【今週の秘蔵フォト】1970年代前半、映画界に突然現れた“異星人”のような不思議な魅力を持つ女優が、秋吉久美子だった。歯に衣着せぬ発言と、芸能界との迎合を拒否したような不敵な態度…。さらに「(子供は)卵で産みたい」といったユニークな発言。何もかもが新しいタイプの女優であり、スクリーンに映る姿はとても魅力的だった。

 72年に松竹「旅の重さ」でデビュー。74年には藤田敏八監督による、いわゆる“日活ニュー青春映画3部作”と呼ばれる「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」に立て続けに主演。「十六歳の戦争」(製作は73年、公開は76年)、「赤ちょうちん」では10代で大胆なヌードを披露。新時代の女優として注目を集め、一気にスターの座へ駆け上った。

 74年2月22日付本紙には、ちょうど「赤ちょうちん」をロケ中の秋吉のインタビューが掲載されている。大御所・藤田監督については「私のことをタヌキって呼ぶの。でも自分はパンダみたい。フフフ。あの人はこういうふうに演技しろとか絶対言わないんです。ああそう、それはいいねとか。信頼してます、なんて言ったらおしまいになっちゃう。そういう関係だと思うの、私たち」と臆することなく語った。

 当時19歳。高校時代は文芸部に所属して詩を書いていただけに「私ってわがままだと思うの。強引に相手にイメージを押しつけちゃう。1つの幻想みたいなものを愛している…繊細な感じのする人ってすごく好き」と独特の表現で自己分析した。銭湯が好きで「いろんな人がいるでしょ。きれいな人がいたり見比べてみたり」。見出しには「55円(当時料金)でヌードの比べっこ」の文字が目を引く。

「赤ちょうちん」のテーマになっている同棲についても「形よりも2人の心の問題だと思うんです。2人の歴史が重要。同棲っていう言葉が持つ意味だけで片付けるのは否定しちゃうわね。男の子と女の子の個々の具体的な問題でしょう」と語る。これが19歳の少女が語る言葉だろうか。「3部作」で人気女優となった秋吉は、その後も数々の名作で強烈な個性を発揮し続けた。