群馬県内を車で走っていると、難読地名に出合う。由来を調べてみると、過去の出来事や伝承などさまざま。初見ではなかなか読めない五つの由来は?(紹介するもの以外に諸説あります)。
水立(やけだち、邑楽町)
国道354号を館林市から太田市方面へ進み、「高源寺北」交差点で左折。県道矢島大泉線をしばらく進むと「水立」という交差点が現れる。「みずだち」と読んでいしまいそうだが、実は「やけだち」。「水」の字は、かつて地域で起きた大火事に由来している。
年代は定かではないが、かつて地域一帯の家屋や林を焼く大火事があり、江戸時代には「焼立」という漢字が使われていた。それが明治時代の資料では「水立」に変わっていることが確認できる。地元の人々が「火事に打ち勝つ」との願いを込め、火を思わせる「焼」ではなく「水」の字を使うようになったから、と伝えられる。
周辺は広い畑や民家に交じって林が点在している。字(あざ)が「篠塚」となった今も、古くから住む住人は地域を「水立」と呼ぶという。大火事の痕跡は見つからなかったが、交差点名標識がかつての火事を乗り越えようとした住民の思いを伝えている。
行田(おくなだ、安中市松井田町)
妙義山の麓にある、富岡市の旧妙義町地区と隣接する地名。埼玉県の行田(ぎょうだ)市と同じ漢字だが「おくなだ」と読む。地名の由来は、仏教用語の「行い」にあるという。
かつて、五穀豊穣や家内安全を願う仏教行事「修正会」が地内の寺で行われていた。修正会は「行い」と呼ばれ、行いにかかる費用を捻出するための田「オコナイ田」が転じて「おくなだ」となったということだ。
妙義山に入山する修験者が数日間、精進潔斎する施設があったから、とする説もある。実際に足を運ぶと、妙義山や周辺の山々が眼前に迫り圧倒される。いにしえの人々も妙義山を望みながら、仏道に励んだようだ。
本動堂(もとゆるぎどう、藤岡市)
藤岡市にある地名で、かつて雨乞い中に起きた出来事の伝承に由来している。ある年の夏に日照りが続き、村人が法師とともに観音堂で雨乞いをしたところ、お堂が揺れて雨が降り出した。以来、この地は「動堂(ゆるぎどう)」と呼ばれるようになった。その後、仏像は市内の寺に移され、元々あった場所という意味で「本動堂」と呼ぶようになったそうだ。現在は、工場や物流倉庫が立ち並んでいる。
魚尾(よのお、神流町)
神流町内を流れる神流川沿いにある旧中里村地区の地名。「魚尾」は川で取れるアユに由来している。太古の昔、神様が疲労と空腹のため、川沿いにある「丸岩」の上で休んでいた。これに気付いた村人が、麦飯と川で取れたアユを献上。神はたいそうアユを気に入り、しっぽまで食べると「この地を魚尾と称すべし」と命じたと伝えられている。「よのお」という読みは、アイヌ語で「生活の場」を意味する「イオル(イウォロ)」が変化したとされている。丸岩は今も存在し、すぐそばにある「神流川鮎神社」が伝説をしのばせる。
乙父、乙母(おっち、おとも、上野村)
上野村役場や「道の駅 上野」近くの国道299号沿いにある地名。春の伝統行事「おひながゆ」が行われる地域としても知られる。地名の由来は、木曽義仲の四天王と言われた今井四郎兼平の遺児ら一族が戦に敗れてたどり着き、男は乙父に、乳母は乙母に住み着いたからと言われている。二つの地区は隣接しており「父母トンネル」がつないでいる。