ツイートなんて手軽で、部屋で育ててる豆苗の苗に水をあげながらでもできる。
手軽だからひとり屁をこくくらいのカジュアルさで発信して、かほりが鼻に到達する頃に、はずかしいことしちゃったわん、と削除する、という繊細さゆえにブログが更新される……これはブログの更新を怠るぼくにはそういう恥じらいや繊細さが必要だということですね。
タダだしいいやろ!と更新しないのはズボラだったからなんですねぇ、うん。
繊細さにも色々あるけれど、幼いの頃の繊細さというのは厄介で24になって振り返るとすごく滑稽だったりするのだ。思わず目を反らすほど滑稽なのは、当時のとても笑えない心地をよく覚えているからだ。
友達とやるババ抜きで回ったきたハートのジャックだとか、ラッキーカラーがピンクのセーターだったりとか、持ってるゲームボーイの色だとか、そんなことを、ばかだな〜、なんてことを、ひどく照れくさく感じたり、いちいち傷ついたりしてたこころは、やっぱり自分が男であるということの戸惑いと、揺るがぬ事実を受け入れようとする心の闘いだったように思う。
今では、ハンカチを持ち歩くし、甘いものも食べる、ブックオフで少女漫画が置いてある棚も見たりする。花をみて目を細め、丸襟のシャツを「かわいい」と言ったりする。
チンポコぶん回して誕生し、チンポコと共に成長していったけれど、そういうことが非常に恥ずかしかったし、男性で生まれていながら、男になっていくことはとても難しく、見えない友達だとかをたくさん置いてきて今こうしている気がする。
20を過ぎてそれを迎えに行ってるのは、始発で帰って、青い顔で歩くぼくと、青い顔で出社するサラリーマンがすれ違うように、誰にでもなく顔向けできないような気分だ。おジャ魔女どれみ観てるってクラスメイトには言えなかったな。
小さい頃は神様がいて不思議に夢を叶えてくれた、らしい。それは悪いことをしたねぇ、と思う。
別に恋愛対象は女性だし、男らしさの権化みたいなコンテンツが嫌いってわけでもないんですけど。
そういった感情って、積もるんですよね。積もり積もっていくそういう感情をルサンチマンと名付けるとしたら、それを発散するためにバンドみたいなアウトプット、というかもうデトックス、精神が安定を維持するためにぼくにバンド活動をさせるわけだけど、やればやるほど積もることもあるというか、ポルノグラフィティとかも言うじゃないですか、愛って永遠のテーマだって。愛って何?人生の意味って?おれにはわからんよ、積もる積もる積もりまくるルサンチマン。マグマは臨界点を突破し、ついに爆発する。
その結果がコレである。
『お兄ちゃんだぁいすき』
発売した当初からイリーガルと言われ続け、「?」って感じでしたが、半年経った最近になってようやくわかるようになってきましたが、確かに現代の病が具現化してしまったようなところありますね。
でも社会の闇が高い純度で蒸留された結果、出来上がったものがいびつなカタチしてるって、そう考えると切なくて泣けてくるよね。エモいよね。自分で言うけどさ。何かに復讐するように女装してライブをやっていたことも、今思えば自然なことのように思えませんか?思えませんね。
だからアルバムのラスト曲がこれなんですね……。
ナタリーのインタビュー
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でも話したけど、つまり、ついにぼくモノリスに触れたみたいなことなんです……キューブリックが言うところのね。あの有名なジャンプカットに動物の骨、衛生、ペン、ときたら、現代であればぼくがくるでしょう……。意味がわかりませんか?ぼくもよくわかってないです。
小指が僕にからんで 動きがとれなくなれば みんな笑ってくれるし 僕もそんなに悪い気はしないはずだよ
笑えるのは良い、思い出の中はいつも砂漠で、喉が渇いてたことばかり覚えているから。
人間のこころにはどんぶりがある。あのオードリーヘプバーンのようなヤツですら、心にあるのは上品な小皿なんかではなくどんぶりだ。
どんぶりのカタチとかが好きになれたらいいと思う。
どんぶりをどこに飾ろう、とか、考えていたい。