明日はTOKYO CALLING。つまりフェスのライブなので今日はみんなで集まって演奏の練習をするなどした。


10月4日発売の『もょもと』収録曲を練習していると気持ちが引き締まる。早く聴いてほしい、聴いては褒めそやして欲しいと思う。



帰宅して昨日のうちに買っておいた『わんぴいす 完全読本』を読んで、号泣してしまった。
クジラックス先生のファン的には、これは、手塚治虫の火の鳥のような作品のように感じるし、クジラックスサーガ……いや、ロリコンのサーガが描かれていた……。

クジラックス先生は、変な言い方をすると、幼女を描くというより、幼女とその周囲を描くのが上手いというか、視点が他のロリエロ漫画と少し違う作家さんで、
ブログだからSNSとかよりつっこんだ書き方をすると、竿役のキャラクターにもしっかりと人格を持たせる漫画家さんだと思っていて……。


そもそも、ロリコンってテーマが好奇の目で見られがちだけど、結ばれるべきでない関係性の中にどうしても魅力を感じてしまう呪いのようなものとして、まともな恋愛をする機能が無い人間の悲哀のようなものをぼくはヒシヒシと感じてしまう。
(そういえば挫・人間の恋愛がテーマの曲も現実味がなく、狐娘や死んでしまった人との恋など、まともな恋愛の曲がない(全て妄想だから))


「わんぴいす」も、例えば「ろりともだち」も、他の作品もそうなんだけど、テーマがこういう憚られるものだから誤解を招きがちだけど、
というか本当に色々な問題があるし、リテラシーの無い人間が美談にすることはあってはならないんだけど、人間というのは一瞬の光のために人生を棒にふることができるヤツがいて、それはリスクを伴うが、それこそ生きることの本質であるように思えてしまう。

これはテーマが過激だから、とんでもない話に聞こえるけれど、例えばロックバンドだってそうだとぼくは思う。

憚られるほどのことをしてまで、取り返しのつかない、終わらなくなってしまった夏を自分の手で終わらせるために、バッドエンドがわかっていて、それでもキャラバンに乗り込む人間の哀しい物語の、終わりに向かって行く真っ暗な道の中で、かすかに瞬く光にどうしても涙してしまうし、救いを感じるし、ぼくはそういう物語が好きだ。




全く関係ないと前置きして話すと、
大すきな幼馴染のことを思い出した。

彼女は近所に住んでいて、家族ぐるみで仲良くしていた。ぼくより身長も高く、足も速い。オトコ女!みたいにバカにしながら、すごくすごく、幼いながらに彼女に抱いてる気持ちが透明で照れくさく暖かいものだと感じていた。

その頃の残像が強く焼き付いてしまって、別々の中学行ってからは彼女のことを思い出すと小学生の姿が浮かび上がる。

20歳くらいのころ再会したとき、彼女の髪は栗色に、身長もぼくより低く、とても風を受けて走るようには見えないスカートを履いて、あの頃と同じように笑った。

「サラバ17才」なんて曲を歌ったときヤケクソになって書いたことが、現実になっていた。
ぼくは会わなくなって更新されなくなった君の情報から、勝手に別のあなたを育てていたけど、あの日の君にはちゃんと未来があって、ぼくの知らないところで大人になっていったんだな。

ずっと三つ編みにしてた君が髪を肩くらいに切りそろえていつもの通学路に現れたとき、なんだかすごく照れくさくてもどかしい気持ちになって、妹の手を引いて走って登校したことがある。

その日の朝の会で、隣のクラスだったその子が急に泣き出して、ぼくの名前を呼んでたから……と先生が連れてきたときの、最初で最期の彼女の泣き顔が今でも焼き付いて離れない。


ガラスの動物園のローラのように、後悔という名のロウソクの火が吹き消えることはない。
そのロウソクの火を消すことができるのなら、人生を棒に振ったって構わないと思って自分がステージやスピーカーから、叫び散らしているのだなということを思い出した。
もしもそれが、犯罪だとかでしか成し遂げることが出来ないものだとしたら、この世界において悪だと断定される自分の感情と向き合うことも、それをやることも、とても哀しいことだと思う。



しかし、本来モラルや倫理の外に恋愛の感情というのは存在すると思っていて、もしもそういう大きなものを飛翔しとびこえていくエネルギーが存在するとしたら、それを愛と呼びたいと思えるから、だから、そういう飛翔するエネルギーを持って誰かを好きになる物語がぼくは好きだ。


バッドエンドが確定していたって自分の物語を引っさげて、全力で終わりに向かって突き進む事しかできない。とにかく今はそういう気分で曲を作ってる。自分の暗闇に包まれた人生の中で一度でいいから、どこまで堕ちたっていいから、一瞬だけでも光がみえたら、その光はきっと誰かの足下を照らす灯りにだってなる、その誰かとは、いつかのおれであり、あなただ。
人生はシネマだと詩人は言った。どんな物語でも肯定してみせたい、素晴らしい光で世界ごとかえられたらいい、ありえない事だって起こって仕舞えばいい。君のシネマに本来必要のないかなしみなんかなくなってしまえばいい。例え死んでしまっても、ハッピーエンドだって終わりさ。

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おれのたからもの、ション子だよ。