千五百七十八年 六月下旬
その日、
朝
それは
流線形をした砲弾の尾部をくり抜き、そこに
この砲弾は撃ち出される際に尾部の薬剤が発火し、激しい燃焼と共に光と煙が線のように弾道を大空に描き出すのだ。
こうして撃ち出された砲弾は、3キロメートル以上離れた小田原城の外れに着弾して火柱を立てる。
最初の砲弾は小田原城の敷地内に着弾しなかった。
小田原城を囲む外郭を飛び越え、友軍である徳川軍が布陣する
事前に話を聞かされていた家康ですら、その光景に驚愕した。
(織田軍の大砲は、これほどの距離を物ともせずに攻撃できるのか!?)
最初の砲弾が着弾した位置は、小田原城の東を流れる
そこは徳川軍が布陣している位置から随分西側であったが、それでも背筋を冷たいものが伝うのを感じずにはいられなかった。
家康の陣から笠懸山城は、小指の先端から第一関節までにも満たない大きさにしか見えない。
これほどの距離があるというのに、地面を抉るほどの攻撃が飛んでくるのだ。
家康はいくさの
小田原城の南部やや西よりの
地上と上空を繋ぐロープの先には熱気球が係留され、遥か上空から小田原城を見下ろす観測員が据え付けられた観測装置を覗き込む。
それは碁盤目状に格子が切られたガラスを通して地上の様子が見える。
格子の中央最上端には赤く三角マークが刻まれており、それを地上に見える
次に格子の中段左端にも刻まれた赤の三角マークが水之尾口に重なった瞬間、着弾点の座標を読み取って叫んだ。
それを書き留めた通信員は、電信装置を起動すると通話を始めた。
「こちら観測気球、着弾座標を報告する。5-六に着弾、繰り返す5-六に着弾どうぞ」
気球の観測員が叫んだ言葉は、笠懸山城の通信室へと電波に乗って伝えられた。
通信室で清書された座標が隣室の演算室へと届けられ、技師達が一斉に計算を始める。
それぞれの担当者が複数人で検算を行い、その結果が射撃場へと伝えられた。
これらの座標は将棋のように算数字と漢数字で管理され、縦横21マスずつに区切られて表現される。
こうして
今回の場合、狙われたのは小田原城の中心部である11-十一の座標。
実際の着弾位置は5-六であり、狙点から5マス分ずつ程北東にズレていることが解るのだ。
射撃場では縦横9×9、計81門の大口径かつ長砲身の大砲が狙点の
最初の砲弾は中心に位置する大砲が発射し、その他80門の大砲は砲弾を装填した状態で情報を待っていた。
伝令兵が運んできた指示書を元に各大砲が誤差修正を開始し、砲手隊長の号令一下全大砲が一斉に火を噴き上げる。
今回の着弾は凄まじい戦果を上げた。小田原城外郭の内側に一斉着弾した砲弾たちは、その運動エネルギーを解き放つ。
渋取口の内側に布陣していた
ほぼ同時に広範囲へと着弾した砲弾が放つ衝撃は、前後左右から同時に襲い掛かり将兵たちを圧殺する。
そこには武士の名誉や、死に様などと言った情動を一切考慮しない、徹底的に理不尽な暴力による
小田原城の天守から眼下に広がる惨状を目にした北条氏政は
そこには彼が考え得るいくさから掛け離れた
地震もかくやと言う衝撃と、耳を
氏政は何が起こったのか判らなかった。時間と共に土煙が晴れてゆくと、かつて内藤の陣があった場所は巨大な手によって掘り返されたかのように消滅していた。
「こ、これが織田のいくさだと言うのか……。こんなものはいくさでは無い……地獄がこの世に溢れ出たようではないか」
この後、織田軍からの一斉砲撃は二度行われた。二射目は小田原城の城郭部を半壊させ、三射目で小田原城以西の城下が火の海となる。
三射目に於いて城下が火の海となったのは、原油精製過程で得られるナフサを主燃料とし、パーム油脂及びでん粉発酵させて作るキサンタンガム等の増粘剤を添加したナパーム弾だったからだ。
これは足満が開発している虎の子の兵器であり、友軍の士気低下に憂える信忠に解決策として静子が送ったものだ。これは通常の砲弾と異なり、着弾と同時に発火した燃料をぶちまけて延焼させる恐ろしい武器である。
この飛散する燃料がくせ者であり、ゲル化した燃料は付着すると容易には剥がすこともできず、水を掛けようとも炎を噴き上げ燃え続けるのだ。
反面、原油精製施設が充分に稼働しておらずナフサに限りがあるため、第三射に於いても僅か五発を試験的に配備できたのが全てであった。
しかし、広範囲の破壊と消えない火災は北条側の人々の心をへし折り、逆に友軍は炎上する小田原城の姿に沸いた。
「
早川口付近の信忠軍へと編入されていた
かつて無い規模の砲撃と、火災によって炙り出された北条軍が、一点突破を狙って早川口より出てくることが予想されたため、事前に配置についていたのだ。
玄朗の言葉は新式銃を装備した銃兵たちに向けられており、彼らは自分たちが北条征伐の肝を握っている事を充分に理解し、それ故に自信に満ち満ちていた。
この自信は過酷な訓練に裏打ちされたものであり、自分たちの攻撃如何によって相手の士気を
玄朗は配下の表情を見回して大きく頷くと、早川口へと視線を向けた。
そこからは鬼気迫る表情をした北条軍の将兵たちが詰め掛けており、それでも何とか統制を保って銃兵を前面に押し出した陣形を取りつつあった。
「さあ、答え合わせの時間だ」
早川口とは文字通り、小田原城西部を流れる早川に面した虎口であり、信忠軍と北条軍は早川を挟んで睨み合う構図となった。
焼け出されて後がない北条軍は火の手に押されるようにして前に出る。これに対して信忠軍中の玄朗隊は兵を後ろに下げた。
織田軍の後退を受けて北条軍は川岸ギリギリまで前進すると、虎の子である新火縄銃を装備した銃兵を並べて時機を待つ。
依然として小田原城下は炎上し続けており、きな臭い空気の漂う前線では将兵が
これに対する玄朗の行動は過激であった。わざわざ銃兵たちより数メートルほども前に出ると、北条軍を指さし、続いて己の胸を親指で指示して見せた。
俺の心臓を撃ち抜いて見せろとばかりの挑発に、北条軍の兵たちが激昂する。そんな敵軍の様子を気にするでもなく鷹揚に背を向けて自軍に戻った玄朗は、大仰に肩を竦めてため息を吐いた。
玄朗隊の銃兵たちは樹脂と竹が交互に重ねられた盾に身を隠すようにして構えており、対する北条軍は膝立ちの姿勢で新火縄銃を掲げている。
挑発されていきり立っていた北条軍の将は、織田軍に向けて新火縄銃の一斉射撃を命じた。
「余裕を見せていられるのも今の内だ、その涼しい顔を恐怖に染めてやれ! 撃てー!!」
一瞬の静寂をおいて、北条軍の銃声が響き渡る。しかし、その結果は
流石は射程の伸びた新火縄銃であり、十数発の弾丸が玄朗隊の位置まで飛来する。
しかし、事前に手に入れていた新火縄銃の射程ギリギリまで兵を下げたことにより、それらの銃弾が兵士を撃ち抜くことは無かった。
そしてこれに対する織田軍からの返礼は劇的であった。
「天に唾する愚か者へ鉄槌をくれてやろう! 撃てー!」
玄朗の号令一下、銃声が重なって一つに聞こえる程の斉射が行われ、銃兵たちは即座に次弾を装填して号令を待つ。
「な……あ……」
戦果は明らかであった。織田軍はほぼ無傷なのに対して、北条軍の銃兵たちは総崩れとなる。
織田軍の砲撃を受けたことで研究室から逃げ出し、自身が絶対の信頼を寄せる新火縄銃と共に前線へと着いてきていた
彼我の銃器が持つ性能差に弥勒は打ちのめされる。北条軍は散発的に撃ち返すものの効果が上がらず、逆に織田軍から銃声が響き渡る度に北条軍の兵士が倒れていった。
勝負にならないと悟った北条軍は未だ火の手が上がる小田原城へと逃げ戻り、他の虎口からの脱出を図るべく潰走し始める。
北条軍が算を乱して逃げ出す中、玄朗隊は淡々と追い打ちをかけ続けていた。半狂乱になって逃げ惑う北条軍が敗走し、早川の川岸に動く者がいなくなると玄朗は呟いた。
「ちと、やり過ぎたか」
新火縄銃の敗北は氏政が最後の一線で保っていた心の均衡を崩壊させた。絶望的な戦況と、頼りにしていた新兵器の不甲斐なさに怒りが湧き上がる。
「高座の弥勒を呼べ!! 奴の――」
「恐れながら、高座の弥勒は早川口の一戦を最後に姿が見えませぬ。恐らくは……」
やり場の無い怒りを高座の弥勒にぶつけるつもりだった氏政は、肩透かしを食らってしまった。
恐らくは流れ弾にでも当たったのだろう、よしんば弥勒が生き延びていたとしても彼が復権することはあり得ない。
弥勒を重用していた氏政が、敗戦の責は弥勒にあると考えており、自分の見る目の無さから目を背けている限り。
氏政は膝から崩れるようにしてへたり込んだ。彼はたった一日にして全てを失った。否、徐々に削り取られている現実から目を背け続けた結果が白日の下に晒されたに過ぎない。
己の根幹を為す矜持を砕かれた氏政は、関東の覇者たらんとしたかつての姿を失い、急激に老け込んだように見えた。
既に抗戦する気力をも失ってしまった氏政は、ただ突きつけられた現実から逃避し続けることを選択する。
「織田の砲撃は止んでおる、あれほどの攻撃は最早打ち止めよ。このまま守っていれば小田原城は落ちぬ! 皆の者、織田軍を決して城内に入れるな!」
目前に迫った破滅から逃れるように氏政は配下に指示を出す。家臣たちは表面上従っているように見えるが、誰もが今後の身の振り方へと意識を割いていることは明白だった。
如何に家中の結束が強かろうと、彼らはそれぞれが領主である。長年仕えていようとも、最早北条の名では己の領土を守り得ないと判断すれば手のひらを返す。
非情に思われようとも、彼らとて己の一族郎党を守る責務を負っているのだ。
笠懸山城にて戦況の報告を受けた信忠は、状況が想定内で推移していることに安堵していた。
射撃場から上がってきている報告では、無理を押して同型の大砲を大量に製造させたため砲身に亀裂が生じたり、不具合が生じたりした砲が出ている。
このまま砲撃を続けることが出来れば北条は降伏するだろうが、弾薬的に見ても後一回斉射出来るか否かという状況であるため、切り札を温存しておきたい。
北条が希望を託していた新火縄銃を打ち破ってみせたため、包囲を続けて圧力を掛ければ投降する可能性は高いと見ている。
「この機会を逃すな! 奴らに落ち着いて考える暇を与えず、徹底的に追い込め!」
信忠は攻め手を緩めぬよう厳命する。織田軍の攻撃により北条軍には甚大な被害が出ているが、それでも短期的には包囲を突破しうるだけの戦力を残しているのだ。
北条側が動揺から立ち直る前に追い込み続け、有利な状況で講和に持ち込むのが最上だと信忠は考えていた。
戦況は圧倒的に有利とはいえ、小田原城は東国屈指の堅城である。力押しをすればこちらも多くの損害を被ることになる。
今は一時的に高揚しているとはいえ、依然として友軍の士気は低いため、無理をすれば包囲が崩壊しかねないのだ。
このため信忠は、極力兵力を温存しつつも北条へと圧力を掛け続ける方法として、設置型の大型砲ではない移動式の砲や、新式銃を用いて射程外から一方的に攻撃を続ける方針を指示した。
これに対して北条軍は、最初の一斉射を受けた東側や火災の続く西側を避け、海に面した南側への逃走も難しいことから北側の虎口へと戦力を集中させる。
とは言え総大将からの命令には従わざるを得ず、忸怩たるものを胸に抱えつつも小田原城北側の虎口へと銃弾や砲弾を浴びせ続けた。
笠懸山城の大口径砲には及ばずとも、各方面軍に配備された移動式の大砲ですら充分な威力を備えている。
虎口とは出入口を狭くすることで、敵の侵攻を防ぐ防衛設備である。しかし、所詮は石垣と土塀に過ぎないため砲の攻撃に耐えることが出来なかった。
早い段階で虎口は意味をなさなくなり、北条軍の兵士たちは常に新式銃による銃撃の恐怖に晒されるようになる。
こんな状況が三日も続けば北条内部の士気は崩壊してしまっていた。援軍が来る当てもなく、軍備も心許ない。打って出ようにも新式銃で出鼻を挫かれ、亀のように首を引っ込めているしかない状況だ。
じり貧に陥っていることを自覚する者は少しでも良い条件で和睦を結びたい降伏派閥を結成し、籠城を続けようとする北条氏政ら抗戦派と対立していった。
この対立は信忠が想像していた以上に深刻であり、氏政が直轄している北方以外の虎口から逃亡して織田軍に下る者が続出している。
そうこうしている間にも焦れた柴田が信忠に一斉攻撃に転じるよう直訴する。
既に荻窪口は外郭を失っており、城下へと進軍することが可能となっていた。これ以上押さえつければ暴発すると見た信忠は、柴田に対して条件付きで侵攻を許した。
その条件とは、投降する者は受け入れつつ極力損害を出さないように兵を進めるというものだ。
こうして小田原城の総構え内部に入り込んだ柴田軍は、手早く陣を構築すると徐々に南へと侵攻を始める。
北条は完全に死に体であり、降伏か死かを選ぶところまで追い込まれてしまっていた。
「
松田左衛門佐
まさに北条の命運を決定づける人物と考えて良いだろう。
史実に於いては秀吉からの誘いを受け、長男の
これによって憲秀は監禁の後に切腹させられ、政晴は殺害された。
憲秀の切腹は北条降伏後に秀吉が命じたものであり、理由は北条への不忠だったとされている。
憲秀は徹底抗戦を唱えておきながらも、主君である北条氏政を裏切って秀吉へと和睦を打診しており、またこの交渉が憲秀の独断であったことが許し難いとされ切腹が申しつけられた。
一方の政晴が即座に殺害された理由は、積極的に内応しようと行動しており、その際に直秀へと働きかけたが為に計画が破綻した責を取らされたと推測される。
いずれにせよ北条が進退を決するキーマンとなる事は疑いようもない。
「北条に降伏を呼びかけよ。これが最後の勧告であり、決裂すれば死あるのみと伝えよ」
「はっ」
実質的な最後通牒を突きつける形となるが、これを契機に大勢は決すると信忠は踏んでいた。
(さて、流石に無様な終わりはしないであろうが……勝敗は最後まで分からぬもの。『勝って兜の緒を締めよ』のたとえがあるように、まだまだ気を緩めるわけにはゆかぬ)
柴田軍は破竹の勢いで進軍しており、これに呼応するように小田原城東側に位置する山王口を破って上杉軍と徳川軍をもが内部へと侵攻を果たした。
ことがここに至っては小田原城も落城寸前であり、当主である氏政も身内から突き上げを食らって決断を迫られる。
「殿、これ以上の抗戦は無謀でござる。織田と和睦しましょうぞ!」
「小田原城はまだ落ちてはおらぬ! ここで折れては坂東武者の名折れよ!」
この状況に陥って尚、氏政は決断できないでいた。しかし、氏政とて無能ではない。一族の中ですら、織田に内応しようとする動きがあることを把握している。
かつての栄光と、砂上の楼閣であったかのように崩れゆく北条氏の未来に対する執着が捨てられないだけなのだ。
氏政は戦況が既に詰んでおり、どう足掻いても勝ち目など無いことはとうに理解していた。それでもせめて一矢報いるまではと、諦めることが出来ずにいた。
そこへ信忠の命によって笠懸山城から第四射が降り注いだ。とどめの一撃によって小田原城西側の外郭が完全に崩壊し、未だ織田軍の弾薬が尽きていないことに氏政は耐えきれなかった。
信忠が第四射を命じた直後、ようやく小田原城から使者が寄越された。氏政が出した答えは降伏であった。