人を本気で騙すには必要なコツが三つある。
一つは嘘っぽいウソを用意すること。あからさまにウソだと相手にわからせることで警戒感を引き上げると同時に嘘を見破ったという安堵を相手に与える。
次に相手の興味を引く話題をすること。この時、戯けたり笑わせたりするとなお良い。嘘っぽいウソで高めた緊張が弛緩すると人は通常時より隙を見せる。遅いボールを見た後に速球を見れば数値以上に速く見えるのと似た現象だ。
最後にホントっぽい嘘をつくこと。ウソにリアリティを持たせるために、絶妙のバランスで真実を混ぜこむのがミソだ。
嘘っぽいウソに気づくことで人間は安心する
警戒している人間は話を注意深く聞こうとするため、興味を惹く話題には反応する
弛緩した後に提示されるホントっぽい嘘は真実に見えてしまう。
「お姉さん」
夜の原宿竹下通り。平日だろうと人でごった返す若者の通り道。一人の少女が話しかけられる。声の主は男性だった。黄金を溶かしたかのような蜂蜜色の髪はバックに纏められており、ソリッドなグラスは知的かつ大人の印象を植え付ける。声をかけられた少女の第一印象は『上京ホストの客引き』だった。
「たった1日、簡単な仕事をするだけで百万円が貰える仕事に興味ありませんか?」
「興味ないです」
あからさまな嘘で相手に嘘を見破ったと思わせ
「あー!嘘嘘!ウソっぷー!ごめん冗談!ちょっと話聞いてお願い!」
「嫌です」
「ごめん!正直に言う!僕は芸能プロダクション苺プロのスカウトマンなんだ!」
相手が関心を持つ話題で興味を惹き
「ほら、証拠の名刺。どうだろう、君をスカウトしたい。話だけでも聞いて貰えないだろうか?」
真実混じえて嘘にリアリティを持たせる。人を本気で騙したいなら最低この三つの工程は踏まなければいけない。
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「貴方詐欺師になれるんじゃない?」
ルビーがスカウトされた地下アイドルに所属している少女が帰り、二人きりになった後、開口一番、ミヤコがそんな事を言ってきた。
スカウトに見せかけてプロダクションに連れ込み、言葉巧みに今のグループの事情や不満を喋らせる。その手腕はまさに詐欺師と呼ぶに相応しいものだった。
「役者って仕事は半分詐欺師みたいなものだ。嘘をいかに本当に見せるかにかかってる。演技なんて言葉自体、たいてい良い意味には使われないしな。詐欺師と役者は紙一重だよ」
「…………口も上手いわね。貴方そんなことばっかやってるといつか痛い目見るわよ。自宅の鍵やチェーンロックには気をつけなさい」
「ご忠告はありがたく受けておくとして……」
本題へと移る。聞きたいことの概ねは地下アイドル所属の女の子から聞けた。
雇用形態自体は普通。ライブ出るという前提での最低保証給やチェキが主な収入源。給料も月で10万いくかどうかなら地下アイドルとしては真っ当だろう。
その他のことで口にしたのはプロダクションやグループの不満がほとんど。運営が推している子が贔屓されてる。理由は運営と付き合ってるなど。メンバー内の嫉妬や軋轢。地下アイドルやってればいくらでも蔓延る噂を実にリアルに語ってくれた。
「ま、事実かどうかなんて定かじゃねーけどな。グループ売り出す以上、『運営の推し』って奴はまあいるんだし」
「そうね。優秀な子はどうしても他と差をつけた扱いをしてしまう。その結果、センターに抜擢された子に対する不満がありもしない噂を生むなんてザラもザラ。そもそも若い女の子を纏めるなんてめちゃくちゃ大変なんだから」
「だろうなぁ。女のイジメは分かりにくい分、辛辣で陰険だ」
直接的な暴力に出る事は少ないだろうが仲間内でハブにする、化粧品に細工するなど、犯人が特定しにくく、故意的な犯行だと判断もしにくい。女のケンカは精神を責めてくる。
「で?どうする?今の子、雇う?」
「ウチは仲間を悪く言う子を雇うような事務所じゃないわ。貴方がそうであるようにね」
アクアの心のうちを全て知ってるとは思わない。母親の記憶を無くしていることも知っている。けどこの子はいつもルビーや私のことを大切に思っている。その事だけは誰よりも良く知ってるつもりだ。恐らくルビーよりも。だからアクアの問題行動には出来るだけ理解を示したいと思っている。
「でも、この手二度と使うんじゃないわよ。コレで問題起こしたら普通に訴訟するから」
「アンタに頼まれたからやったんであって、オレだってやりたくてやったんじゃないんだが……で?どうすんの?アイツそこでやらせるの?」
「…………最後にもう一度ルビーが本気がどうか確かめる。それで本気だって判断したら、十数年ぶりに苺プロでアイドルグループを立ち上げるわ」
「…………そうか」
「ちょっと、怒らないでよ」
我ながら少し素っ気ない言い方になってしまった。機嫌を悪くしたと取られても無理はない。オレの想像以上にミヤコはオレに気を遣っているらしい。思わず笑ってしまった。
「怒ってない。それが一番なんじゃね?社長のところでやってくれるならオレもまだ安心できる」
あの悲劇を知っているからこそ、繰り返さないために。なによりルビーのためにこの人は戦ってくれるだろう。それぐらいのことは信じれた。この10年を見ていればわかる。言葉は嘘をつくけど、行動は偽れない。人を判断する時、アクアはその人の過去を見ることを第一としていた。
「あ、そうそう。今日貴方がいない間に監督さんから電話あったわよ。ちょっと来て欲しいって」
「監督から?何だろ、なにか言ってたか?」
「いいえ。でもちょっと不機嫌そうだったわね。行くの?」
「…………行ってみるさ。気になるしな」
「いいけど明日にしなさいよ。今日はもう遅いし」
「わかってる。メイク落としたら今日はもう風呂入って寝る」
「今日は悪かったわね。お疲れ、おやすみ」
「good night,boss」
メイクを落とした鏡の中の素顔のオレは意外と疲れた顔をしていた。
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五反田スタジオはとあるマンションの一室に居を構えた個人経営スタジオである。五反田泰志は自宅兼仕事場の扉を開き、真っ直ぐに自室へと向かう。
壮年の男性が扉を開くとそこには先客がいた。華奢な人影が暗い部屋でDVDを眺めている。画面の中には幼い少年が映っていた。少年が出ている映像を何度も何度も繰り返し見続けていた。部屋の扉が開いたことにも恐らく気づいていない。同じ映像を巻き戻しては再生を繰り返すその姿はヘタなホラーより不気味に見える。
───またか
先客の少年を五反田泰志はよく知っていた。この10年、役者としての基礎を教え、カメラワークを学ばせ、監督としての思考を叩き込んだ。と言ってもこの少年に直接何かを教えたことはあまりない。この天才は自分で見て、感じて、発見し、理解し、実行する。試行錯誤を繰り返し、独自の感性と経験で実力を身につけた。
───しっかし、すげえ集中力だな
この男がこういう状態になっていることは何度か見た事がある。自分の芝居に何が足りないか。何が出来て何が出来ていなかったか。出演作を見返し、自身に還元する。役者であれば誰もがやる事だが、こいつは少し変人だ。
───ま、常人と同じ感性で芸術家なんてやれねーか
「おい、やや早熟」
肩を叩くと、ようやく視線が画面から外れた。ヘッドホンを外し、椅子を回転させる。薄暗い部屋で輝く瞳がこちらを見上げた。
「監督、やっと帰ってきたか」
少年の名前は星野アクア。今時のキラキラネームと壮絶な過去を背負い、人としての何かが欠けてしまった。故に独特の引力とオーラがある俳優の卵である。
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「ごめんねぇ、アクアくん。泰志今出かけてて」
「お構いなく」
翌日。監督のスタジオに行ってみたら何と本人は留守。どこかで時間潰してからもう一度来ようかと思ってるとおばさんが家に入れてくれた。監督の母親で幾度となく顔も合わせている。いい人なのだが、少し苦手だ。いい歳したオッサンなんだからいい加減家出ればいいのに。都心近くのマンションだから利便性を考えれば出るメリット少ないのはわかるが、恥ずかしくないのだろうか。
───どうでもいいこと考えすぎた。
一度頭を振り、大きく深呼吸する。何もせずに待っているのも退屈なのでスタジオルームを借りて自身の過去作を見返して時間を潰すことにした。テキトーにDVDを再生するが、よりによって最初期のモノを選んでしまった。まったく目を覆いたくなるほどヘタ。しかし初心を忘れないためにも恥を忍んで見続ける。
「おい、やや早熟」
肩に手を置かれる。気づいたら結構時間が経っていた。集中している時の時間は経つのが早い。
「監督、やっと帰ってきたか」
「呼び出しといて悪かったな。ちょっと呼ばれてよ」
「で、わざわざ電話してまでのオレへの用事ってなに?」
「仕事だ、仕事。俺はやりたかねーんだが弱小スタジオの弱いところでな。押し付けられちまった」
薄い冊子が投げられる。台本らしい。ザッと目を通すとどうやらストーカー撲滅運動を宣伝するためのPVのようだ。少女がストーカーに襲われるが、警察官を目指す少年に助けられるというベッタベタなストーリー。
「で?オレにストーカー役でもやれってのか」
「それならまだマシだったんだがなぁ。今回お前がやんのはトラだ」
「…………なるほど」
トラ。正式名称エキストラ。どんな制作にも必ずと言っていいほど存在するその他大勢。早い話がモブ。売れない役者に押しつけられる代表的な役回り。
「不服なのはわかる。よりによってストーカー犯罪がテーマの映像なんて出たくねーだろうが、レッスンの一環だと思ってくれ」
「別に。どーでもいいさ。テーマなんて」
モブしかやらせてやれないことへの配慮なのか。それともあの事件を気にしての言葉なのかはわからないが、どちらにせよ余計な配慮だった。そんなことより優先することがオレにはある。
「駆け出し役者への仕事なんてこんなもんだろう。不服なんてないさ。やるよ」
「そう言ってくれると助かるが、もう一つ説明しなきゃいけねーことがあってな」
「?」
「お前のモブ役なんだが……」
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勢いよく階段を駆け上がる。今日の昼、ミヤコからアイドル部門を再び立ち上げると聞いたルビーは苺プロと契約することが決まった。スカウトされた地下アイドルを蹴るのは心苦しかったが、それでもルビーにとって一番の夢は母の跡を継ぎ、新生B小町としてアイドルを目指すことだった。その夢のためならばスカウトを断るくらいなんでもない。一も二もなく、契約書にハンを押す事を決めた。
すぐ近くにある自宅から判子を持ち出し、一目散へと事務所に走る。夢へと繋がる階段を駆け上がる。何度となく使った階段だが、恐らく人生で最も長い30秒だった。
「社長ー!ハンコ持ってきた……よ……」
スタジオの扉をルビーが勢いよく開く。大きな鏡の前には女子の制服を見に纏う、黒髪の美少女が立っていた。
艶やかな黒髪に整った顔立ち。輝きを秘めたその瞳はまるで……
「マ……マ?」
「誰がママだ馬鹿」
星野アクアが女装した姿だと、鏡の前に立つ美少女が兄だと理解するのに、ルビーは少し時間が必要だった。
「ぅお兄ちゃん!?ちょっ、まっ!?え!ヤバ!なんで!なんでママのコスプレしてるの!?おっぱいは?!えっ、キモ!ちゃんと柔らかい!クオリティ高すぎてキモ!女の子にしか見えない!元々中性的だったけどお兄ちゃんついにソッチに目覚めたの!?」
「うるせーな!ちげーよ!そういう役なんだよ!揉むなバカ!」
「アクアは元々まつ毛長いからそんなに必要ないかと思ったけど、アイシャドー使うとやっぱ違うわね。ファンデの伸びもいいし。若いって素晴らしいわ。あとルビー。最近のメイクはおっぱいを装備できるのよ」
与えられたモブ役。それは被害女子と同じ高校の生徒の一人。ストーカーが女の子を襲うのは早朝の駅前が舞台。通勤通学する人達は出来るだけ関わろうとせず立ち去るか、遠くから眺めるかのどちらか。アクアの役は後者。同じ学校の生徒だから見過ごすこともしにくいが、関わりたくもないという典型的偽善者役。なら男でいいじゃんとも思うが、画面の見栄え的に女子の方が華やかだからという理由で、立ち去るモブは男性が、立ち止まるモブは女性が多めの設定になっているらしい。
「その場からすぐいなくなるエキストラよりは少しでも長く画面に映ってる方がイイものね。女の格好するだけで立ち位置良くなるなら私でもやるわ」
「だからってわざわざママの制服着なくても」
「あら。ならルビーの制服貸してくれる?」
「絶対ヤだ!キモいっ!」
「なら文句言わない。それに今のアクアの体格にルビーの服は合わないしね」
アクアは同年代の男子と比べても線は細いし、華奢な部類に入る。だがルビーより背は高いし、肩幅も広い。流石に彼女の中学の制服は入らない。その点、アイの衣装は都合が良かった。高校時の服なら全然入るし、ロングヘアのウィッグなら骨格も誤魔化せる。喉元もリボンで隠せるため、制服は使い勝手が良かった。
「ま、こんな役出来るのも体格が出来上がってない今だけだしな。貴重な経験とさせてもらうよ」
「でもモブならあまり美少女過ぎても良くないわね。もう少し野暮ったくする?」
「コスプレが過ぎて原型とどめないのもオレの宣伝にならねーだろ」
といってもまあ元々宣伝になるとは思ってないが。現場でも偽名名乗るつもりだし。この仕事を引き受けた最大の理由はめちゃくちゃやっても誰にも迷惑がかからないということにある。
「ならせめてメガネくらいかけなさい。アイも外に出かける時はよく使ってたわよ」
ほら、帽子もと地味なキャップを頭に被せられる。薄い黒縁の地味なメガネはアクアの最も印象的な目の輝きを少しだけ曇らせた。
「よし、メイクも終わり。いい感じに地味に纏まったわ。可愛いわよ、アクア」
「嬉しくねー」
「撮影場所どこ?送ったげるわ。その格好で外出歩くの恥ずかしいでしょ?」
───別に恥ずかしくわねーけど
このクオリティならまず女装とは気づかれないだろう。でも下手に公的交通機関を使っては無用のトラブルを起こす可能性もゼロではない。ここはミヤコの配慮に甘えるとしよう。
「悪いな。頼めるか」
「いいわよ。所属アーティストの送迎は事務所の仕事の一つだから」
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都心から少し離れた駅前。今日だけ関係者以外立ち入り禁止となっているストーカー撲滅運動のPVロケ地に一台のバンが止まる。妙齢の女性マネージャーと共に制服を着た美少女が降車する。背中まで伸びた黒髪に女性としては高身長。メガネをかけていても伝わるルックスの良さに少し周囲の目が引き寄せられた。
「エキストラで呼ばれました。マリンです。本日はよろしくお願いします」
星をなくしたことで天才を受け継いだ俳優。その一歩目がついに始まる。