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ほぼ日刊イトイ新聞

2023-02-01

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「人生あみだくじ論」。論というのもおおげさだけど、
 人の生きることというのは、後戻りできないことと、
 なにかきっかけがあるごとに曲ることだなぁと。
 それは「あみだくじ」みたいなことだなぁと思ってね。
 しかも、他の人の「あみだくじ」や、鳥や雲やバッタや、
 なんなら石ころやらの「あみだくじ」ともつながっている。
 最近、しつこくそういうことを言ってるんだけどね。

 昨日、「ほぼ日をつくってくれて、ありがとうございます」
 なんてことを、あらためて言われてね。
 そっか、「ほぼ日」をつくってなかったら、
 この人にも会ってなかったんだ、逆に見たら
 この人の「あみだくじ」には「ほぼ日」はなかったんだと、
 ちょっと驚いたような感覚になったんだよ。
 1997年の11月10日に秋葉原にMacを買いに行って、
 いやいやながらにタイピングをおぼえたりして、やがて、
 「ほぼ日刊イトイ新聞」というものをつくろうとした。
 ここで、ぼくの「あみだくじ」はひとつ曲がったわけだ。
 その「ひと曲がり」は大きかったなぁと、思うんだ。
 そのあと、ずうっと、やめようとも思わずに、
 「もっとなんかできるんじゃないの」と、何度も曲がって、
 あんまりつらいとも思わずに、いまに至っている。
 いま、この「ほぼ日」読んでくれてるあなたも、
 ぼくの「あみだくじ」が「ほぼ日をつくる」の方向に
 曲がってなかったら、これ、読んでないわけですよね。
 どっひゃーだよ、奇跡のようにさえ感じる。

・「あみだくじ理論」で考えると、この先の未来も、
 じぶんの判断でいくらでも曲がれるってことだ。
 「おれの人生は一直線だ、曲がったことは大嫌いだ」
 とかいう美意識も尊重はするけれど、
 それだって、ある程度曲がってから身につけた考えだろ。
 赤ん坊が「曲がらない」なんて宣言するわけはないよね。
 じぶんの考えでいくらでも曲がれるような選択肢を増やす。
 つるんとしたまっすぐの「あみだくじ」に、どんどん自由に
 曲がり角をつくるということだなと思った。

 それには、どうするのがいいかを考えていてね。
 「学ぶ・試す・味わう」ことなんじゃないかなぁ、と。
 そのことを、さっき手帳に記したんだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
学ぶは知る、試すは広げる、味わうは一体になるということ。


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