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02月05日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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虫にまつわるエトセトラ

エリザハンミョウ

写真:交尾中のエリザハンミョウ(上が雄)=鳥取砂丘 拡大交尾中のエリザハンミョウ(上が雄)=鳥取砂丘

写真: 拡大

◆名の由来 ロシア人女性

 鳥取砂丘の通称オアシスで営巣地をロープで囲ったという昨春の報道を読んで、この体長1センチほどの甲虫を知られた方は多いだろう。囲いは、地面に垂直に掘られているこの幼虫の巣穴が踏みつけられないよう設置されたものだ。この前年に個体数が激減したための囲いだったが、昨年も成虫が出現する7月に個体数を調べると、残念ながら減少に歯止めはかかっていなかった。推定生息数は最多の日でわずか36だった。崖っぷちである。

 当地には1990年代までは3種(エリザ、カワラ、ハラビロ)のハンミョウが生息していたが、うちハラビロハンミョウはすでにいない。これは私の知る限りでは、国立公園特別保護地域における全国初の絶滅例である。このうえエリザハンミョウまで絶滅させるわけにはゆかないのだが、打つ手がない。

 本種の和名や学名につく「エリザ」は、ほぼ確実に、幕末の1859年に函館にできたロシア領事館の初代領事ヨシフ・ゴシュケビッチさんの奥さんへの献名である。ゴシュケビッチ夫妻は昆虫採集が趣味で、日本で採集した多数の標本を、昆虫研究もしていたロシア陸軍ヴィクトル・モチュルスキー大佐に送った。日本の甲虫の普通種にはカブトムシをはじめモチュルスキー大佐が名付け親になったものが多い。

 私は、エリザハンミョウのタイプ産地(新種を論文で記載するときに使った標本の産地)がどこなのか気になり、その原記載論文を入手してみた。しかし、いつどこで誰が採集したか記述がなかった。この1859年の論文の表題は「アムール川近郊から報告される昆虫のカタログ」なので、タイプ産地は日本ではなく、来日途中に通ったこの地方だったようだ。ゴシュケビッチさんは日露和親条約締結のためにディアナ号が1854年に下田に来航したときも通訳として乗船していた。ゴシュケビッチさんが乗船したこの船は安政東海地震の津波で大破して沈没し、伊豆の戸田港で帆船を新造してようやく帰国した。エリザさんは、その後1864年に函館で亡くなった。この虫ははるばるロシアから来日したご夫妻の苦労をしのぶよすがでもある。(鳥取大教授・鶴崎展巨)

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