ドチャクソにテンションの上がる展示をみた。


日本橋は三越。デパートの屋上が好き。
ということで三越に用事があって行ったら駅から行列で、「なんだ?!」と思ったらアートアクアリウム展。


そんなに良いのか?と思いつつも、大勢の人を見て具合が悪くなったぼくは屋上でソソクサと用事を済ませると、その下で何か別の展示をやっていて


それがこの『大 黄 金 展
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ぼくはおもわず手で自分の口をおさえた。
本能が叫び出すのを感じたからだ。


しかし、こちとて金のスニーカーを履いて日本橋までやって来たのだから。


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そう簡単に慄いたりはしないよ。



いざ!



と、そこに看板の横に立つポケットモンスター第1話で登場したような鳳凰。

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うおおおおおおおおおお


展示会場に入るなり目に飛びこんでくるのはおさわりOKの、6億円の金塊。


そして、どうして金で作ったの?という高級すぎる日用品や茶器。


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見てよこの、4300万のしゃぶしゃぶ鍋。
「時給1200円?それってしゃぶしゃぶ食べられるんすか?」と言わんばかりの佇まい。
価値観の暴力で人格を否定してくるしゃぶしゃぶ鍋なんて初めてだよ。


1億円の茶釜を見たときは「ヒィ〜〜」と声が出て腰が抜けたけど、何よりヤバいのは、これ全部買えるってこと。
しかも買ってる人いるんだよな、マルクス激おこだろこんなん。


会場に集められた、総額100億円の黄金で出来ている別に役に立たないものたちに
「価値観とは?」
と問いただされている気分になって最高だった。とてもキャンプな芸術体験をした気がする。

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スニーカー金だぜ!とか調子乗ってましたすみません。黄金のゲバ棒キボンヌ。


ぼくはこの日、いたく感動したので、ライブで感動したら物販に行くが如く、何かお金を使って行きたい!と思って物販コーナーへ向かった。


ぼく「ボールペンが400円でカッコいいから買うぜ!」

店員さん「ひとつグレードが高いものもございます」

ぼく(値段10倍で桐箱に入ってる……)

店員さん「書き心地は変わりません」

ぼく「最高!」



金色に塗ってあるっぽい普通のボールペンと、多くの金箔が使われていて、桐箱に入ったボールペンの書き心地が別に変わらないってところに真理があるよね。言えちゃうんだもの。
「400円だろうが4000円だろうが、ボールペンはボールペンですよ?」
ってことだよね。
最高だなと思った。



「黄金だ!!!」「高えぞ!!黄金だからな!!!」
みたいな暴力的な感じがマジホンのパワーって感じがして、サイコーだったよね。力技だよ、いくらなんでも。
多分ゴールド・ロジャーの言うワンピースってあのしゃぶしゃぶ鍋のことだわ。



時給1200円のバイトをやってる人間に、黄金で出来た1億円の茶釜は破壊力抜群でバカバカしくも希望があってサイコーだよ。
別にいらねえ!ってものが自分の労働時間をいくら積み重ねても手の届かない場所にあるなんて、それを、その事実を無機物に思い知らされるなんてどんな体験だよ。


彫金とかって、ぼくの想像を遥かに超える技術が必要なんでしょう、だからってさ、茶釜とか使わねーよ!と。



ああ、愛しい、悪趣味よ。悪趣味の極北よ、なんてスウィートなんでしょう。
贅沢をするとか、美味しいものを残すとか、クーラーガンガン効かせた部屋で毛布に包まって寝るだとかとか、サボタージュとか、スウィートなものはとても無駄で必要のないものばかりです。



考えてみれば芸術なんていうのもそうで、音楽なんて食えないものは、本来生活に必要ないもの、だけどなくちゃ困るもの。
必要ないものが芸術というステージに上がった瞬間に価値観が転覆してとても価値あるものになるというのはサイコーじゃないですか、


ジェフクーンズのバルーンドッグとか
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これ2億だからね。


とんでもない素材に時間や努力や技術をつぎ込んでついに完成したものが茶釜!
とかそういう事実が、まぁなんと愛おしいことでしょう。


これまた黄金ってのがバカでも分かる暴力的な価値で、価値そのものでいらないものを作るというバカバカしさと清々しさと、そこについた考えられない値段、それを買う人達、すべてが揃って美しい空間を形成していて、サイコーの芸術体験をしたなと感じてぼくは会場をあとにしたのです。


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帰りに階段降りてたら普通にコンセントとかが金色で叫びました。



三越なんなんだよ。