けそうなくらいつらかったです。可愛い妹だし、幸せになってもらいたいという思いが根底にあるので。
共に長く鎌倉を支え続ける弟・義時にはどのような思いを抱いていますか。
支え方がズレている感じは途中からしていましたね。義時が独裁的になっているように感じて、「鎌倉のためって言い訳して好き勝手にしてるんじゃないよ」と伝えるシーンもありましたが、“鎌倉のためイコール己のため”に変わってしまっているのではないかと感じている気がします。でも実際に鎌倉で何かがあったときに、ちょっと携わるくらいで基本的に裏方にいる自分と、表立って動いている義時とでは当然差が生まれるので、「とにかくひとりで突っ走らないでくれ」「私の言葉も聞いて。私のことも気にかけて」という願いは常にあります。だから彼がどんどん変わって離れていく様子は恐ろしくもあったけど、やっぱり弟なので心配だし、守らなければいけない存在だと思っています。
長く生きていると、子どもとか下の世代はどんどん増えていくけど、自分より年上の助言をくれるような存在ってどんどんいなくなっていくじゃないですか。そういう存在がいかに大事だったのかを考えるし、「生きるってなんだろう」とか、すごく壮大なことまで大河ドラマをとおして考えてしまいますね。そういう意味でも、義時とか、自分ではない役の生きざまを見て学ぶことや感じることがあります。
終わりが見えてきましたが、今どのようなことを感じていますか。
「本当に終わりたくないな」というのが今の正直な気持ちです。これが大河ドラマの醍醐味ですが、こうやってひとりの人物を長く演じることがすごく財産になったなと感じていますし、今回はとにかく座組が良かったなと。三谷さんの脚本が毎回すばらしくて、どの役も印象的だから、今や難しい歴史上の人物の名前もスラスラ言えちゃいますよね。それはやっぱり脚本と演出、そして演者、すべての力がうまく合わさったからだと思うし、そんな仕事って何十年に一度くらいしか出合えないような貴重なものなのではないかと思います。それに、先輩、後輩、いろんな役者さんとお芝居ができて、姿勢であったり技術的なことだったり、勉強になることばかりで、この経験を絶対に無駄にしないで次につなげていきたいなと思いますね。