白冽のマリスガイン 第5話 APL
「もし本当に、子供の操縦する、ワンオフの、人型巨大ロボットが、現代の地上で動いたら?」
注意事項などは第1話の説明文を参照してください。
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青いジャージを着た中学生が一心不乱に自転車を漕ぐ。下校する集団から抜け、信号を渡り、橋を越え、脇目も振らず走っていく。漕いでいるのは優鑠だ。いつもは同方向に帰る友達と話しながら帰るが、今日は別れて1人飛び出してきた。
なぜなら……。
先日JACEIRAから、優鑠が二次審査に合格したと連絡があった。二次審査通過者は優鑠ともう1人いて、正式なアクターを決定すべく最終審査を行うという。その説明と秘密保持契約を結ぶために、JACEIRAの小林が今日家に来るのだ。
優鑠は大急ぎで家に帰った。
(あれは……!)
家に着くと、家の前の路肩に知らない青色の車が停まっていた。優鑠は自転車をいつもの場所に置き、ヘルメットを被ったまま玄関のドアを勢いよく開ける。
「ただいまー!」
「あっおかえりなさ~い」
「お邪魔してます」
玄関のドアを開けたそこで、母親と小林が話していた。
「小林さんこんにちは」
「こんにちは優鑠さん。二次審査合格、おめでとうございます」
小林はつい先程到着したばかりだった。優鑠が帰宅後の身支度を手早く済ませ、3人は話す場所をリビングに移す。
「これが秘密保持契約書です」
「ここからは、どうしても我々JACEIRAの機密情報をみなさんに教えなければなりません。なのでみなさんには、この契約を結んで、情報を漏らさないよう厳守してもらいます。契約はJACEIRAの関係者でなくなった後もずっと有効なので注意してください」
小林の差し出した契約書に優鑠は目を通す。"秘密情報"に当たるものには、「自身らがJACEIRA関係者である事」「JACEIRA広報が公開していない情報」などがあった。そして一番下の項目には、それらを漏らした場合は契約者がその損害を全て賠償する旨が書かれていた。秘密保持契約とは、この損害賠償責任を担保に契約者に秘密を守らせるものなのである。
「みなさんの気を付ける事は今までと変わりません。優鑠さんがアクターに応募した事と、JACEIRA関係の事を他の人に内緒にするだけです」
「学校の校長先生達は優鑠の事知っちゃってますけどいいんですか?」
母親が尋ねた。
「既にアクターの事を知ってる人は仕方ありませんが、その人達にも必要な事以外は話さないでください」
「だって優鑠」
「お母さんも気を付けてよ」
「私はちゃんと誰にも言ってないよ」
「ふふっ」
優鑠と母親の言い合いを見て小林は小さく笑う。
「分かりました」
そう言うと、優鑠は母親の使い終わったボールペンで契約書にサインし始めた。七海や龍之介など応募の事を知っている友達が何人か居るが、問題になることは無い、きっと大丈夫だろうと楽観した。名前を書き終わり、最後に印鑑を押す。
父親が帰ってくる前に優鑠と母親の2人だけで説明を受けた。
最終審査では、技能講習の学科試験とロボットの操縦精度の確認が行われ、総合的に考慮し正式なアクターが選ばれる。なので、これからは学科試験に向けた勉強とロボットの操縦訓練をしていく。
ロボットの法的な運転者は小林達になっているため本来アクターが技能講習を修了する必要は無いが、「アクターにも最低限の知識を持っていてほしい」という事で学科試験が実施される。ロボットの操縦訓練は家でできるそうで、操縦可能になるまで時間がかかるため今から始めてしまうらしい。小林はJACEIRA技術部の操縦システム担当で、その彼がアクター候補者のもとへ訪れているのは、訓練用のパソコン等をセットアップしやり方を教える為だった。
「高そうなパソコンですね……」
「25万するから壊さないでね」
「うわっ…… はーい」
優鑠の部屋で小林が持ってきたパソコンを準備する。いかにも性能が高そうな、黒く角ばったMSI製のノートパソコンだ。優鑠のパソコンが2年前に15万円で買ったものなので、その性能には天と地の差があるだろう。
「いや、壊しちゃいけないのはこっちか……」
小林はそう口にすると、ダンボール箱を開け中身を取り出した。出てきたのは、四角いプレートが無数に付いたヘルメットのような被り物だった。優鑠はそれを渡され先の言葉から慎重に扱う。
「ヘルメット?」
「それはTMRセンサー。脳磁図を取得するための計測機器だよ」
小林は、優鑠の方を見て自慢げな顔をして言った。
「ロボットの制御はそれで読み取った脳の運動命令で行う。アクターはロボットにさせたい動きを念じるだけで、ロボットを思い通りに操縦できるんだ」
「え!?」
「……それって、脳波でコントロールする的な感じですか?」
「まあそうだね」
「マジですか?」
「マジだよ!」
優鑠は唖然とする。
「やっぱり驚くよね。昨日説明に行ったもう1人の子も教えたらビックリしてたよ」
「だって"アクター"って言うからずっとモーションアクターだと思ってて……。いやそれよりも脳で制御って」
ここで、優鑠は思い出す。先日の二次審査の健康診断の中で、座ったまま頭を入れる大きな装置で脳の何かを測定したのだ。
「あー、もしかして二次審査の時、病院で測ったやつってこれですか?」
「そうそう。脳磁図が取れるか確認した」
「チェックはしてた訳ですね」
「でも、念じて思い通りに動かすなんて本当にできるんですか?」
「タダではできないよ。動かすために、これから訓練していく」
優鑠は小林に言われてセンサーを頭に被る。パソコンの動作確認が終わり、訓練の仕方の説明が始まった。
「使うソフトはデスクトップのこれ。センサーのUSBを繋いでから起動して」
指で差されたファイルをダブルクリックすると、黒いウィンドウが出た後、Unity製のゲームが起動した。ウィンドウの名前は「APL訓練ソフト フロント」。
「APL……」
「APLは"Artificial Phantom Limbs"の略。直訳すると『人工幻肢』だよ」
「じゃあ訓練を一通りやってみよう」
「はい」
「左のリストはモーション・体の動きの一覧で、ここから訓練する動きを選ぶ。とりあえず"右肘曲げ"を選んで」
言われた項目を選ぶと、画面中央に人の3Dモデルが出現した。
「で、この"ロギング"を押すと今出た3Dモデルが右肘を曲げたり伸ばしたりしだすから、優鑠さんは自分が……念力で3Dモデルの肘を曲げたり伸ばしたりさせてるつもりで強く念じるんだ」
「分かった?」
「う~ん、3Dモデルのする動きを念じればいいんですよね。自分が操ってるかのように」
「そう」
「ちなみに自分の体は一切動かしちゃダメだよ。ロギング中は3Dモデルの動きに集中して」
「分かりました」
「じゃあやってみて」
「はい」
優鑠がロギングをクリックする。カウントダウンが3から始まり、1が消えると3Dモデルが動き出した。
優鑠は画面を凝視し、3Dモデルに合わせて動きを念じる。肘を曲げさせるように、肘を伸ばさせるように。3Dモデルの動くタイミングや速さは不規則だった。
20回ほど繰り返すと、3Dモデルが止まりロギングが終わった。
「これが1セットね」
「はい」
地味な作業だが、数分間集中し続けるため優鑠はキツいかもと思った。
「そしたらもう自動でアップロードが始まってる」
「ロギングが済んだら、モーションデータと取れた脳磁図を産総研のサーバーに送って機械学習させる。これで優鑠さんの脳活動と体の動きを関連付けた"デコーダ"が生成されるよ」
「はい」
「ちょっと待っててね。今デコーダが送られてくるから」
「よし。生成されたデコーダをダウンロードできたら、この"チェック"を押して確認するよ」
優鑠はチェックをクリックする。
「優鑠さん、3Dモデルの右肘を曲げるように念じてみて」
「はい……」
まさかと思いながら、優鑠は画面の3Dモデルに対して念じる。
すると、3Dモデルは優鑠の念じたように右肘を曲げたり伸ばしたりした。まだ途中で止まったり反応が遅れたりするが、確かに優鑠の命令に応じて動いている。
「よしよし! 動いてるね!」
「す、すごい……」
「本当だったでしょ?」
「はい……」
「ロボットはこれで操縦するんだ」
「今は右肘のデコーダしかないから右肘しか動かせないけど、他の動きのデコーダも作っていけばどんな体の動きでもさせられるようになるし、デコーダは作れば作るほど精度が良くなるよ」
「こんな感じで、念じてる所をロギングして、デコーダを作って動かせるようにするのがこれから優鑠さんがやる事の1つです。優鑠さんが訓練すると言うより、デコーダを訓練すると言う方が正しいかな?」
「同じ事の繰り返しだからだんだん辛くなってくると思うけど、頑張って何度もロギングして精度を上げて、思い通りに動かせるようにしてね」
「はい!」
百聞は一見に如かず。最初は脳を読み取ってロボットを動かすことを信じなかった優鑠だが、訓練ソフトで実際に念じて動かすと、すんなり受け入れた。
訓練ソフトなどの使い方を教わった後は、技能講習の学科試験の説明を受けた。
学科試験でふるいにかける意図は無いそうで、候補者2人に満点を取ってもらうべくJACEIRAは様々な教材を用意していた。出題される分野のテキストはもちろん、要点まとめプリントや反復学習用問題、パソコンに自作の練習問題ソフトまで入れてあった。優鑠はそれらを受け取ると共に、小林から確実に覚えられる勉強方法を伝授してもらった。
「小林さん」
「なに?」
小林は今日の仕事をほぼ終え、撤収する準備をしていた。
「二次審査に受かったもう1人って、どんな子なんですか?」
優鑠は、二次審査を通過したもう1人の事が前から少し気になっていた。いちおうアクターの座を懸けて競うライバルだ。
「あー、どこまで教えていいんだろう……」
「女の子だよ。一宮の高校の一年生。そういえば彼女には優鑠さんの事訊かれなかったなぁ」
「一宮……」
「って遠くないですか?」
一宮市は愛知県の北西端に、優鑠の住む新城市は東端に位置する。JACEIRAのある刈谷市はその中間辺りで、どちらとも距離が離れていた。
優鑠は、「面接で移動時間の事を言ってきたくせにもう1人も遠いじゃないか」と一瞬思った。
「でもあの子は40分で刈谷駅まで来れるって言ってたよ。優鑠さんは2時間くらいかかるんだっけ」
「はい……。その人便利ですね」
「電車が少ないのはしょうがない」
「でも、二次審査に受かったならもう時間とか関係ないよ。最終審査は学科試験の合否と操縦精度で決まる。アクターに選ばれるよう頑張ろう」
「……そうですね!」
帰宅した優鑠の父親に秘密保持契約書のサインを貰って、小林は帰っていった。優鑠は宿題を終えた後、早速APLの訓練に取りかかる。
最終審査に向け、特訓の日々が始まった。
― 第5話 終わり ―