間枝(まえだ)@mtnonoonly·2022年7月28日例えば、北方史の研究でたまに参照される権祝本縁起絵第三の「宇曽利鶴子別ト万堂宇満伊犬ト云小島」の「万堂宇満伊犬」(松前と解される)の箇所は最後の「犬」がコシャマイン(胡奢魔犬)と同様にaynuに相当すると見なされることがあるようなのですが、その見解は再考の余地があります。というのも、引用ツイート間枝(まえだ)@mtnonoonly·2022年7月28日梵舜本を引こうが権祝本を引こうが全く変わらないようなら別にそこに拘る必要はあまりないのですが、実際のところは権祝本から引用してしまうと明らかに問題が発生するような箇所もあったりします。このスレッドを表示15
間枝(まえだ)@mtnonoonly·2022年7月28日最善本の梵舜本では同じ箇所が「宇曽利鶴子別今万堂宇満伊ナトイフ小島」となっているからです。つまり「犬」ではなく「ナ」で、「万堂宇満伊など云ふ小島」。 梵舜本が原本から直接書写されたと見られる本であるのに対して権祝本は少なくとも三回の転写を経た本なので、梵舜本の方が信頼の置ける本文14
間枝(まえだ)@mtnonoonlyである可能性が高いと言えます。 また北方史の方でも、人名でなく松前という地名にaynu(人)が付くのは不自然とする見解があるため、その点を考え合わせても、梵舜本の「ナ」が原本の表記で、そこから誤写されたのが権祝本などの「犬」だと判断できます。午後3:05 · 2022年7月28日5 件のいいね