「腕時計の魅力がわからない」


そう言うと夏目が「つければわかる」等と生意気なことをおっしゃいやがるので、何くそよこせ、と彼のものをぶんどり、装着しました。


アレ……いいかも……。




夏目が、どうだ、みたいな顔でこちらを見ます。ムカつくので伝えませんでしたが、着けてみたら腕時計、欲しい。




しかし、この日家に帰って腕時計について調べてみてもイマイチピンとくるものは見つかりません。




やっぱり腕時計の魅力がわからない。




どうやらぼくは大きな革靴やネクタイと同じく、腕時計にも嫌いな父親を連想させる、なんらかの男らしさを感じているみたいでした。




どうやらぼくの脳には男らしさをIQの低さに直結させてしまう悲しい回路があるらしく、自分の男らしさを不快に感じることがよくありました。




しかし、レディーファーストとかって強制力は意外と便利で、男だし、というのを理由にぼくは、一緒の電車に乗り合わせたバイトの同僚の女の子に空いてる席を勧めました。会話はなく、隣の席が空いても、なんとなく座るのは躊躇われました。




会話をしなくちゃ、年上だし、黙っていると威圧してるように思うんじゃないだろうか……、とぼくは会話の糸口を探します。そういうときって本当に、いい天気ですねとかしか思いつかないものです。自分の話題の少なさに悩んでいると、ちょうど彼女の左手首にぼくはピンク色のベルトを見つけました。




「腕時計してるんですね」




「あ、そうそう。下川くんはしないの?バイト中時間気にならない?」




「あ、ぼくはなんか、腕時計って苦手で……」




「えーどうして?」




「なんか、どんな腕時計が良いのかわからないし、着けたらおっさんの気分になりそうで苦手なんです」




「私、おっさんじゃないけど!」




「いや!いや、もちろん」




今更だけど、年下にタメ口を聞かれる悦びと、セーラー服の魅力は、年々膨らんでいくものですね。




「腕時計、いいな、と思うものに出会ったことがないだけじゃないの?」




「そうなのかも……」




「時間気にならないの?」




「携帯で十分だから……」




「時間守れなさそう」




「そういえば、いつも、時間守れない」




「じゃあ、買えばいいじゃん、似合う似合わないとか、あんまり無いよ」




「でも江口さん、よくバイト遅刻してきますよね」




「朝には弱いの」




「なるほど」




会話はそこで途切れます。気まずい空気になる前に次の言葉を放ちました。




「ちなみに今は何時ですか」




「えーっと……今は18時23分」




「え……腕時計見ればいいのに、なんで携帯で時間確認したんですか?」




聞くと彼女は、ああ、と言って、眉ひとつ動かさずに答えます。




「別に、これはファッションでつけてるだけだから。電池切れで時間はわかんない」




「と、東京の女の子はおしゃればい……」




「おしゃれには多少の犠牲はつきものだよ、下川くん」




「べ、勉強になります」




実は中学の頃、誕生日に父親から腕時計を貰ったことがあります。一週間で外したのは原因不明のかぶれが原因でした。




「あ、そーいえば」




「なんでしょう」




「腕時計って、そのひとにとっての恋人を表すらしいよ」




「え……」




「携帯で十分とか言ってないで、ちゃんと自分でどんな腕時計が好きか決めれないと、モテないよ〜」




彼女はそう言って席を立ち、電車を降りて行きました。




後に知ることですが、彼女がしていた腕時計は、彼女の左手首にあるたくさんのためらい傷を人目から守っているのでした。




ムスリムのひとは、神様との約束のために時計をします。


ぼくらは、友達や恋人との約束のために時計をするのでしょう。




ぼくは腕時計をする必要がありませんでした。誰とも約束をしないからです。




バイトを辞めて、それきり彼女とは話すことはありません。


ぼくは心惹かれる腕時計を見つけていないけれど、彼女が今時計を、誰かとの約束のために、悪意ある好奇の目や、いじわるから守ってくれるような誰かとの約束のために時計をするのなら、それはどんな時計だろうと思ったりするのでした。