大庭景親(國村隼)率いる平家方の前に大敗を喫した源頼朝(大泉洋)の一党。この合戦で、北条家を引っ張ってきた宗時(片岡愛之助)ら有力な坂東武者が戦死。敵の追撃から必死に逃れる頼朝は、信頼する従者・安達盛長(野添義弘)らとともに石橋山山中に身を潜める。一方、兄・宗時の熱い想いに決意を新たにした義時(小栗旬)は、再起を図るべく父・時政(坂東彌十郎)とともに甲斐を治める武田信義(八嶋智人)のもとへ向かった……
2022年2月13日(日)
- 午後8時~
- 午後6時~
再放送
2022年2月19日(土)午後1時05分~
物語をたどる
役柄への思いや撮影時のエピソードをご紹介します
-
武田信義役・
八嶋智人さん- 初登場シーンについて ほか
-
北条時政役・
坂東彌十郎さん- 立ち回りのシーンについて ほか
-
畠山重忠役・
中川大志さん- 馬のシーンについて ほか
-
文陽房覚淵役・
諏訪太朗さん- 政子たちが伊豆山権現に来たシーン ほか
-
和田義盛役・
横田栄司さん- 義盛を演じて ほか
これまでの放送をご紹介します
放送前に出来事や背景などをかいつまんで説明する“前説”
【監修】時代考証・木下 竜馬
石橋山の戦い
石橋山は、現在の神奈川県小田原市の南西にあたります。父・源義朝が治めた鎌倉を目指す頼朝は、まず土肥実平の本拠である土肥郷に入り、山と海に挟まれ小勢でも大軍に対抗できる石橋山に陣を取りました。その数、およそ300騎。
対する平家方は、大庭景親が相模国の武士およそ3000騎を率いて谷一つ隔てた地に陣を引き、さらに、打倒頼朝に執念を燃やす伊東祐親がおよそ300騎を率いて、頼朝軍の裏側の山に陣取りました。兵力の差は歴然。景親は頼朝を支援する三浦党が合流する前に勝敗を決するため、治承4(1180)年8月23日の夜に攻撃を仕掛けます。激戦は翌日まで継続しました。
ちなみに『延慶本平家物語』や『源平盛衰記』などには、景親がまず悪口合戦を仕掛け、これに北条時政が応じたと記されています。