日本共産党と現代日本政治を考えるサイト「さざ波通信」

 本サイトは、日本共産党のよりいっそうの発展強化と、日本と世界の民主主義的・社会主義的変革に、わずかでも寄与すべく、日本共産党および現代日本政治における日本共産党の役割、位置、課題について、批判的見地から検討し議論するサイトとして、党員有志によって開設されていたものです。

現在は更新しておりません 99/2/14-->16/7/31



「130%の党」に必要なもの

 今また「130%の党」と言われている。19年前にもあった。「さざ波通信」でも取りあげ論評した(ちなみに「T・T」は、管理人である私の筆名)。そこで私は指導部の分析を掘りさげ、党が反転攻勢に向かうには学習とイデオロギー闘争※が重要なこと、そして党の団結を強めることが大事だと訴えた。指導部はそれに背いているとも。

 今回はどうか。指導部として「手紙」など親身な姿勢を見せている。「学習」にも力を入れているようだ。だが天の邪鬼な私は、昭和のパワハラ・モラハラ上司が急に猫なで声で部下のご機嫌とりを始めたような情景を思い浮かべた。正直、引いてしまった。――もちろん、これは個人的体験に基づくただのヒガミ?である。

 で、党の団結は強まっているだろうか。残念ながら、団結にヒビを入れるような出来事が続く。たとえば千葉県書記局長が犯した盗撮事件。「ジェンダー平等」を訴える党の幹部がなんてことを! 除名は当然だが、規約上は中央委員会の承認をへて処分が確定される。党中央は自身のこととして語らなければならないはずだが、小池書記局長はなんだか少し離れたところから語っているような印象を受ける。彼自身が受けた処分のことが頭にちらついたのか?

 もう一つ例を。ここ大阪府での出来事。二期目の富田林市議が同僚市議よりパワハラを受けたと訴え、それが解決しないため次の立候補を取りやめるという。党は、訴えた側そっちのけで加害者側からの聞き取りのみで調査をすすめたばかりか、訴えた側に「内部問題を党外に持ち出した」として注意した。地区委員会としてお詫びの文書を出したようだが、被害者を批判して、どこがお詫びなの? 市民から選ばれた市議の活動上の障害は党の内部問題ではなく、支持者や市民に報告することは当然のことだし、むしろそうするのが義務ではないかと思うのだが、私の感覚がずれているのだろうか? それを咎めるということは、事実はないと判断したというに等しい。訴えた市議の絶望感が胃の底から込みあげてくる。――あ、これも個人的体験に基づいて勝手に共鳴しているだけなのかも。

 結局、19年前と同じ感想しか出てこない。組織の団結は民主主義の上にしか建てられないのだと。党の幹部諸君! 内部問題だなどと言って閉じこもってはいけない。発想の転換が必要だ。どんなことでも党員・支持者にオープンにして意見を聞いてみよう。手厳しい意見も出るだろう。私のようなヤカラ(不良党員)からは、ちょっと度が過ぎた意見も出るかもしれない。そこはちょっと堪えて(こらえて)同志として敬意をもって接してもらいたい。答えはきっとそこ<風通しのよくなった党>から出てくるはずだから。

(追記) 長いあいだ沈黙してきたが、自分の感覚に従い今回発言することにした。党への期待? もうなくなったと思ったんだが。あったのか。

※ここでいう「学習」は、決定の学習という狭い意味での学習ではない。また、イデオロギー闘争とは、たとえば支配層による「自己責任」論等に対して反撃の武器となる思想闘争のことをさす。

管理人(2023/1/26)


維新の会と闘う

 そもそも維新の会は、自民党大阪府連から生まれ、それなりの“地盤”を有する正真正銘の保守政党。 自民党内のせっかちな“改革“派が、多数派形成により主導権を握るという通常のプロセスでは待ちきれずに別会派を結成したのがはじまりだ。 党が違うとはいえ、同じくせっかちな“改革“派であったが無力だった私からみれば、彼らの“成功“はうらやましい限りだ。

 彼らの強さは「政策政党」というところにあるのではないか。この点は共産党に似ていて、所属議員が不祥事を起こし辞職しても同じ選挙区から新たな候補者を当選させることができる。 トップの意見で党がまとまるところなども共産党の「民主集中制」を思わせる。 党首選挙をやってはみせたものの共産党と同じく選挙前から結果は決まっている!※ ――似たもの同士だったんだ。

 維新の会は例えば大阪市政において、高齢化による高齢者一人あたりの現役世代人口が激減する事実をもって現役世代の負担が増えるとみなし、 不満を持つ現役世代を支援することを「経営目標」として政策を具体化し数値を追う「経営」をしてきている。 これは単純な新自由主義的政策ではなく、新自由主義の負の側面を緩和させる"ポピュリズム"的な政策も併せもっている。この点は安倍政権も同じだった(と思う、かなり雑な議論だが)。 ヨーロッパでは21世紀に入ってから一時極右ポピュリズムが隆盛したのちに、それらの大衆を捉えた政策を既成保守政党が取り入れて伸長した経緯がある。そうした海外の政治状況にも学んでいるのだろう。

 だから? 難しいのだ。彼らとどう闘うのか。府民はかつての自民府政よりよくなったと実感している(思っている)。 そこへ自民よりヒドイ、だから自民と組んででも倒しにいきます、なんて言っても響かない。闘いのスタート地点となるのは府民の意識だからだ。 むしろ、税金注ぎこんでカジノやるって、見ろよ、かつての自民府政と何がちがうねん、という方がわかりやすい。

 世界的には新自由主義(グローバリズム)の限界が見え、逆回転、脱グローバル化が始まっている。 これは経済的にはインフレという形をとる。労働運動の底上げで賃上げを勝ちとるチャンスでもある 。そしてコロナ禍で顧みられなかった層がある。労働者、医療関係者、障害者、福祉関係者、一人親の家庭、各年代の一人暮らしの人たちなど。共産党員たちは、彼らの声を代弁して地道に闘ってきた。だから自信をもって進もう、この道を。たつみコータローさんとともに。

※松竹氏のいう党首選挙を実現したとしても維新と同じじゃ意味がない。

管理人(2023/1/26)


デフレは終わるか?

 日本ではこの20年でデフレが進み「安い日本」になってしまった。モノが安いだけではない。労働者も「安い」のだ。安い労働者を目当てに中国資本が進出してきているという報道もある。

 20年前と言えば、そう、「さざ波通信」を始めた頃だ。当時はまったく逆だった。2001年9月に私が「日本経済とグローバリズム」と題して書いた記事がある。日経連※言うには、日本は「高い」、内外価格差が2・3割ある、となるとこれからはデフレだ、それは2・3割安くなるまで続く。だから日本人は雇用が減っても賃金が安くなってもがまんしろという、“おしん”(若い世代には古くて通じないかも?)イデオロギーを彼らは振りまいていた。

 そのとき、わが党は? 社民党の自壊による共産党の得票数の一時的な倍増に浮かれ、政権入りを夢みて財界と対話。「野党外交」と称して東南アジアの支配政権とも交流を図った。指導部の意を汲んだ「しんぶん赤旗」の記者たちは、リストラを進める財界内部にも矛盾があるとして、経団連+経済同友会vs日経連という構図を描いてみせた。おいおい、何言ってんだ? 敵を前にして武装解除するなよ、というのが私が記事を書いたときの問題意識だった。

 あれから20年、財界の思惑どおりにまんまとしてやられた。もっとも、労働者は一方的にやられ続けたわけではない。女性たちがいた。専業主婦は減る一方だった。生活防衛のため、結婚しようがしまいが、キャリアを中断させない道を選んだ。そして団塊の世代が作りあげた“昭和特製”日本型男性社会、24時間タタカエマスカ的“企業戦士”の世界に向かってハンマーを振りあげたのだ。就職難に泣き寝入りしない、女性が働きやすい職場環境を、あらゆるハラスメントNo!

 当時のグローバル化の流れは、トランプ政権のポピュリズム的政策によるTPPからの離脱を皮切りに逆回転を始めた。インフレの波が日本にも押しよせ、財界すら“賃上げ”を言わざるをえなくなっている。もっとも、闘わずして勝ちとれるものは何もない。だから、党指導部にお願いしたいのだ。女性たちが始めた闘いの邪魔をしないでくれと。あのときのような武装解除をしないでくれと。

※記事を書いた半年後に旧経団連と合併して現在の日本経済団体連合会(経団連)となった。

管理人(2023/1/26)


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