挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国小町苦労譚 作者:夾竹桃

天正五年 東国統一

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
203/204

千五百七十八年 七月下旬

東国の雄、北条家敗北の一報は瞬く間に日ノ本中を駆け巡った。

これにより関東だけでなく東国の全てが信長の支配下に入ることを意味する。

日ノ本に於いて信長の影響力が及ばない場所と言えば、北海道と九州地方のみとなったのだ。

四国については信長に臣従している長宗我部(ちょうそかべ)が統一を果たし、四国全土も信長の影響下に収まったと言える。

最早信長の覇道を阻む者はいないと言っても過言ではない状況となり、(にわ)かに朝廷が慌て始めた。

朝廷の想定では東国平定に数年以上掛かると見込んでおり、偉業を為した信長への待遇について公家達の間で根回しが出来ていない。

急遽招集された公卿(くぎょう)たちは、名実共に天下人となった信長に相応しい官職を与えるべく審議を(はか)る。

その結果として信長には従一位、右大臣及び右近衛(うこんのえの)大将(だいしょう)に叙せられることとなった。

皇室及び公家ではない臣下に於いて、ほぼ最高位の待遇であり破格とさえ言える。

この決定により公家ですら表立って信長を批判することが出来なくなり、生き残るためには面従腹背を強いられることとなった。

朝廷の決定は日ノ本中を震撼させた。

これを受けて情報を武器とする織田家は、無論その動きを歓迎し、後押しすらする。

商人たちも如何に自分たちが有能かつ情報通であるかをアピールする武器として、ゆく先々にて有力者に触れ回るため情報拡散のスピードには目を見張るものがあった。



一方、相模国(さがみのくに)では当然ながら北条側から降伏の申し入れがあり、これを受け入れ戦後の処理を進めるにあたり数か月程度の時間を要することが見込まれた。

現地を統括している信忠が忙殺されている頃、東国征伐のバックアップから少し手が離れた静子は前線から送られてきた報告書を手に眉を寄せている。

静子が目を通しているのは、笠懸山(かさかけやま)城で使用した長距離砲の不具合に関する報告書なのだが、その多くが数を揃えるために砲身を鋳造(ちゅうぞう)したことに起因すると記されていた。

正規の長距離砲の砲身は精錬した鋼鉄を鍛造(たんぞう)によって円柱状に加工し、これを切削及び穿孔(せんこう)することによって砲身を形成している。

しかし生産性を上げた砲身に関しては、目当ての寸法より肉厚ながら中空のパイプ型に液状化した鋼鉄を流し込むことで、切削・穿孔に要する時間を大幅に削減していた。

これによって短期間に多くの長距離砲を用意できたのだが、鋳造特有の欠陥により強度不足が露呈してしまった訳だ。


「うーん、金属内部に空洞が出来ているのかな? これによってひび割れや歪みが生じたってところか……」


粗製(そせい)濫造(らんぞう)と申したか? 幸いにして事故に至らなかったものの、扱うものがモノだけに今後は慎重を期せねばなるまい」


「お命じになったのは上様ですよね……。そこまで数に固執せずとも、充分な戦果が期待できると進言した筈です」


「ここ一番での武器というものはド派手でなくてはならん! アレを目にした者は、その凄まじい威力に震えあがったことであろう。小田原征伐の様相は畏怖と共に長く語り継がれることとなり、()いてはそれが今後のいくさの消耗を減らす一助となるのじゃ」


「そんなものですか。それよりも上様、流石に横になりながらお召し上がりになるのは(いささ)か行儀が悪うございます」


静子邸の茶室にて、ゴロリと身を横たえながら茶菓子を詰まんでいる信長を彼女は(たしな)める。

静子の茶室は以前より若干の改築が施されていた。

当代随一と目される茶人、(せんの)利休(りきゅう)の茶室は窓が少なく、広さも二畳程度とこぢんまりした作りだ。

茶道の権威である利休の様式に対して、静子の茶室は倍以上の広さを持たせている。

これは史実に於いて『織部(おりべ)(ごの)み』と呼ばれた様式に近い。

ここで言う『織部』とは利休の弟子であり、通称古田(ふるた)織部(おりべ)(いみな)重然(しげなり))を示す。

織田家に臣従している古田に対し静子が茶室の設計を依頼したがため、彼女の茶室は織部好みに寄っている。

一方で依頼主である静子の拘りも反映されており、本来織部好みにあるべき貴賓席が設置されていない等の差異もある。

代わりに炉を起点として格の高い者から順に座る方式を採用している。それでも総じて織部好みが取り入れられているため、多く設けられた窓から陽光が入り込むため全体的に明るい茶室となっていた。

下地窓(土壁の一部に本塗りを施さず、竹や(よし)の下地を露出させた窓)も丸型で、矢竹の抜き通しを採用している。

また下地窓と連子(れんじ)窓(窓枠の縦または横のみに、細い木を並べて組子とした窓)との中心軸をずらして配置する色紙(しきし)窓も取り入れた。

静子としては第一人者の監修を受けた会心の茶室が出来たと自負しているのだが、信長からの評価は「運気が下がる」から「寒々しく貧乏くさい」になっただけであった。

信長に言わせれば、間取りを広くしたことにより何もない空間が強調されて寒々しい。

また柱や窓枠に用いた竹の寸法が不揃いであったことから、如何にも有りもので間に合わせた貧乏くささが漂うようだ。

静子としては自然のありのままを取り込んだ美を再現したつもりなのだが、彼女の美的センスは世間一般から乖離(かいり)しているようだった。

ありのままの自然が美しいと思う感性は、手付かずの自然と触れ合う機会が少なくなった現代人の感性である。

少しでも気を抜けば侵略してくる自然と戦い、人の領土を勝ち取っている戦国時代人の感性からすれば自然とは脅威であり、ありのままとは怠惰(たいだ)としか映らない。

とは言え、その貧乏くさい茶室で寝転びまでして(くつろ)いでいる信長の姿を見るに、肩ひじを張らずに客をもてなすという用は満たしているのだろう。


「それにしても佞臣(ねいしん)(媚び(へつら)う家臣)が増えたな」


「それが彼らなりの処世術なのでしょう。上様には不評でしょうが、多くの者は褒められれば悪い気がしないものです。世は正に上様の天下と言っても過言ではなくなり、彼らも生き残りに必死なのです。戦後処理が落ち着くまで予断を許さぬものの東国を押さえ、西の毛利は虫の息。九州は手付かずですが、ここに来て島津家が九州統一に乗り出した模様です」


「ほう! わしが乗り込む前に九州を纏め上げ、歯向かう心づもりか?」


「上様にたてつこうと思うほど思いあがってはおりますまい。それよりも義父(ちち)上(近衛前久(さきひさ)のこと)と懇意(こんい)ですので、こちらとの仲介を望んでいるのでしょう」


大友(おおとも)義鎮(よししげ)(法号は宗麟(そうりん))が哀願してきた理由はそれ(・・)か」


数ヶ月前に義鎮より助力を()う嘆願書が信長の許へ届いていた。

出した当人も助力を得られるとは考えていないだろう。

しかし、万が一にも信長から反応があれば、日向(ひゅうが)(のくに)侵攻への大義名分とする思惑だったと推測できる。


「自らが力を尽くす前から他者の助力をあてにするような腰抜けなど、相手にする価値もない」


嘆願書に目を通した信長は、義鎮の願いを無視した挙句に、書状を丸めて篝火(かがりび)にくべてしまった。

命を賭した謀略によって信長を上手く利用しようと野心を示すのならば、気分次第では乗りもする。

しかし今回の嘆願書は当たれば儲けもの程度であり、その投げやりな態度は信長でなくとも不愉快になろうと言うものだ。

故に信長は義鎮に対して一切の返事をしなかったし、島津家の動向に関しても何ら関心を示さなかった。


「元より大友が島津と争う原因は、日向の伊東氏が島津に敗れたことですから」


当時の九州は島津、大友、龍造寺の三氏が三つ巴となって覇を競っている。

問題の伊東氏はと言えば三大勢力には劣るものの佐土原城を本城とし、その周囲に四十八もの外城及び砦を持つ程の権勢を誇っていた。

これらは後に伊東(いとう)四十八(しじゅうはち)(じょう)と呼ばれる。

その伊東氏当主である伊東義祐(よしすけ)が島津とのいくさに敗北し、日向から逃れて大友氏の許へ身を寄せていた。

困窮した伊東氏に対し、大友義鎮は三百町の領地を与えて伊東義佑及び彼の家臣たちを庇護する。

失地回復を狙う伊東義佑は、大友義鎮に助力を乞う。大友義鎮は伊東氏の旧領を回復するという大義名分を得て日向侵攻を決意した。

姻戚(いんせき)である伊東氏を庇護したとは言え、これまで良好な関係を築いていた島津氏と敵対した理由は、彼がキリシタン大名であったからと言われている。

大友義鎮は伊東義佑に取り戻した領地の半分を割譲すると(そそのか)されはしたものの、胸の内では日向国にキリシタン王国を築き上げるという野望を抱いていた。

その証拠に、大友義鎮は日向の無鹿(むしか)に到着するまで、途上にあるキリスト教以外の寺社仏閣を徹底的に破壊し、僧侶や神官たちを迫害した。

更には現地民の強制改宗まで迫ったと言われており、正確な記録は残っていないものの、これにより現地民は元より家臣からも反発を受けることとなった。


「島津だろうが、大友だろうがどちらでも構わぬ。歯向かうならば潰すまでだ」


どちらでも良いと豪語する信長だが、内心では大友の方を警戒していた。

それは大友氏の勢力如何よりも大友義鎮がキリスト教に傾倒していることを危ぶんでいるのが原因だ。

信長としては誰が何を信仰しようとも政治的野心を抱かなければ問題視しない。

逆を返せば宗教が政治に対して色気を出した瞬間、その宗教は根絶すべき敵となるのだ。


「そんなことより東国が大事ぞ。相模国を押さえたとは言え、それだけでは旨みがない」


信長の言葉に静子は首肯する。

現時点の織田領は、多くの領主が静子の真似をしてインフラ整備等に投資したが故に一大商圏として発展を遂げている。

しかし、他領それも飛び地となる関東に於いてはその恩恵に(あずか)れない。

今回の東国征伐に於いて、尾張と美濃の二国のみで重武装の殆どを(まかな)っていることからも、その経済格差がどれほどのものか窺い知れるだろう。

これほどまでに差が生じた結果、織田家に於いては東国征伐の褒賞として領土が歓迎されないという他にはない問題が浮上していた。

発展の度合いから見ても、尾張に近ければ近いほど繁栄を誇っていることから、遠く離れた東国の人気は()して知るべしとなる。

要するに東国全体を尾張同様の魅力ある領土とするべく、静子主導での開発が不可欠であるとの共通認識が醸成されたのだ。


「追って正式に命ずるが、貴様を関東開発の総奉行とする」


「承知しました。事前にお伺いするのですが、東国開発に当たって方針や骨子などはございますか?」


「貴様の好きなようにして構わぬ、良きに計らえ」


(つまり、いつも通りの丸投げですよね……)


信長の回答を聞いて静子は嘆息する。

東国開発に於いて最初に手を付けるべきは街道整備かなと静子は考える。

何故ならば史実に於いて徳川家康が開発を行うまでの関東は、湿地帯が多く農業に適さない土地が多かったからだ。

今後大量に流入が目される人口を支えるためには、とにかく食料及び飲料水の確保が必要不可欠であり、生産できない以上は他所から持ってくるしかない。

海上輸送は元より、必要な場所に必要な物資を届けるためには陸路の整備は避けて通れないのだ。

これらが出来てはじめて本格的な開拓が可能となることから、大規模な開発を前に必要なものに思い至った。


「それでは私が動きやすいよう、勅定(ちょくじょう)(帝からの命令)を頂戴しとうございます」


いくら信長が天下人と目されようとも、東国開発に対して反発するものは必ず現れる。

しかし東国開発が勅定によってなされるとなれば、それは朝廷が信長に東国開発を委託したことになる。

其の上で信長が懐刀たる静子を起用すれば、静子は朝廷の使命を受けた信長の代官として活動することができる。

それでも反発する者は出てくるだろうが、勅定があればそれを『朝敵』として処断することができるという訳だ。

この手法は史実に於いて豊臣秀吉が惣無事(そうぶじ)(れい)(大名同士の私闘を禁じた法令)に箔をつけるために使用した実績があり、その効果については折り紙付きと言える。


「貴様も(まつりごと)というものが解ってきたようだな」


「こういう手段はここぞという時に使うに限ります。強い反発が予想される敵地に赴く際に用いるのが最適でしょう」


東国の国人たちも、勅定の内容を知れば嫌でも理解することだろう。

朝廷が発する最高位の命令である勅定により東国の惣無事を信長に命じたのだ。

これに表立って逆らえば朝廷に弓を引くことになり、朝敵として日ノ本中から狙われる大義名分が成り立つ。

そんなリスクを背負ってまで信長に反発する度胸の持ち主などいるはずがない。


「勅定を受けて近衛家の者である私が動く。何やら公家の権威復権が実現するのではと、腹黒い方々が喜びそうなお話ですね」


「どうやら連中は、尾張の土豪風情に仕えるのが我慢ならぬらしいな」


近い将来に現実のものとなる未来像を思い描き、信長は一人ほくそえんでいた。







終始ご機嫌な様子でお忍び休暇を満喫した信長は、来訪時と同じく唐突に安土へと帰っていった。

これから信長によって行われる粛清(しゅくせい)の嵐を察した静子は、どれほど多くの人々がその地位を追われるのかと戦慄する。

信長は既に武家だけでなく、公家についてもお家事情まで殆ど掌握していると言える。

今更少数派が工作したところで勝てる道理などありはしない。

己の主義・信条を曲げてでも雌伏(しふく)の姿勢を続ければ家の存続は可能だろう、しかしそれを(よし)としない意地が彼らにもあるのだろう。

破滅の未来に突き進んでも尚、己の意地を通すというのなら相応の犠牲が払われなければならない。

静子にできることは、朝廷の機能が麻痺するほどの人員不足に陥らないことを陰ながら祈るのみであった。


(ちまた)の噂では、上様が家臣の裏切りを警戒して安土から動けないとまことしやかに(ささや)かれているみたいだけれど、結構な頻度で尾張に来られているよね……)


人口に膾炙(かいしゃ)する噂は当然静子の耳にも入ってくる。

しかし、噂の内容と現実の信長の姿は乖離しており、誰かが離間工作をするべく噂を流しているのではと思い至った。

北条の残党として風魔が未だに活動してるかもしれないと考え、間者を統べる真田昌幸に警戒を呼び掛けることにする。


信長のお忍びから暫く経ち、七月中旬を過ぎた頃に事態は動いた。

朝廷が東国の惣無事(私戦、私的執行、私刑罰を禁じた状態)を維持するよう命じた。

異例の早さで出された勅定に、東国の国人たちは信長の影響力に震えあがる。

この勅定により、信長は朝廷から東国に関する権限を預かり、委任統治状態になったと言える。

それにより今後信長を東西から挟み撃ちにする戦略は使用できなくなった。

何しろ東国を背負っている限り、背後から襲われる心配が無くなるのだ。

言わば室町幕府時代に存在した『鎌倉公方(くぼう)』(関東10か国を統治するために設置した鎌倉府の長官)の東国版と言えよう。


「それでもこっそり反抗をする人もいるだろうから、その時は勝蔵君にお任せしよう」


静子は信長からの朱印状に目を通しながら呟いた。

朱印状には早急に安土城へと登城する旨のみが記されており、事前に信長から東国のことについて聞かされていなければ何が何やら判らないものだった。

この時期に静子を緊急で呼び出すということは、諸将が居並ぶ中で東国の惣無事について重要な役目を申しつける腹積もりだと悟る。

静子は早速出立の準備を整えると、手勢を率いて安土へと向かう。

安土に入ると同時に到着の先触れを出し、静子一行は彼女の安土屋敷に逗留することとなった。

静子たちが旅装を解いていると、早速信長からの使者が遣わされ翌日早朝より登城するようにと伝えられる。

一夜明けて静子が登城の準備をしていると、安土城の留守居役を務める堀自らが迎えに来た。

予期せぬ人物の到来にあたふたしている間にも着々と準備が整えられ、気が付けば諸将が居並ぶ中で信長に向かって平伏している静子がいた。


「朝廷より東国の惣無事を任されることとなった。ついては貴様にその総奉行を申し付ける。未だ幕府を開いておらぬがゆえ、仮の役職となるが『東国(とうごく)管領(かんれい)』(後に『(あずま)公方(くぼう)』と呼ばれるようになる)に(じょ)し、東国開発に関する一切の権限を貴様に託す」


予想通りと言えば予想通りであったのだが、妙に大げさな役職がついてきた事に静子は驚いていた。

現在静子が与えられている役職は『織田家相談役』及び朝廷からの『芸事守護』の二つである。

そこから一足飛びに東国開発に関する全権限を統括する立場になるのだから驚くのも無理はない。


「承知いたしました。謹んで拝命いたします」


この()に及んで受けないとは言えるはずもなく、(うやうや)しい態度で了承する。


「わしはこれより西国の平定に注力するゆえ、東国については貴様が良いように差配せよ」


「はっ!」


「贅沢は言わぬ、尾張には及ばぬ程度まで東国を富ませるのじゃ!」


信長の何気ない一言に、居並ぶ諸将たちは身震いした。

長きに亘って北条氏が支配してきた土地に土足で乗り込み、日ノ本随一の発展を見せる尾張と張り合える程まで発展させよという無理難題だ。

かつての鎌倉公方が将軍家の縁者が世襲した要職であり、それに匹敵する東公方は信長の直系ではない静子にとって大抜擢と言える。

絶大な権力及び支配域を得られる反面、失敗すれば静子の命一つで(あがな)える問題では無くなる諸刃(もろは)の剣でもあった。


「過分なご期待に身が(すく)む思いです。非才の身ながら全身全霊を以て務めさせていただきます」


凄まじいまでの大役と、それが失敗に終わった際の破滅に諸将が恐れ(おのの)く中、静子は今まで出来なかった色々な開発が出来ると期待に胸を膨らませている。

そんな対称的な様相を示す静子と諸将たちの対比を内心で笑いつつ、信長は朝廷から届けられた勅書を静子に渡した。

早速静子が書状に目を通すと、東国の定義がしっかりと記載されており、権限の及ぶ範囲が明確に示されている。


(流石に上様の居城がある近江(安土)を東国に分類する暴挙は避けたか。京より東にあるからって強弁するかと思ったんだけれど、そこまで無謀では無かったみたいだね)


書状に記された東国の構成は以下の通り。

北陸道(ほくりくどう)からは若狭(わかさ)国を除く越前(えちぜん)国、加賀(かが)国、能登(のと)国、越中(えっちゅう)国、越後(えちご)国、佐渡(さど)国の計六ヶ国。

東山道(とうさんどう)近江(おうみ)国を除く美濃(みの)国、飛騨(ひだ)国、信濃(しなの)国、上野(こうずけ)国、下野(しもつけ)国、陸奥(むつ)国、出羽(でわ)国の計七ヶ国。

東海道(とうかいどう)伊賀(いが)国、伊勢(いせ)国、志摩(しま)国を除く尾張(おわり)国、三河(みかわ)国、遠江(とおとうみ)国、駿河(するが)国、伊豆(いず)国、甲斐(かい)国、相模(さがみ)国、武蔵(むさし)国、安房(あわ)国、上総(かずさ)国、下総(しもうさ)国、常陸(ひたち)国の計十二ヶ国。

都合二十五ヶ国が東国の範囲として定められた。この勅書を信長に渡したという事は、朝廷が東国二十五ヶ国の支配権を信長に譲ったと公式に認めることとなる。

これは今後信長が征夷大将軍に任じられ、織田幕府を開く際にも継承される重要な決断であった。


(上様の権勢を制限すべく、もっと少なく定義するかと思ったけれど、畿内に近しい場所を外すので精いっぱいってところかな)


「仮にも管領となる以上、邸宅も役職に相応しいものを(あつら)えよ。貴様の尾張屋敷程度では流石に見劣りするゆえな。何、貴様が気を揉まぬようわしから都合をつけるよう命じておく」


「ご配慮痛み入ります」


静子の返事を待たずに次々と話を進めるところを見るに、信長は最初から静子の意見を聞き入れるつもりが無かったと知れた。

信長は今までの経験から、静子に任せてしまえば格式を無視した実用性重視の施設群を作り上げるに決まっている。

また物理的に近畿と関東で距離があるため、信長の力が及ばない土地でもしっかりと静子を守れるよう城塞都市に仕上げるつもりであった。

  • ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いいねをするにはログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

感想を書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。