ゴッホって黄色の絵の具がすぐなくなっちゃうんだってさ、
と、聞いてぼろぼろと涙がこぼれたことがある。
ぎょっとした相手は引きつった顔で
「これだからバンドマンは」と心の中で叫んだ。ぜったいにそう、おれには聞こえた。
ゴッホ好きでさ、Tシャツも持ってんの。
これ、プリントどんどん剥がれてくんの、ほんとムカつくよね。
まぁ、どうでもいいんですけど。
ぼくははじめて買ってもらったゲームボーイポケットの色が黄色だったときから黄色が好きだったから幼稚園の頃通ってた絵画教室でも黄色の絵の具がすぐなくなってた。
いつもその日の塗りたい色が必ずあって、それ以外の色を使うのは、褒められようとしてるみたいで嫌、なんて気分で絵を描いてたことを覚えてる。
カエルを黄色に塗って怒られたことがある。「カエルが緑色だってことくらい分かってる」と、思った。
幼少期に描いた絵があるから、載せる。
…………。
いや、でもこの頃が一番明るかったんですよ、ぼく。
高校生になる頃には絵を描くことはなくなり(気持ち悪いとか不気味って不評だった)、バンドに夢中になった(気持ち悪いとか不気味って評判)そんな頃に美術の授業でゴッホのひまわりをみた。
ひまわり、これが有名なヤツか、くらいの感想。エロゲーをやり続けた91年生まれは、ひまわりを見ると条件反射で切なくなるが、ゴッホのひまわりはそういう印象を感じさせなかった。
本で読んだ話によると、ゴッホにとって黄色は希望の色らしい。
ゴッホは死後評価された不遇の作家、みたいなエピソードもあるから過剰に絵画に感情移入してしまって、なんだかひどく下卑たことをしてる気分になってダメだ。それでもよく見るゴッホの絵。自画像、夜の街、橋、畑、太陽。どこもゴッホには黄色にみえているようだった。自分の見たままに色を塗ってるみたいで、なんかカッコいいな、と思った。
不遇の作家、twitter上に存在するゴッホのbotは、数時間おきに弱音を吐く。おれのtwitterとほとんど同じだ。
それでもゴッホは街の至る所に、朝に、花瓶のひまわりに、希望をみていたんだなと思った。わからない、もしかしたらぜんぜんそんなことなかったかもしれない。でも見出したかったんじゃないか。そこに存在しないものが希望にだってなり得ればいい。まるで祈ってるみたいだ、と思った。
下川くん、みんなカエルを緑色に塗ってるけど、なんで黄色に塗ってるの?に対して黄色が好きだから、と答えると変人扱いされることくらいわかっていたので
「笑えるかなと思って」と答える。
別に何かに反発心があったわけじゃない。でも一面真っ黄色になるような世界をずっと見てみたい。
ゴッホって黄色の絵の具がすぐなくなっちゃうんだって話を聞いて、そんな思い出が一瞬にして蘇りうれしくなった。
まじ、よかったね。黄色をたくさん残せて。
何か色を塗るともう戻れない。そこに色を重ねても元の色には戻れない。ぼくはまみずのような透明さを持つことが出来なかった人間だから、せめて自分の筆先を、自分の好きな黄色だらけにしたいと思った。ゴッホみたいなヤツが黄色を塗り続けていた事実が今の卑屈な自分を励ますから。おれは黄色を選ぶ、それがキチガイの色でも、スズメバチの色でもハルヒのリボンでもいい。黄色を選びたい、と思った。それはきっとキレイだと幼少のぼくは思うだろうから。
さー今日はライブだ。
おれのションベンで真っ黄色に染めてやるから来いよ。