鎌倉を守るために大江広元(栗原英雄)とも共謀し、反北条の旗頭となった和田義盛(横田栄司)の転落をもくろむ義時(小栗旬)。戦を回避するべく源実朝(柿澤勇人)と政子(小池栄子)が奔走する中、三浦義村(山本耕史)、八田知家(市原隼人)ら有力御家人は、義盛の陣営に集い情勢を見定めていた。そんな中、父・義盛の安否を心配する朝比奈義秀(栄信)らが打倒北条を目指して決起。一方、失意に暮れる泰時(坂口健太郎)は……
2022年10月30日(日)
- 午後8時~
- 午後6時~
再放送
2022年11月5日(土)午後1時05分~
物語をたどる
役柄への思いや撮影時のエピソードをご紹介します
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和田義盛役・
横田栄司さん- 和田義盛の最期を演じて ほか
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巴御前役・
秋元才加さん- 馬で駆けていく巴 ほか
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北条朝時役・
西本たけるさん- 北条朝時について ほか
これまでの放送をご紹介します
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する“前説”
【監修】時代考証・木下 竜馬
引き金となった泉親衡の乱
北条と和田との間で確執が深まる中、建暦3年(1213)に事件が起きました。『吾妻鏡』2月16日条によると、信濃の武士・泉親平(親衡)が源頼家の遺児(のちの栄実)を将軍とし、北条義時を殺害することを計画。未然に発覚してこの計画は防がれましたが、およそ百三十人もの御家人が関与していたのです。信濃は頼家の乳母夫・比企能員が勢力を及ぼしていた土地でした。
衝撃的だったのは、捕縛者の中に幕府の侍所別当を務める和田義盛の息子の義直・義重と、甥の胤長が含まれていたことです。義盛が源実朝へ直訴を行い、息子二人はただちに赦免されました。しかし、首謀者のひとりであった甥の胤長は許されず、一族九十八人が列座する前で後ろ手に縛り上げられて歩かされたのちに流罪となります。これは、裁定に乗じた北条義時の義盛への挑発でした。恥辱を受けた義盛らはこれを境に御所への出仕をやめてしまいます。そして、その後も義時から執拗に挑発され続けた和田氏は、同年5月2日、ついに義時打倒のため挙兵しました。
ちなみに、泉親衡については史料がほとんどなく、逃亡後の消息はわかっていません。